劇場公開日 1956年10月12日

「人生の教示に満ちた一本。」白鯨 talkieさんの映画レビュー(感想・評価)

3.0人生の教示に満ちた一本。

2023年5月29日
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鑑賞方法:DVD/BD

<映画のことば>
「我々の仕事は、鯨を殺して世界に油を供給することだ。それを忠実に実行すれば、人々の役に立ち、神も喜ぶ。」

<映画のことば>
「仕事のためならどんなこともしますけど、個人の復讐のためでは…。復讐が油を産み出して金を稼ぎますか。」
「金が何だ。金以上のものだ。」
「何も知らぬ動物に怒るとは、神を恐れぬ行為ですぞ。」
「神などと!侮辱されれば、太陽でさえ打ち据えるわ。」

ひと儲けを夢見て、投資家(船主)か船を仕立て、種々雑多な人々が、その航海限りで乗り組む。
そして、一航海が終わると、投資家は鯨と船とを売った益金から船乗りの賃金と必要経費を支払い、残りを自分の収益として、それでまた船を買って次の航海を企画する…。
たぶん、当時の捕鯨は、今のような継続的な企業ではなく、船(一航海)が一回限りの経営体だった頃のものだったのでしょう。

そして、船乗りの間では「板子一枚下は地獄」とと言われています。船に乗り組む仕事は危険と隣り合わせ、という意味です。
そして、船がそんな一攫千金的な企業である上に、エーハブ船長の出漁の目的がお金儲けという企業的なものではなく、もっぱらエーハブ船長のモビー・ディックに対する「私怨」を晴らすことにあるということなら、航海の危険に身を晒す乗組員たちは、浮ばれないと思いました。

結局、あの嵐は、エーバブ船長の言う通りに「天の助け」だったのか、それともイシュメイルの言う通りに「天罰」だったのか…。

いずれにしても、私怨を動機とすることの愚かさということでは、人生の教示に満ちた一本だったことは疑いないと思います。評論子は。

(追記)
捕鯨船の乗組員のための(?)教会は、牧師の説教台が、捕鯨船の船首の形になっていたのが面白いと思いました。評論子は。

talkie