劔岳 点の記のレビュー・感想・評価
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山が主役でも、小さな人間のひたむきな姿勢に感動
ようやくアマプラに入って見られた。まずは山の景色に圧倒、そして登山シーンでこんな装備でという驚きの連続だった。自然の前の人間の小ささが本当に伝わる。
そして山岳ドラマで必ずついて回る、なぜそこまでして登るのかという問。何をしたかではなく何のためにしたのかが大切だというテーマと繋がってから、登場人物達の一生懸命さに心打たれた。現場にいる人たちにはそれが伝わり、みんな仲間になっていた。
この登頂は仕事としては評価されなかったようだ。でも、人のために登ろうとした人達のひたむきさは周囲に確実に伝わっていた。
山岳映画の名作。!
劔岳!この名前が大好きです。
雪と岩の殿堂!(標高2999M)
北アルプスを代表する山。
現在でも登頂困難な山で有名です。
毎年の様に人が亡くなる山でも有名!
そこに、明治時代の先人達は地図を作る為に前人未到の山頂に三角点設置を目指す物語。
私はこの映画を見て劔岳に挑戦したくなりました。
「八甲田山」でもカメラマンを担当した木村大作氏の映像は立山連峰の大自然を見事に見せてくれます。
特に雪山での撮影は危険と隣り合わせだったと推察されます。
「この風景を直接この目で見たい」と思い、劔岳、立山に行きました。
劔岳は、馬場島登山口から行き途中まで晴れていましたが山頂に着くころには曇りとなり景観は部分的にしか見えませんでしたが雪渓と鋭いチンネはハッキリ見る事が出来ました。
また、立山(尾山)縦走した時は天気にも恵まれ劔岳、立山連峰、穂高連峰、後立山連峰、室堂、映画にもあった朝焼けの富士山も見る事が出来自然と涙が出てきてしまいました。
話が横道にそれましたが、昨今CGに代表される人工的な画像ばかり見慣れている人達に私は言いたい!
自然の映像や生の映像をもっと見て下さい!
そして、大自然の景観を出来れば直接
その目で見て頂きたい!
感動間違いありません!
そのきっかけを作ってくれた「劔岳 点と記」は忘れられない映画となりました。
ちょっと残念なのが主人公の浅野忠信さんのセリフが棒読みの様な感じがする。!
(他の作品でもこの方の喋り方は?)
この役、若ければやはり健さんが似合いそうです。!
最後に映画の登場人物の、宇治長次郎(香川照之)のような謙虚で頼りになる男になりたいと思いました。
山男の憧れ、その名は「劔人」!
三者三様の想いが交わるとき
今年の夏、薬師岳から縦走して立山剱岳を登った。この映画はその後に必ず見ようと楽しみにしていた。
木村大作、初監督。映像美とロケにこだわった山の雄大さは登攀者として思い出に重なること甚だしく、剱の全容がよく見渡せる別山からみた銀幕の景色が、私の網膜に焼き付いている景色を蘇らせ、観測隊の苦労が胸に迫ってきた。
測量隊、山岳会各々の立場から反目しあっていた両陣営の思いが次第に反転し、ついには互いへの尊敬と連帯感に変わる。
剱岳という難攻不落の壁を前にして、互いのちっぽけな矜持はなりをひそめていく。
だからこそ、千年以上も前の錫杖を発見した時、みな頭を垂れたのだと思う。悠久の時を越えて同じ思いを抱いた、名も知れぬ同士がいたことに、深い感銘を覚えずにはいられなかったに違いない。
山岳会の「開山したのはあなた方だ」というセリフがいいですね。寺を開くことだけが開山ではない。それは後世の人々のために道を作ること。
修行という極めて個人的な理由で登攀した行者は、開山者ではない。
だからこそ岩殿の行者は、行者だけに伝わる道を測量隊に助言したのだろう。きっと彼も人知れず登頂していたに違いない。
本当は登頂したい心を抑えていた長次郎や、歩荷しているうちにライバル心を燃やし始める人足も含め、山に関わった人間がすべて、入り口は異なるのに結局は登頂した際の達成感に体を満たされて不思議な感動に包まれるところに、山の魅力があるのではないだろうか。
ただ、いまいち勿体ないと感じる演出もあった。
最後の手旗信号は長文をあんなに早く送れないだろうと冗長に感じたし、登頂部分は急にスローモーションになるし、もう少し溜と間を使って胸に迫ることができたんじゃないのかと。
雪渓を登り終えた一行が山頂部に目を向ける場面がなかったのは、カメラを向けると現在山頂部にある祠が映ってしまうからなのかな、などと山を知っているからこそ余計なことを考えてしまった。
また、過去の功績や技術力の説明がないため柴崎になぜ白羽の矢が立ったのかが説得力に乏しく、松田龍平や仲村トオルは演技力に乏しく現代人にしか見えず、宮崎あおいは笑顔が張り付いたステレオタイプの女房で、各の時代背景が違うのかと思うほどチグハグ。
淡々と進む物語はそのまま地道な作業の苦労を偲ばせるのでいいと思うのだが、いかんせん風景に重点を起きすぎてしまったのか。
なみにあの雪渓が「長次郎谷」と名付けられたことが、後世の評価である。私の中であくまで主役は長次郎の映画であった。
その道は、誰のための道か?
