サイダーハウス・ルールのレビュー・感想・評価
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まあ徘徊型ではあるが。
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孤児院で育った主人公は大人になり、産婦人科の手伝いをしていた。
舞台は戦時中で、孤児院で出産したり堕胎したりする人は多かった。
生まれた子はそのまま引き取られるケースも多く、主人公もそれだった。
主人公は親同然の医師から仕事を教わっていたが、手伝いしかしなかった。
自らが医者として動く事に抵抗があったからだった。
逆に、外の世界に出てみたいという思いは日々強くなって行った。
そんなある日、堕胎しに来た夫婦について行く形で村を出る。
夫婦に紹介してもらったりんご園で働き、活躍するようになる。
また上記夫婦の夫が戦争に行っている間に嫁と不倫したりもする。
そんな折、農園主が自分の娘と関係を持ち、妊娠させてしまう。
やむを得ず、主人公が経験を生かして堕胎することになる。
成功するが、娘は父をナイフで刺して村を出てしまう。
父は死の間際、自分は自殺した事にしてくれと言い残し、死亡。
その後どうしようかとなったところに、上記の医師死亡の知らせが入る。
また不倫相手の夫も戦争で半身不随になって帰って来る知らせが入る。
これを潮時と思ったか、主人公は孤児院に戻り、医師の後を継ぐ。
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徘徊型の映画だが、見てて辛くはなかった。
倫理観やそれぞれのコミュニティのルールの中で生きて行く、
そうするには何が大切か、ってなやや重めのテーマの映画。
主人公、何か見たことあるなと思ったらスパイダーマンだった。
やっている事はブラック・ジャックで、ここだけのルールって事だ。
先ずは原作を読んだ事が無いので、原作との比較が出来ない。
単純に映画の事だけ言えば、余りにも都合よく事が進み、堂々巡りして、予想した結果に収まったって思う。
それでも、この映画に惹かれる。何故なんだろう。
題名にあるのだろうと思う。やっている事はブラック・ジャックで、ここだけのルールって事だ。つまり、
途中のサイドストーリーに矛盾があったり、その後の事が余りにもあっさり描かれているので、少し不満は残るが、キリスト教でありながら、中絶と言う難しい問題を、納得のいく解釈をしている事に共感せざるを得ない。という事だ。
重い決断
リアルタイムでは見れず、その後も見る機会のなかった映画。たまたまネトフリで見つけ、見てみました。
まず、シャーリーズ・セロン。昔も今も全然変わらず。でも、今の方がいいかも、洗練されたというか。
最後、セロンが下半身不随になった恋人と生きていく決断をし、トビー・マグワイアは孤児院に帰って、恩師の後を継ぐ決断をする…
ハッピーエンドのようにも感じられるんですが、冷静に考えれば、それぞれ今後重いものを背負って生きていく事になると考えると、果たして本当にハッピーエンドなのか?
当時の時代背景もあったと思うけど、作った人は見た人にどう感じて欲しかったのかな…と、色々考えさせられる映画でした。
元さや、めでたし
こういう映画は好きだな、と思った。
タイトルは知ってたが、なぜか観る機会がなかった。
ようやく、という感じ。
「自分の役割(仕事)は何だ?」
何度かこういうセリフが出てくる。
自分の居場所、役割について考えさせられる。
たくさんの子どもたちの父親代わりとして生涯を送ったラーチ先生は素晴らしい。
あんな山の上に、いわば隔離されているような施設で働くナースお二人も。
里親に引き取られるのを待ち望む子達の作り笑顔が切ない。
寝る前の読み聞かせ、キングコング(いつも同じ場所でテープが切れる)を繰り返し楽しむ素直な子供達。
ホーマーが施設を出る時も「大きいのにずるい」という小さな男の子。泣ける。
ローズ親子は悲劇だったけど、ホーマーやキャンディ達みんな最後は元さやで、めでたしめでたしかな。
サイダーハウスのルールと施設の関係性はやや不明だったけど、農園や山々の美しい自然など、見応えがあった。
蜘蛛に噛まれる前のマグワイアと男前になる前のセロン
劇場公開時鑑賞。原作未読。ジョン・アーヴィングやマイケル・ケインすら当時はよく知らなかったので、100%ハルストレム監督目当てで。
もちろん全然関係ないけど、後半は勝手に『ギルバート・グレイプ』その後を見てるような気分になってしまった。狭い世界しか知らなかったナイーブな青年が外へ出ていってどうなるのか。いいことも悪いことも、どう受け止めてどう答えを出すのか。派手さはないけど、じんわり染みる。
ある孤児の物語、良薬口に苦し
