ホテル・ルワンダのレビュー・感想・評価
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悲しいが歴史を知る上で見るべき
ルワンダ大虐殺をテーマにした映画 歴史は詳しくないが、ただただ悲しい 映画には実際の大虐殺の本物の映像が使用されており、リアリティがすごい。 ぜひみてほしい
信じられない
この話がたった20年程前のことであるというのは全く信じがたいことに思えました。多くの人が殺され、しかもその多くが軍ではなく武装した民兵によるものであるというのがさらに信じられないというか、信じたくない現実でした。 とても観ているのもしんどくなるような作品でしたが、目を反らしてはならないものだと思います。もっとこのことを知らないとけないなと思わされました。 印象的だったのはフツ族とツチ族が一緒で友人関係のシーンや国連の人が言った、「ニュースをみても怖いねと言うだけで夕食を続ける」という言葉でした。ほとんどの人がこの言葉のままで、思うだけならなにも変わらないんだと強く思わされました。
ルワンダのシンドラー
ほんの数十年前、この内戦が二つの民族に与えた過酷な運命と影響が、目を疑いたくなる程に酷く恐ろしい。まず、そこを訴えてくる映画でした。 主人公はじめ、何気ない登場人物の演技が物凄くリアル。恐怖でいっぱいのなか一人、奮闘する主人公を観ていると心が傷んだ。 心理描写も生々しく、何より台詞が重く、のし掛かってくる映画。 個人的に一度観れば充分な程、伝わるものがあった映画。
これが現実
「ニュースを見てもみんなこわいねって言ってディナーを続けるよ」
この言葉が一番ぐさりときたかもしれない。
まさにその通り。私たちにはなにもできない。
このような卑劣な大虐殺。
誰が悪いわけでも良いわけでもない
というよりなにが悪くて悪くないのかもわからないようなもの。
私はこの事件をこんな映画で客観的にしか見ることができない。こんな経験をしたこともない。
これはフツ族もツチ族も双方になにかしらの想いがあったのは確かで、でもこんな悲惨な事態になってしまったのは、自分の想いで動かなかった人間たち。みんながやるから私もやる。そんな流れでこんな人を殺してしまった人たち。近隣国で見て見ぬふりをしていた政府の人たち。
でも、
もし助けたら自分が死ぬ。
そんな危機に陥ったら、こうせざるを得なくなるのかもしれない。そんな流れを作った大衆にも問題がある。でもそれはどうしようもないことで、物事の流れがそうなってしまった。
しかし、それに反して自分が死んでもいいから大切な人を守ろうとする人もいる。そこまで大切な人がいること。この勇気が全ての人に備わってるわけではない。
どちらが正しいわけでもなく。
人は思っている以上に悪く、
人は思っている以上に良い。
A (ルワンダ大虐殺を知らない方!みましょう)
A ・ルワンダ大虐殺を知らない方は必見! ・軽い気持ちで扱える問題ではない(´・_・`) ・演技、台詞、映像→完璧☆ ・メディアの恐ろしさを実感 ・とても悲しいけどそれとともに人間に対する希望も感じられます。(くさいかも知れないけど本当です。) →ツイッター:@Joey_movies
差別
ツチ族とフツ族何が違うのか。私たち外国人からしてみたら違いはわからない。 きっと西洋諸国がツチ族にルワンダを治めさせようとするまではルワンダ国内でもツチ族もフツ族も仲良かったであろう。それが一度外国の安易な判断により何人の人たちが死んだのだろう。 何人であろうと何族であろうと同じ人間である。外国人だからといって危険だとか野蛮というのは間違いだ。しかしそうは言っても人種差別はこの世からなくならない。悲しい。 私たち日本人は無知すぎる。
ホテルマンの奮闘ぶり
アフリカ、ルワンダでの大虐殺を描いた作品。
ツチ族とフツ族という勝手な線引き上で、争いが激化していく。先進国も見て見ぬふりをしようとする。
そんなとき、一人のホテルマン、ポールができることはいったい何か?
