スカイ・クロラ The Sky Crawlersのレビュー・感想・評価
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「とある世界」観という認識の明確さが欲しい
「キルドレ」とは特異変異した遺伝
子供のまま永遠に生きることができる。
これを商品化したロストック社
戦争で死なない限り生き続ける「商品」としてパイロットにさせられる。
子供が乗る戦闘機
請負戦争をするロストック社とラウテル社
とある世界の物語
「人類は戦争がなければ平和を考えることができない」
当初あった国同士の戦争から、戦争そのものだけをピックアップすることで余計な犠牲を減らしつつも、会社同士が請負戦争のために「戦争」をゲーム化した世界。
戦争のビジネス化
もう長く戦争に関わってきたクサナギは、キルドレという性質上子供の体をしながらその目は全くの空虚であり無表情だ。
彼女は機械のような思考を決め込んでいるかのように動いている。
しかしそれは「絶望」の中の立ち居振る舞いだったのかなと思った。
前のエースパイロットのクリタジンロー
おそらくクサナギの娘の父
クサナギがジンローを射殺したという噂がある。
クサナギは、戦闘で死なない限りパイロットとして生き続けなければならない彼女たち「キルドレ」の運命を呪い、愛した男を安らかにしたいと願ったのだろう。
ところがエースパイロットだったジンローの操縦技術を「新しい」キルドレに組み込むために再利用されてしまう。
そうして新しく配属さたのが「カンナミユウイチ」だった。
さて、
この作品は、人類史上決して終わらそうとしない戦争に焦点を合わせている。
その戦争と、実際戦地で戦っている人々は何の関係もない。
一部の特権階級が勝手に決め、それは合法だと吠え、国家事業として戦地で戦闘をしなければならない。
そしてこの物語ではそれは、永遠に子供のまま生き続けてしまう遺伝子操作によって作られた子供たちにその役を担わせているのだ。
この世界の仕組みがよくわかってしまったクサナギにとって、この世界で生きることの意味を何も見いだせなくなってしまった。
少しでも好きになった人を「死」という安住の場に送ってあげることが最善の幸せだと信じている。
それがジンローを射殺した理由。
そして、自分自身も射殺してほしいと願う。
ある日、
ジンローの感覚を移植されたカンナミが基地にやってきた。
それの事実は既知の事実としてロストック社の機密文書か何かの中で記されていたのだろう。
司令官という立場でそれを見ることができるクサナギには、それは恐ろしい絶望を感じたに違いない。
ティーチャー クロヒョウ
大人のパイロット 元ロストック社の社員でクサナギの上司だった人物
彼の心理がわからない。
彼の目的がわからない。
ティーチャーはいつか死ぬ普通の人間の大人である。
彼が敢えてパイロットとなっているのは、刹那的な心理状態だからかもしれない。
彼は自分が教えてきた戦略と戦術を学んだ部下たちを殲滅する方が、戦争を早く終わらせることができると読んだのかもしれない。
さて、
これらの事実が明らかになった後、カンナミはクサナギに言う。
「君は、生きろ。何かを変えられるまで」
カンナミに抱きしめられたクサナギは、人間としての実感を覚えたのだろう。
初めて人間らしく涙を流す。
やがてまた戦闘指令が発令され、皆出撃する。
ティーチャーを見つけたカンナミはたった一人で立ち向かうものの、あえなく撃墜される。
帰還者たちが待ってもカンナミは戻ってこない。
ここでエンドロールとなるが、最後に新しいパイロットが配属される。
「ヒイラギ」
彼の立ち居振る舞いはカンナミそっくりだ。
つまり彼はカンナミの感覚を遺伝に組み込まれているキルドレだ。
クサナギはヒイラギに対し「待っていました」と意味深なセリフを言う。
クサナギの眼光は明確な目的意識がある。
それはおそらく、「この世界の何かを変え」ようとする大きな意思の表れだ。
『この狂った世界を変えたい』
このことこそが永遠に生き続ける者の使命
クサナギはそう考えたのだろう。
そしてこのことこそが、この作品が伝えたかったことだと思った。
テーマが明確で素晴らしい。
ただ、
ティーチャーの心理描写が欲しかった。
複製されるように登場するキルドレ
彼らも人間として普通に意志と意識を持っている。
同じ戦争に巻き込まれている普通の大人ティーチャー
彼の心理はこの作品に必要だったような気がしてならない。
なぜなら、
片方だけの言い分ほどあてにならないものはないからだ。
そして、
「部長に会わせていただきます」
この部長なる階級は一般会社
彼らの目的をもっと明確にしてほしかった。
そして、
日本語と英語の存在
とある世界の物語のはずだが、この言葉の使い分ける意味が皆目解らなかった。
読売新聞とデイリー読売が登場していることで、2か国語が存在しているのはわかるが、その理由がわからなかった。
戦争をしていることはわかるが、パイロット等が大人なのか子供なのかが見た目でわからないことと、物語の問題がしばらく何かわからないことが作品を見飽きてしまう。
とある世界の世界観をもっと先に明確化してほしかった。
とはいえ、
2008年の作品
