「天国と地獄とは?」天国と地獄 あき240さんの映画レビュー(感想・評価)
天国と地獄とは?
舞台は横浜、新田間川沿いの貧民街にあるボロアパートから見上げる浅間台の高台にそびえる豪邸のビジュアルは見事な映像表現で端的に物語の構造を示しています
下から見れば権藤の豪邸は天国の象徴
では犯人の住む低地は地獄なのでしょうか?
本当の地獄は黄金町の麻薬街の一角です
日本とは思えない光景として監督は強調して写します
本当に天国と地獄を見たのは権藤だけなのです
あくまでも彼の物語です
冒頭の密室劇は大金が彼に取って死活のものでかつ緊急性のあるもので簡単には支払えないものだという説明だけにあれだけの尺は必要ではありません
物語を通して彼が天国と地獄を味わうことを説明するためです
犯人の動機は怨恨でもなく、権藤との接点はボロアパートの窓から豪邸が良く見えるだけ
何故に権藤の豪邸を羨むだけで誘拐事件を起こすにいたったのかは一切説明しません
ラストシーンは拘置所の面会室です
シャッターが降ろされ権藤の後ろ姿で終わります
そこでもそれだけが動機だとして終わるのです
後に残された権藤の思いはどのようなものでしょうか?
正に不可解、理解不能でしょう
しかし、人生をかけた全てのものを失いながら、それでも復活をとげると努力を誓う彼の言葉が、犯人を取り乱せたのは間違いありません
地獄に引きずり下ろせなかったことが明らかになったからです
何故彼は天国を憎んだのか?
何故彼は左手の甲に L字の傷を持っているのか?
本作公開は1963年
正にオリンピック景気の真っ只中です
これから高度成長を遂げていく日本の象徴が権藤なのでしょう
だから権藤は過度にアメリカナイズされた生活をしているのです
光あれば影もあり、その経済成長に取り残されている人々もいます
それが彼のアパートのある低地の住民達です
彼がそれを代表しているわけです
では何故彼はインターンという設定なのでしょうか?
緻密な誘拐犯罪を計画実行でき、ヘロインによる殺人を行えるインテリである必要性からだけでしょうか?
インテリの若者なら1960年の安保闘争に彼は当然参加していたはずです
現代のマスゴミが報じる11倍に水増しした主催者発表の動員数ではなく、60年安保闘争は掛け値無しに13万人を国会周辺のデモに動員した大運動だったのです
今日の先鋭化した特殊な思想を持つ人間が運動しているようなものではなく、ほとんど全ての大学生が参加していたと思われます
この時の騒乱は激烈で機動隊との衝突で女子大学生の死者まで出たのです
それは本作公開のたった3年前のことなのです
犯人は年格好から見てその世代だと思われます
彼の左手の傷はそのデモ隊と機動隊との衝突で負ったものかも知れません
彼は安保闘争に敗れインターンに戻りました
しかしその後の総選挙では自民党を大勝利させ、そのような闘争を忘れて高度成長にひた走る国民を彼は憎んだのではないでしょうか
そしてその象徴として権堂を攻撃したのではないでしょうか?
その心理構造は70年安保闘争に敗れ、先鋭化した過激派に似ています
彼らは三菱重工業ビル爆破事件というテロを行ったのです
つまり本作はその予言とも言えるのです
監督はそのようなことは一切匂わせもしません
考えすぎかも知れません
しかし黒澤監督は時代の背景を常に作品の中に反映させる人なのです
そのように捉えれば
犯人にとって天国と地獄とは、安保闘争で権力に打ち勝てるかも知れない高揚感と、それに敗れ忘れさられようとしている現実
それが天国と地獄だったのではないでしょうか?
脚本はまっしぐらに一切無駄無く突き進みます
緊張感を途切らせることなくラストシーンまで突進します
見事としかいいようがありません
特急列車のシーンの緊迫感は列車の猛速度と合わさって強烈な印象があります
腰越の高台に二台の車が出会うシーンも素晴らしい展開です
仲代達矢の切れる警部役もプロフェッショナルな空気を見事に演じています
またそれが一目でわかるような初登場シーンの演出も流石です
捜査本部長役の志村喬が発言しそうで一言も発言しません
しかし彼の大きな存在感がそれでも演技できています
もの凄い役者です
犯人が行く無国籍の様相を示すクラブのシーン
もしかしたらブレードランナーの元ネタはこれかも知れないと思わせます
リドリースコット監督が本作を観ていない訳が絶対にありません
半世紀以上昔の伊勢佐木町と関内駅のガード下の光景も興味深いものでした
最高の警察映画でしょう