「これを「見事な伏線回収」とは呼びたくない」キサラギ といぼ:レビューが長い人さんの映画レビュー(感想・評価)
これを「見事な伏線回収」とは呼びたくない
この映画実際見たのは2年ほど前なので、レビュー内容に記憶違いや勘違いがあったらすみません。
「伏線回収が見事な映画」としてネットで紹介されていたのを見かけて、伏線回収モノが大好きな私は期待して鑑賞いたしました。
結論。これを「見事な伏線回収」とは呼びたくありません。「実はこうでした」「実はこうでした」が繰り返されるだけの単調なもので、期待していた伏線回収とは程遠かったです。これを「見事な伏線回収」と呼んでいる方は、今まで伏線回収というものを観た事がないんでしょうか。
「1つの部屋で物語が進行する斬新な映画」とレビューしている方もいらっしゃいますが、このようなワンシチュエーション会話劇は舞台演劇の戯曲を基にした映画ではよくあることなので、斬新でもなんでもありません。
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焼身自殺でこの世を去ったD級マイナーアイドルの如月ミキの一周忌を行なうために、ファンサイトを通じて集まった5人の男たち。もともとは主催の家元(小栗旬)が彼女の死を悼むことを目的としたオフ会だったが、メンバーの一人であるオダ・ユージ(ユースケ・サンタマリア)が彼女の死を「自殺ではなく他殺」と言い出したことによって事態は一変。如月ミキの死の真相を巡り、それぞれが持つ情報を出し合いながら、議論が繰り広げられることになった。
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「地下アイドル」じゃなくて「D級マイナーアイドル」っていう呼び方をしているところに時代を感じます。当時は「地下アイドル」っていう呼び方は全然一般的じゃなかったんでしょうね。
前評判が高かったので期待しすぎてしまったというのもありますが、私にとっては期待はずれな作品でした。批判ポイントは大きく分けて3つあります。
1つ目はこの作品の売りでもある「伏線回収」について。
私個人の考えではありますが、伏線が出てきた時に「これが伏線ですよ」とパッと見では分からないようにすべきと考えています。見えている伏線は伏線とは呼べません、それはただのネタバレです。巧妙に隠された伏線が後から回収されることで「そうだったのか!」「なるほど!」という驚きと快感を得られるのです。
しかし、この作品は「分かりやすい伏線が登場する」→「実はこうでした」という展開が短いスパンで連続するので、伏線回収の驚きも快感も全くありません。繰り返される「実はこうでした」演出のせいで、途中から退屈でした。
2つ目は説明的な台詞が多いということ。
原作は舞台用に書かれた戯曲だということで、状況説明的な台詞が多いです。これは小道具をアップに映せない・細かな表情や動作を観客に見せるのが困難な舞台であれば問題はないのですが、映画ではキャラクターが説明的な台詞をベラベラ喋ると違和感を覚えます。他のレビュアーさんに「ラジオドラマ聴いてるみたいだ」とおっしゃっている方がいましたが、私も完全同意です。舞台を映画にするにあたっての脚本の改正をきちんと行なっていないのかな?と思ってしまいました。
最後に、ラストシーンについて。
映画のラストで如月ミキの死の真相が明らかになります。当初想像していた真相とは全く異なる展開で、先ほど伏線回収の杜撰さを指摘した手前で恥ずかしいですが、ラストの真相が明らかになるシーンは「なるほどな」と感心するくらい良かったと思います。
ただし、その真相を突き止めた後の展開が私に強烈な違和感を抱かせるものだったのです。何故か5人全員が「良かった良かった」と言わんばかりの表情を浮かべるのです。「人が死んでるってのに何だそのスッキリした表情は」って感じです。特に小栗旬演じる家元は如月ミキの死の原因を作り出した張本人です。普通は「自分のせいで如月ミキが死んでしまった」と罪悪感を抱く場面じゃないんでしょうか。それをいい話っぽく最後に締めているのが私には納得できないし、強烈な違和感があるし、意味の分からないオタ芸をするし、それまで頑なにモザイクかけてた如月ミキの顔が出るし。
正直、このラストの展開は最悪だったと言わざるを得ません。あれを観て「いい話だなー」と思ってしまった人は、よく考え直して欲しい。全然いい話じゃない。女の子が死んでんだぞ。
以上の理由から世間の評価とは異なり私は全く楽しむことができませんでした。
あと細かいところで言えば、ちょいちょい挟み込まれるギャグシーンもイマイチ笑えません。シリアスもダメだしギャグもダメでした。
ただ、世間的には評価されている作品ですし、所々面白いと思える場面もありましたので、試しに一回観てみることをオススメします。