ソフィーの選択のレビュー・感想・評価
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A Tale that Feels 100 Year Prior to Its Setting
An Emily Dickinson poem recited at the end has this film feel anachronistically in all times at once. The film humorously beckons into a complex relationship that is abusive but can't be shaken off, because Streep plays an eternal refugee from the Holocaust. The disturbing traumatic drama in the flashback scenes are much more powerful than the New World love story. An all around depressing movie.
【ナチスに人生を翻弄された美しき女性の弱さと強さを描いた哀しき逸品。若きメリル・ストリープの三か国語を操る迫真の哀しみの演技が凄き作品でもある。】
■ニューヨークへやってきた駆け出しの作家・スティンゴ(ピーター・マクニコル)は、美しいポーランド人のソフィー(メリル・ストリープ)と生物学者・ネイサン(ケヴィン・クライン)に出会う。
3人は親密になり、ソフィーは少しずつ、自分の哀しき過去をスティンゴに語るようになる。
ソフィーの父と夫はナチスドイツに処刑され、彼女自身も収容所に送られていたが奇蹟的に生き残っていたのである。だが、そこには彼女の哀しき選択があったのである。
◆感想<Caution!内容に触れています。>
・今作では、メリル・ストリープは英語、ドイツ語、ポーランド語を話しながら、見事な演技を披露している。私はポーランド語が話せないので、何とも言えないが少なくともドイツ語は、劇中ルドルフ・ヘスが彼女に言う通りに、完璧なドイツ語の様に聞こえた。
凄いモノである。
・ネイサンは序盤から、明らかに精神の均衡を失っている節があるが、劇中に彼の兄が言う通りに、誇大妄想と総合失調症を患っているにも関わらずに、献身的にネイサンに尽くすソフィ―の姿は、正常時には彼女の事を愛するネイサンの事を、過去の余りに哀しい思い出を癒す存在として大切に思っていた事は明らかである。
・この作品では、作家のスティンゴが物語を紡ぐ役で出演しているが、彼がソフィーの過去を聞くシーンは、そしてそのシーンが再現される映像は観ていてキツイ。
だが、そこからはソフィ―の母としての哀しみの中、何とか子供だけでも助けようとする強き姿が描かれているのである。
<ラストシーンは、矢張り哀しい。だが、正常に戻ったネイサンに抱かれるように眠っているかに様な姿は、ソフィ―が漸く安寧の地、そして子供達が待つ天国に行ったのではないかと見えたのである。
今作は、ナチスに人生を翻弄された美しき女性の弱さと強さを描いた哀しき逸品であり、且つ、若きメリル・ストリープの三か国語を操る迫真の哀しみの演技が凄き作品でもある。>
名演技と名演出による2つの究極の選択物語が私の意識を作品の外に出ることを許さなかった
事前に「サラの鍵」という
ユダヤ人強制収容所関連作品を観て、
強いられた選択と自ら意思での選択、
この2つの究極の選択という意味では
同じ匂いを感じるこの作品を思い出し、
改めて鑑賞した。
結末が分かっている中での
何度目かの再鑑賞の今回、
特にネイサンがユダヤ人であることを
強く認識しながら観た結果、
たくさんのシーンがエンディングに繋がって
いることに改めて気付き、
心が締め付けられる思いだった。
そして、アウシュビッツで
究極の選択を強いられたソフィーが、
戦後に下した
自らの意思での選択に号泣させられた。
この、ネイサンがユダヤ人であること、
また、彼が精神分裂症であることも
全て承知の上での選択には、あたかも
彼女一人でこの歴史の汚点全てを背負った
