殯の森のレビュー・感想・評価
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愛する人の死の形象化
自分の過失で長男を死なせた(らしい)過去を持つ介護士と、33年前に愛妻を亡くし、その現実を受け入れらない認知症を患う老人の物語。
登山がレジャー化して久しいが、その起源は山岳信仰にある。山岳信仰の体現者である山伏はそれを、麓から頂上までの道程を母親の胎内へ戻る産道と捉え、その過程で俗世で汚染された六根を清浄する、と説明する。
愛する人の死によって、今にも壊疽しそうな塊をぽんと投げつけられ、その扱いに途方に暮れる二人の男女。無意識が求める「愛する人の死の形象化」。深い山中にある老人の妻の墓を目指し、ひた歩く壮絶な様は、いつしか壊疽の塊が優しく浄化される、信仰に似た神々しさがある。
カンヌのグランプリ受賞作品らしく、芸術的完成度は恐ろしく高い。穏やかに淡々と、ほとんど科白なく進む物語は、ドラマではなく映画であることの本質的な意味を突き詰めている。
過大な罪とトラウマを抱える虚無な尾野真千子がすこぶる美しい。あっさりと生の一線を超えようとしてしまうボケ老人に辛うじて踏み止まる今の自分の将来を見て、生きる意味を微笑めるようになる、その美しさを26、7歳で演じきるなんて。
しかし、難しいな、この映画は。非言語的な音と光で表現する映画に対する本質的共感と、
愛する人の死に触れる切実な原体験。観客がこのふたつを持つか否かで、評価は大きく分かれると思う。
【愛する者を失った認知症の老人と女性介護士が、殯の森を彷徨う中で生と死を見つめるヒューマンドラマ】
ー 河瀨直美監督はジュリエット・ピノシュを迎え描いた「Vision」でも美しき奈良の森を舞台にスピリチュアルな作品世界を展開しているが、今作も然りである。
但し、今作は”生と死を見つめる”という重いテーマ設定になっている。-
■亡き妻、真子の思い出と共に奈良のグループホームで暮らすしげきと、不慮の事故で子供を失った新任介護福祉士の真千子(尾野真千子)。
ぶつかりあいながらも、共に失った者への思いを抱く2人は次第に心を通わせていく。
ある日、彼らはしげきの妻が眠る森へ墓参りに出かけるが、森の中で道を失う。
◆感想
・今作は、可なり難解な作品であると思う。
・真千子が子を失ったシーンも映されないし、多くを観客に委ねている。
・但し、しげきと真千子が道迷いした奈良の森や、茶畑の緑は鮮烈であり印象に残る。
・夜は二人で抱き合いながら暖を取るシーンも良い。”生きてるんだな・・。”
■二人が道迷いになりながら、鉄砲水に会うシーンで、真千子は子を川で亡くしたのだろうと推測出来る。
<二人が、しげきの妻が眠る森で土を掘り、しげきが妻が亡くなってからの日記を積み上げ、真千子にオルゴールを渡し、しげきは掘った穴の中に身を丸くして入るのである。
今作は、生と死の結び目を描いた物語でもある。>
疑惑
個人的に疑惑の映画。昔見たとき「なんかちがうぞ」と思った。あんを見てセンチメンタルポルノの作家だと知ったが、それまでは(この監督がなにかを)持ってるのか持っていないのかが正直わからなかった。当時海外の批評家もほめるのに苦心していたと記憶している。
とても「なにかを持っていそうな」映画だった。
ところでカンヌにゆかりある監督というと、今村昌平、大島渚、是枝裕和、黒沢清、河瀬直美、濱口竜介・・・。
カンヌの受賞歴は海外進出のきっかけにもなっていて大島渚はマックス、モン・アムール(1986)を、黒沢清はダゲレオタイプの女(2016)を、是枝裕和は真実(2019)を撮っている。今村昌平も海外企画のオムニバスに参加したことがある。濱口竜介もいずれ海外で映画をつくるだろう。
では河瀬直美はどうだろう。
登壇頻度からして最もカンヌにゆかりのある監督は河瀬直美である。
が、海外シゴトがほとんどない。(いちおうvisionが日仏合だがビノシュが出ているだけ)
個人的な憶測だが、河瀬直美はなんらかの根回しによってカンヌに好かれているのだろう──と思っている。
撮影にはアーティスティックな興趣があるとはいえ、作風はいずれも旅芝居。感傷が前面にでてしまう話。いわゆるお涙頂戴である。外国人がそれを解らないはずがない。
