日本の夜と霧のレビュー・感想・評価
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この映画はド迫力だ
この作品を味わうには、まず歴史を知らなければならない。少しだけ説明しておこう。かつて日本にも、共産主義の波が押し寄せた時代があった。学生たちが「日本を共産主義国家に変えるべきだ」と主張し、大学を中心に各地で運動を起こしたのである。その運動は次第に過激化し、狂気じみた暴走に発展し、ついには犠牲者まで出た。本作は、まさにその時代の空気を描いている。
さて──
日本の古い映画ファンなら誰もが“大島渚”という名前を強烈な個性として思い浮かべるだろう。では、その大島渚の最高傑作は何か。これが実は意見が大きく割れる。
そして、この作品を最高傑作とする者は決して多くはない。しかし、その“珍しい少数派”こそが私である。
そう、これは大島渚の最高傑作だ。
この作品の凄さは、とにかく 気持ち悪い という一点に尽きる。リーダー格の男たちの思考が気持ち悪い。インテリたちの偏執的なこだわりが気持ち悪い。彼らが少しずつ狂っていく過程もまた気持ち悪い。
──この「狂っていく」という点は特に注目すべきだ。スタンリー・キューブリックが『2001年宇宙の旅』で狂気を描いたのは、この作品の八年後である。
感想を一言でまとめれば「狂ってくる映画」である。これほど不気味で、じわじわと狂気が侵食していく映画が他にあるだろうか。
さらに、映画的な“善悪”の構造を完全にひっくり返している。一見、正義の味方のような顔をしている者が実は悪であり、悪人面のほうに見える者が実はまだ正常だったりする。その価値観の転倒そのものが、また気味悪い。
そして全編に漂う緊迫感。これは単なる緊張ではなく、不安と嫌悪をまとった独特の気持ち悪さだ。
また本作では、登場人物がなぜ狂っていくのか、その「理由」がわざと曖昧にされている。これは大島渚が意識的にそうしている。
凡人から見たインテリの“気味悪さ”を、今度はインテリ自身に突きつける。
そのテーマが、ここでは見事に結実している。
この作品こそが、大島渚の最高傑作なのだ。
暗渾蛋なオルグ行為なのかなぁ?
破防法は1952年に施行された。その良し悪しはともかく。
元になったのは1950年のアメリカのマッカラン法である。
1960年の闘争運動の時は、それが問題視されている。そして、闘争後の闘争の主旨は10年後の書き換えの時に移る。
だから、闘争中の1968年に新宿騒乱がある。正に破防法を意識した騒乱だったと僕は記憶している。
それが良くわかる演出にはなっている。
また、1960年の安保闘争は団塊の世代の仕業ではない。団塊の世代がその主役になるのは、1970年の事である。
まぁ、こう言った運動の履歴を今更振り返ると、
コミュニストであれ、キャピタリズムであれ、日本はアイデンティティを失い、脱亜入欧であったと感じる。その終焉が三島由紀夫氏の事件だったのかなぁ。
この映画の時期、反スターリン主義は当たり前で、この闘争にスターリン主義を取り入れたセクトがあって、それが現在までこの運動を狂乱期に変えてしまっている。大変に残念である。
トロッキズムとボルシェビキのしのぎ合いなんて冷静に考えれば、安保と全く関係ないのにね。つまり、闘争をオルグではなく、権力闘争と考えているから駄目なんだ。
全学連御用達
☆☆☆★★★ 鑑賞直後にWikipediaを確認。 色々なエピソー...
