「狂っている人たちに操られている国家」博士の異常な愛情 または私は如何にして心配するのを止めて水爆を愛するようになったか parsifalさんの映画レビュー(感想・評価)
狂っている人たちに操られている国家
30年ぶり位に視聴した。今となっては、東西冷戦の対立構造とは状況が異なってしまっているが、東側、西側それぞれの人物の本質、言い分に対する強烈な皮肉が込められていて、軍拡競争に対するキューブリックの考えが表現されていると思った。
米軍の攻撃指令は、共産主義者の陰謀論が、本当であると信じてしまったリッパ―准将から出される。相手を必要以上に恐れることから、敵を過大視し、思い込みから狂気に至っている。登場する軍人は、総じて好戦的で、相手を疑い、自分が罰せられないこと、自分の秘密は守ろうとして行動している。B52の機長ユング少佐は、カウボーイハットを被り、突撃に興奮する勇敢なアメリカ人として描かれ、しかし、それは神風特別攻撃隊の姿にもダブって見えた。
また、B52内の搭乗員が操作をするシーンなど、軍の動きについては、正確でリアルな感じで描かれ、指示どおりに実行しているのに対して、個々が主体的に行動する部分については、個性的で偏った趣味や思想をもった描き方であった。人間は、個々の考え方は様々で、間違えることもあって、その組み合わせ次第では、このような大事態も起こり得ると示唆をしているのではないか。
ピーター・セラーズの博士は、ヒトラーを崇めていた兵器開発者として、右手がついつい上がってしまうのが笑えた。ミサイルやICBMの技術は、ドイツの研究者を米ソ等が召喚して開発させたというのが背景にある。その殺戮を尽くして、人類を支配する野望を隠しながら、総統の夢を実現しようとするように描かれている。ナチスや神風なども取り込んで、その狂気も描きたかったのだろう。
英国製作の映画ということもあり、ピーター・セラーズを起用し、リッパ―准将の副官、米大統領、Dr.ストランジラブ(異常な愛情)の3役を見事に演じ分けていた。何とかして核戦争を阻止しようとする演技と核戦争をデザインした側が、一人の中に存在するというような暗喩もあるのかもしれない。
キューブリックは、このような核軍拡競争を、本当にバカバカしいと思っていたのであろう。痛烈に皮肉ることで、この映画を不滅なものにしている。と共に、それが歴史的に本当に起こったという事実から吾々が何を学ぶかが大切なのではないだろうか?
自分は、軍拡競争は、政治家や金融資本家らが、恐怖と対立を煽って、意図的に紛争や戦争を起こし、そこから自分たちに利益が生じて、大儲けができるように国際世界を操っていると思っている。そういう人たちも、恐らくこの映画に登場する人物たちのように、端から見ると狂っているに違いない。