天国の日々のレビュー・感想・評価
全54件中、21~40件目を表示
タイトルなし(ネタバレ)
20世紀初頭、第一次大戦がはじまった頃の米国シカゴ。
鉄鋼所で上司を殴り飛ばして馘首された青年ビリー(リチャード・ギア)は、恋人アビー(ブルック・アダムス)とビリーの妹リンダ(リンダ・マンズ)とともに西部への列車に乗った。
麦収穫期のテキサス州で季節労働の麦刈り人の職を得た三人。
農園主のチャック(サム・シェパード)は、ビリーの妹と偽ったアビーに想いを寄せ、収穫期終了後にアビーと結婚する。
チャックが不治の病にあると知ったビリーの浅薄な打算の上での行動だった。
チャックの館で「天国の日々」のような暮らしを続けた一年、再び麦収穫の時期がやって来る・・・
といった物語。
初公開時にも観ているが、当時は劇場があまり良くなく、それほど感銘はしなかった。
冒頭の鉄鋼所から西部への描写の差異があまり見いだせなかったことや、シンプルすぎる物語のせいではないかと振り返れば、そう思う。
今回は、圧倒的に画質が良く、感銘は深い。
鉄鋼所のハスケル・ウェクスラーのカメラから、ネストール・アルメンドロスのマジックアワーでの撮影の差異。
列車での移動を挟んでの、その変化。
麦刈りを中心としたマジックアワーでの撮影の美しさはもちろんだが、時折挟まる晴天の画や小動物のアップも良い。
夜の収穫祭のシーンももちろん良い。
ストーリーのシンプルさ。
妹リンダのモノローグにより、神話的寓話的意味が深くなったことは大いに感じました。
なお、前作の処女作『バッドランズ/地獄の逃避行』との共通点もいくつか発見。
続けて観ると、こういうことがわかって非常にありがたい。
女性によるモノローグ(前作は一緒に逃げる恋人による)。
主人公男性の浅薄な愚かさ(本作のビリーに方が前作の主人公よりは幾分マシだが)。
冒頭の近代世界(本作では鉄鋼所、前作ではゴミ収集車の機械)。
年長者・年配者を傷つけての逃亡・・・
スタイルは出来上がっており、2作品撮って、その後、なかなか次作を撮れなかったのも納得がいくというもの。
アメリカンニューシネマでありながら、古典的神話的な映画。
70年代アメリカ映画で最重要な位置にある映画ということに首肯する次第。
とても面白かった
いつか映画館で見ることを念じながら、ビデオソフトには手を出さず、何十年も待った甲斐があった。冒頭で映されるかっこいいモノクロ写真は、100年前とかに撮られたものだと思うが、本編が始まりカラーで表現される映像の臨場感は、当時にタイムスリップして、自分も製鉄所や麦畑で汗水垂らして働いているような感覚にどっぷりと浸らせる。これは言ってもしょうがない話だが、リチャード・ギアのような現存する有名な俳優ではなく、全く知らない誰かが演じていたら、もっと没入感が凄かったのかもしれない。とはいえギアもサム・シェパードもとても素晴らしかった。美しかったとか、荘厳だった等のこの映画の印象、読後感のかなりの部分を、二人の個性と佇まいがが担っていたのは間違いないと思う。100席程度のミニシアターレベルではなく、ちゃんとした大スクリーンで見ることができたのは、本当に素晴らしい体験だった。シンプルなストーリーテリングも良かった。この監督ののちの作品群のように、詩のような漠然としたモノローグを字幕で追いかける必要もなかった。脳みその余裕ができたことで、絵画をじっくり鑑賞するようにディテールをガン見することができた。
パーフェクトな映画
贅沢という言葉しか浮かばない、こだわりの映像美に仕上げた作品『天国の日々』。でもどうしても『風と共に去りぬ』を思い出し比べてしまう。あまり意味のないこととは思いつつも、両作品に共通するのは、製作にたいするこだわりだろうか。
リアルな穀倉地帯
20世紀初頭のアメリカ シカゴ
舞台は、穀倉地帯。
とにかく贅沢な映像美に圧倒される。
なんて美しいんだ。
穏やかな、農場の平原が、まるで夢の中にいるような。
1978年作だから、今のようなCGを駆使することもなく。
とにかく、自然の中で、ゆったりと時が過ぎてゆく。
その中で、人間のドラマなんてもうどうでもいい。
そんな気持ちにさせてしまう。