邦画はこの先飛躍的に面白くなるが、この作品の不明快な部分がブラッシュアップされるのだろう。
奥行きが深くなることで面白さとリアリティが大幅にアップされるのを期待したい。
哲学的戦争解釈(マ王の戦争と平和観)
コレはマ王の持論であり万人に対しての訴えでは無いので何の賛同も求めてません🤚
ただし、本作を初めて観た時の率直な感想は何度観直しても大きな変化は無く、マ王の考え方の骨みたいな部分に響いているんだな、と感じたりしてます😊
自分を再確認する時に「スカイ・クロラ」を頼る場合があります😐
で「スカイ・クロラ」は観る人によって解釈が様々になりがちな映画だと思うのよね💦
キルドレか戦争か人間のどれに注目して観るかで感じ方が変わるのが本作だと考えるのよ🤔
またどの視点にもドラマがあるから今作は面白い✨
ただし、映画としては難解な部類だとマ王は感じる😐
そもそも戦争と平和なんて言葉があるから皆が混乱するのさ🥸
戦争の対義語は泰平(らしい)だし平和の対義語は暴力なのよね✨
だから戦争が無くなったとしても必ずしも平和になるとは断言出来ない。
万人が幸せに暮らすユートピアなんて存在せず転じてデストピア地味た空間になるのは目に見えている。
「悪」を擁護する話ではない。
人間は善人にはなれないという話だ。
実に単純な事で全世界の人間の求める幸福が一致するなんて奇跡は無いからだ。
それとも地球総人口が80億人に届きそうな現代、皆が一二の三で聖人君主にでもなるのかね。
それが出来ないから戦争は終わらないし暴力も絶えない。
こんな話もある。
国の人口の単位を「人」から「円」に変えると政治家の考え方が見えてくる、と。
例えば日本の総人口は2022年で約1億2千5百万人。
コレを人から円に変えると125,000,000円になる。
で、貴方がこの金額を所持してると思って考えてほしい。
東日本大震災の犠牲者って何人だったか覚えてる?
少なくとも万人単位では上の桁は小揺るぎもしない。
そこでこの話が世界規模ならどうなる?
国のトップは「人」でなく「円」で(お金で)考えてると思うと納得しないか?
「スカイ・クロラ」でも戦争をショー化する事で広範囲の被害の縮小には成功しているが、その裏で何が犠牲になってるかが暗黙の了解になっていて、ソコに無言ではあるがキルドレとの差別が存在している。
人間が人間である為に争いは絶える事は無い。
なのに声高に平和を訴える連中とソレを事業として生きる人間達の浅ましさに、マ王は吐き気がします🤢
世にある武器を製造する国や会社もアカンけど、実現不可能な事象で食ってるヤツも詐欺師と同じやぞ😡
こんなん別に今更言う話でも無く自分自身を振り返ればどんな人でも疚しい事の一つや二つは出てくるモンで、そういう自分を受け入れないウチは「暴力反対」「平和云々」とか言わない方がいい。
ガチの自分を受け入れて尚且つそういう自分に打ち勝ってから漸く、身の回りの小さな平和を維持出来るのがやっとで人生なんだし、ソレを幸福と感じないのなら無理をしない方が良い。
まぁ恐らくではあるが、そんな努力が出来ないからこそ人間てのが存在してんだろうけどね😑
ちなみにマ王はそういう人間が嫌いではないです✨
映像作家押井守・感情的場面転換という高等テクニック
森博嗣原作、押井守監督作品。
【ストーリー】
複数の民間軍事会社が戦線でしのぎを削りあう欧州戦線。
僻地の小さな基地に、新たなるパイロットが着任する。
彼の名は函南優一、戦闘機に乗って戦うために生まれた人間——キルドレ——だった。
後部の二重反転プロペラを推力として空を飛ぶプッシャ式対空戦闘機"散香"に乗り、つぎつぎと敵を落とす優一。
だが彼らの防空網に「ティーチャ」と呼ばれる、敵軍エース機が現れる。
キルドレたちをもしのぐ空中格闘技術をもつティーチャ。
同僚パイロットの湯田川も落とされた。
「ティーチャは、大人になったキルドレなんだ」
嘘か誠か、ティーチャには多くのウワサが飛び交っていた。
かつて森博嗣が押井守作品『アヴァロン』を褒めたことから、監督が嗚呼ありがたやとオファーに応じたとどっかで読みました。
元名古屋大学助教授の森博嗣が、趣味のラジコン飛行機で作った機体に動きを再現させて書いた原作シリーズの『スカイ・クロラ』『ナ・バ・テア』の二冊を元に作られてます。
原作挿絵は知る人ぞ知る鶴田謙二。そうあの『チャイナさんの憂鬱』を描いた鶴謙です。
ちなみにスカイ・クロラは"Sky Crawlers"、ナ・バ・テアは"None But Air"のカタカナ表記。
作中の専門用語も語尾に長音を使わないあたり、小癪にオシャレな感じです。
自分は押井守も森博嗣も過去にさかのぼって網羅するぐらいにはファンなので、ついでに鶴謙のマンガ本集めるぐらいには好きなので、そら見に行きますわな。
で、
「あ、こっちの押井守か」
となりますわな。
こっちっていうと「天使の卵」や「人狼 JIN-ROH」の方。
まあ早い話が、悲劇的結末にいたる物語なのです。
森博嗣という作家は、そのキャリアからわかるとおりの理系で、自分の感情や気持ちにすごく真摯でナイーブな反面、社会の構造や他人の心に無頓着な性質が、この作品にもそこかしこにあらわれています。
このへん押井守も似たような性分のせいか、そこがうまく働いて、設定のややこしい原作をきれいにシェイプして、非常に透明感のある作品に仕上げています。
