劇場公開日 1963年3月1日

「丘の上とバラック街のあいだで」天国と地獄 ノンタさんの映画レビュー(感想・評価)

4.5丘の上とバラック街のあいだで

2025年4月13日
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鑑賞方法:映画館

怖い

興奮

1963年公開の黒澤明『天国と地獄』を、今年閉館する丸の内TOEIにて初鑑賞。この映画館は1960年開館、まさにこの作品と同時代に誕生している。僕の生まれる前の映画だが、戦後の高度経済成長期に生じた社会の分断を、鋭く、そして強烈に映像化した作品だった。心の奥に“心象風景”として、これからも深く残り続けるだろう。

物語の舞台は横浜。主人公・三船敏郎は靴メーカーの重役。戦後復興の波に乗って、当時年10%を超えるような、今では考えられない経済成長の時代に、職人から出世し、横浜を見下ろす高台に建つ瀟洒な邸宅の主人となった。
彼が住む丘の下には、バラック街が広がっている。天国と地獄。この地理的な高低差がそのまま社会階層のメタファーとなっている。同じ街なのに、上から見下ろす風景と、下から見上げる風景はあまりに対照的だ。

現代なら、高層マンションの最上階とその足元のスラムをドローンで切り取るような構図になったかもしれない。だが、あの家が一軒家であるからこそ「天国の住人」としての象徴性が際立つのだ。そのリアリティが抜群だった。

僕が上京したのは昭和の最後。あの時代も、いや平成に入っても、東京にはこの映画で“地獄”として描かれたような戦後のバラックや安アパートがまだまだ残っていた。僕も最初は、風呂なし・トイレ共同・エアコンもない木造アパートに住んでいた。だからこの映画は、遠い過去の物語というより、忘れかけた自分のこれまでとも重なる現実を描いたと感じられた。

そして思う。近年のアメリカ大統領選などに見られる、経済の繁栄から取り残された人々と、“意識の高いリベラルな人々”との対立。この映画は、それを60年前の日本で、すでに描いていたのではないかと。

主人公の三船も、強烈な出世欲だ同時に、儲け主義よりも“良い製品”を作ることを大切にする倫理的ビジネスマンであり、同時に高い道徳感を持つヒューマニストとして描かれる。しかしそれでも、地獄との対話は成立しない。

この映画のもう一人の主人公である地獄の住人は、殺人に対してすら罪悪感が希薄だ。その背景は映画では何となくしか語られない。ただ、現アメリカ副大統領JD.ヴァンスの『ヒルビリー・エレジー』を読むと、貧困の中に育つことで、努力などでは超えられない認知の違いが生まれることが見えてくる。

この作品は、犯罪事件の物語だが、善と悪の対立ではない。“天国”と“地獄”という住む世界の違いがもたらす断絶を描いた物語だった。黒澤はその構造的問題を、すでにこの時代に見通していたのかもしれない。

古い映画は自宅で集中して観るのが難しい。けれど、丸の内TOEIのような場所でこそ、その時代の空気ごと体験することができる。この夏の閉館まで昭和の名作を上映してくれるようだから、できる限り足を運びたい。

ノンタ
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