不幸な境遇の子供たちを見るのは辛い、孤児院の設定に加え堕胎や近親相姦、恋人の裏切り、法の欺瞞性など愚かな人間社会の陰の現実を淡々とあぶりだして見せる。ラーチ院長(マイケル・ケイ)は孤児に人生をささげた無類の仁徳者である反面、世情のルールにあいそを尽かした現実主義者、孤児院しか知らないで育ったホーマ(トビーマグワイア)が垣間見た世間というものは束の間の白日夢だったのだろうか、2度も里子から出戻ったホーマーは今度は自分の意思で孤児院へ戻ってゆく。
矛盾だらけなのが人の生き方であることも事実、人間をどの視点から描くかによりヒューマン・ドラマでもこうも差がでるのかと感心しながら観た。鈍感なのか純粋なのか主人公の生き方に胸打たれながらも危うさを禁じ得ない。メッセージ性は強いが映画は一つの例示であって答えではない、製作陣は若者たちに人生と言うものを見つめ直してもらいたいと願ってあえて辛口の物語を創ったのであろう。感想としては良薬口に苦しである。
とてもよかった
施設育ちということで里親映画に分類できるけど、親子としての関係が薄い。おじいさん先生がお父さん代りだけど、子供が多い。愛着も薄いのではないだろうけど、そんな環境にもめげず主人公は立派に育った。「いるなら役に立て」という教育方針がよかったのだろうか。しかしそもそもこの映画には愛着障害が存在しないので、そんな視点が欠如していただけかもしれない。
血縁のない施設暮らしの一方で、黒人親子の近親相姦による妊娠という濃すぎる血が描かれていた。
無資格で医者をさせたり、友達の恋人を寝とったり、挙句に近親相姦まで描かれ、アウトローな側面が強かった。人生や社会はきれいごとでは済まない。
主人公は童貞なのに散々性器や出産に触れてきているため全く童貞らしさがなかった。達人の風格があった。
内と外の境界線
文学作品において「孤児院」が登場する作品は、時代こそ違えど多々ある。「孤児院」を一口に語ることはできないが、『ジェーン・エア』や『オリバー・ツイスト』に出てきた孤児院は冷たく閉ざされたような印象だったが、この『サイダーハウス・ルール』の孤児院はそれらとは対比的で、慈愛に満ちた温もりのある場所として描かれていたように思う。実際、映像にも色で表現されていましたし。そんな場所で育ったホーマーが、外の世界へ行く。そこには人間の温かい部分だけでなく、冷たい部分・感情との対峙があった。キャンディとホーマーの関係は、戦争というバックグラウンドを従えつつ複雑に絡み合う。恋人が出兵し、無事で帰ってくると心の底では思っていても、寂しさを拭えないキャンディに初めて恋をしたホーマーが、潔く諦める姿はどこか切ない。この映画を見ていて、私自身の内と外の境界線はどこだろうと考えさせられた。果たして今の職場は内なのか、それとも県外に出たら外なのか。具体的な境界線なんてそもそもないのか。新しい世界へ飛び出すには勇気も必要だが、知らず知らずのうちにできている「ルール」を思い切って破ってみることも必要なのだろうと思った。ホーマーもローズ・ローズも、ある意味絶対的な存在だった父を振り切って飛び出して行ったのだから。自分のルールは自分で決めればよいのだ。この映画、天候が印象的だった。悲劇的なシーンでは雨が降っていたりして。
コンフォート・ゾーンを出ること
ホーマーはある日突然、生まれ育って慣れ親しんだ孤児院から
出て行ってしまいます。
なぜ、求めてくれる人たちのいる場所を捨てて、あえて先の
見えない道を?と、昔映画館で観た時は理解できませんでした。
しかし、結局わたしも、ぬくぬくとしたOL生活を捨てて、何度か
外に出ることになりました。
それを経験して再度観直すと、初回の印象とは全く別物。
共感する所非常に多し!
自分の経験でもありますが、出てみたいと思ったら出た方がいい。
出ないかぎり決して経験できないことが、世界中にはありすぎるのです。
医者として育てられてきたホーマーが、まさか黒人たちとりんごを
もいで、挙げ句、ひとりの黒人少女の命を救うことになるとは?
生まれて初めての海を見て、恋におちて、諦めて、結局最後には
孤児院に戻ることになりましたが、そのホーマーは明らかに、
出て行く前のホーマーとは別人のように成長したホーマーです。
彼のこの後の人生はどうなるのだろう?
このまま孤児院で一生を送るのか、またどこかへ旅立つのか?
なんとなく、ラストシーンであれこれ想像しました。
音楽と子どもの笑顔
ウォリーの戦争による怪我でキャンディがウォリーのことをまた思ったり、ラーチ先生の死でフォーマーが孤児院に戻ったり少し自分の気持ちに気づくのが遅いのではないかと思った。
フォーマーとキャンディ、ミスターローズの話は映画を見ていて良い気持ちにはならなかったけど、反面教師の意味でこの話は必要だったのかと思う。
フォーマーが孤児院に帰った時の子どもたちの純粋な笑顔と音楽ですごく感動した。
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