「スカイ・クロラは唯一、自分が全てをコントロールできた作品」
と言う押井守。
見てもらいたいのは、場面転換。
多くの演出家が、ただロング撮ってそこから人物映すだけでシーン変化の説明を終えがちですが、ぼくらの押井守はそんな工夫のないことしやしません。
最初にあらかじめシーンに与えたい印象を、アングルや色調やガジェットでもって提示し、それからドラマに入るという周到なテクニックを使います。
個人的には、強い影響が見えるタルコフスキー監督よりも、そのテクニックは優れていると感じます。
自分が悲劇が苦手なのもあって、最初に見たときは正直「あちゃー、見ちゃったよこれ」という気分になりましたが、その後くり返し見る度に演出の上手さに気づいて、押井守を語る上では外せない一作だと思うようになりました。
ただ、感想は何回見てもそんなに変わらないんですけどね。
これはまあ、印象操作が上手くいっている証左でもありますが。
もひとつ、近年になって監督は
「この作品は僕の色気が入ってる」
ともおっしゃってますけど、そっちは分かんないや(笑)
つづき作るなら、キャラデザに鶴田謙二を入れてください。
そして上着はだけて上半身水着姿で整備する女の子を入れてくれたら、その意見に絶賛賛成します。
すき すき 大すき
突然レビューしたくなったので書きます。
私はこの映画でスカイクロラシリーズが好きになりましたが、原作小説は1行も読んだことがありません、そして現在の私は小説を読める精神状況にありません。でも書きたいので書きます
詳しい設定はウィキペディアを参考にして書いています。間違い多々あります。妄想沢山入ってます。ごめんね
とても長い乱文です。ごめんなさい
物語は、ある飛行場に新しいパイロットが着任することでスタートされる。
だが、映画のスタート「掴み」は余りにも劇的な、3vs1(うろ覚えw)凄まじい空中戦から始まるのだ。
三人はプッシャ型の戦闘機を駆り、一人は、トラクタ型の戦闘機を駆っての、激烈な空中戦。
3vs1、この文だけで想像すると、余りにも一方的である戦闘結果が想起されるが、その三人はあっけなく叩き落される。(一機は退避したっけ?うろおぼえw)
僕はこのシーンが好き過ぎて何回も見直してる。(昨日も見た)
「警戒!上方に敵機!退避せよ!」
エンジンの爆音。
雲が晴れて、飛行機が飛行機に向かって攻撃する 空中戦が始まる。
僕は、このセリフを敵機に追われ始めている友軍機に対していち早く気づいた味方が、必死に警告している。と解釈している。(空中戦とは、大抵目にも止まらぬ速さで展開されるので、ホントは何が何だか分からないし、このシーンは空中戦の最後の最後を描いているのかもしれない)
追いかけられている飛行機の翼の両端から白い線が出る。失速の兆候である。このパイロットは判断ミスしている。
失速によって空中に固定されてしまった飛行機が滅多打ちされて穴だらけになる。もう駄目。
「コントロール出来ない。脱出する。」
搭乗者が脱出して、パラシュート降下を開始したと思ったら、戻って来た敵機がその搭乗者を蜂の巣にする。
その後、敵機がもう一機の後ろに着く。仲間が駆けつける。敵機を挟んだ。「ティーチャを撃墜する。」射撃する。敵機は難なく回避して、急減速して後ろに着いてくる。敵の動きが余りにも速すぎる。反応出来ない。撃墜される。「NOOOOO」
最後の一機は見逃される。空中戦は終わった。
カメラはその敵機が降下していくのを舐め回す様に映す。
銀色の機体がキラキラしている。独特のエンジン音が耳にこびりつく。
その後音楽が始まって、物語が本格的に始動する。
何どもこのシーンを見ているうちに、私はこの空中戦の展開に強烈な違和感を感じ始めた。
第1にこの「ティーチャ」は圧倒的劣勢の空中戦を楽しんでいる様に見えた。
最初の飛行機は、おそらく「一撃離脱戦法」で撃墜されている。(正確に言うと全く違うかもしれない。まだまだ不完全な私の知識による、個人的分析です。)
一撃離脱戦法とは、噛み砕いて言うと、「U」の字の様な感じだ。「U」の底に居る敵機に対して、自分が「U」の字を描いて攻撃する。
タイミングを見計らい、一気に降下して、一瞬射撃して、すぐさま上昇。
こうすることで、敵の対応する隙を与えず、かつ、攻撃に失敗したとしても、攻撃した自分の機体は、降下したエネルギーで速度が乗っていて、下にいた敵機は、原則的に追いつけない。(離脱していく敵機に無理に追いつくこうとして、着いていくと、間違いなく敵機より素早く失速する。)
先の文で、私はこのパイロットは判断ミスをした。と書いた。
敵機は上から降ってきた!と味方が突然言い出す。その通信のコンマ数秒後に、敵が後ろに突如として現れる。反射的に操縦桿を引いて、上昇してしまい、失速し、落とされる。
一撃離脱戦法から逃げるには、自分も一緒に降下するしか方法が無い。左右に旋回すると機体からエネルギーが奪われてしまい速度が落ちる。上昇などもってのほか。速度が落ちた飛行機は、空中で自分の意思で動かせなくなる。失速して空中に「固定」されてしまう。
圧倒的な速度差があると、失速した機体はそれを撃つ機体から見ると、「止まっている様に」見える。簡単に弾を注ぎ込める。
彼は究極の判断に何故失敗したのか?
