毒薬と老嬢のレビュー・感想・評価
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傑作ブラックコメディ、且つ米国社会の風刺ドラマ?
有名な戯曲の映画化作品。カサブランカを脚色したペプスタイン兄弟の脚本で、フランク・キャプラが監督。
ケーリー・グラント主演で、コメディらしくコミカルな演技を見せているが、何より高級住宅街ブルックリンに住む上品な老婆2人の慈善行為としての老男性毒殺に関する天真爛漫な
セリフが出色。部屋を借りに来た11名が既に毒入りワインで天国に行き、死体は地下室にあると明るく甥グラントに無邪気に打ち明ける様は、まさにブラックコメディー。
自分のことをルーズベルト大統領と思い込んで、ルーズベルトベルトが有名になった米西戦争での突撃シーンを繰り返す兄の存在も面白く、すぐに新婚旅行に行く予定だったのに彼を療養院に入れようと奮闘努力するグラントのドタバタが笑いを誘う。
整形術で恐ろしい顔つきに変わった連続殺人犯の兄と偽医師も殺した死体を屋敷に入り込む。グラントを殺そうとし、老嬢達の殺人が自分と同じ数であることに驚き、警官にも訴えるが相手にされず、結局逮捕されてしまいメデタシメデタシ。グラントは血が繋がっていないことを叔母に打ち明けられ、安心して新婚旅行に向かい、叔母達の行為もバレずにハッピーエンド!?
まず見事なブラックコメディで傑作だと思わされた。そして、アメリカの良心を描いていたフランク・キャプラが第二次大戦の最中にこの作品を作ったことに、相当に驚かされた。時の大統領をある意味揶揄。善意でヒトを死にもたらすブルックリン老婆は、綺麗な言葉で多くの戦死をもたらした米国政治家・戦中社会の象徴か?イタリアシチリア島移民のキャプラの、理想に思っていた米国社会への深い懐疑の蓄積を感じてしまった。そう言う意味で深い二重構造の映画に思えた。
浮き世離れしたババアってなんてミリキ的
フランク・キャプラ1944年製作のブラックコメディ。傑作。
まず脚本がうまい。もともと舞台劇を映画にしたのだが、「カヴァルケード」とは違って、もうこの頃になると既にきちんと「映画」にしたてるノウハウが確立されていた。(当たり前の話だが)ケーリー・グランドの独擅場なのだが、脇の老女やら殺人鬼の兄やら(整形手術によりボリス・カーロフ似になってしまったことに多大なるコンプレックスをもっているという設定。確か舞台版ではボリス・カーロフ本人が演じていて話題になったと思ったが違ったかも知れない)偽医者役のピーター・ローレといい、巧い人間をこれでもかと集め、盤石といった布陣で望んでいる。であるので、面白くないはずが無く、最初から最後まで腹筋を酷使させてくれる。
物語は、劇作評論家の甥っこ(ケーリー・グラント)が数年ぶりにおばのうちへやってくると、おばたちはすっかりアレになっており、自分たちの天命は独居老人を死出の旅へ送り出すこととばかりにせっせと砒素入りワインを飲ませ死体を作っている。結婚報告のはずがこの事態をいかに収拾つけるかへ変化してしまい、彼の孤軍奮闘は脱獄犯の兄の来襲もありどんどん有りえない方向へと突っ走っていく。
劇作評論家という設定だけあって、彼や彼の周りの劇作家モドキが自分が見たあるいは作ったストーリーを話すのだが、それが伏線になっていたり、またシチュエーションコメディになったりとその変幻自在の巧みさにはぐうの音もでませんです。また死体は影になってちょっとだけ写ったりアクションシーンも物音やらで表現するなど、映像的巧さにも凝っている。さすがキャプラ。特に印象的なのは、殺人鬼の兄が偽医者ローレを脅かすシーンで、あえて兄の顔を影処理で表現しつつその顔がどれだけ凄いかをローレのおびえのみで鑑賞者にわからせるシーン。これなんかローレが巧い役者であるからこそできることであり、或る意味役者冥利に尽きるとは思う。 (しかしローレは「M」といい微妙な犯罪者役、草食系犯罪者役がよく似合う)
個人的にはもしこの映画を日本で作るとしたら、監督は三谷幸喜、ケーリー・グラントの役には唐沢寿明、おばの老嬢役には黒柳徹子と故岸田今日子(もしくは『家政婦は見た』こと市原悦子で浮世離れを演出とか)あたりでやって欲しいなと思った。正月早々こんな凄い映画を見てよいのだろうか。今年一年の映画漬けの日々を予感させるにふさわしい傑作でございました。
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