「怨歌としての「ゴッド・ブレス・アメリカ」」ディア・ハンター りゃんひささんの映画レビュー(感想・評価)
怨歌としての「ゴッド・ブレス・アメリカ」
1960年代末の米国ペンシルベニア州の田舎町。
町の主力産業は鉄鋼業。
男たちの多くはそこで働いている。
そして、この町はロシアからの移民で成り立っている・・・
というところから始まる物語で、 ベトナム出征するマイケル(ロバート・デ・ニーロ)、ニック(クリストファー・ウォーケン)、スティーヴン(ジョン・サヴェージ)の三人と、町に残るスタンリー(ジョン・カザール)、ジョン(ジョージ・ズンザ)、アクセル(チャック・アスペグレン)の男三人に、ニックの恋人リンダ(メリル・ストリープ)の物語。
映画は大きく分けて3部構成。
第1部は、出征前に彼らの暮らし。
スティーヴンの結婚式とパーティを中心にして、冗長ともいえるほどゆったりした演出で魅せていく。
見せ場はふたつあり、ひとつは、結婚式からパーティで、ロシア正教会での式とダンスの喧騒。
もうひとつは、男たちの鹿狩り。
前者では、花嫁の純白のウェディングドレスに赤い葡萄酒が二滴りし、その後の悲劇を予感させ、後者では、マイケルが鹿を仕留める際は一発(ワンショット)だ、とクライマックスに繋がる台詞が登場する。
第2部は、マイケル、ニック、スティーヴンが参加したベトナム戦争。
三人は捕虜となり、ベトコンたちの余興のロシアンルーレット賭博の材料にされそうになる。
いずれも生命は助かるのだが、それぞれに傷を負う。
スティーヴンは肉体を失い、ニックは精神を失う。
マイケルは一見、何も喪っていないようにみえるが、彼がもっとも精神を失っている。
ロシアンルーレットからの脱出劇は、マイケルの冷静な判断にも見えるが、脱出方法は狂気の沙汰だった・・・
第3部は、三人の帰還後の物語。
故郷は、変わらないようにみえるが、着実に、何かに蝕まれている。
肉体を失って帰還したスティーヴンは、町から離れて退役陸軍人病院にいるが、町の者は彼のことを口端にも上げない。
帰還したマイケルは常に軍服を着ているが、それは彼にとっての鎧であり、失った精神を包み隠している。
軍服を脱ぎ、鹿狩りに出かけても、彼は以前のように撃てないし、ベトナムに残ったニックの救出にしても、またしても、常軌を逸したロシアンルーレットでの対決になってしまう。
エピローグとして、ニックの葬儀とその後のささやかな集いが描かれる。
マイケルたちが、ニックへ捧げるために歌う「ゴッド・ブレス・アメリカ」。
これは、アメリカ合衆国への怨歌であり、恨歌だ。
それも、ロシアから移民たちの子どもたちが歌うところに、監督としての痛烈な批判が込めれている。
エンドクレジットでは、主要人物たちの平和な時代の表情とともに、ウェディングパーティの一場面が映し出されるが、それがアメリカという国がベトナム戦争を通して奪っていったものだ。
第1部が冗長なほどの長さがあったのは、この意味を際立たせる意味だったのだ、と観終わって思いました。