「映画が伝えたいことは、物理的な結末でなく、、、」バベル ハムさんの映画レビュー(感想・評価)
映画が伝えたいことは、物理的な結末でなく、、、
高評価つける気満々で来たら、意外と低くてびっくり。(2.9)
公開当時の売り文句は知らないが、Netflixには「その出来事は、4カ国をまたがる様々な現実へと広がりを見せる」とある。そう書くから、この映画が何を描いたものなのか分からなくなるのかな、と思う。
つまり、「事件が広がりを見せていく」のを楽しんだり、「異国の事件が交差して解決されていく」のを楽しむ映画ではない。
(個人的には、解説にストレートに答えや伝えたいことが書いてあるとつまらないので、このぐらいの解説がいいかとも思う。一応、そう観ても話しは繋がるからね)
「Babel」のタイトルは、明らかに、
聖書におけるバベルの塔の話。
かつて人が一つの言語を使っていたところをかき乱され多言語となり、お互いを理解しなくなってしまった、というやつ。
この映画は、その「お互いを理解しない存在」を、
妻と夫、
親と子、
聾唖とそうでないもの…に広げ、描いた者。
好奇心から銃をおもちゃにした少年は姉と結託し姉のハダカを秘密裏に見て父親に怒られていたり、
菊地凛子の衝動的な行動から、
「守るべき宗教観の中でもがいている者と敬虔な者」、や、
「性の壁」も入ってくるのかな。
乳母の話には、権力を持つものと持たないもの。映画公開から13年経ってるけど、トランプ大統領の「壁建設」で、日本人にも伝わりやすい話しになった。
「この映画はコレが言いたかったんだよ!」と、結末を大げさに見せずに終わっているところもいい。何故ならば、この映画が伝えたかったのは事件の経過や結末ではなく、わたしたち観客が観ている時の感情と、最後のハグなのではないか?と思うから。
この映画を観ながら絶対に思ってしまうのは、
「分かり合えればいいのに」「寂しさや喪失感が受け止められればいいのに」という感情。それがきっと、この映画が感じさせたかったこと。
もし周囲に分かり合えない相手がいたら。
もし周囲に意味なく当たり散らしたり無謀なことをしている子がいたら。
そして自分が、もし寂しさの伝え方がわからなくなってしまったら…
いやむしろそんな事ばっかりかもしれない。
この映画が描く通り、
全く知らないところで全く知らない人たちも、
問題こそ違え同じように悩み苦しんで生きているのだ。
そして、ハグ・ハグ・ハグ。
悲喜こもごもあるけれど、よかったね。
…とはいえ、それぞれの事件はつながっているし、それぞれの結末も描かれているので、見方は自由。
日本パートいらないのでは、という意見もあるようだけど、
すごくいいパートだったと思うなぁ..
役所広司さん扮するパパが、モロッコで銃をあげてしまう、っていうのだけは日本人には理解しがたいから、なんとかならなかったのか。笑
日本で、世界で、これは合法なのですかね?