都市とモードのビデオノート

劇場公開日:

解説

「パリ、テキサス」「ベルリン・天使の詩」などで知られるドイツの名匠ビム・ベンダースが、世界的ファッションデザイナー・山本耀司の仕事を追ったドキュメンタリー。パリのポンピドゥー・センターから依頼を受けたベンダース監督が、パリ・コレクションの準備を進める山本の姿を記録。旧型のフィルムカメラとビデオカメラを入れ子状に組み合わせた大胆な構成で描き、さらにベンダース監督との対話を通して、服作りやファッションに対する山本の真摯な姿勢が浮き彫りになっていく。

1989年製作/81分/G/フランス・ドイツ合作
原題または英題:Notebook on Cities and Clothes
配給:東北新社
劇場公開日:2021年11月5日

その他の公開日:1992年3月28日(日本初公開)

原則として東京で一週間以上の上映が行われた場合に掲載しています。
※映画祭での上映や一部の特集、上映・特別上映、配給会社が主体ではない上映企画等で公開されたものなど掲載されない場合もあります。

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(C)Wim Wenders Stiftung 2014

映画レビュー

0.5世界的な名匠が仕方なしに撮った低予算な駄作と解釈する。

2024年7月11日
スマートフォンから投稿
鑑賞方法:VOD
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マサシ

3.5YohjiYamamoto

2021年12月6日
iPhoneアプリから投稿
鑑賞方法:VOD

「僕の人生は偉大な母のものなのです」
という衝撃的な言葉
自分の人生にあまり執着していないのか?
パリコレを圧巻したデザイナーとは
思えないほど「私が」感がない

つい、マルタン・マルジェラを想起する
マルタン・マルジェラもお祖母さんの側でお裁縫を見て覚えた

町の仕立て屋さんだったお母さんの側で育って、洋服の仕立てを備に見て修行なさった氏は
偉大なの女性の為に
「お役に立てますでしょうか」
というスタンスで仕事をしているそうだ

衣服は友達であり家族であり
必要なアイテムであり
消費されるものではなく一生物なのだ
そういう哲学から
洋服は着やすさが最優先で
デザインは左右非対称が飽きない
私も20代後半から30代はY'sの洋服ばかり着ていたからその着やすさは充分実感してるし、長持ちしている
先日は30年前のコートを出してスチームをかけたら
まったく劣化していなかった
堂々と美術館で催されたパフォーマンスライブに着て行った
娘もY'sの服は全部もらう、と言っていて
本当に譲れるお宝を持っていて良かったな、と思っている

そして、ヴィム・ヴェンダースの撮り方
小さなカメラで再生しながら撮影したり?
アート感ぷんぷん
なにを撮っても味があるな〜
と言っても数々の他の名作から比べたら
簡単なドキュメントだったけどね
ヴィムヴェンダース×山本耀司
まさかの組み合わせ♡
ふたりの語り…これは貴重
冒頭ヴィムヴェンダースは
デジタル作品はコピーも本物もややこしいと
終始ぶつぶつ考えながら呟き
Yohjiは日本語と英語で呟く
ファッションとアート、考えを整理させられる

*先日、クリスチャンマークレーはヴォーグのインタビューにアートは今やファッションより商業的だと、ファッションの方が真面目に取り組んでる、みたいな発言してたなー

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mamagamasako

4.5【多様性と変化を考える】

2021年11月26日
iPhoneアプリから投稿

ヴィム・ヴェンダースが、この作品は断ろうと思っていたと回想して話すところから、この作品は始まる。

しかし、撮影が進むにつれて、ヨウジヤマモトとヴィム・ヴェンダースほどしっくりくる関係は、あまりないだろうと思うな内容になっていく。

実は、今回のヴィム・ヴェンダースのレトロスペクティヴで、もう少し多くの人に観てもらいたいなと思ったのは、この「都市とモードのビデオノート」だった。

あまり観る機会はないだろうなと考えたこともそうだが、当時のヨウジヤマモトの考え方が、現代社会によりマッチしていたんだと改めて気づいたこと、更に、ヴィム・ヴェンダースも、この撮影を通じて考え方を改める場面があったり、それも、僕たちには大切なことだと思ったからだ。