答えは余りにも簡単である。「不意打ち」と「恐怖」による思考停止。
2つの飛行機を瞬く間に撃墜した敵機は「ティーチャ」と固有名詞で呼ばれている。これは機体のコードネームでは無い。劇中で何回も再登場する正体不明の謎の存在。
黒いチーターの絵が機種に描かれているこの飛行機の名前は「スカイリィJ2」である。
この映画世界の典型的飛行機は、プロペラが後ろに着いている、プッシャ型。
この型式の航空機は、我々の現実世界では余り一般的では無い。映画を観た時「変な飛行機」と思った人が沢山いるでしょう。
プッシャ型が沢山出て来るのは、多分監督の性癖だからだと思う。(私は確信している)
言いたい事は、要するに、「ティーチャ」の「スカイリィJ2」はこの世界で「浮いている」そして、それに空中戦を挑む者は、この「ティーチャ」にとてつもない恐怖の感情を抱いている。と言う事
何故「怖い」のか?
空中戦シーンに戻る。
最初に撃ち落とされた飛行機から、搭乗員が脱出する。それが一瞬で血煙になる。
このシーンはあり得ない!
一撃離脱戦法の解説で書いた通り、攻撃を終えた飛行機は急速に敵機から遠ざからなければならない。このシーンの場合は、敵機が複数なので、尚更この流れを意識しなければならない。
敵機はまだ2機残っている。何をしてくるか分からない。
それから、敵機の後ろを犬の様に追いかける「ドッグファイト」に移行するなどもってのほか。厳禁である。でも、「ティーチャー」は、その空中戦に於ける、「禁忌」をやすやすと破っている。
その後、彼はわざと敵機に「挟まれる」
現実のパイロットだったら絶対しない行為。
余りにも「ティーチャ」の思考は挑戦的、というか「意味不明」だ。
撃ち落とした敵機のパイロットを、わざわざ戻ってきて、残酷に射殺する。この行為は現実だと、交戦法規でしてはならない事になっている。
私はこれを見て、自分が遊んでいる、対人の対戦ゲームで時折出くわすある事象を思い出した。
私が壁に隠れているのに、敵の弾が当たって、死ぬ。不自然に思った私は、キルカメラを見る。
私を殺した敵は不自然な動きをして私を殺している。これを見て、「私は「チーター」に殺された。」と確信する。
「チーター」とはゲームでズルをする人である。簡単に言うと、サッカーで、ゴールキーパーでもないのに、自分だけ手を使ってプレイする感じだ。
この行為をするものが居ると、どんなゲームでも「つまらなくなる」。真剣勝負では無いから。私はゲームをやめて別の事をしだす。
この例え話しは正確ではない。
私がしていたのは「遊び」だ、不快だったらすぐゲームを消せる。
でも劇中の三人は違う。
あのシーンでは、私が全く想像出来ない、途轍も無い恐怖が三人を襲っている。
空中戦は身体に凄い負荷が掛る。
ジェットコースターを操縦してる感じだ。
機体を自分が行きたい方向に向けると、自分の身体に強烈な「G」が掛る。
ジェットコースターに乗った時とは比べものにならない変な感覚の、凄まじい正体不明の力が体に掛る。
息が苦しくなってくる。はぁはぁ。
逃げても逃げても逃げられない!殺される!
「G」で身体の血液が掻き回される!
意識が遠のく。自分が何をしているのか一瞬わからなくなる。
サバンナの荒野で、必死に走って逃げる!チーターが全速力で襲いかかってくる!
