「私達は愛してもいいし、愛されても良いのだ」マグノリア あき240さんの映画レビュー(感想・評価)
私達は愛してもいいし、愛されても良いのだ
号泣しました
愛が有るのに、そのはけ口がない
皆均しく愛し愛されたいのにその資格がないと思い込んでいる登場人物達
それは私達の鏡だ
駄目な自分は駄目なりに愛もなく生きて行くしかない、この先ずっと
そう思い込んでいる私達の姿
それが終盤で赦されていくのだ
フランクは子供の自分と癌の母を捨てた父への復讐と非難の為の仕事を派手にするほどであったのに、父の死の前に死なないでくれと泣きわめき懇願する
自らの心の中の愛を知り、父の愛を知ったことで、その愛の気づきが硬く固く凍った氷のような彼の心が、温水のシャワーを浴びたかのように溶けて露になって行く
息子は父を赦し、父は赦されて息子に看取られていくこの見事なシーンこそが、本作のテーマの主旋律だ
このシーンの様に登場人物全てが駄目な自分を赦し、赦されていく
まるで交響曲のように重奏して、終盤には圧倒的な迫力をもって閉じていくのだ
トム・クルーズの演技は前半のセミナーシーンと、そのシーンの対比によって、本当に説得力のある迫真的なものであった
カエルの雨にそんな馬鹿な、非現実的なとあきれてはいけない
そんな事も希にはあると物知り少年が言っているではないか
強いて言えば、エピローグでの警官ジムの独白は神の言葉と受け取れば良いのだ
助けを必用とする者、許しを必要としている者
その判断が微妙だ、だが許しは可能だ
許すかどうか、そのさじ加減が難しい
だからそれは神の御心の寓意と捉えてしまえば良いのだ
最後の最後のシーンでクラウディアが初めて笑う
愛されたい、しかし愛される資格がないと思い込んでいた彼女が許された瞬間だ
そして主題歌に繋がっていく
この時、本作を観てきた私達もまた許されたのだ
愛してもいいし、愛されても良いのだ
最後にマグノリアはロサンゼルスのハリウッドとポルノ産業が集まるサンフェルナンドバレーとを分ける辺りに東西に長く走る通りの意味だが、よく見ればポスターの真ん中にマグノリアの花が配されているではないか
マグノリアは桜のように春を告げる花
花言葉は忍耐
本作を観た観客の心も春を告げて欲しいとの監督の願いが込められているのだろう