ここまで、こだわった作品には、なかなかお目にかかれない。
とんでもない、製作費がかかっているんだろうな。
指の間からこぼれ落ちる幸福
贅沢な舞台だけで十分なんだけど。
そこにあえて、人物とドラマを入れてゆく。
映像に負けないドラマでないと。
その期待に、答えてくれる。
人生の不条理。
あともう少しで手に入る幸せが、こぼれてゆく。
ドラマチックな映像にあった内容でないと。
映像に負けてしまう。
そこをあえて、『天国の日々』と名付けるあたりが、心憎い。
そう、あまりにもハマりすぎているのだ。
これだけの作品に、これ以上言葉はいらない。
まるで、この世ではないような空間で、ドラマが展開してゆく不思議な感覚。
人間は半分悪魔で半分天使 そしてその生は儚く移ろいやすい
「品格」という言葉があります。かつて日本の大相撲の世界で「僕が横綱になれないのは外国人だからだ」と言ったある外国人力士に対して、一部の識者たちが言い放った「彼には品格が欠けている」に使われていた、あの品格です(英語メディアでは “elegance and dignity” と翻訳されていたと記憶しています)。ここにこの言葉を持ち出した理由はこの作品にまごうことなき品格を感じたからです。ひょっとしたら今の時代では実現するのが難しい種類の品格かもしれませんけど。
本篇はまるで美術館の絵画たちにオマージュを捧げたかのような美しい風景を背景に進みます。しっかりと描きこまれた背景の前で動く登場人物たちはどこか儚げで頼りなく、流されて生きている感じがあります。自然は美しいだけでなく、時として人間に牙をむく恐ろしいものなのですが、この作品で展開される浅知恵から始まった一連の出来事を見ると、そんな自然の下で展開する人間の営みなぞ、地球の歴史の前では塵、芥のようなものだと感じました。
この作品の内容を例えば小説で読むと、かなり陳腐なプロットで物足りなさを感じてしまうでしょうし、舞台演劇でやろうとしてもほぼ実現不可能、よしんば実現できても舞台という特性上、役者たちがオーバーアクト気味になって、人の儚さ、移ろいやすさをうまく表現できるのだろうかという疑問が出てくると思います。ところが、映画というメディアを通すと、こんなにも美しく品格のある作品を創造することができるーーということで、この『天国の日々』はきわめて映画的な映画、これぞ映画と言えるかもしれません。私の中では文句なしのフルマーク星五つです。
傑作が見られて満足
4Kレストア版鑑賞。
若き日のリチャード・ギアとサム・シェパードを堪能。
天国の日々って何だろう、貧困の彼らの、いつか来る安らぎの日々の事なのか?と思ったタイトルは、旧約聖書から取ったものだと4K版パンフのイントロダクションに記載されている。この辺りは知識がないとわからない。
マジックアワー撮影と言われる部分はもちろんのこと、麦畑へ来るまでの列車の走る場面(横から見たとこ等)、空をバックに、広大な土地に農場主チャックの家がポツンと立つ様など確かに全体に画が美しく印象に残った。
イナゴ襲来時の炎が、チャックの怒りが炸裂したのと相まって激しかった。
エンニオ・モリコーネの音楽も良かった。
が、冒頭ビルが働いていた石炭工場のキーキー音がちょっとダメだった。
「シン・レッド・ライン」は映画館で鑑賞、内容は忘れて比べようもないが、監督の本作を見る事ができて良かった。幸せは束の間の話だったが94分によくまとまっていた。
原題:.DAYS OF HEAVEN
ため息出ちゃう美しさ
ストーリーは結構なトンデモ脚本なんだけど、とにかく絵画的に美しくため息が出るほど。前に見たレビューでミレーの落穂拾いって言ってた意味がなるほど納得!ヒュートラ有楽町でら2K上映だったけど、それがまた味があって良かったのかも。
のどかで美しく、のんびりとした。
そんな時間が続くと思ってたのに後半は大量の虫が発生するわ、それをアップで見せてくるわ、あの時代に一体どーやって撮影したんだ?ってほどリアルな燃え盛る炎のシーン、と心穏やかではない描写が続く💦
それもなお美しさを強調してくれた感じで大好きな映画になりました☺
彼女、暮らしが豊かになるとどんどん垢抜けてって驚いた。人って貧しさは見た目すら変えてしまうのかしら??
