ドゥ・ザ・ライト・シングのレビュー・感想・評価
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黒人差別、恐ろしい。
「店に飾ってある人物に、黒人がいない」という理由だけで、大きな対立を生んでいくドラマに惹き込まれました。
でもそれだけの理由で、争い事に発展していく様子はリアルで、ある意味ホラー映画よりも怖いと言いたくなるほどです。
内容だけ聞くとシリアスな印象なのに、これだけコミカルに描けるのは、ホントにスパイク・リー監督の才能だと思います。
「ほんの些細なことで、大きな争いに発展することもある」という事を学べる、素晴らしい映画でした。
80年代の締め‼️
まるで発火性の強いハイオクガソリンのような映画‼️ある長く暑いブルックリンの夏の日。イタリア人が経営するピザ屋の宅配人ムーキーを主人公に、ヒップな活動家、ストリートの飲んだくれの哲学者、ピザ屋を経営するイタリア人親子、小さなスーパーを経営している韓国人のカップル、様々な人種の友人たちなどの日常を、ユーモアを交えスケッチ風に綴る‼️そこにはエネルギー、センスの良いユーモアとコメディ、リズミカルでグレイトな音楽、人種問題や政治・経済問題、そして手のつけられない激昂など、様々な要素が揃っております‼️そしてムーキーの兄弟が殺され、ムーキーがゴミ箱をピザ屋の窓に投げつけた瞬間、それらの要素が燃料となって、この映画は大爆発する‼️ホントにスゴいスパイク・リー監督のデビュー作‼️「マルコムX」や「ブラック・クランズマン」も捨てがたいですけど、やはりスパイク・リー作品ではこの作品が一番好きですね‼️
【”Love or Hate"中盤まで、テンポ良きコミカル要素を絡めた展開で人種差別をテーマにしつつ物語は進み、後半一気に衝撃的で恐ろしきシーンで、スパイク・リーのメッセージが炸裂する作品。】
■ニューヨーク・ブルックリン。
さまざまな人種の人々が暮らすその街で黒人の青年・ムーキー(スパイク・リー)も暮らしていた。
ある夏の暑い日、彼が働くピザ屋で友人のバギン・アウトとオーナーのサル(ダニー・アイエロ)がピザ屋に黒人の写真が飾られていないことで揉め始める。
それが後の哀しき事件の引き金となる。
◆感想<Caition! 内容に触れています。>
・前半、ムーキーは黒人初の大リーガーのジャッキー・ロビンソンのユニフォームを着ながら、サルのピザ屋で働いている。
・街中には黒人DJの軽やかなトークが流れ、酒好きの”メイヤー”と呼ばれる老いた黒人がブラブラ街を歩き、サルは、黒人嫌いの長男とムーキーと仲の良い二男とピザ屋を経営している。
ー イタリア系のサルは、ムーキーを雇っており店の常連客もサルの店を愛している。ー
<だが、バカでかいラジカセで、パブリック・エナミーの”ファイト・ザ・パワー”を大音量で流しているラジオ・ラヒームはサルに店で音楽を聴くなと言われ、状況が微妙に変化していく。
そして、乱闘が始まり、白人警官達が現れ、警棒でラジオ・ラヒームを締め上げ殺してしまう・・。
エンドロールで流れる暗殺されたキング牧師とマルコムXが遺した言葉がイロイロと観る側に考えさせる作品である。
今作は、今から30年以上前の映画とは思えない、人種差別を扱った、先見性ある作品でもある。>
偶発的に起こってしまった暴動がドタバタ喜劇のようで、パイ合戦ボルカが頭に浮かんだ
イタリア系アメリカ人を善人と仮定して作った喜劇(コメディ)だと思う。暴力警官も含めて、悪人が登場していないと見受けられる。強いて言うなら、モラトリアムなヒモの様な黒人(スパイク・リー本人)が扇動したことが非難されると思う。(この逆転の発想が見事!)