☆☆☆★★★
鑑賞直後にWikipediaを確認。
色々なエピソードが残っているのだけど、如何にも〝 勢いだけで作っちゃった 〟感満載な内容には「そりゃそうだろうなあ〜」…と言った思い。
更には多くの出演者達が、「何をやってるのか分からなかった…」とあると、これはもう苦笑せざるを得ない。
内容に対して、あれこれと語れるだけオツムが良い訳ではないので辞めておきますが。個人的には結構楽しんで観てました。大島作品の中では比較的分かり易い方の部類に入るんじゃないですかねえ。少なくとも、この後に撮影した『儀式』や『紋死刑』等の作品と比較してではありますけど、、、
それにしても激しいディスカッションの連続で。それによって発生してしまう、多少(と言うか、大いにですけど)感じる違和感等の疑問点を言わせない程の迫力を生み出しているのは圧巻でした。
公開直後に浅沼刺殺事件が勃発し、直ぐに松竹は日和った為に公開中止となるのもむべなるかなと言った思いですね。
まさに、監督大島渚と共同脚本でもある石堂淑朗の、【想いの丈】のみが沸点に達したからこそ日本の映画界に産み落とされた《怪物作品》であったのでしょう。
Wikipediaを見ていて思ったのですが。脚本の石堂淑朗は後に、黒澤明に対して一貫して批判的だったのは分かるのですが。小津安二郎を絶賛していた…ってところは意外でした。
少なくとも、大島渚・篠田正浩・吉田喜重といった面々と始まった松竹ヌーベルバーグは。小津を筆頭にして生み出された、独特の大船調に対するアンチテーゼだと思っていただけに。
2022年3月15日 シネマブルースタジオ
こんな結婚式は嫌だw
序盤までは画的にも楽しめたけど、中盤以降は党内部のドロドロした暴露大会が中心だった。けど、それはそれで楽しめた。リーダーである中山が、数々の告発に遭い袋叩きにされながらも、自分に向けられる批難=党への否定という、お馴染みの論理で弁舌巧みに場の流れを誘導していくサマはとても良かった。
ラスト、滔々と語る彼の長台詞を聞かされながら、誰かゲバ棒で頭ぶん殴ってやればいいのにと思っていたけど、実行する者はおらず、皆がなんとも言えない雰囲気で立ち竦んでいるのがとても良かった。
棒読みや言い間違い、言い淀みは制作の裏事情に目をつむって、「緊張」や「緊迫感」の演出と脳内変換してやれない事もなかった。
役者がセリフを喋らされているということの暴露は、学生が所詮、政治的言説を喋らされているに過ぎないという意味も含んでいるのかしら(多分違う笑)などと思った。
ハンディを逆にリアリティ構築の武器にした大島渚の非凡さが…
ミステリー仕掛けの
ディスカッション舞台劇の様相だが、
何か壮大な実験映画を見せられたような
鑑賞気分だった。
また、頭の弱い私には
外国映画で良く経験することだが、
誰が誰やら分からなく点や、
描かれる場面がどの時点の話なのかが
分からなくなってしまうことがあって、
もう少しその点が分かりやすい編集で
あったならばとの思った。
この作品、解説には、
異例のスピードで制作しなければならない
背景があり、
台詞を間違えても中断せずに撮影を続けた
ことが独特の緊張感を生んだ、とあった。
演出で凄いと思ったのは、
各俳優が言い間違いでも、
通常の会話ではあることなのだからとして、
それを顔に出さないように
徹底指導して演技させたことだろう。
ハンディを逆にリアリティ構築の武器にした
ところにも大島渚の非凡さを感じる。
話は、社会への怒りが
ともすれば身内に向かってしまうのは、
少し間違えると連合赤軍のリンチ事件同様に
発展しかねない危うさも感じる内容だ。
半ば内部崩壊したような
当時の左翼運動ではあるが、
政治を自分達の手で本気で変えようとした
社会に対する当時の先輩世代の真剣さには、
ある意味ノンポリだった世代の私は
尊敬の念をいつも覚えている。
珍作。
安保闘争
大島渚は編集技術を知らなかったのか?と思えるほど、舞台劇を意識したかのような長回し中心のカット。しかも切り替えシーンにおいても壁をいつのまにか取り払ったかのように結婚式会場から夜の公園を映し出す。回想シーンにおいても、クローズアップされた人物の周りをブラックアウトし、切り替えを感じさせないくらいにリアルさを出していた。