かのようで、戦争の悲惨さを伝えて余りある
エンディングに感じられる。
私は、
俳優の演技力で鑑賞するタイプではないが、
この作品については、
メリル・ストリーブの演技に支えられた作品
と言ってもよい程、
特に彼女のモノローグシーンは、
本来はその台詞の中の場面を
映像化したくなるところだが、
それらを必要させない見事さで、
この作品を支えている最大要素と確信出来る
アカデミー主演女優賞に相応しい
名演技だった。
アラン・J・パクラ監督の、
観客の意識が映画の外に出ることを許さない
見事な演出共々、二人にとって
これ以上の作品は想像出来ない、
原作をも見事に凌いだ
名作中の名作ではないだろうか。
さすがアカデミー賞女優
精神状態が安定しているときに、どうぞ…
メリル・ストリープの鬼気迫る演技に心がくじかれてしまいそうになります。特に有名なあの最後の凄惨なシーン。精神状態が不安定と思われるときは是非鑑賞をお控えください。
大昔にチラ見した映画雑誌で、女性が選ぶ嫌いな女優というテーマがあって、誰もが認める大女優である彼女がワースト3くらいに選ばれていたのを思いだしました。理由は覚えていないけれど、彼女は女性の嫌な部分を演じるのが上手すぎて、これを見せつけられると女性は逆に嫌悪感を抱くのかな。「クレイマー、クレイマー」や「マジソン群の橋」でもそうであったように。この映画の彼女も決して「悲劇のヒロイン」なんかじゃなくて、壮絶な人生を送る決してそうはなりたくない女性像をエグいまでに演じ切っているんです(独りよがりの憶測であれば、女性の方々、お許しを)。
こんな大作でありながら見終わった後に沈んだ気持ちになってしまう映画は興行的にこれからも創られることはないんだろうなあ。いずれにせよ記憶に刻まれる一本です。
あらゆる真実と事実に呪われた話。愛と死を知る自己発見旅
内容は、1947年アメリカはNY Brooklynに作家志望の青年スティングが下宿先で巻き込まれる波瀾万丈な話。愛と死も知らない作家志望の青年が自分の住む階上の住人の恋人とのとの出逢いで、2人の生い立ちや過去と付き合いから愛と死の意味を少しだけ🤏理解し自己発見に繋がり苦い青年時代経てを大人の階段を登る事が出来き成長へと導かれる話。好きな言葉は『独りぼっちになるのが怖かったからよ!』ソフィーの言葉。自分が生き残る術としての欲望と打算に満ちた独善的事実。そんな自分へのアンチテーゼとも取られる発言には驚いた。また『君を1人にはしない!』から『沢山嘘をつき過ぎて、もぅ何が真実か分からなくなっちゃった。』嘘をつき過ぎる事への罪悪感すらも無くなり目的が手段となってしまった。ある種呪いに取り憑かれた人々が苦くも笑えてくる。好きな場面は、一番最初に出会う場面でソフィーがつく父親がユダヤ人擁護派に尽力したと云う都合の良い嘘の場面で、ソフィーの目が泳ぐ所。物語が主人公の一人称で進むが主としてソフィーとネイサンと主人公スディンゴが繰り広げられる話は脚本も内容も役者の表現力や撮影や明暗が非常に上手く全く古さや長尺を感じませんでした。減量をした役作りにも凄さを感じましたし、台詞回しも絶妙です。ソフィーとネイサンの最初期の会話で『僕達は死ぬしかないんだ』との会話は2度目に観ると寒くなります。終始映像表現は明るくて非常に暗い内容は文学的でもあり、登場人物全てが嘘や虚構にまみれた現実を生きている様で、その中で必死に生き抜こうとする生きづらさを表現している様でした。ひたすらに根底に流れる暗さから逃げる為に、ソフィーはアルコールにネイサンは麻薬にスティンゴは文章表現に頼らざるを得なかった辛さが何とも言えません。人は皆何かに酔っ払ってないと生きにくいのかもしれません。次々と分かる嘘が話を盛り上げ最終的に一番大きな嘘に光が当たる素晴らしい構成です。文学や映像や現実と思われるモノですら嘘で、自分達が信じたいものを信じる自分達の業の深さが表現されていて非常に興味深い作品です。『真実を知っても理解するのは難しい』この言葉も好きです。
なにがいいのかわからない、
心安らかになっても良いじゃない。
思いもよらぬ事実が次々と明かされて行って
最後はドス〜〜〜ンとメガトン爆弾が落とされた様!
