ホテル・ルワンダのレビュー・感想・評価
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信じられない
この話がたった20年程前のことであるというのは全く信じがたいことに思えました。多くの人が殺され、しかもその多くが軍ではなく武装した民兵によるものであるというのがさらに信じられないというか、信じたくない現実でした。
とても観ているのもしんどくなるような作品でしたが、目を反らしてはならないものだと思います。もっとこのことを知らないとけないなと思わされました。
印象的だったのはフツ族とツチ族が一緒で友人関係のシーンや国連の人が言った、「ニュースをみても怖いねと言うだけで夕食を続ける」という言葉でした。ほとんどの人がこの言葉のままで、思うだけならなにも変わらないんだと強く思わされました。
ルワンダのシンドラー
これが現実
「ニュースを見てもみんなこわいねって言ってディナーを続けるよ」
この言葉が一番ぐさりときたかもしれない。
まさにその通り。私たちにはなにもできない。
このような卑劣な大虐殺。
誰が悪いわけでも良いわけでもない
というよりなにが悪くて悪くないのかもわからないようなもの。
私はこの事件をこんな映画で客観的にしか見ることができない。こんな経験をしたこともない。
これはフツ族もツチ族も双方になにかしらの想いがあったのは確かで、でもこんな悲惨な事態になってしまったのは、自分の想いで動かなかった人間たち。みんながやるから私もやる。そんな流れでこんな人を殺してしまった人たち。近隣国で見て見ぬふりをしていた政府の人たち。
でも、
もし助けたら自分が死ぬ。
そんな危機に陥ったら、こうせざるを得なくなるのかもしれない。そんな流れを作った大衆にも問題がある。でもそれはどうしようもないことで、物事の流れがそうなってしまった。
しかし、それに反して自分が死んでもいいから大切な人を守ろうとする人もいる。そこまで大切な人がいること。この勇気が全ての人に備わってるわけではない。
どちらが正しいわけでもなく。
人は思っている以上に悪く、
人は思っている以上に良い。
A (ルワンダ大虐殺を知らない方!みましょう)
差別
ホテルマンの奮闘ぶり
アフリカ、ルワンダでの大虐殺を描いた作品。
ツチ族とフツ族という勝手な線引き上で、争いが激化していく。先進国も見て見ぬふりをしようとする。
そんなとき、一人のホテルマン、ポールができることはいったい何か?
大きすぎる問題に対する、やり切れない思いや無力感が、ひしひしと伝わってくる。
そして、あらゆる手段を用いて家族や避難民を助けようとする彼の奮闘ぶりに、心を動かされること間違いないだろう。
家族や従業員の前では、常に冷静であるよう努めるポールだが、川沿いで多くの死体を発見したり、家族が飛び降りてしまったと思われたりしたときは、動揺を抑えきれず、取り乱す。
そんな彼の熱演は、まさに必見。本当に心が熱くなる。
覚悟をして見ましたが
民族紛争の悲惨さをニュースなどで料理され、ものすごく客観的にしか把握してこなかった自分にはかなり衝撃な映画でした。
ごく些細なことから隣人を憎み、殺し合いにまで発展してしまう、しかもそれがついこの前まで、そして世界の何処かでまだあると思うとぞっとしました。
最後までかなりストレスを受けながら見ましたが、史実をちゃんとうけとめることを改めて確認しました。
日本の島国環境で育ち、ニュースの文言でしかこの事件を知らない人は一度通過してはいかがでしょう。
現実を知らしめるきっかけ
総合:80点
ストーリー: 90
キャスト: 75
演出: 75
ビジュアル: 75
音楽: 65
3ヶ月程度の短期間に100万人とも言われる(諸説あり)大量の人々が虐殺されたという、人類史上に残る残虐行為。あまりにたくさん殺されたために正確な数などわかりはしない。