この作品は、「未来を信用していない」と語っていたヨウジヤマモトが、過去から未来の、つまり、現代の僕たちに発したメッセージのように思える。

映画の場面と、この作品で使われたビデオカメラのディスプレーに映る場面は似ていて、一瞬、映画をビデオカメラで録画している場面も収めながら、映画全体として撮影しているのではないかと勘違いしてしまうのだが、実は、既に録画した映像と、似た場面の撮影を同時に見せていることが気が付く。

冒頭から、こうした場面が何回かあるのだが、終盤でヨウジヤマモトが話す「未来を信用していない」という言葉が、実は、ヨウジヤマモトがそこに居ながらにして、ずっと先の未来を生きていると表現しようとしたのではないかと思わせる。

少し話は逸れるが、ヴィム・ヴェンダースは、タルコフスキーも敬愛している。

そして、高速から公道に場面が変わる際、映し出されるのは、新一の橋の交差点の向こうの坂で、そこには、タルコフスキーが「惑星ソラリス」で撮った秀和のマンションがある。今でも、このマンションはある。そんなところもこの作品は楽しい。

戦争で父親を亡くし、女性向けの仕立て屋を営む母親の女手ひとつでヨウジヤマモトは育てられた。

当時は、反発心から女性の服が大嫌いだったと話すが、ヨウジヤマモトは、慶応大学を卒業後、服飾学校で服飾をさらに学び、パリなどを経て、日本を代表するデザイナーとなる。

だが、ヨウジヤマモトは、「日本を代表する」という枕詞にものすごく違和感を感じていて、自分自身を形作ったのは、東京という大都市に生まれ、日本人であることを意識しないで育ったことが要因だと思っている。

更に、こうした多様性の中で生きているだけではなく、自身が大切にしているジプシーの写真集を眺めて、この人たちが身に着けている、こんな洋服を作りたいと言う。

洋服は消費されるものじゃないんじゃないか。

現代の僕たちには耳の痛い話だ。

もう一つ、ヨウジヤマモトは、シームレスのストッキングでハイヒールを履く女性は、自分より年下であっても、大人のようで近寄りがたいと話す。

確かに、ヨウジヤマモトの洋服を纏った女性がハイヒールを履いているというイメージはない。

彼は、女性を窮屈なところから解放したかったのかもしれない。

もし生まれ変わったら、ヒモになって女性の身の回りのお世話をしたいと話す場面で、ヒモを、英語のストリングと表現したところで、なんだかんだで、ヨウジヤマモトも日本人だと思ってしまう。

ヨウジヤマモトの話す英語は、わかりやすい。

ネイティブじゃないからこそ、話す内容の骨子をまとめ、要点をずらさないように話しているような気がする。学歴からもだが、頭も良いんだなと改めて思ったりした。

ヨウジヤマモトは、1989年のこの作品を通じて、生まれた場所が、その時に属するコミュニティがアイデンティティを決めるのではなくて、どう考えたのか、どう過ごしたのか、行動したのかが重要なのだと言っているような気がする。

そして、ヴィム・ヴェンダース自身も、途中で、映画と機材のかかわり方について、ビデオの良さを再考し、今後の映画撮影の変化にも言及する。

「さすらい」でも示されるように、変化の重要性が示されるのだ。

#KuTooのムーブメントにかかわった人、気になった人、女性の社会進出や変な縛りからの解放の重要性を考える人、多様性が重要だと信じる人は、是非、ご覧になってはいかがかと思う。それも、この作品をもっと観てほしいと考えた理由の一つだ。

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ワンコ