設定によると、確か、ティーチャーは、「大人」で、そのティーチャーに叩き落された飛行機のパイロットはキルドレ「子供」だ。(ホントに合ってんのか?w)
要は、彼らは「チート」を使っている大人のゲーマーに「弄ばれた」。
彼らは「ティーチャー」に絶対勝てない。
彼らは「永遠の子供」。
それを「ティーチャ」が「遊び」で叩き落す。
ティーチャは自分の力に溺れている。彼は大きい「子供」だ。
この映画の最後に、主人公は「ティーチャ」を撃墜しようとして、返り討ちに合う。
映画最初の空中戦で「ティーチャ」がキルドレに対して行なった最低最悪な「チート行為」
主人公はそれよりも酷い状況に晒される。
徹底的に弄ばれ、最後は現実的でない動きをする「ティーチャ」の猛射によって、彼の機体は粉砕される。
恐らく「ティーチャ」は「キルドレ」の考える事が全て分かるのだろう。
自分も子供だから。
追記と妄想。(長いよ)
スカイ・クロラ←日本訳:空を這うものたち(合ってんのか?w)
ティーチャ(チーター)←「地上最速」の動物
必死に空を「這う」者たちを、「チーター」は容赦なく狩る。
スカイリィJ2って目茶苦茶カッコイイよね。
昔日本には「J2M」という飛行機が合ったんだよ。
このJ2Mというのは日本海軍が定めた管理番号で、真名を「雷電」と言う。三菱製。
500機位しか生産されてないし、不具合も多かった。
でも、日本に爆弾を運んできたボーイングB29の乗組員はこの機体を「JACK」と呼んで、とっても怖がっていた。
この「雷電」は長い間飛べないけど、当時の日本戦闘機で一番の上昇力を発揮出来たんだ。
武装も強力だった。
でも生産量がとても少ないから実際に「雷電」と闘った者は少ないと思う。(零戦なんて一万機も作られてる。こっちの方が良く目にしただろう)
「スカイリィJ2」とは全然違う、ずんぐりむっくりな形の「J2M」が、自分のB29の上に居る事に気付いた搭乗員は、こう叫ぶ。
「警戒!上方に敵機!退避せよ!」
この映画は細かすぎる。最高の映画。
ネタバレあり コメント許可 ボタンの仕様がわからず、イライラする
キルドレは死ぬことにした。 この退屈さを受け入れられるのであれば、あなたも立派なオシイスト。
レシプロ戦闘機に乗り日夜戦いを続ける「キルドレ」と呼ばれる青年たちの灰色の日常を描き出した戦争ドラマ。
監督は『うる星やつら』シリーズや『GHOST IN THE SHELL / 攻殻機動隊』シリーズの、巨匠・押井守。
感情表現が希薄な新任パイロット、函南優一の声を演じるのは『誰も知らない』『硫黄島からの手紙』の加瀬亮。
優一たちが行きつけにしているダイナーのマスターの声を演じるのは『ウォーターボーイズ』シリーズや『ピンポン』の竹中直人。
脚本監修を務めるのは『GO』『世界の中心で、愛をさけぶ』で知られる映画監督の行定勲。
いやぁ、退屈!!
こんなに退屈なアニメ映画はないんじゃないかというくらい退屈な作品。
しかし、だからこれが悪い映画なのかと言われるとそこにはNOと言いたい。
押井守作品のファンのことを「オシイスト」なんて呼んだりしますが、我々オシイストにとってこの程度の退屈さはなんでもないことなんです。むしろ「面白かったらどうしよう…」くらいの感じで作品を見ますからね。そんなんもう異常者やんと自分でも思いますが、この退屈さを求めて我々は押井の映画を観てるんです。もしこの作品の退屈さを許容できたのなら、あなたも立派なオシイスト👏
原作は小説家・森博嗣による同名小説。未読だから映画との差異は不明だが、まあ押井守のことだから大枠だけ原作をなぞってあとはほぼオリジナルみたいな作り方を今回もしてるんだろう。
ただ、不思議に思ったのは登場人物の名前。ヒロイン・草薙水素の名前は『攻殻機動隊』シリーズの主人公である草薙素子にクリソツだし、謎の人物・クリタジンロウのファーストネームは押井が脚本を手がけたアニメ映画『人狼 JIN-ROH』(2000)と響きが一緒。流石にこれは偶然とは思えない。
もしかして森博嗣先生もオシイスト?