ナチス・ドイツですら600万人のユダヤ人を殺すために専門施設を作った上で数年かかった。しかしここでは近代的大量破壊兵器を使うことなく、銃や蛮刀で一人一人殺していった。殺された人々の殆どが民間人であり、殺したほうも軍人ばかりでなく民間人である。むしろ組織的に統治されることがなかった民間人のほうが、歯止めがないためにより残虐に好き放題に殺しを行ったとも言われる。
それがつい最近起きた事実だというのに、日本人はそれを知らない人すら多い。さらに残念なことは、ルワンダの虐殺は例外的行為ではないことである。シエラレオネ・ナイジェリア・ダルフールなどで似たようなことが行われている。これが全てではない。映画の存在価値は娯楽だけではない。「ブラッド・ダイヤモンド」や「ティアーズ・オブ・ザ・サン」もそうだが、そのような事実を知らしめ、人々に関心を向けさせる上でもこの映画は価値がある。
映画は事実を基にして作られた。100万人の虐殺を前にしたとき、これはほんのささやかな成功物語に過ぎない。それでも死線の上にいる人が行った、その状況における精一杯の勇気の挑戦を知らしめる。少しの判断の失敗が死につながる綱渡りの緊迫感を見ることが出来るだろう。
“信愛と憎悪”この両極端の心理が存在するからこそ人間は生きる意味が在ると思う。
社会性を全面に打ち出した重々しい議題のため、大衆受けする娯楽性豊かな映画を重んずる配給会社に敬遠され、当初、日本では公開するメドするが無かったそうだ。
しかし、そういう業界の方針に憤った映画ファン達が
「この作品を観て、平和に改めて考えよう」
と、ネットで呼び掛け続け、紆余曲折紆余曲折を経て、公開が実現した苦労が有るだけに、サールナートホールで鑑賞した際、人が人を憎しみ、傷付け合う事の愚かさに圧倒された。
そして、どんな状況においても人を信じ、愛し合う大切さも実感した。
“信愛と憎悪”
この両極端の心理が存在するからこそ人間は生きる意味が在ると思う。
同時に殺し合う意味は一切無いはずである。
だが、そんな平和論は机上の空論に過ぎない。
悲しい現実に死を恐れず、挑んだ主人公
の勇気に誰もが心を揺さぶられてしまう。
94年当時、私は高校生だったからよく覚えている。
この頃、湾岸戦争が終結したものの、サラエボ、ソマリア、ボスニアetc.多くの国で民族紛争が勃発していた。
今回の舞台、ルワンダでも、たった100日間で100万人以上もの罪無き人々が、女子供関係無く、ナタで有無を言わさず、頭を割られ、惨殺されている。
そもそも紛争の根本であるフツ族とツチ族の違いなんざぁ、かつて植民地に治めていたベルギーが、労働力として競争意識を高めるため、対立関係を煽ったり、差別化するキッカケに、かなりテキトーな基準で区別したって、『虎ノ門』で今作を取り上げた井筒和幸監督は話していた。
「そんな自分勝手なやり方で人間を支配するなや!」とも論じていた。
ホンマその通りである。
弱き民衆を救うのが当然であるべき警察も政府も国連軍も、各々の私利私欲の為にしか動かず、一切守ってくれない。
主人公は商売柄、持ち前の話術と機転を武器に、たった独りで危機を乗り越えようと奮闘する。
しかし、そんな微々たる力では進展できない。
結局、逃げ場の無い悲しみに包囲され、神に救いを求め、祈り続ける事しかできない。
現在も虐げられているイスラムやユダヤの人々が、盲目的に宗教へ走ってしまう理由が何となくだが、解ったような気がする。
では最後に短歌ではなく、偉人の言葉を記してサゲるとしよう。
『お前らはいとも簡単に人を殺しまくる。こっちは人1人の命を救うのがやっとだというのに』
by手塚治虫/ブラックジャックより
「何族ですか?」「ツチです」「お友達も?」「私はフツよ」
映画「ホテル・ルワンダ」(テリー・ジョージ監督)から。
ルワンダ(アフリカ)の民族対立の凄さを痛感した。
私からみれば、同じに見える「ツチ族」と「フツ族」の戦い、