これがそこまでの傑作なの?と正直な印象。
入館時に特典としてもらったフライヤーには、「あまりにも美しく、情感あふれる永遠の名作」とのキャッチフレーズ。岩井俊二が「最初から最後まで隅々まで愛してやまない」とコメントしているし。
でもそーかー?これがそんなに傑作なのか?
確かにカメラは美しい。特に冒頭30分、列車の屋根から麦の収穫にかけてのシーン群はショットとしても凝りに凝っていて確かに非凡だと思う。そして情感溢れる、ってとこについても、まあ最初から最後まで作品のトーンとしてはエモーショナルであるってことは確かだ。
でも悪口としては自分でも常套句だとは思うけど、人間が描けていないんですね。
全般にセリフは少なく、説明的でないことはいいんだけど、リチャード・ギア演ずるビル、サム・シェパード演ずるチャック、ブルック・アダムス演ずるアビー、この主役3人の苦しみ、喜び、葛藤といったあたりが突っ込んて表現できていない。これは役者のせいではなく、演出のせいだと思う。タメがなくショットがブツギレなんですね。つまり演技がはじまる前にカットしちゃっている。ビルの妹のリンダなんてほとんど芝居をする機会を与えられていない。三角関係を見守る視点者として重要な役割だと思うんだけどね。映画の最後、ビルもチャックも死んでしまったあと、寄宿舎のある学校にリンダが預けられ、そこを脱走するエピソードがくっつくのだけど、全く無意味。そんなもの撮るのならばもっと前からリンダの出番を増やしておけよと思うのです。
結論的にいうと、この作品は、下手な演出の三角関係のドラマに、分不相応なカメラと音楽がくっついた体です。「バッドランド」に引き続いてこの再上映によってテレンス・マリック神話は崩れたと私は思うけどね。
圧巻なカメラなので劇場鑑賞で良かった
本作は歴史に残る美しいカメラと聞いていたので、昔から絶対に劇場で鑑賞すると決めていました。この度劇場で鑑賞できて感無量。
大自然と大自然に生きる人間の美しさ。大自然の厳しさと人間社会の厳しさ。時には登場人物の行動が突拍子もなくて“イライラ”させられるけど、これも人間なんですよね。
全く忘れてましたが、農作物を収穫するまでにはイナゴの集団も来るし火災の可能性もあるしで、自然は美しいけれど恐ろしくもある。改めて、現代のインフラが整った生活が本当に凄いことなんだなと思いました。
とにかくカメラが素晴らしいです。約50年前なのに、マジックアワーと呼ばれる夕暮れやズームインしたバッタ、麦の穂、火災シーンなど、まるで絵画を観ているようでした。
The Catcher in the Lie
1日に20分しかない“マジックアワー”。
その時間での撮影に拘り過ぎてスケジュールや予算が大幅に超過、プロデューサーが家を抵当に入れたとか。
そんな逸話を聞いたら観てみたくなる。
話としては特に面白くもなく、クズ男のビルが恋人のアビーを使って結婚詐欺を行うもの。
アビーがチャックに本気になるところまで既定路線。
ビルが顔以外にいいところが一つもがないため、そりゃそうなるわ。
前半は特に必要でもない農場の日常で、なかなか退屈。
本筋に入ってからの動きも小さく、大道芸人一座も大した役目を持たない。
終盤の火事はチャックの怒りを表しているにしても、サスガに冗長。
内容としては60分もあれば十分じゃないかな。
人間の醜さと愚かさを見せる滑稽劇としてはそれなり。
未練タラタラに戻ってくるビルや、中途半端な態度で事態を悪化させたアビー。
とにかくチャックが可哀想。
ラストカットも含めて、リンダが強かに生きていきそうなところは救いか。