手元にあった「押井守の映画 50年50本」(押井守 著、2020年8月、立東舎)や「創造元年1968」(笠井潔/押井守 著、2016年10月、作品社)をペラペラ捲ってみると、なかなか興味深い事が書いてある。
まず押井監督は興行的には不振だったことを認めつつも、この作品のことをめちゃくちゃ気に入っている模様。
本当に納得のできるアニメ映画が作れたのは本作が初めてであり、それ以前の作品は全て習作であると言い切っている。また機会があればディレクターズ・カット版を作りたいとのこと。半端じゃない入れ込み方である。
押井が本作でやりたかったのは「時間」を表現すること。ここで言う「時間」とは2時間とか3時間とか言う客観的な時間ではなく、映画自体が持つ主観的な時間のこと。監督が意識的に作り出す時間のことなんだとか。
押井曰く、映画においてセリフやアクションの最中は時間は流れていない。その合間にこそ映画の時間は流れる。アニメーションは絵の連なりなので、セリフやアクションがない時間というのは存在しない。それはただの静止画になってしまうから。
本作ではそこに切り込んでおり、「何も起きない時間」というアニメーションが最も不得手としているものを表現しようとした、とのことである。静止画に見えるような静かなシーンでも、本物の人間がとるような無意識な動きをキャラクターに取り入れる。そうすることで静止しているようでしていない、ダラっとした時間の流れを表現することに成功している。
もちろんこれは西尾鉄也をはじめとするプロダクションI.Gの精鋭アニメーターたちの、繊細で丁寧な技巧があって初めて実現可能なことであり、普通のアニメではまず不可能。超実力派アニメーターを大量に導入して、やらせることは新聞を畳んだりボタンを外したりという細かな日常芝居。贅沢というか無駄遣いというか…。まぁそこが良いんですけどね。
監督が参考にしたのはヴィム・ヴェンダースの『パリ、テキサス』(1984)。この映画に流れている主観的な時間を自分でも実現してみようというのがこの作品の狙いだったようなのだが、面白いのは押井は『パリ、テキサス』のことを「退屈すぎて死にそうになる」と評していること。
退屈すぎると感じる映画を作品作りの反面教師にする、というのはよくわかる。しかし、その映画を参考にして同じような時間感覚を持つ映画を自分で作り出すというのは、はっきり言って完全に狂ってる。
本作は見事に退屈なのだから、押井監督の目論見は成功したということなのだろう。だから納得出来る映画が出来たと自画自賛しているのだろうが、それってオシイスト以外の観客からしてみたらたまったもんじゃないよね💦
まあでも、我々オシイストは押井守のこういうねじくれたところを愛している訳ですが…。
押井監督が構想するディレクターズ・カット版とは、空中戦やアクションシーンを全てカットし、キルドレたちの日常のみを描くというもの。
普通の観客は「そんなもん誰が観たいんだよ…」と思うことだろうが、個人的にその目論見は至極真っ当と思う。
というのも、映画全体のトーンから考えると、確かにこの映画のドッグファイトには取ってつけたかのような不自然さがある。「客寄せのために仕方なく入れました」みたいな白々しさが感じられるのだ。
個人的にこの映画で最高の感覚だと思ったのは、草薙・函南・土岐野の3人がボーリングをするシーン。三者三様のスローイングフォーム、ボールの重さが確かに伝わる重力移動、ボールがリターンしてくるまでの所在無さなど、本当にこのシーンには超絶精緻な作画技術が詰め込まれている。もうこういう細かいアニメの動きが本当に素晴らしく、ここだけで2時間くらいあっても良いんじゃないかというくらい満足してしまった。
現実的なことをあえてアニメで描く、その際に生じる違和感こそがアニメ作品の醍醐味だと思うんです。派手なバトルとかエフェクトなんて二の次三の次。
その日常演技の技術が高ければ高いほど、生じる違和感も強まり快感度数も増す。そういう風にアニメを観ている人間にとって、この映画の演出は本当に眼福です…😋
物語の内容自体は、まあ可もなく不可もなく。
『攻殻機動隊』同様、『ブレードランナー』(1982)みたいな事がやりたかったんだな、という感想。函南とか草薙が逃げ出してたら、それこそまんま『ブレラン』だったよね。
退屈さという点では、オリジナルよりも続編である『ブレードランナー2049』(2017)に近いかも。アンドロイドが妊娠するという展開も一緒だし。
もしかしたらヴィルヌーヴ監督は本作からインスパイアを受けたのかも。実は彼もオシイストなのかも知れない…。
生の実感が湧かない若者の灰色さというのは確かによく表現できていたが、キルドレという設定を上手く扱えていたかは疑問。別にキルドレじゃなくても全然成り立つ話ですよねこれ?
いつまでも子供のまま、というのはモラトリアムのメタファーだというのはわかるのだが、子供/大人の対比が絵としてわかりにくい。函南たちキルドレがあんまり子供に見えない。
日本アニメにおいては、彼らよりももっと幼くデザインされたキャラが普通に戦ったりなんだりしている訳だから、このキャラデザで「僕らは子供です」と言われても説得力がない。子供ということを強調したいのであればもっと頭身を低くするとか、ショタ声の声優をキャラに当てがうとか、もう一工夫が必要だったんじゃないか?
もう一つ気になったのは終盤の説明台詞。
戦争の実態やキルドレの正体、クリタジンロウという人物についてなど、ほとんど説明がなされないまま物語は進んでいく。ただ、物語の端々で描かれている事柄から観客としては大体こういうことなんだな、という推測はできるし、その推測はおおかた当たっている。
わざわざ草薙や三ツ矢に怒涛の説明台詞を喋らせてしまったせいで、それまでのシャープな語り口が急にブサイクなものになってしまった。もう少し観客の読解力を信用してほしい。
本作を最後に、押井はアニメ映画の監督をしていない。
この映画がコケたせいでなかなか撮らせてもらえなくなったのかもしれないし、本人に興味がなくなったのかもしれない。
ただ一つ言えるのは、押井の戦場は実写ではなくアニメの世界であるということ。ただただつまらないだけの実写映画を撮ってる暇があったら、つまらないけど中身の詰まったアニメ映画を撮ってくれ!!