これが、ほとんど実話だというから、驚くばかりである。
国同士の戦争よりも、より残虐な気がしたのは、
銃などの武器というより、ナタなどの刃物が使われたこと、
さらに、女、子どもも容赦なかったこと。
それが「1994年」(まだ約20年前)の話だというから、
ショックという言葉しか浮かばなかった。
と言いつつ、映画の中でも、争っている民族同士でも
結婚したり、友達同士がいたことは救われた。
そのワンシーンが、このルワンダの抗争を取材に来た人が
カウンターで仲良く話している女性2人にインタビュー。
「何族ですか?」「ツチです」「お友達も?」「私はフツよ」
堂々と、自分の民族を口にしても、関係に変わりはない。
なんだか、ホッとするシーンだった気がする。
戦う残虐シーンばかりが目立った作品であるが、
逆に、この会話を選ぶことで、その凄まじさが蘇る。
「残虐行為の映像をみれば、必ず助けにくる」は思い違い。
「世界の人々は、あの映像をみて『怖いね』というだけで、
ディナーを続ける」という台詞には、さすがに参ったなぁ。
平和な国に生まれ育った自分のありがたさを痛感
“アフリカのシンドラー”とも呼ばれるものだけど、『シンドラーのリスト』と違って、これはたかだか10数年の話。悲惨なルワンダの国状も衝撃的で、そんななかで多くの人々を救ったポールの原動力になっていたのは、妻や子どもたちへの“愛”なんだなあ…と。
ある意味、それは人としてもっとも当たり前の行動なのかもだけど、自分の命すら危ういなかでそのような行動を取ることができる勇気と行動力は、結果としてこのようなドラマになるほどのもの。そして、ドラマになりうる前提として、これが“真実”であると思うと、ますます痛ましい…。平和な国に生まれ育った自分のありがたさを痛感。
途切れることない緊張感といい、ポールの家族を守ろうとする愛情といい、サスペンスとしてもドラマとしても見応え満点。なのに、劇場未公開になるところだったとは、なんともはや…。
自分の無力さを感じた
とにかく観ろ!!
「哀しい」だの「泣ける」だの「涙が止まらない」だのといったような陳腐な言葉では表現できない。正に観終わって、言葉が出てこない映画だ。
何が恐ろしいって、この映画は実話がベース…と言うより、殆どが実話だということである。しかも、それは遠い過去のことではなく、わずか12,3年前の出来事…本当に、ついこの間の出来事なのである。この文明や、情報が進んだ現代社会で何の罪も無い人々が100万人規模で虐殺されたのだ。“民族根絶”などという、トンでもない妄想の為に。吾輩はルワンダの事情に詳しいわけでもないから、『そもそもどちらの民族が正しいのか?』なんてことは、語れない。しかし事の成り行きがどのようになっていようと、100万などという夥しい数の人命が一方的に奪われることなど、言語道断である。そのような事態を国際社会は“見て見ぬふり”をしていたのだ。これはハッキリ言って“同罪”いや、“それ以上の罪”を犯したことに相当すると思う。作中ジャックがポールに向けて言う台詞を聞いて、戦慄を覚えた。曰く『君たちはアフリカ人だ、ニガーでさえない…』何と恐ろしい言葉だろうか!しかし現実とは、こんなモノなのだ。
ポールのことを“アフリカのシンドラー”と称す人がいるらしいが、あえて吾輩はその意見に異を唱えたい。シンドラーは、ユダヤ人を“労働力”として救っていた。しかしポールは愛する妻を、家族を、隣人をただ救いたかっただけなのだ。“虐殺”という理不尽で得体の知れない怪物から…。
公開に至る背景を抜きにしても感動的な1本
2004年のアカデミー賞やゴールデングローブで、各賞にノミネートされながらも、その高評価が裏目に出たために販売価格が高騰し、日本公開が危ぶまれていた本作は、その後、心ある一映画ファンの公開を求める働きかけをきっかけに、公開実現に至った作品だ。