明治になって数十年、いまだ踏破されずにる立山連峰の劔岳登頂を目指して、様々な人間が集う。
陸軍陸地測量部は、地図を完成させるため。
日本山岳会は、自らの好奇心と名誉のため。
村の人間は、登りたいという人を登らせるため。
行者は、自身の修験道を極めるため。
それぞれが厳しい山の中へと、自分自身を賭けて飛び込んでいくのだ。
動機や使命は様々だが、すべての人間に共通していることが1つある。
それは「自らが信じる道を、黙々と、信念をもって進み続ける」ということだ。
それに対し周りにはいろんな人間が出てくる。静かに夫の仕事を見守る妻や、メンツのために人や仕事の尊厳を見失った上層部、村のおきてに逆らう父親に反発する息子、測量部の仕事を皮肉り冷や水を浴びせる人間、逆に時代への理解を示してくれる人、実に様々だ。
この映画にはドラマチックな、誰にでもわかるような葛藤は描かれていない。さながら記録映画だ。皆が自分の信じる道を、黙々と進み続けるだけだ。ゆえに所見ではよくわからない人も出てくるであろう。私もその一人だ。
しかし、学生を終えて社会に出て、いろいろな環境で仕事をしていると、作中の人物が浴びせられた言葉が、その人にいかに突き刺さっているかを手に取るように想像できるのである。
そういう時になってようやく、私はこの映画の何たるかを少し理解できたような気がする。
好きなシーンは、陸地測量部と村の案内人衆が合流した所。案内人が自身の息子と口論になるシーンだ。息子の頬を張った後に
「こいつはこいつで、生きていかにゃあかんのですちゃ」
この言葉が持つ意味は、とてつもなく重い。この言葉の意味を、実感をもって理解できたときに、この映画の良さが見えてくる。
話が変わって恐縮だが、私は映画というのは、その人の人生のリトマス試験紙だと思っている。理解できない、評価できない、それはそのままその人が人生においてまだまだ知るべきことが多いということを教えている。
あと野暮ったいことを少々述べたい。
私は趣味で登山をしている。といっても無雪期だけで、春から秋にかけて関東の秩父多摩甲斐のエリアばかりの初級ハイカーだ。
実体験や色んな著書を読んでみて思うことは、パーティーで山行していて、ドラマチックなことなど起きては失格だということだ。
例えば仲間割れ、中途半端な葛藤など、それはパーティーの分裂や瓦解に直結する。荷物を分担していもっていた場合どうなるだろう?食料担当が行方不明になったら、どうするつもりなのか?夜が迫る中で探しに行って二重遭難から全滅する可能性をどう考えるつもりなのか?
以上の事から、経験者のはしくれとして、作中の一行は逆説的に結束の強さを示しているとすぐ分かる。
そういう意味で、評価とは別に、私にとってこの作品はとても特別なものでもある。贔屓と承知で星は5つとしたい。
よぅ撮ったちゃ
日本地図完成のため、劔岳登頂を目指す主人公達。
地元の山岳信仰では、剱岳は死の山とされ、登頂は到底無理と恐れられていたよう。
目的の測量よりも、下見ですら一苦労で、測量地点に到達するまでが困難極まりなく、主人公柴崎は
「なぜ登るのか」
と疑問を感じ始めます。
そして映画では幾つも答えを用意してくれています。
① 挑戦そのものに意義があると考えるから
② 困難を乗り越え、登頂の喜びと絶景の感動を味わいたいから
③ とにかく地図のために「悔いなくやり遂げることが大切」
④ 前人未到の業績という名誉が欲しいから…
でも…現実的な答えは最初に出てるんですよね…。
⑤ 陸軍と軍事のため… (*_*;)
劇中特にクローズアップされるのは、西洋の登山グッズで登頂を目指す山岳部との競争。つまり④です。
しかし、一番感動したい登頂の瞬間は描かれません。クライマックスに対して単にセンスがないのか、物理的に撮影出来なかったのか、そもそも登頂がゴールではないのであえて描かなかったのか…。
「人がどう評価しようとも、何をしたかではなく、何のためにそれをしたかが大事です」という素敵な台詞が柴崎宛ての手紙に出てきます。
わざわざ汚すこともないのですが、冷静に鑑賞すると、描かれている「何のために?」は、陸軍測量部は④と⑤、山岳部は①と④なんです。②は案内人の息子を、③は柴崎個人を応援していましたが。
一方「なぜ地図を作るのか」は比較的シンプルな答えです。これも当時は結局⑤ですが、その延長には、世界の、国の、何処に自分はいるのか、地図を通して伝えることができる、永遠に人々の自己探求の一助になる筈であるという信念です。
色々と盛り込んでも詰めが甘いせいか、National Geographic にドラマを足したような感じになってしまいました。「厳しさの中にしかない」美しい自然もテーマなので、Vivaldiの「四季」などが採用されたのでしょうが、クラシックのサントラも、剱岳絶景ドキュメンタリー感を増大させたように思いました。
柴崎は、黙々と真面目に任務を遂行する良い人で、薄味キャラの印象でしたが、日本地図の完成に貢献した、名もなき多勢の努力家で誠実な先人達の象徴なのかな、と思えてきました。
ドラマ部分は惜しいですが、絶景と雷鳥は鑑賞の価値がある作品でした。
なんのために登るのか
日本地図最後の空白である剣岳を測量するために奮闘する人たち。
それを嘲笑するかのような日本山岳会。
物語の途中で、主人公が思うように、
人は、なんのためにそこまでして、山に登ろうとするのだろう。
ただ、地図をつくるためだけに?