黒人に対するヘイト行為はこんなので済まないのは監督は百も承知で、今、起こっている白人警官から受ける虐殺行為も、一方的に白人に問題があると思う。
監督の主張は最後のキング牧師とマルコムXの言葉につきると思う。キング牧師の言葉で済むような社会ならば良いが、マルコムXの考えがまだまだ通用してしまうアメリカ社会だと言うことだと思う。この映画が33年も前の映画には見えない。何一つ変わっていないと思う。(キング牧師もマルコムXも忘れてはいけないと思う)
映画の途中にアメリカ黒人社会に影響を与えた黒人ミュージシャンの名前が登場するが、ビリー・ホリデイ、アレサ・フランクリン、マイケル・ジャクソンが登場していなかった。スパイク・リー監督の好みの問題なのだろうか?マイケル・ジャクソンは兎も角、ビリー・ホリデイとアレサ・フランクリンはスパイク・リーにはどう写っているのだろうか?
傑作だと思うが、AmazonPrimeは配信停止。unextに変えるか?!
公開当時、ヒップホップにはまってまして
最初に観たのは日本公開前、マンハッタンの友達の家のビデオで。
翌日、スパイクリーが履いていたNIKEエアジョーダンⅣを買いに走ったのを今でも鮮明に覚えている。
初見は字幕無しで観たのだが、大まかなストーリーは分かったし、スパイクリーらしくスタリッシュな映像で当時ヒップホップにはまっていた私は充分満足した。
その後、日本公開されて観たかどうかは覚えて無いが、ブラックライブズマターの嵐が吹き荒れる頃、Amazonプライムで再見して、やっと微妙なニュアンスを感じとれた。
特に同じ有色人種(あるいは白人)でも、やっぱりバックグラウンド違うとか、いろいろあるんやなと公開当時の私自分の体験にも今更ながら頷ける所あって納得。
30年経っても、映画で描かれる根本的な問題はそんなに変わって無いという意味で今も見応えあり。
社会への告発
黒人とプエルトリコ系の移民の多いブルックリン。人種の違うオーナー店が繁盛する中、住民達の貧しい暮らしとそこ此処で聴こえるヒステリックな口論。暑さに象徴される、息の詰まるような毎日。そして起きるべくして起きた異人種間の衝突。その後の警察による明らかに問題な犯人確保。
感情的な衝突、衝撃的な事実を描きながらも、監督の目線は中立に近いのが凄い。だからこそ説得力を持つのだろう。身柄の確保後に殺されてしまったラジオ・ラヒームのセリフとエンドロールに流れるキング牧師、マルコムXの言葉が心に残る。暴力性は常に大きな愛で抑制されなければならないと。
2021年公開のミュージカル映画「インザハイツ」にも同じように暑さと苛つきと氷売りが描かれていたのは、本作品を踏まえて、ということだったんだな…。
根底にある人種差別、貧困問題から…
不平不満が爆発、今回の様な殺人、暴動にまで発展してしまう。小さな火種は沢山転がっている。黒人街で長年ピザ屋を経営するイタリア移民親子。向かいには真面目に働き、スーパーを開いた韓国移民。プエルトリカンもおり、人種のるつぼ。互いに文化も違い、リスペクトが必要だが、ろくな奴がいない。まずムーキーは真面目に働けよと。今回は黒人が吹っ掛けたように見えるが、監督はキング牧師の結びの言葉、暴力は何も生み出さない、連鎖するを一番言いたかっのかな。
BLMのこの時代
20数年ぶりくらいに見直してみると、なんとまあこのBLMが叫ばれているこの時代にマッチしたものかと。
逆に言えばBLMは今に始まったことではなく、とっくの昔から世界のある場所では問題になっていたこと。日本人に生まれて日本でのほほんと育った自分には到底理解ができない、人種の壁。
揉め事を起こした黒人は警官に押さえつけられて殺され、二十年以上も黒人たちにおいしいピザを提供してきたイタリア人が、ふとしたことで黒人たちの感情の爆発の標的となる。
それでも残された人間は黒人も白人も韓国人も、そこで生き続ける。死なない限り、生き続ける。
人間と人間、仲良くできないものだろうか?物事はそう簡単ではない。人権とか平等とか愛とか、口で言うのは簡単だけど、人間の奥底に根付いた偏見、先入観、憎しみ、そんなものを根こそぎ否定することは不可能。絶望的なようであるけども、それでも人は、それを覆すがごとく、信じる。そうするしかない。
Love and Hate
名作!
らせん階段上から下るか下から上るか
権力と闘おう!!