…「タバコを吸わない上司は信用しないことにしてる」って、それ宮崎駿のことを意識したセリフですよね。本当に押井は宮さんの事が大好きなのね〜…😏
もっと評価されるべき映画
学生の頃に鑑賞した。辛い時期だったが、この作品は支えになってくれた。
そしてそんな人は私だけではないと思う。
本作は有り触れた「日常」をひたすら描いているため、その秀逸さを理解する事が非常に難しい。だが繰り返し繰り返し観るとその美しさが分かってくる。
幻想的で切なく悲しい。でもその中に希望がある。
繊細に、自然に人間を描いた、稀有な日本映画だと思う。
ただ切ない。暗く、救いがなく、でも、なぜか惹かれる。美しい作品。
高校生の時に見た衝撃的な作品でした。
当時の私にとっては、何一つ救いがなく、ただただ暗い作品で、
切なく終始胸が苦しかったのですが、
曲調や劇中画の美しさや儚さに心を打たれたのか、
私の中でこの作品を超えるアニメがありません。
思い出に残る作品です!
民間企業同士が戦闘を請負う戦争形態の設定は妙技感ありました。ストー...
民間企業同士が戦闘を請負う戦争形態の設定は妙技感ありました。ストーリーは盛り上がりに欠けていて引き込まれませんでした。
大作感があっただけに残念な感じがありました。
何とも不思議な世界観の作品だ。 国家間ではなく、会社同士で戦争をし...
何とも不思議な世界観の作品だ。
国家間ではなく、会社同士で戦争をしている。
それもよく分からない理由で。
主な登場人物は全員日本人名だが、街並みは海外で飛行中は英語でコミュニケーションをとっている。
また、遺伝子操作で不老不死の少年少女が戦っている等々。
話そのものよりも世界観がおもしろかった。
終わりなき日常の絶望をどう生きるかに取り組んだ傑作
押井守がビューティフル・ドリーマーで描いた永遠に続く文化祭前の一日は、とてもハイな永遠なる日常だった。それは日常がもたらす"倦怠"の打破が課題だったと言える。
本作は戦争ドラマだが、実はあの学園ドラマの裏バージョンで、ここには夢邪鬼ならぬ人類が仕掛けた、ダウンな永遠なる日常が描かれている。今度の日常がもたらすのは"絶望"である。
かつて永遠なる日常でラムやあたる達と遊び、軽やかに転覆させて自己の青春を総括した押井は、今度はそれに悪戦苦闘している。
輝かしい未来も華やかな過去もなく、ぼんやりした現在を麻痺した感覚で生き、感動もなく死んでいき、翌日には似た奴が隣にいるキルドレ達の世界。
「お前という人間は、いつでも誰とでも交換可能だ。自分がいついなくなっても、明日には代替品が自分の席に座っていて誰も何も困らない。自分などいなくても構わない。自分は無価値で、誰かを愛することにも何の意味もないし、そもそも愛などと言うコミュニケーションさえ自分たちには生まれない…」
三ッ矢が語るのは、永遠なる日常の絶望がもたらす無意味、無価値、無感動の世界への抗議である。
かつて政治的な閉塞感をもたらした東西冷戦は終焉したが、その後に到来した格差社会は、経済的文化的な閉塞感を若者に生み出し、新たな終わりなき日常の絶望を強いている。それに対して押井は、何らかの倫理を提示しようと試みる。
それが「君は生きろ。何かを変えられるまで」という主人公の言葉だ。日常に踏み止まれ、と。そしてその直後に、主人公は日常を転覆する企図に生を擲っていく。これはかつての学生運動時代に流行した、サルトルら実存主義哲学による自己投企の再提起かもしれない。
いずれにしろ転覆を図らなければならないほど絶望的な日常と、その空気を写し取ったのが本作であり、能天気でバカげた恋愛ドラマばかりが量産される日本では、とても現実的な映画と言えるのではないだろうか。
原作は未読だが、その原型は恐らくSF作家サミュエル・R・ディレーニのリリカルな短編「然り、そしてゴモラ」だと思われる。
宇宙空間で労働するために16歳でサイボーグ化され、性を失うとともに欲望も希薄化して、人間の抜け殻になったような航宙士と、無性状態の若者に群がる地上の性倒錯者たちとの絶望的な関係は、本作の終わりなき日常の絶望感に通じているようだ。
個人評価:3.5 薄暗く陰鬱な押井守の世界観。無機質なキャラクター...
