劇場公開日 2007年6月23日

ラッキー・ユー : 映画評論・批評

2007年6月19日更新

2007年6月23日よりシネマスクエアとうきゅうにてロードショー

陰惨になりやすい世界を微笑と苦笑の風が吹き抜けていく

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映画の電圧が高いわけではない。火傷しそうな緊張感が伝わってくるわけでもない。ポーカーが題材なのに、と不満げに口をとがらせる人はいるかもしれない。だが一方では、ポーカーのだるさがよくわかる、いつまでたっても勝負がつかない感じもよくわかる、と思う人もいるのではないか。

「ラッキー・ユー」は、口のなかに不思議な後味を残す映画だ。いま述べたように、ペースはゆるい。「シンシナティ・キッド」や「ラウンダース」と比べても、格闘技的要素(肉を斬らせて骨を断つ)や短距離走的印象(勝負は一瞬で決まる)はかなり薄い。散歩のように、とまではいわぬにせよ、主人公ハック(エリック・バナ)の生活と勝負はたらたらと進んでいく。なるほど「引くべきところで引けない」という性格的欠陥は指摘されている。父親でも師匠でもあるL.C.(ロバート・デュバル)との対決という「ポーカー映画」の定石も押えられている。が、監督カーティス・ハンソンの眼は、どこか別の場所に向けられているようだ。

だからこそ、ハックと歌手ビリー(ドリュー・バリモア)との恋も、物語の柱を背負わない。むしろ彼女は、父と子の戦いを見届ける役を担わされる。その父子対決も、骨肉相食む死闘にはならない。つまり「ラッキー・ユー」は、いつ陰惨になってもおかしくない世界を描きつつ、微笑や苦笑の風を吹き渡らせている。描かれているのが1950年代のワーナー映画に出てきそうな世界なのに、描く際のタッチが、まるであの時代のTVが得意としたファミリー・ドラマなのだ。ハンソンは、「執念と職業の溶かし方」について考察をめぐらしていたのだろうか。だとすれば、「ロッキー的栄光の不在」や「破滅の不在」にも納得がいく。ポーカーは今日で終わらず、生活も明日で終わらない。

芝山幹郎

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