「不信なことが、 エド・マクベインの原作だから?」天国と地獄 Socialjusticeさんの映画レビュー(感想・評価)
不信なことが、 エド・マクベインの原作だから?
映画レビューのクラスで使おうかと思ってみてみた。 黒澤明は大好きなので、これを何度か見ている。 1963年の作品だと改めて背景を考え、どこに焦点を当てて書こうか?
権藤金吾(三船敏郎) の権力に屈しない頼もしさや自分の地位や資産や株を諦めて、お抱え運転手の子供を救おうか葛藤していくところ?人間の善悪を金の価値で決めない行い? それとも、医学生、竹内銀次郎(山崎努) に焦点を当てて、彼の貧困育ちや環境悪や孤独への責任転嫁からくる自業自得。いや、果たして、自業自得なのか、自助だけでは生きられないという人間性?それとも、大金持ちの育ちで、世間知らずの天使の心を持った権藤の奥さん。 それとも、権藤のお抱え運転手で、息子を誘拐された父親、青木の心境と行動?それとも、戸倉警部の操作側や戦後の社会情勢(黄金町(こがねちょう))?竹内を泳がしたことによりまた一人殺させちゃったね。こう言うこと当時の警察側ではどう判断するんだろう?薬中だからいいの?それに権藤さんのために星を泳がせるが、前向きな権藤がこんなこと本当に望むだろうか!それに、こう言う捜査の善悪の判断は?
色々考えているうちに、一番感情移入しやすいのは権藤。彼の心の葛藤はあるが、マスコミのせいもありあまりにも聖人になってしまったので、ちょっと、書きにくい。それに、役員から職工にと初心に戻ってでなおせるこの人物は大物過ぎる。二足三文ではなく、靴の価値の意味、全体重を乗せる靴の重みをよく知っている。個人的にだが私も靴だけは結構高く素材や質や縫製のいいものを履く。全体重を乗せるから。
医学生、竹内銀次郎(山崎努) に焦点を当ててみたい。彼は自分が貧しかったことを、そして、権藤家の暮らしは天国で、自分の夏は暑く、冬は寒いアパートは地獄だと。彼は権藤家が気になるようになって、毎日、望遠鏡で、眺めて、羨望の気持ちが、いじめ(ここでは誘拐犯罪)に発達していったということだ。子供の頃も貧乏であったようだ。ただ、医学を学んでいるようだから、賢かったに違いないし、論理的なことも得意だったようだ。 当時のこだま号、在来線特急のトイレの窓が鞄の厚み7センチだけ開くことや電話があることも調べ上げていた。黄金町の麻薬や青線地帯にも詳しく、ちょっと不良インターンと言ったほうがいいかも。
高度成長の波の下敷きになった竹内家はどんな生活だったのか!知る術もない。そこは焦点じゃないからねえ。高度成長期に生きるたくましい権藤がヒーロー化される時代だったかもね。
竹内は永山則夫の世界だったのかもしれないねえ。
でも、息子をどうやって医科大学に出せたのか。エド・マクベインの原作がそうなっていたから?竹内家が貧しくても子供を大学に行かせたのか?町の有志が援助したのかわからないが、当時としてはこの設定は不自然かもね。それに手に大きな傷があるがなぜが何も分からない?ただ手掛かりの一つ?違和感が残る竹内の背景。最後のシーンで竹内が権藤に会いたがって留置場で面会するシーンだが、精神的に天国と地獄の立場は変わらない。権藤は苦難を乗り越え天国の階段にいる。苦難を乗り越えかたを知っていると行ったほうがいい。竹内は苦難が嫉妬に変わってしまっている。そして、自分が地獄へ落ちていくことに対する恐怖感?傷がついている方の手の震え? 権藤を地獄に落としてほくそ笑みたいと思っていたが自分が死刑になる。
はっきり言って、警察の横暴が現れている。一人の人間をもっと犯罪を犯させるようにする事は倫理的だろうか? 胸糞が悪い映画だ。
4/20/22 追加
映画レビューのクラスで使った。 英語圏の学習者で中級の上(ACTFL)以上の学習者。1.5x2=3時間弱のクラス。 まず、時代背景が重要なので1960年安保闘争から、1064年のオリンピックに向けて、政治・経済・社会の動きについて学習者に調べさせ発表させた。 この映画の登場人物の誰に感情移入できるかとか、なぜできるかとか、一番好きなシーンはとか話し合った。ズームのブレイクアウトルームを使っているので、ペアで話しているが、クラス全員に戻った時、数人に意見をいってもらった。権藤の秘書、川西に感情移入できるといった学習者の理由は現代社会においてよくあったり見たりするケースで感情移入しやすいと。好きなシーンは最後の、権藤が竹内のいる監獄を訪れたシーンだというのが多かった。竹内の絶叫hシーンは映画の締めくくりにぴったりだったようだ。学習者の一人は、『竹内は狂ってしまったのか』と疑問を投げかけ、このシーンで『初めから狂っていた』と言っている。それは彼の立てた綿密な犯罪計画からしても、誘拐犯罪に対してこういう計画を立てること自体狂っていると。こういう頭の良さを医学に使えと。れいこ、戸倉警部、権藤、竹内、マスゴミが焦点になったが、警察のマスコミ利用により、もう一人の麻薬患者を殺させて、社会が麻薬患者をどうでもいい存在として扱っているという意見があり、これについて、クラスは2つに分かれた。一方はそれは操作の過程であって、故意に、もう一人の人間を殺したわけではないという。
私も個人的な意見をちょっと述べた。特に竹内の孤立感、追い越せ、追いつけという高度成長期に自分をどう確立していく方法かわからなく、負の方向の動きに走ってしまう。 『共助』の動きはどうなっているのか?今の社会との共通性が多くある。