「泣き虫の殺し屋」ニキータ さくらさんの映画レビュー(感想・評価)
泣き虫の殺し屋
日本で「泣き虫の殺し屋」というキャッチコピーがついたフランス映画。
リュック・ベッソンの先行作品としては「グレート・ブルー」がある。そちらも大好きな作品だ(浦沢直樹の漫画にもオマージュが登場する。「レオン」「ニキータ」に登場するジャン・レノの役柄では「グレート・ブルー」の役がいちばん好きだ)。
リュック・ベッソンの映画はいつも走っているように画面が移動するところから始まる。「ニキータ」もそうだ。そして、エリック・セラの音楽がいい。後発でハリウッドで撮られた「レオン」(レビューは書いていないけれど)も好きだけれど、ちょっとなまぬるい感触があって、そそられなかった。画としてはいいけれど、フィルム・ノワールの色が薄らいでしまったようで、残念な感じがした。もっとつっこんだ感じだとか深い部分、厚みのようなものをもたせてほしかった。――という理由から、「レオン」ではなくて「ニキータ」のほうがミステリアスでストーリーに独自の味わいがあるように感じている(あくまで私見です)。
リュック・ベッソンはいつもそうだったけれど、ヒロインの女優に恋をして撮影する。この「ニキータ」もそうだったと言われている。
プロフィールで1位にあげているのは、ひとえにニキータという役の個性を愛しているからだ。無邪気で純粋で過酷な運命にあって涙していても、どこか愛らしくて(マスカラで真っ黒な涙を流していても)魅力的だ。
2位にあげた「ベティ・ブルー~」のヒロインにも共通する魅力がある。彼女たちに魅了される。パートナーに出会う前からこれらの映画は好きだった(出会ってから公開されたものもあるけれど)。
「死刑台のエレベーター」のヒロインを演じた大女優・ジャンヌ・モローが「ニキータ」で女性工作員の先輩として登場する。そして、女のいろはを伝授するのだけれど、そのシーンで目からうろこがぽろぽろ落ちた。まだ十代だったわたしは、こうやって年齢を重ねていくのかと、ジャンヌ・モローの迫力に驚いた。
わたしは、のちに新幹線で隣り合わせた朝日新聞社のベテラン編集者の女性とあわせて3人、ティーンのころから思い描いた(うっかりして、ぽっくりと早期に寿命が尽きてしまいそこねて、まかりまちがって長生きしてしまった場合の)「なりたいシニア」像があるけれど、このときのジャンヌ・モローがそのひとりだ(抜けているところがあるわたしのことだから、目標を設定しておくに越したことはない。念のため)。
いまでも、やはり、このときの(というと怒られてしまうかな?)アンヌ・パリロー演じるニキータがいい! とはいえ、「リプリー」のケイト・ブランシェットの上品なかわいらしさも愛らしいし、「アザーズ」のニコール・キッドマンの氷るような美貌も捨てがたい。敬愛する女優さんをあげればきりがない。「エマ」のグゥィネス・パルトローのかわいらしさや「髪結いの亭主」のアンナ・ガリエナ「マレーナ」のモニカ・ベルッチ「美しき諍い女」のエマニュエル・ベアールの肌から匂いたつような色気にも惹かれる。「メリーにくびったけ」のキャメロン・ディアスの飾らないところもいいし、「初恋のきた道」「女帝」のチャン・ツィーイーの透明感もいい。
女優さんそのもののうるわしさはもちろん前提としてあるのだけれど(世界には、うつくしい人や魅力的なかたがたくさんいるのです)、役柄がいい。わたしは映画のなかでそれを愛で、風景として心のなかにしまっておく。読書したあとのように。こころひかれる絵画にであったときのように。
男性のようにアクション映画に惹かれるということもないわけではないのですけれど、「スカッとする」というのは一過性なので。パートナーと映画の好みが合うのはSFだとか男性主人公の場合が多いように感じる…。「ショー・シャンクの空に」だとか「インター・ステラー」だとか。
どこか文学のにおいがするような作品、欧州の空気をまとったような作品に惹かれているのかもしれないな、といま思った。