ダイ・ハード4.0 : 映画評論・批評
2007年6月19日更新
2007年6月29日より日劇1ほかにてロードショー
円熟のB・ウィリスが新たに体現した“父性”という格好良さ
あの愛すべきジョン・マクレーンが帰ってきた。無数の亜流作品を生んだ超人気シリーズだけに、これまで以上のスケール感を打ち出しつつ、二番煎じにならないストーリーを創造するのは容易でなかっただろう。そこで製作サイドがひねり出したのは、全米をパニックに陥れるサイバー・テロだった。このアイデアは秀逸だ。アナログVSデジタルの構図で、我らがオールドファッション・ヒーローを21世紀の観客にアピールするという寸法だ。
仕上がりに不満がなくはない。劇中でマクレーンが絞り出すアナログ的発想の知恵といえば、消火器を撃って敵を吹っ飛ばすシーンくらいなもの。今回の彼は猪突猛進の不死身男で、戦闘シーンにおいてはアナログVSデジタルの対比はほとんど生かされていない。
その一方で興味深かったのは、マクレーンがこれまでにない包容力を発揮していたことだ。拉致された娘のみならず、生意気な若造ハッカーをも包み込むおおらかさ。筋金入りの「ダイ・ハード」マニアだというレン・ワイズマン監督による“マクレーンにこんな危機を切り抜けさせたかった”欲望丸出しの無邪気なスペクタクルにも、「ああ、いいぜ。お前が望むならやってやろうじゃないか」と言わんばかりの余裕が感じられるのだ。マクレーン=ブルース・ウィリスが新たに体現した“父性”というアナログな格好良さ。その頼もしさには、シリーズ初体験の若い映画ファンも大いに痺れることだろう。
(高橋諭治)