なにかが違うと思うのは、当然だと思う。
物語の筋は、とても好感がもてるものだったけど、
ライバルであるはずの日本山岳会、あきらめるの早くない?
最終的に登頂できるのが、あっけなくない?
もうひと押しがほしい作品だった。
トラウマの克服はならず
劔岳は10年以上前に登った。山に登るくせに高所恐怖症な私にとって、未だに思い出すと怖気が走るルート(ポピュラーな前劔からのルート)だった。本作で客観的に登る姿を見てトラウマ克服と思ったが・・・別ルートからとは。しかも山頂の辺は、はしょっている・・・・・残念だ。ノブが滑落するシーンで恐怖だけは少々蘇った。
映画についてだが、道無きところに道を作る。これだけで感涙する。何気に歩く登山ルートも最初に誰かが苦難の中で切り開くものであり、その姿を見ていると客観的な視点は飛んでしまう。
無茶なスタントまでさせて(雪渓で滑り落ちるのは経験してるだけにドキっとするシーンだった)、あくまで山での撮影にこだわった監督に敬服する。淡々と職務をこなす姿を描くことを積み重ねていくスタンスも今時珍しいタッチで好ましい。故に最後のトライが輝くのだ。役者も皆良い芝居をしている。
難を言えば、鳴りっぱなしの音楽が耳障りな点と、宮崎あおいの後半のシーンが長すぎて不要に思えること。音楽については「旗」のシーンで一切流さなかった。ここは嬉しい。
監督・カメラマン視点で映画を観る
大作でした。音楽と山岳自然映像が大作感を盛り上げ、
時代考証もまた、昔の大作感を補足しています。
映画宣伝で『真実の映像』とのことで
映画を観ながら頭の隅では『真実の映像』『CGなし』『撮影苦労』が繰り返され
終始、そのことを納得、確認、想像して見てしまいました
余計なことを考えて見ていた訳で、あまりストーリー集中できなかったかも。
しかしながら、監督・カメラマン視点で考えながら、
映画を観ることを、推奨され新しい体験ではありました。
そして、考えたりしなければ静かめの映像は奇麗だけど
飽きていたかもしれず、宣伝を聞いてからいって良かったと思う。
見所テーマは
※陸軍わがままメンツ重視=実直主人公と対立
※主人公困難を克服し登頂することの意義=仕事への疑問葛藤
※山岳案内人としての、生きザマ、生甲斐、美学
※信仰の宗派対立、息子との距離
※案内人、主人公、それぞれの家族への係わりかた
※陸軍と民間山岳会との初登頂争い
全編通して終始まじめな印象でした。
大変という大前提。
まだCGなど存在しなかった時代、
過酷な風景を作るなら、実際にそこで撮るしかなかった。
監督、俳優、スタッフ全員で苦労を重ねても、満足のいく
映像が撮れるのは、ほんの稀な時間だったに違いない。
それでも観る方は、それが当り前だと思っていた。
リアルな映像しか有り得なかった時代に、それを謳うため
やれ、ハリウッドに比べてチャチだ、屑だ、と言われても
少ない製作費で(汗)それなりに邦画は頑張ってきたのだ。
それが今になって、
当たり前にあり得ない映像が観られるようになってくると、
こういうリアルな映像美に人間は惹かれ始めるのだろうか。
不思議だなぁーと思う。が、私のような(特撮も好きだけど)
リアル全盛時代の映画を観てきた人間は、やっぱりこれが
カメラマンの、撮影監督さんの、仕事なんだよなぁと思える。
以前に女性カメラマンが撮った映画を観た時もそう思った。
プロの仕事は、絶対に負けてないのだ。その分野では。
この映画の宣伝は、イヤというほど見てきた(爆)
んまぁ~よく喋る監督さんだ。怖いくらいガナリっぱなし。
主演の浅野忠信が、出演を打診された際のエピソードでも
「考えさせてください」と言ったところ「ハイ、やります!」と
とられたんだそうだ^^;しかも彼の作品など一本も観ずに
雑誌の表紙で決めた!というのだから凄い^^;千里眼か?
