「「蜘蛛は哀しみを編むもの」。」トリコロール 青の愛 Chemyさんの映画レビュー(感想・評価)
「蜘蛛は哀しみを編むもの」。
「蜘蛛は哀しみを編むもの」。あるおとぎ話の一節だ。哀しみを編んでくれる蜘蛛がいないと、その家の子供が泣き虫になる。本作を見て、この物語を思い出した。本作の哀しみを編むものは蜘蛛ではなく「音楽」。偉大な現代作曲家の夫と娘を事故で失ったヒロインの身体の中には、夫の遺作となった未完の交響曲が凝っている。しかし、彼女は哀しみと向き合うことを恐れ、その曲を封印してしまう。何もかも忘れるため、パリで新生活を始めた彼女だが、ふとした瞬間に体内に流れるあのフレーズ。どんなに封じこめようとしても溢れ出す哀しみ・・・。キェシロフスキ監督作品の根底に漂う「静かな哀しみ」。特に本作ではその悲しみが青という色で視覚的にも見事に表現されていて、とても切ない。しかしその切なさが妙に心地よく、泣き叫ぶ絶望ではなく、音もなく静かに流れる涙のように、泣くことによって心が優しくなる癒しの哀しみなのだ。哀しみを抱えた者には、同じく哀しみを抱えた者が寄ってくる。それは一般的な友人とは違うかもしれない、真夜中に電話で起こされて理由もいわず「すぐ来て」というムチャな要望に黙って応えられる(そして決してその理由を自分からは問わない)同じ「哀しみ」を持つ同士のようなものだ。人とのコミュニケーションを拒絶したはずが、知らず知らずのうちに新しいコミュニケーションが生まれ、彼女はついに自分の心の中の哀しみを解放する。その美しい音楽は、彼女の新しい希望ある人生を祝福するかのように溢れ出す。哀しみを編む音楽を解放してあげなければ、泣くこともできず苦しいばかり。つまり哀しい時にはその哀しみに素直に向き合わなければ、次の新しい人生(ステップ)に踏み出せない。家に住む蜘蛛を殺してはいけないように、心にある音楽は封じ込めてはいけないのだ。