大きすぎる問題に対する、やり切れない思いや無力感が、ひしひしと伝わってくる。
そして、あらゆる手段を用いて家族や避難民を助けようとする彼の奮闘ぶりに、心を動かされること間違いないだろう。
家族や従業員の前では、常に冷静であるよう努めるポールだが、川沿いで多くの死体を発見したり、家族が飛び降りてしまったと思われたりしたときは、動揺を抑えきれず、取り乱す。
そんな彼の熱演は、まさに必見。本当に心が熱くなる。
覚悟をして見ましたが
民族紛争の悲惨さをニュースなどで料理され、ものすごく客観的にしか把握してこなかった自分にはかなり衝撃な映画でした。 ごく些細なことから隣人を憎み、殺し合いにまで発展してしまう、しかもそれがついこの前まで、そして世界の何処かでまだあると思うとぞっとしました。 最後までかなりストレスを受けながら見ましたが、史実をちゃんとうけとめることを改めて確認しました。 日本の島国環境で育ち、ニュースの文言でしかこの事件を知らない人は一度通過してはいかがでしょう。
現実を知らしめるきっかけ
総合:80点 ストーリー: 90 キャスト: 75 演出: 75 ビジュアル: 75 音楽: 65 3ヶ月程度の短期間に100万人とも言われる(諸説あり)大量の人々が虐殺されたという、人類史上に残る残虐行為。あまりにたくさん殺されたために正確な数などわかりはしない。 ナチス・ドイツですら600万人のユダヤ人を殺すために専門施設を作った上で数年かかった。しかしここでは近代的大量破壊兵器を使うことなく、銃や蛮刀で一人一人殺していった。殺された人々の殆どが民間人であり、殺したほうも軍人ばかりでなく民間人である。むしろ組織的に統治されることがなかった民間人のほうが、歯止めがないためにより残虐に好き放題に殺しを行ったとも言われる。 それがつい最近起きた事実だというのに、日本人はそれを知らない人すら多い。さらに残念なことは、ルワンダの虐殺は例外的行為ではないことである。シエラレオネ・ナイジェリア・ダルフールなどで似たようなことが行われている。これが全てではない。映画の存在価値は娯楽だけではない。「ブラッド・ダイヤモンド」や「ティアーズ・オブ・ザ・サン」もそうだが、そのような事実を知らしめ、人々に関心を向けさせる上でもこの映画は価値がある。 映画は事実を基にして作られた。100万人の虐殺を前にしたとき、これはほんのささやかな成功物語に過ぎない。それでも死線の上にいる人が行った、その状況における精一杯の勇気の挑戦を知らしめる。少しの判断の失敗が死につながる綱渡りの緊迫感を見ることが出来るだろう。
“信愛と憎悪”この両極端の心理が存在するからこそ人間は生きる意味が在ると思う。
社会性を全面に打ち出した重々しい議題のため、大衆受けする娯楽性豊かな映画を重んずる配給会社に敬遠され、当初、日本では公開するメドするが無かったそうだ。 しかし、そういう業界の方針に憤った映画ファン達が 「この作品を観て、平和に改めて考えよう」 と、ネットで呼び掛け続け、紆余曲折紆余曲折を経て、公開が実現した苦労が有るだけに、サールナートホールで鑑賞した際、人が人を憎しみ、傷付け合う事の愚かさに圧倒された。 そして、どんな状況においても人を信じ、愛し合う大切さも実感した。 “信愛と憎悪” この両極端の心理が存在するからこそ人間は生きる意味が在ると思う。 同時に殺し合う意味は一切無いはずである。 だが、そんな平和論は机上の空論に過ぎない。 悲しい現実に死を恐れず、挑んだ主人公 の勇気に誰もが心を揺さぶられてしまう。 94年当時、私は高校生だったからよく覚えている。 この頃、湾岸戦争が終結したものの、サラエボ、ソマリア、ボスニアetc.多くの国で民族紛争が勃発していた。 今回の舞台、ルワンダでも、たった100日間で100万人以上もの罪無き人々が、女子供関係無く、ナタで有無を言わさず、頭を割られ、惨殺されている。 そもそも紛争の根本であるフツ族とツチ族の違いなんざぁ、かつて植民地に治めていたベルギーが、労働力として競争意識を高めるため、対立関係を煽ったり、差別化するキッカケに、かなりテキトーな基準で区別したって、『虎ノ門』で今作を取り上げた井筒和幸監督は話していた。 「そんな自分勝手なやり方で人間を支配するなや!」とも論じていた。 ホンマその通りである。 弱き民衆を救うのが当然であるべき警察も政府も国連軍も、各々の私利私欲の為にしか動かず、一切守ってくれない。 主人公は商売柄、持ち前の話術と機転を武器に、たった独りで危機を乗り越えようと奮闘する。 しかし、そんな微々たる力では進展できない。 結局、逃げ場の無い悲しみに包囲され、神に救いを求め、祈り続ける事しかできない。 現在も虐げられているイスラムやユダヤの人々が、盲目的に宗教へ走ってしまう理由が何となくだが、解ったような気がする。 では最後に短歌ではなく、偉人の言葉を記してサゲるとしよう。 『お前らはいとも簡単に人を殺しまくる。こっちは人1人の命を救うのがやっとだというのに』 by手塚治虫/ブラックジャックより
「何族ですか?」「ツチです」「お友達も?」「私はフツよ」
映画「ホテル・ルワンダ」(テリー・ジョージ監督)から。
ルワンダ(アフリカ)の民族対立の凄さを痛感した。