でも各々のエピソードを聞けば聞くほど面白く、興味がわく。
どんなに過酷な現場だったか、想像するだけで怖いくらい。
俳優は、おそらく山岳会のメンバーでは、ないので^^;
それが、担いで登って、落ちて、登って…演技。するのだ。
皆さん(監督もね)本当にお疲れさまでした。しか言えない…。
映像の素晴らしさと、スタッフ、俳優たちの苦労を思えば(爆)
本当にいい映画でした。と締めくくりたいところなんだけど、
残念なことに観る方は、果たしてそんな苦労よりも仕上がりだ。
シェフがどれほど素材にこだわろうが、美味しくなければ終わり。
どんなに撮影に苦労した映画も、作品の出来如何がすべてだ。
撮影面では威力を発揮した監督だったが、演出面では今一歩。
もっと深いドラマに出来ただろうに~!と思うと非常に惜しい。
あんなに過酷な山を命を賭して登ったのに淡々としている浅野、
高山でも演技が衰えない香川、チラ出でも存在感の役所など
巧い俳優と、いい場面が揃ったが、見せ場と纏まりに欠ける。
やっぱり山を撮る方に全霊を向けちゃったあたりが惜しいのだ。
(適材適所。もの作りはそのすべてが叶って完成度を上げる。)
手旗は、口をききたくない奴とも話が出来るから
映画「劔岳 点の記」(木村大作監督)から。
明治40年、陸軍陸地測量部と創立間もない日本山岳会が、
剣岳(つるぎたけ)初登頂を目指して、争っていた。
物語の途中、この2つのグループが、途中でばったり出会う。
その時、相手の荷物に「手旗」をみつけ、
「手旗信号」を情報伝達に利用していることを確認した。
陸軍陸地測量部の「手旗を利用するのか?」の問いに、
日本山岳会のひとりがこう答える。
「手旗は、口をききたくない奴とも話が出来るから」
へぇ〜、面白い発想だな、と軽くメモをとった。
しかし、物語の最後、この台詞が輝いてくる。
裏を返せば、こう解釈できるからだ。
「手旗は、遠く離れていても、気持ちを伝えたい相手に、
しっかり伝えられる道具」なんだと・・。
実は、昔、ボーイスカウトに入隊していた同級生から
「手旗信号」なるものを教わり、必死に覚えた頃がある。
たしかカタカナが基本だったが、相手から見えるように、
鏡に映したような逆のカタカナを体全体で、表現する手旗信号。
現在では、携帯電話や無線で簡単に会話できてしまうが、
1文字ずつ、確実に伝え、確実に読み取るだけの「手旗」のシーンに、
ちょっぴり涙腺がゆるんだ。
作品全体を思い出すには、日本山岳会のリーダーが口にした
「我々は登ることが目的だ。あなたたちは、登ってからが仕事だ」。
これに尽きる。是非、ご覧あれ。
先達の偉業に感無量
先達の偉業を再認識できるドキュメンタリーとしてよかったです。
測量屋、一般には知られない職種の一つと思われます。
また近年ではGPS測量の台頭により急峻な山の三角点も使うことが少なくなりました。
しかし、楽になった測量も一等から四等になる三角点があればこそ。
惜しむらくは、測量作業風景も踏査、選点、観測だけでなく、三角点を埋める作業や測量器材の組み立て、内業(計算作業)等も多少は欲しかった気がします。平板とアリダードを使っての選点作業は、測量教本でしか見ない作業だったので参考になりました。
測標視準の画が正像(上下が目で見たとおり)なのは・・・・一般への配慮でしょうが・・・・
本来は倒像(上下逆さま)と聞きます。
あと、肝心の剣岳が三等ではなく四等三角点となった経緯が描かれてないような・・・
登頂の報告を受けながら、現場の苦労に気遣いも見せず、面子だけに拘る参謀連中のシーンは削っても測量作業風景には、もうちょっと時間を取って欲しかった・・・・
あまりやってしまうと、NHK番組のようになってしまうでしょうが。
言わずもがなではありますが、フィルムによる山岳映像はすばらしいものでした。
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