映像としては確かに魅力的なカットはあるし、当時評価されたのは理解するが、今となると…
撮影時間が限られたためか、カットの細切れ感も強い。
蝗害のシーンがやたらと綺麗で違和感があり、食べ物を粗末にするシーンが多いのは不快。
そして、上述のスケジュール長期化によってか、リンダがすくすく育ちすぎてるのは気になった。笑
楽園の儚さ
先日鑑賞した同監督作『バッドランズ』に続いて、労働者がうっかり人(愛する人を束縛する存在)を殺してしまって転々と逃亡する話。誰かから大切にしてもらったことのない人の傷つきに思いをはせる。
70年代のアメリカ映画ってほんといいな
映画館で観るまでは観ないと誓った作品をようやく観る。これは映画館でないと。というか映画館ありがとうとしか思えない至福の時間。アルメンドロスとハスケルウェクスラーの絵とモリコーネの音楽を体感。なんだこりゃというこの時期のアメリカ映画にしかできない映画。アルメンドロスと黒澤明とかも時代的には仕事できたのかもしれないね、と夢想しながら観ていた。リチャードギアと黒澤明はその後お仕事してるけど。
機関車が平原を走ってるだけでもいい。そしてそれが途中の何もないところで止まって荷物と共にゾロゾロ人が降りていくだけでいい。ゾロゾロ降りて、ゾロゾロ乗って去っていく。去っていかなかった3人と田舎の名士。麦、イナゴ、雪、風、火事、ピストル、とにかく一大叙事詩を残すぞ、という気狂いじみたカットが続く。
流れ着いて、いざこざあって、逃げて、仕留められて、残った2人はそれぞれの道へ。素晴らしい。
ふとケリーライカートの『ファーストカウ』を思い出す。こういう野心的な映画がどさくさに紛れて作れるかどうかが大事。テレンスマリックはこの後20年沈黙。そうさなあ。
加工のない映像の美しさ
ネストール・アルメンドロス(追加撮影はハスケル・ウェクスラー)の伝...
期待度◎鑑賞後の満足度○ ネストール・アルメンデロスの撮影による映像が素晴らしい。が、映像美に比べ内容のドラマが弱い。キャストにもやや問題あり。
①美しい麦畑の風景を背景に「美人局、転じて災いとなる」の物語が展開していくのだが劇的テンションが弱い。静謐な演出だが、それがドラマの密度を薄くさせているとも云える。
登場人物達の心理描写もリンダのナレーションに頼っているところが多いが、それをバックアップするだけの演技が伴わない。
永遠のマスターピース
この映画は自分にとって特別な「沁みる映画」なので、批評するつもりはない。
20代の頃、テレビの深夜映画で放送した際にVHSに録画して観て、「こんなにきれいな映像で切ない映画は観たことがない」と深く感動したのが最初の記憶。その後、数年後にDVDを購入して再度観て、全く色褪せることない印象だったが、このたび4Kレストア版が公開ということで、初めて映画館で観ることができた。
20世紀初頭、広大なテキサスの農園を舞台に繰り広げられる、三角関係を幹にした人間ドラマ。最初から最後まで、印象派の絵画のように、どこを取っても「絵になる場面」が展開され、観ている間、それだけでなんとも芳醇な気分になる。単に映像が美しいだけでなく、当時まだ無名に近かったであろう、リチャード・ギアやサム・シェパードら主演者の若き日の姿や、儚いストーリーに切ない気持ちがこみ上げる。ヒロインのブルック・アダムスは、いろんな映画に出ていると思っていたが、実はこの作品以外、あまりメジャーな出演作はなく、それだけにこの映画のヒロインとしての美しさが際立ったものになっている。妹役のリンダ・マンズも同様。登場人物すべてが幸薄く、ハッピーエンドにはならないが、それゆえになんとも愛おしい想いがこの映画の記憶としてずっと残っている。