『北野武や是枝裕和ら映画監督の作品を手がけたプロデューサーのエンガメ・パナヒに脚本を持参して子連れで渡仏、直接面談の出資交渉の席で「あなたと組みたい」と口説いたという。パナヒは、ローラン・グナシア(アニエス・ベーのカルチャー・コミュニケーション・アドバイザーを経て、会社「ラボワット」を経営しているアート・ディレクター。2007年2月26日に寺島しのぶと結婚)を通じ、フランスの映画会社セルロイド・ドリームに紹介された。また、日本の文化庁やフランス側の公共行政機関「フランス国立映画映像センター(Centre national du cinéma et de l'image animée)」からも助成を受けている。
(中略)
ニューヨーク・タイムズは同作の受賞を評し「大きな驚き」(the biggest surprise) と表現した。』
(ウィキペディア「殯の森」より)
積極的な自己アピールの甲斐あって殯の森はカンヌのグランプリを獲った。
同ウィキには『「審査ではすごいバトルもあったらしい」と伝えたが』との一文がある。とうぜんそれは純粋な品質で推す審査員と、懇請された審査員とのバトルであったことだろう。NYタイムズの「驚き」の評は端的にこの授賞の奇を伝えている。
さいきん(2022/04)文春砲で朝が来る撮影中のスタッフへの暴行(腹蹴り)が報道されたが、その後本人の釈明があった。
『両手が塞がって自由が効かない河瀬にとって、急な体の方向転換は恐怖でしかなく、防御として、アシスタントの足元に自らの足で抵抗しました。その後、現場で起こった出来事を両者ともが真摯に向き合い、話し合った結果、撮影部が組を離れることになりました。撮影を継続させるための最善の方法だと双方が納得した上でのことです』
(報道より)
おそらくこの問題は、腹を蹴ったか、別のばしょを蹴ったか、あるいは何もなかったか──ではなく、この人が「文春にチクられてしまう人物」であることだろう。
そういうパワーバランスで仕事をしてきたゆえに、うらみをかかえたスタッフの誰かに文春にチクられてしまった、わけであって、かのじょの蹴りがどこへあたったか、あたらなかったか──は関係がない。
でなければ、どこを蹴ったのかわからないような瑣末時を、文春に暴露されるはずがない。
言うまでもないが人間、ヤな奴でなければ文春にチクられはしない。
すなわち園子温のセクハラなど、一連の告発に乗じて、日本の不良映画監督が挙がり、河瀬直美がそのひとりだった──という話である。
そのあと、東京五輪の公式記録映画「東京2020 SIDE:A」がカンヌ映画祭で上映される──とのニュースが入ってきた。
『河瀬直美監督(52)が手掛けた東京五輪公式記録映画「東京2020 SIDE:A」が、カンヌ映画祭(フランス、17日開幕)クラシック部門で上映されることが決まった。映画祭事務局が2日(日本時間3日)発表した。
映画史に残る名作の復刻版の紹介を目的に04年に始まった部門で、13年に小津安二郎監督の「秋刀魚の味」(62年)、15年に黒澤明監督の「乱」(85年)など劇映画の名作を上映。14年に市川崑監督が手掛けた64年の東京五輪記録映画「東京オリンピック」(65年)も上映された。』
(2022/05/03の報道より)
河瀬直美監督はこの報道に寄せて──
「ドキュメンタリーであり五輪文化遺産財団で永久に保存される作品。文化遺産としての映画を選ぶ部門に新作にもかかわらず選んでいただいたのは、この映画に託された時代の証言を未来永劫(えいごう)100年先までも語り伝えたいと評価してくださった表れ」と喜んだ。
──とあった。
『この映画に託された時代の証言を未来永劫(えいごう)100年先までも語り伝えたいと評価してくださった』──とは河瀬直美監督自身の希望的観測にもとづく発言である。けっしてカンヌ事務局がそう言ったわけではない。
東大での祝辞「ロシアを悪者にすることは簡単」発言も、BS番組「河瀬直美が見つめた東京五輪」での不適切字幕での件もふくめ、とても胡散臭い人。
だが、権威あるアワードやプライズを獲ることは、その人物を大物に見せるし、いったん獲ると、その権威の庇護下でずっと生きられる。
ただし当人に小物の自覚がないと叩かれる。──という話。
人は、生まれる前はどこにいたのだろう?