もちろん、公開に至るまでの経緯も十分感動的なのだが、娯楽映画としても希有なクオリティに達している1本だということを力説したい。日本人には馴染みの薄い、遠いアフリカの地で起きた民族大虐殺が題材ということで「小難しそう」と、腰が引ける観客もいるかと思うが、1人の平凡なホテルマンが、極限状況に置かれながらも人間としての理性を保とうと努力し、何の罪のない人々を助けようとあの手この手を駆使し奮闘する姿は本当に感動的だ。
さらに付け加えるならば、主演のドン・チードルがとにかく素晴らしい。最初はただの臆病者だった男が、神々しくさえ見えていく過程を見事に演じきった彼に拍手を送りたい。
実話をもとに、人間の闇と光を描いた作品。
最近、ネット上での過激な反応。中には事実無根な記事を基に紛糾する。正義の皮を被った批判、煽り。
この虐殺でも、ラジオに煽られての凶行が被害を拡大した。
人間て、世界共通なのだなあと思いつつ、この凶行は昔のことではなくて、今まさに起こっていること。
ネットを含む不確実な情報に踊らされて、人を害する側に回るのか、自分の大切な人を中心に、世界を救うのか。
生き方を選ぶためにも、この映画を観て欲しいと切に願う。
≪2025年2月1日追記≫
★ ★ ★
感動なんて言葉では言い表せない。胸に棘が刺さったような感覚。目を背けたい、でも背けちゃいけない、背けられない。
窮地に立たされた一般市民が何をするか、
世界が、この国で起こっていることに何をしたか、
私ならどうするのだろうと考えるととても重い。
「自衛権?」実はこれほど怖いものはないと思う。
「やらなければやられる」その煽られた恐怖感で一気に加速したジェノサイド。
それを煽ったラジオ放送。
徐々にそれが日常化して、正義化して、英雄化されていく様。
簡単に手に入る鉈。どこから来るのか?
軍は本当に救うのか。
個人の判断。国としての判断。世界としての判断。
一度制圧しても、力のバランスによって再び起こりかねない惨劇。
「ある日隣人が突然私を殺しに来る」なんて書くとホラーのようだけど、実話。
DVD特典の、監督とモデルとなったルセサバギナ氏の対談で、終始ルセサバギナ氏は「実際は映画よりひどかった」というメッセージを発していたように、事実を追いながらも、監督のメッセージを明確に出した作品になっている。「皆に観てもらいたかった」から、あえてエンターテイメント的に演出したそうな。
スプラッター的な直接描写はない。その様子を見た側、その場にいる恐怖の演技他でそれを想像させる。
そんな中に挟み込まれる子どもたちの歌と踊り。
ポール氏達の物腰の柔らかさ。
テュベ氏のほっとさせる雰囲気(コメディアンだそうですね)
緊張感続く展開に、ちょっと息抜きができる。
だからこそ、余計に、このジェノサイドが虚しく、やるせなく心に響く。
監督の意図のもとに切り取られた印象的なエピソードが丁寧に要領よく構成されている。
事実をすべて描き込むのではなく、ポール氏に起こることを中心に。だから、ポール氏目線の様々な感情ー絶望感・焦り、それでもの足掻きに共感しやすくなっている。
ニュース制作者。
国連軍の不公平性…。
現場で右往左往するNGO・国連軍の人々のやりきれなさ。
民族紛争の原因・背景…。
外資系のこの”ホテル”に宿泊できるだけの、この国での有力者でありながらも、何もできずに助けを待っている人々。ポール氏目線で描かれているからであろうが。
そんな物語の中で、胸に突き刺さる珠玉の言葉が散りばめられている。
職務に誇りを持ち、家族を愛しているごく普通の男が巻き込まれた出来事。
初めから信念に基づいて多くの人々を匿ったわけではない。迷い、恐怖、絶望…。妻の、隣人の、避難してくる人々の、信頼・懇願。あんな目を向けられて、あんな極限状態で、私はその期待に応えられるのだろうか…。
そして、あのジャーナリストだったら?
国連軍の将校だったら?
NGO職員なら?
ニュースの視聴者として?