"Public Enemy"の曲が耳障りでイヤになってくる。
黒人ってかS・リーが嫌いになってしまう感想が大でD・アイエロの方に共感してしまう。
最もらしくラストにキング牧師とマルコムXで話を締めているが劇中に残酷な人種差別の問題など垣間見れない勝手な考え方の黒人住民って感じ。
まず自分は冷静で正しいみたいな中心のS・リーの役にイライラして仕事も適当に妹に養って貰っている感じに家庭放棄と説得力が無いキャラで暴動の発端を作っているし理解出来ず。
店にはルールがある訳で誰の写真を飾ろうが店側の自由だしボリューム大で音楽かけたら追い払われるのは当たり前でボイコットの意味が解らない。
「ナインハーフ」ばりに氷を使ったシーンには鳥肌が立つくらいにダサくて参る。
S・リーのエゴだらけの作品って感じがしてA・パチーノを燃やすのは頂けない!!
白人と言えど憎むべきはイタリア系かよ!?
共生とは
評価5の映画史上最高傑作10選+α
"人種のるつぼ"のリアル
その年一番の猛暑の日にそれぞれの"right thing"が爆発する。
人種のるつぼアメリカ、ニューヨーク。
自らを反映したリアルさ溢れるスパイク・リーのこの作品はそれまでのアメリカ映画、人種問題の描き方に一石を投じた。
真夏のニューヨーク、今なお人種差別の残るベッド・スタイ地区には今まで何度も観てきたようなお決まりの構図は存在しない。
黒人を始め、イタリア系やプエルトリコ系、アジアにユダヤ。
ただの「白」対「黒」では解決出来ないアイデンティティーの対立がある。
そんな場所を舞台に黒人監督が描き出したのは白人にはもちろん、黒人にも同様に存在する不寛容の意識だ。
「愛」と「憎しみ」をテーマに自由の国の不自由を新鮮な視線でセンセーショナルに映し出す。
映画作りに自身を反映することほど難しく、深みのでることは無いだろう。
しかし、それが上手くいけば「ミーン・ストリート」やこの作品のような圧倒的な力強さを持つ傑作が生まれることを証明した一作。
ジェンガのように・・・
「マルコムX」などで常に刺激的な社会派作品を発表し、観客の好奇心を揺り動かす気鋭の監督、スパイク・リーが初期に手がけた傑作。
様々な人種が混合して生活し、絶妙なバランスをもって平穏を保っている一つの町。しかし、何でもない会話が、行動が、偏見がじわじわと安定した世界を揺らし、崩し、修復できない決別へと向かっていく。
開幕当初、何の脈絡の無いレストランの会話、英語の通じにくいアジア人と住民の食い違い、そして町を面白可笑しく俯瞰し、観察するラジオDJの番組などの言葉達が洪水の如く、溢れだして来る。それは、普段から交わされているはずのものであり、普段なら何の問題も無いはずだ。だが、その日のうだるような暑さの中で、会話は姿無き凶器へと姿を変え、静かに、町を侵していく。
ジェンガのように、言葉が積み重なっていく。少しずつ、少しずつ、それは斜めになり、傾き、崩れる。その緊迫した空気に、観客は物語当初に浮かべていた笑いを忘れ、崩壊までのカウントダウンにのめり込んでいく。この息苦しさであったり、興奮は、その場しのぎの会話で埋め尽くされた作劇では作り出せない。ぐらぐら、ぐらぐら・・もう、私達は目を背けることができない。
と、同時に観客は気付く。偏見は、差別は、そして衝突は、何か大きな事件であったり、きっかけが生み出すものではない。毎日のありきたりな言葉が、会話が積み重なる中で生じる小さな歪みが、作り出すのだ。「安定」という名の私達のジェンガは、いつ、どんなきっかけで崩れ去るか分からない。それは、事件か、事故か、はては、争いか。スパイク・リー監督の私達への鋭い警告は、人種問題という皮を被った、平和というぬるま湯への不信感である。
勢いのままに突き動かされた作品のように見えて、極めて確信を持って作られた端正な一品。この作品を見た者は、もう目の前の安静が不動でないことを知ってしまう。それは、慌しく揺れるジェンガのように、私達をあざ笑う。
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