奈良の山間にあるグループホーム“ほととぎす”。おじいちゃん、おばあちゃん達は軽度の認知症。その中の一人、しげき(うだしげき)は33年前に妻・真子が亡くなってからずっと彼女の面影を心の奥にしまいこみ生きていたのだ。新しくホームにやってきた介護福祉士の真千子は、しげきの妻との思い出が詰まった大切なリュックを何気なく手に取ってしまい、彼に突き飛ばされてしまう。
自信を失いかけた真千子に、主任の和歌子(渡辺真起子)は静かに見守り、「こうしゃなあかんってこと、ないから」と励ます。茶畑でのかくれんぼなどによって、次第に打ち解けていく真千子としげき。しげきの妻の墓参りへと真千子が連れていくことになったのだが、その途中車が脱輪して、彼女が助けを呼びに行っている最中、しげきが姿を消してしまう・・・
視覚的には緑が映え、鳥のさえずり、穂のざわめき、川のせせらぎといった聴覚効果によってとても癒される。これによって、しげきの失踪という慌しい事件もどこか神秘的な方向へと進むのです。まるで『もののけ姫』に出てくるような奥深い森。迷った二人は雨にもたたられ、洞穴の中で一晩過ごすことになってしまう。一瞬、ドキッとさせられる映像にも温かみが感じられ、二人のスキンシップによって生きていることを実感させられた気分にも。
“殯”という意味は最後に明らかになるのですが、「喪も上がり」が転じて死者の霊魂を慰めるといったようなこと。死んだらどこへ行くのだろうという老人の素朴な疑問よりも、「生まれる前はどこにいるんだろうね」という言葉のほうが新鮮でした。生まれて死ぬことを繰り返すと人口密度も高くなって居場所さえなくなりそうだ。33回忌というのは故人が仏の道に入る意味もあり、これを機会に供養を打ち切ることが多い。その節目の法要ということもあったのだろうか、しげきにとっては妻を土に帰すような自然な行動をとったのです。
真千子は幼き我が子を亡くしてしまった過去を持つだけに激流で泣き叫ぶところは観客であってもドキリとするし、しげきが墓標を見つけたシーンなどは観る者にとっても嬉しく思えてくる。ただし、生と死に関するテーマはいくつもの捉え方ができそうだし、墓標が本当は何だったのかもわからない。また、終盤にはファンタジーも感じるけど、認知症患者の頭の中を理解するためには必要なのでしょう。想像するに、自分の日記も土に埋め、妻とのお別れをしたのだから、しげきの認知症は今後加速するのでしょう。これからが大変だぞ、真千子!と励ましたくもなりますが、介護することによって生きている実感を味わえるのだと思います。
河瀬直美監督の舞台挨拶付だったので、撮影に関するエピソードも興味深く拝聴できました。グループホームでは、ほとんど素人の演技をリアルにするため、スタッフと寝食をともにし打ち解けてから撮影に入ったとのこと。これは是枝裕和監督の『誰も知らない』の手法と同じではないですか!とにかく、素人の演技に脱帽・・・
【2007年10月映画館にて】
タイミングを選ぶ映画
観る時やコンディションを選ぶ映画だなと思った。
また、観客の技量さえも量る映画。
最初は発展していく物語なのかなと思って観ていたら
浄化する映画だった。
多くを語らない河瀬直美監督らしい
潔さや真摯さをひしひしとかんじる作品だった。
幻想的
私は生まれてからずっと都市部で生活しているので、山村には旅行でしか訪れた事がありませんが、熊野古道や白神山地、祖谷で感じた山への畏怖を今作を鑑賞して思い出してしまいました。それくらい河瀬監督のフィルムは素晴らしいと思います。
フィルムがとても美しく幻想的に日本を映していたし、個性が強い作品なのでカンヌ好みだなあと納得しました。一般受けするのは、「あん」だとは思いますが、ひっそりと生きる人への優しい眼差しは一貫して変わっていませんね。尾野真千子さんも良かったです。
「あん」「光」と観て感銘を受け、本作品を観ました。 生と死がテーマ...
