LONDON CALLING ザ・ライフ・オブ・ジョー・ストラマー : 映画評論・批評

2007年9月4日更新

2007年9月8日よりアミューズCQNにてロードショー

パンクはロンドンなくしては存在しなかったことを改めて思い起させる

そもそもジュリアン・テンプルという監督は、自分が本当に惚れぬいたものしか撮れない男だ。「MTV監督」というレッテルが災いし、正統的な評価がいまだになされていない感があるが、近年の充実した作品を観るかぎり、自己の感情にいたって正直なクリエイターなのは確か。

その格好の証明となるのが「グレート・ロックンロール・スウィンドル」(79)、そして20年後の「NO FUTURE」(00)だろう。セックス・ピストルズと行動と創造を共にした者だからこそ捉ええたパンク・ムーブメントの虚と実。そこで軋んでいた時代の痛みは、もうひとりのカリスマ、ストラマーの道程を描く本作でより顕著なものとなる。外交官の子息であるという逆の劣等感から社会意識・芸術意識が生まれたこと、“スクワッティング(区画整理されたアパートを不法占拠する)”なる反体制運動下でのバンド活動が「ザ・クラッシュ」に発展したこと……など、パンクはやはりロンドンという街なくして存在しなかったことを改めて思い起させるだろう。

ジョニー・デップ、スティーブ・ブシェーミ、スコセッシら映画人の言葉も音楽関係者に劣らず的確で含蓄深いが、そんな有名無名ごたまぜの証言者たちはストラマーの愛したキャンプファイアの元に集い、暖かな灯影の中で和やかに語りあう。次第に拡がっていく焚火の輪こそが最終的にストラマーの目指した世界であるのをはっきり示して、テンプル監督、なかなか洒落た趣向である。

(ミルクマン斉藤)

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