党(多分、共産党)をバックボーンにした正統派の人物から、微妙に考えの違う者が対立してゆく。これは安保闘争に限らず、政治的な思想が統一からカオスへと変化する様相を上手く描いていた。うたごえ運動にしたって、ひとつの歌だけを延々と流しているのに、人の心はさまざま。現代のように平和な世の中になってゆくと、こうもばらばらになっていくもんだと未来を予知したような内容だったのかもしれない・・・
数多い台詞のミスも平気でそのまま本編へ。長回しというのも大変だろうけど、フィルムを無駄にしたくないといった庶民的な一面だったのだろうか。
本作はこの当時の左翼運動が如何に駄目であったのか残酷な迄に直視している
1960年10月公開
6月の60年安保闘争の敗北を受けて、その直後に製作されていることを頭に入れて、また日本の学生運動の終戦直後からの歴史を勉強しておくことが、本作を観るには必須の準備になるだろう
60年安保闘争と学生運動の敗北
のみならず1950年代の全学連による反破防法阻止闘争の敗北
さらには日本共産党と新左翼の対立
それらを映画という形で総括している
結婚式でのスピーチがそれぞれの立場からの主張となり討論会的な様相を示しつつ総括している
題名は「日本」の「夜」と「霧」の三語ではなく、「日本」の「夜と霧」の二語だ
夜と霧とはアラン・レネによる1955年の同名のフランス映画に由来する
元々の夜と霧とはヒトラーの占領下の政治犯のドイツへの移送許可指令のこと
政治犯が夜霧のように跡形もなく拉致され消息が知れなくなったこと
本作でも消える人間が二人いる
1人目は60年安保成立のその日、病院から抜け出してデモの参加して消えた学生
二人目は公安のスパイ嫌疑を受けた少年を故意に逃がしたとして共産党の査問会にかけられ自殺を半ば強要された男
しかし本当に消えてしまったのは何か?
学生運動で目指した筈の理想だ
そもそも結婚式に押し掛けて政治な思想路線の討論の場とするような政治活動が、大衆の支持を得るものか共感を得るものなのか
何も分かっていない
結婚式の終盤には日本共産党の方針と滔々と述べ、違う路線を主張する者達を激しく批判するリーダーが登場するのだ
呆れてものも言えない
本作はこの当時の左翼運動が如何に駄目であったのか
路線闘争の対立に明け暮れているのか
大衆と遊離してしまったものであるのか
それを残酷な迄に直視して見つめている
そこは大変に評価したい
下の世代に自分達の敗北のトラウマの暗喩を投影した物語を映画にするような卑怯で姑息な態度ではない
真正面から見つめて一歩も逃げてはいないのだ
基本的に日本の左翼活動は本作で批判される惨状から少しも変わってはいない
果たして本作での対立は70年安保闘争と学園紛争の敗北の構図と同じだ
そしてその後の内ゲバをも予告している
自己批判しろという象徴的なワードも飛び出すのだ
21世紀の若者も本作を観る価値は大いにある
日本の左翼運動の真実、現実、欺瞞、決定的におかしい部分を嫌というほど知ることができる教材となるだろう
団塊左翼老人達に騙され洗脳され、都合よく使い捨て利用されないように、かれらの正体を知る術になると思う
夜と霧それはナチスドイツのヒトラー総統命令だが、21世紀の現代になんと同じ指令が発令されようとしていたのだ
そしてすんでのところで大衆の阻止闘争によって撤回を勝ち取っているのだ
それは香港の逃亡条例だ
正に中国に政治犯を移送するそのやり口は全く同じものだ
だから香港市民はあれほど抵抗して撤回を勝ち取ったのだ
学生や既存の党の「前衛」が先導する闘争ではない、一般の大衆が勝ち取ったのだ
香港の学生達は大衆を先導したり指導したりしてはいない
彼らは大衆のスポークスマンに徹していたのだ
本作で語られる彼らが渇望した理想とした大衆主導の革命はこの香港の運動にこそあるのだ
現実に実践されているのだ
皮肉にも指弾され、打倒されるべき体制とは中国共産党なのだ
共産党や共産主義そのものが、打倒されるべきファシズムであり、反動勢力であり、帝国主義であり、逆コースに向けようとする存在なのだ
団塊左翼老人は21世紀のその現実を直視して、本作のように総括をすべきだ
自己批判すべきなのだ
若者達を騙すのはもうやめて欲しい
あれから60年も経ったのだ
あなた達と一緒にその妄執は墓場に埋める時がきたのだ
火葬場で燃やしてしまう時がきたのだ
あなた達の妄執の骨は忘却という無縁仏に埋葬してあげよう
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