「あん」「光」と観て感銘を受け、本作品を観ました。
生と死がテーマだそうですが、自分には全く心に響くものがありませんでした。ただひたすら汚いおじさん(失礼)と尾野真千子がワンワン言いながら、森の中を追いかけっこしてるだけの映画でした。
茶畑の絵が綺麗だったのでプラス0.5点。
森が美しい・・・
以前 河瀬監督の「玄牝」を観て 彼女のことは気になってました
レンタル店で 彼女の作品が目に留まり 観ることにしました
はてしなく広がる森の風景が美しくて 自分も森の中に
迷い込んでしまったような感じもしてしまいました
初めはまるでドキュメンタリー映画のように淡々と話が
進んでいくので グループホームの生活を描いていくのかと
思いきや 突然話がかわって
子を失った母親と33年前妻を亡くした認知症の男性の
物語となっていくのですね
しげきさんの演技に圧倒されて この人は実際の人物かと
思ってしげきさんを調べてしまいました(笑)
あれは演技だったのですね
万人向けではないですが こういう話もありだなと
監督の力量に感動しました
他の作品も観てみたいです。
彡☆日本の自然は、かくも美しい彡☆
お茶畑や森、そして鳥のさえずり。
映像の美しさに癒され、見惚れてしまいました。
不慮の事故、墓を探す、などテーマには気付きました。
ただ、それよりも「これは日本でしか撮れない映画だろうな」
というところが、気になって仕方がありませんでした。
そして、主演女優、尾野真千子さんの、透き通った美しさ。
実に、奈良の緑マッチしているのです。それも、適当な表現が、
見当たらないくらいに。
カンヌのことは、一切気にせずに、
音とスクリーンに映し出された画をいとおしむ、
そんな作品に思えました(笑顔)
喪があける森。
昨年のカンヌ国際映画祭(審査員特別グランプリ)受賞作品。
どこかでかかるんじゃないか(近場で)と思っていたんだけど、
その気配がなく、名画座か?と思っていたらNHKでかかった。
それを録画して…しばらく経って^^;やっと観ることが出来た。
この監督の作品は以前もカメラドールを受賞しているらしいが、
観たのは初めて。ものすごい独自性をゾッとするほど発揮する、
いかにもカンヌの審査員が好みそうな作品…という感じがした。
その映像センスとドキュメンタリータッチの構成が、なんとも
いえない空気感を醸し出しているため、観る人を選びそうな…
なんというか、万人受けする作品ではないな。そんな感じだ^^;
ただ、この人の描きたかったことはその映像から真っ直ぐ伝わる。
実にシンプルでよけいな説明など何もない。どうぞ観てくれ!
それが最初から最後まで一貫している。その潔さには拍手喝采。
迷いのない構成は、それが監督が最も描きたい真実だったから
なんだと冒頭のインタビューで分かった。
自身の育ての親?といわれるお婆ちゃんとの同居生活と介護、
その実際を自分が肌で感じたことをありのまま映像にのせている。
認知症にしても、よく映画で描かれる美しい呆けなんてないのだ。
33年前に亡くした妻を想い続ける認知症のしげき(うだしげき)と、
幼子を失い、介護福祉士としてやってきた真千子(尾野真千子)が
深い森の中で殯(喪上がり、ともいう)の儀式を行う幻想的な風景。
大切な何かを失った人間には、それをどうにか表現することでしか
埋められない哀しみがある。無理に忘れようとしなくても、いずれ
時が解決してくれることではあるが、いま渦中にいる人間の想いを
どうしてあげればよいのか。それは他人には計り知れないことだ。
難しいテーマを、これまた唯我独尊状態で描いた^^;力作だけど、
物事を表現する力とそれを観客が楽しむ想像力に、ひらきがある。
エンターテインメント性を求めるか、独自性をさらに追及するか、
監督ならずとも、深い森を彷徨ってしまうようなテーマですね^^;
(私はけっこう好きかもしれないな。冒頭の長まわしは異様に重厚。)
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