まさに「午前十時の映画祭」で映画館でこそ
観てよかった作品。
ポーランドの複雑な
歴史的事情を体現しているメリル・ストリープの
とにかく、青白い顔色が哀しい〜
現代の感覚だとこの結末は無しなんだろうけど、
あまりに厳し過ぎるトラウマから逃れるためには
これで良かったのかも〜と思える映画です。
で、月に8回ほど映画館の通う中途半端な映画好きとしては
ケビン・クラインが演じる役が、
この人は普通じゃないな〜と思ったらやっぱ普通じゃ無かった。
で普通じゃない男に尽くすメリル・ストリープは
理解できるとしても、
友達を続けるピーター・マクニコルが演じる
地方出身の小説家志望の青年が何だか不憫!
彼自身にもっと確固たる自信があれば
この不可解な友人関係は成立しなかったと思う
彼もまた、2人には及ばないが自分に自信が持てない
非力な存在だったからこそ、
この三人の関係が成立したんでしょうね。
生き続けるのも、死ぬのも辛い。
ここまで激しい痛みで無くとも、
ある程度歳月を重ねた人間には
大なり小なり思い当たるものです。
捨ててしまえるものならば早く捨てて
心安らかに生きるのも一つの生き方ですね。
@もう一度観るなら?
「苦し過ぎる〜〜一度がやっとです。」
孤独な魂が引かれ合うとき
選択の女王
見終わって何とも言えない気持ち。
メリル万歳!
名作と言われる作品をどんどん見ていこうと数年前から食べず嫌いせずにやってます
一生続けられるライフワークになりますね
さてメリル・ストリープです
好きな女優なのでほぼほぼ見ていたつもりでしたがまだこの作品が残ってましたね
第二次大戦をこんな角度から描いた作品は見た事がありません
『ソフィーの選択』
ソフィーだけではない、ネイサンもスティンゴ
人はみな選んでいる
二つ以上あれば選ばなければならない
一つなら問題ない何の問題もないのだ、それが二つあり三つあり四つ五つと増えれば増えるほど難しくなる
かの有名な方がおっしゃってました
「勉強とは困った時にキチンと筋道を立てて考える為にやるのだよ」と
誰もがたくさんの選択をして今があるのだと思います
ホロコーストには1つも「良かった」と言う事は無いのではないでしょうか
今後の教訓にすらならない
しかしあったものをもう無しにする訳にもいかない
風化させないようにしたいものです
『シンドラーのリスト』また見なきゃ
戦争の罪深さと人間の苦しを正面から見詰めたパクラ監督の真摯さ
心安らかになっても良いじゃない。
思いもよらぬ事実が次々と明かされて行って
最後はドス〜〜〜ンとメガトン爆弾が落とされた様!
まさに「午前十時の映画祭」で映画館でこそ
観てよかった作品。
ポーランドの複雑な
歴史的事情を体現しているメリル・ストリープの
とにかく、青白い顔色が哀しい〜
現代の感覚だとこの結末は無しなんだろうけど、
あまりに厳し過ぎるトラウマから逃れるためには
これで良かったのかも〜と思える映画です。
で、月に8回ほど映画館の通う中途半端な映画好きとしては
ケビン・クラインが演じる役が、
この人は普通じゃないな〜と思ったらやっぱ普通じゃ無かった。
で普通じゃない男に尽くすメリル・ストリープは
理解できるとしても、
友達を続けるピーター・マクニコルが演じる
地方出身の小説家志望の青年が何だか不憫!
自分にもっと確固たる自信があれば
この不可解な友人関係は成立しなかったと思う
彼もまた、2人には及ばないが自分に自信が持てない
非力な存在だったからこそ、
この三人の関係が成立したんでしょうね。
生き続けるよりも辛い事。
ここまで激しい痛みで無くとも、
ある程度歳月を重ねた人間には
大なり小なり思い当たるものです。
かつて20キロダイエットに成功した時(笑)
「人生で思い通りにになるのは自分の体重だけ」と
個人的に豪語した私。
ここにもう一つ加えたいと思います。
「人生で思い通りになるのは体重と、思い出との決別」
@もう一度観るなら?
「苦し過ぎる〜〜一度がやっとです。」
それでも生きていて
悲しすぎる
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