個人評価:3.5
薄暗く陰鬱な押井守の世界観。無機質なキャラクターだが、最後は何故だか好きなっているから不思議だ。好きな作風ではないが、見終わった後に、なんだかそれまでスカイクロラの世界の中にいたと思う感覚になる。あぁ、これが押井守の作品のチカラか。
作品の意図を考えていくと夜が明けてしまいそう
わたしはなにをみたんだろう
どういった内容だった?どうだった?おもしろかった?と聞かれて
なかなか言葉に詰まる作品も少ない。
おもしろい か おもしろくない か
基本的どちらかに所属するものだから。
この作品はどちらにもならない。
好きか嫌いかで言えば、好き。
面白いかと言われると、それは微妙かもしれない。
戦闘機から見える空の青さと、
アニメとは思えない動き、
その割にはキャラクターの喜怒哀楽が見えにくくて、
淡々と進んでいくから気持ちを測りにくい。
説明がされない分、自分での理解が必須になるけれど、
マッチを折る仕草や新聞のたたみ方で
なるほどと思う伏線は張ってあった。
戦うために作られて、ぼんやりとした記憶しか持たない彼らを
いつも歩いている道は同じでも
そこにある景色は違う。それではダメなのかと問う。
それは生きるということではないのかと。
それでも、それを言いながらも
何かが変わるまでこの地獄で生きろと言う。
絶対に倒せないと分かっていても
そこにむかっていく彼の気持ちを、
彼女のまえにまた現れる、違う彼を
待っていたと告げる彼女の顔は以前とは全然違っていた。
エンドロールが終わるまで考えて考えても
結局答えの出ない質問を投げかけられたような気がする。
心の中になにか棘を残していくような、
静かでかなしい、明日への物語。
もう一度,生まれてきたいと思う?
2019年5月12日 #スカイ・クロラTheSkyCrawlers 鑑賞
不老不死と輪廻転生、戦争と生、国家と企業とかいろんなことを描かれていますね。
空中戦の戦闘シーンとか、冷蔵庫からビンを片手で2本出した時のカチンカチンあたる音とかは、こだわってるなと感じました。
#菊地凛子#加瀬亮#押井守#谷原章介
空中戦が楽しい
あとはよく分からん。
架空の世界観で実体が伴わないので、今一つ感情移入できなさそうな。
声優は専業にこだわらずとも、いいように思う。意外と演技過多で、うざったいことが度々。
リアルタイムに映画館で観ていたが、レビューしていなかったようだ。
物語よりも
まず、最大のマイナス点が、草薙役の菊池凛子が声優に不向きだってこと!!
女優としては全然嫌いじゃないし、パシフィックリムの時とか良かったんですが、声優はやっちゃいかんかった。
草薙が喋るたびに耳障りが悪すぎて不快感。完全に物語を損なってました。残念。
ストーリーとしては、斬新だったし面白かったです。
出てくる登場人物がみんな暗いので、土岐野(谷原章介)に癒されました。作中で一番強いのは、土岐野なのではないかなと、思ったり。
あんな過酷な環境の中で、面倒見がよくて明るく振る舞えるなんてすごいなって思います。
ずっと思春期のまま戦い続けるキルドレ。
想像しただけでいやーな気分になりますが、このいやーなもやもやした感じが押井監督の、作品だなって思う。
押井監督の作品が好きなら見て損はないかなと思いますが、万人受けはしないかな。
雰囲気に価値がある
ゆっくりな感じが良い。戦争するというのに、のんびりだらだらしているというのが新鮮で楽しめる。そういう楽しみは、アニメだからこそかもしれない。
空中戦のシーンは素晴らしい。カメラワークと構図が良く、他で見たことがないくらい研ぎ澄まされている気がしたが、どうだろう。
空の上にいる開放感と心細さが伝わってくる気がした。程よくローテクな感じの機体(詳しくない)にすることで、空を飛べる特別感があるのではないだろうか。
作品のメッセージについては特に共感できなかった。
不思議な空気感。
押井監督曰く自身の最高傑作はこの映画だそうです。個人的にはビューティフルドリーマーの方が好きなのですがそうおっしゃるのも頷けます。
この映画に流れる独特のちょっと重い空気感みたいなものに何ヶ月に一回かは触れたくなる。そんな映画です。
見れば見るほど違った感動と発見があるので何回も映画を見たい人におすすめです。
この映画は、声優に声をあててほしかった
この映画は、戦争の意味を面白い切り口から見ていると思った。
つまり、戦争に関わる当事者ではなく、「傍観者にとっての戦争」という角度からの切り口。
だからこの映画の戦争に、意味はない。傍観者のための戦争だから。
人は、自分よりもつらい状況に置かれた人間の存在を知ることで、自分に自信を持つことが出来る。
江戸時代のえたひにん制度のように。
スカイクロラにおいてそれが、キルドレ。
人々の精神的踏み台とされることが、生きる意味。
この映画の中の傍観者たちは戦争をしているキルドレを見ることによって活力を得ている。
たとえば、平気でテレビで作戦をダダ漏らしている描写は、いかにこの戦争が傍観者のためのものかが分かる。
この映画は、声優に声をあててほしかったなぁ。
菊池凛子の声が、キャラの特徴を殺していたと思う。
2010/7/7@メディアラボ
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