オープニングのリズム感溢れる音楽が耳を離れない。子どものお遊戯も印象的。もともとルワンダはこんな豊かな文化を持った国。なのに、何故…。
フツ族とツチ族の争い。単純なものではない。虐げて、虐げられて…その繰り返し。それも、元々あった争いではない。植民地支配者の思惑により根付けられたものがこじれて…。
何かのひょっとした拍子に立場が簡単に入れ替わる。同じ大地に住む同じ顔した民族の争い。アフリカだけではない。アジア以外の国の人からすれば、日本人と周辺の国の人は「同じ顔した民族」。海外を旅行・住んで、何度チャーニーズやコリアンに間違えられたことか。ヨーロッパの地域紛争だって、私からすれば「同じ顔した人々の争い」他人にはわからぬ確執がマグマのように横たわりメンメンと続いている。
何故ジェノサイド?子どもまで?NGO職員が言う。「だって残しておいたら、その子が大きくなって殺しに来るかもしれない」やらねばやられる。やらねば、周りから異端者扱いされて自分が仲間からやられる。そんな恐怖感から正常に判断なんかできない。何が善で何が悪なのか。ルワンダだけじゃない。『硫黄島からの手紙』にあったようにヒステリー状態での自決・アカ狩…日本にだってあった。ヨーロッパやアメリカだって魔女狩りとか…。いや、いじめだって同じ構図。コロナの恐怖にあおりを受けた自粛ポリスも…。
こんな事態に何かせねば。
「国連軍が助けに来る」確かにね。一時的な生命確保・暴走抑止にはとても力強い味方。映画の中で国連軍将校が「何もできない」とおっしゃっていたけど、駐留しているだけでも抑止力になる。
でも、力でだけで解決したいじめは、時間が経つと必ず再燃する。そんな紛争は世界中でたくさん例がある。国連軍送れば解決という問題ではない。
何が紛争を長引かせているのか、この後この国はどうなっていくのか、この映画を見て皆で語り合う。自問自答する。歴史を学ぶ、情報を集める。それが第1歩。
1992年ノーベル平和賞受賞のグァテマラ女性リゴベルタ・メンチュウさんが経験したのと同じような虐殺から逃れて、グァテマラに留まって生活改善に尽力されていた女性が言っていた。「自分達のことは自分達で決める。もう、他の国の人々に翻弄されるのは嫌。でも、この国で何が起こっているか、全世界の人に知ってほしい。そうすれば軍(虐殺者)達は好き勝手なことはできない」
うん、それならできる。ニュースだって全てを載せることはできない。でも皆が関心持てば取り上げざるを負えない。政治家だって動かざるを負えない。それが世界を動かす。世界は、未来は私達が作る。(フェアトレードだって今は当たり前になってきた。)
1人の力は小さい。でも何もできないわけではない。
この映画のポール氏しかり。
この映画の日本での配給がかなった経過しかり。1人1人の声が事態を動かす。
いじめは、加害者と被害者と傍観者の三層構造になっていると良く言われる。傍観者が無関心だったり、黙殺したり、煽る方向に動くといじめはエスカレートする。けれど、雨降って地固まる程度の喧嘩が、いじめにエスカレートしないように見守り、ガス抜きし、解決策探るように動くならヒートアップしないと思うのは楽観的?
きな臭い話が勃発している今だからこそ、そんな意味合いも込めて、多くの人に観て、考えてほしい映画です。
☆ ☆ ☆
と、昔書いたレビューを引っ張り出して書き直したけれど…
改めて、『ホテルルワンダ』をチェックしたら、
ルセサバギナ氏が2020年に逮捕され、2021年9月に、テロ容疑で有罪判決を受けたというニュースを読んだ。
ベルギー政府とUSAが声明出したそうだけれど、日本では…。この映画comにもニュースになっていないし…。
日本の人権に対する意識の低さを改めて認識させられたし、
知らなかった自分も情けない…。
身近に起こるいじめ問題とかに忙殺されていたというのは言い訳…。
ルセサバギナ氏みたいにまずは足元の問題からというのも言い訳か?
でも、とりあえず、できることからやろうと、改めて誓うことにした。全部はできないもの…。
☆ ☆ ☆
《おまけ》
ルセサバギナ氏の片腕のような役やっていらしたテュベさん、他の映画にも出ないかなあ。見ているとほっとするの。いつまでも観ていたい。
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