監督テレンス・マリック、撮影ネストール・アルメンドロスの凄さは言うまでもなく、今回あらためて音楽がエンリオ・モリコーネだったと気づいて、オープニングの神秘的で耳に残るテーマ曲も素晴らしい。すべて野外のロケで撮影しており、イナゴの群れからの火事のシーンには、昨今のCGやVFXとは無縁な、本物の自然の過酷さがある。ドラマとしては、少々緩い部分があることも否めないが、そういう部分も含めて丸ごと愛おしく思える。
こんな映画は人生で何本も出会える作品ではない。自分にとって、永遠のマスターピースである。
やっぱり旧作品はいいね❗️
予告編を観て気になったので、この作品を観た。予想以上に良かった。やっぱり名作はいいね❗️と改めて再認識。
1910年代のアメリカの様子も思い浮かぶし、当時の社会や文化も知る事ができたのはやはりいい。ストーリーはまあ、ありきたりだが
終盤の急展開はいかにもエンタメ感あり。
評価したいのは台本、音楽、風景の素晴らしさ。旧作品ならでは。音楽、セリフも最低限だしタイミングも絶妙。いい作品。
それ以上に若いリチャード・ギアにもびっくりの作品でした。インパクトが凄かった。
魔法の時は永遠に・・・
『天国の日々』は完璧である。少なくとも、テレンス・マリックの監督作品群の中で。
作品の全長は93分であり、見事な均衡を保ちながら屹立している。つまり、全体が30分・30分・30分という三幕劇作法を緻密に体現する。要するに、作品の佇まいが美しいのである。一般的に指摘される映像や音楽の美に限ることなく。
物語は至ってシンプルであるが、それは人間の業を見据えるためである。リチャード・ギアとサム・シェパードの間のブルック・アダムスを巡る対立も、両者の異質な個性ゆえの衝突を生み出す。その解決は死を以て中和される。
ここには輝かんばかりの魅力が秘められている。つまり、人間の本性である。彼らの運命である。生まれながらに備えもつ魂である。
この作品は比類がない。
人を惹きつけ、人を動かす。
観る者の心に激しく訴える。
「あなたは、自らの生命をどのように全うするのですか?」
そのとき、テレンス・マリックなら、こう応じるのではなかろうか。
「私は、創造の限りを尽くし切った」
そして、姿を消した。それから、彼は伝説の存在となる。
けれども、その20年後、伝説は復活する。『シン・レッド・ライン』とともに。
テレンス・マリック、彼を〈天才〉と呼ぶ人々もいる。
しかし、私は、彼をこう認識している。
〈唯一絶後〉――として。
アメリカの描かれなかった姿
魔法の時間
リチャード・ギアがわっかーい! めっちゃかわいい! ストーリーは割とシンプルで、貧しい若者がいい生活をしたいがため、嘘をつくが自滅するだけ(身も蓋もない言い方…)。が、映像と音楽がいい。日が沈んで真っ暗になる前の、薄暮の時間に、照明を使わずに撮影したとか。なんと非効率な。でも、そのおかげで美しく儚い絵で、とてもセンチメンタル。その映像に寄り添うような、これまた美しい音楽。特に、魔法学校とかSF的な雰囲気の曲が好き。どこかで聴いた気がしたので調べたら、サン=サーンスの「動物の謝肉祭」の中の「水族館」を編曲したらしい。モリコーネさすが。いい仕事してるわー。
イナゴの大群って、やっぱりひく。バッタの顔って、なんか怖い。
BS松竹東急の放送を録画で鑑賞。
全54件中、21~40件目を表示