「浮き世離れしたババアってなんてミリキ的」毒薬と老嬢 瑠璃子さんの映画レビュー(感想・評価)
浮き世離れしたババアってなんてミリキ的
フランク・キャプラ1944年製作のブラックコメディ。傑作。
まず脚本がうまい。もともと舞台劇を映画にしたのだが、「カヴァルケード」とは違って、もうこの頃になると既にきちんと「映画」にしたてるノウハウが確立されていた。(当たり前の話だが)ケーリー・グランドの独擅場なのだが、脇の老女やら殺人鬼の兄やら(整形手術によりボリス・カーロフ似になってしまったことに多大なるコンプレックスをもっているという設定。確か舞台版ではボリス・カーロフ本人が演じていて話題になったと思ったが違ったかも知れない)偽医者役のピーター・ローレといい、巧い人間をこれでもかと集め、盤石といった布陣で望んでいる。であるので、面白くないはずが無く、最初から最後まで腹筋を酷使させてくれる。
物語は、劇作評論家の甥っこ(ケーリー・グラント)が数年ぶりにおばのうちへやってくると、おばたちはすっかりアレになっており、自分たちの天命は独居老人を死出の旅へ送り出すこととばかりにせっせと砒素入りワインを飲ませ死体を作っている。結婚報告のはずがこの事態をいかに収拾つけるかへ変化してしまい、彼の孤軍奮闘は脱獄犯の兄の来襲もありどんどん有りえない方向へと突っ走っていく。
劇作評論家という設定だけあって、彼や彼の周りの劇作家モドキが自分が見たあるいは作ったストーリーを話すのだが、それが伏線になっていたり、またシチュエーションコメディになったりとその変幻自在の巧みさにはぐうの音もでませんです。また死体は影になってちょっとだけ写ったりアクションシーンも物音やらで表現するなど、映像的巧さにも凝っている。さすがキャプラ。特に印象的なのは、殺人鬼の兄が偽医者ローレを脅かすシーンで、あえて兄の顔を影処理で表現しつつその顔がどれだけ凄いかをローレのおびえのみで鑑賞者にわからせるシーン。これなんかローレが巧い役者であるからこそできることであり、或る意味役者冥利に尽きるとは思う。 (しかしローレは「M」といい微妙な犯罪者役、草食系犯罪者役がよく似合う)
個人的にはもしこの映画を日本で作るとしたら、監督は三谷幸喜、ケーリー・グラントの役には唐沢寿明、おばの老嬢役には黒柳徹子と故岸田今日子(もしくは『家政婦は見た』こと市原悦子で浮世離れを演出とか)あたりでやって欲しいなと思った。正月早々こんな凄い映画を見てよいのだろうか。今年一年の映画漬けの日々を予感させるにふさわしい傑作でございました。