私からみれば、同じに見える「ツチ族」と「フツ族」の戦い、
これが、ほとんど実話だというから、驚くばかりである。
国同士の戦争よりも、より残虐な気がしたのは、
銃などの武器というより、ナタなどの刃物が使われたこと、
さらに、女、子どもも容赦なかったこと。
それが「1994年」(まだ約20年前)の話だというから、
ショックという言葉しか浮かばなかった。
と言いつつ、映画の中でも、争っている民族同士でも
結婚したり、友達同士がいたことは救われた。
そのワンシーンが、このルワンダの抗争を取材に来た人が
カウンターで仲良く話している女性2人にインタビュー。
「何族ですか?」「ツチです」「お友達も?」「私はフツよ」
堂々と、自分の民族を口にしても、関係に変わりはない。
なんだか、ホッとするシーンだった気がする。
戦う残虐シーンばかりが目立った作品であるが、
逆に、この会話を選ぶことで、その凄まじさが蘇る。
「残虐行為の映像をみれば、必ず助けにくる」は思い違い。
「世界の人々は、あの映像をみて『怖いね』というだけで、
ディナーを続ける」という台詞には、さすがに参ったなぁ。
平和な国に生まれ育った自分のありがたさを痛感
“アフリカのシンドラー”とも呼ばれるものだけど、『シンドラーのリスト』と違って、これはたかだか10数年の話。悲惨なルワンダの国状も衝撃的で、そんななかで多くの人々を救ったポールの原動力になっていたのは、妻や子どもたちへの“愛”なんだなあ…と。 ある意味、それは人としてもっとも当たり前の行動なのかもだけど、自分の命すら危ういなかでそのような行動を取ることができる勇気と行動力は、結果としてこのようなドラマになるほどのもの。そして、ドラマになりうる前提として、これが“真実”であると思うと、ますます痛ましい…。平和な国に生まれ育った自分のありがたさを痛感。 途切れることない緊張感といい、ポールの家族を守ろうとする愛情といい、サスペンスとしてもドラマとしても見応え満点。なのに、劇場未公開になるところだったとは、なんともはや…。
自分の無力さを感じた
大量虐殺。 94年の出来事。 遠い昔の話じゃない。 部族同士の争いも悲しいけれど 見捨てる アメリカ、フランス、、 他人ごと。 救う価値がない? 人の命を平等にみれない世界。 虐殺の映像をニュースで世界に流して これで助かったと思うポール でもマスコミの人が言ったのは ニュースを見てもみんな怖いねって言ってディナーを続けるよ あたしもだ。 毎日世界で起きる事件をみても 怖いねって…それで終わり。 何か行動を起こさないと。 でも何をすれば? 自分の無力さを感じました。
とにかく観ろ!!
「哀しい」だの「泣ける」だの「涙が止まらない」だのといったような陳腐な言葉では表現できない。正に観終わって、言葉が出てこない映画だ。 何が恐ろしいって、この映画は実話がベース…と言うより、殆どが実話だということである。しかも、それは遠い過去のことではなく、わずか12,3年前の出来事…本当に、ついこの間の出来事なのである。この文明や、情報が進んだ現代社会で何の罪も無い人々が100万人規模で虐殺されたのだ。“民族根絶”などという、トンでもない妄想の為に。吾輩はルワンダの事情に詳しいわけでもないから、『そもそもどちらの民族が正しいのか?』なんてことは、語れない。しかし事の成り行きがどのようになっていようと、100万などという夥しい数の人命が一方的に奪われることなど、言語道断である。そのような事態を国際社会は“見て見ぬふり”をしていたのだ。これはハッキリ言って“同罪”いや、“それ以上の罪”を犯したことに相当すると思う。作中ジャックがポールに向けて言う台詞を聞いて、戦慄を覚えた。曰く『君たちはアフリカ人だ、ニガーでさえない…』何と恐ろしい言葉だろうか!しかし現実とは、こんなモノなのだ。 ポールのことを“アフリカのシンドラー”と称す人がいるらしいが、あえて吾輩はその意見に異を唱えたい。シンドラーは、ユダヤ人を“労働力”として救っていた。しかしポールは愛する妻を、家族を、隣人をただ救いたかっただけなのだ。“虐殺”という理不尽で得体の知れない怪物から…。
公開に至る背景を抜きにしても感動的な1本
2004年のアカデミー賞やゴールデングローブで、各賞にノミネートされながらも、その高評価が裏目に出たために販売価格が高騰し、日本公開が危ぶまれていた本作は、その後、心ある一映画ファンの公開を求める働きかけをきっかけに、公開実現に至った作品だ。 もちろん、公開に至るまでの経緯も十分感動的なのだが、娯楽映画としても希有なクオリティに達している1本だということを力説したい。日本人には馴染みの薄い、遠いアフリカの地で起きた民族大虐殺が題材ということで「小難しそう」と、腰が引ける観客もいるかと思うが、1人の平凡なホテルマンが、極限状況に置かれながらも人間としての理性を保とうと努力し、何の罪のない人々を助けようとあの手この手を駆使し奮闘する姿は本当に感動的だ。 さらに付け加えるならば、主演のドン・チードルがとにかく素晴らしい。最初はただの臆病者だった男が、神々しくさえ見えていく過程を見事に演じきった彼に拍手を送りたい。
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