ゼイリブのレビュー・感想・評価
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さすがにジョン・カーペンター監督だ、面白すぎ
B級映画っぽいけど、さすがジョン・カーペンターだ、意外に面白かった。特にエイリアンを見分ける方法が特殊なサングラスをかけるという発想はなかなかいい。間接的に、貧富の差を生じさせている資本主義社会、政治家を痛烈に皮肉っているようでもある。
奴らは生きている。俺たちは眠っている。(資本主義社会に制動装置を)
80年代、レーガン大統領により福祉や医療予算は削減。税制は持てる者ばかりが有利に。更には経済政策を市場競争原理に任せた結果、富裕層と貧困層の二極化に拍車がかかる事となる。
本作は、特権階級や金満家達の目に見えぬ支配が、人々の自由を奪っている事実に対するカーペンター監督の怒りそのものだ。
通俗的な商業主義は、マスメディアを活用して至るところでサブリミナルメッセージを送っているに等しい。
人々は作られた流行に踊らされ、物質欲や承認欲求に駆られて、思考停止したままひたすら消費に走る。
その姿は、もはや資本主義の奴隷だ。
(ファッションやオシャレの流行は言わずもがなだが、行き過ぎた健康志向やグルメ情報、SNSやスマホゲームなども、危ない、危ない・・・)
カーペンター監督は決して資本主義を否定してはいない。
西部劇とプロレスを愛する彼は、むしろ生粋の愛国者であろう。
しかし、彼は自由を奪う「権威」への反抗者でもある。
一部の超富裕層が金で政治も経済も思いのままにして、大衆は思考力を奪われ、消費によって金を貢ぎ続ける奴隷になっているような「金が全てを支配する世界」には決して服従しない!
カーペンター監督は「眠らされている人々」の目を少しでも覚ましたいという願いを込め「資本主義が暴走しない為の制動装置(ブレーキ)としてこの映画を作ったのであろう。作中のサングラスこそが「ゼイリブ」本作そのものなのである。
作中の彼ら(They)は特定呼称で呼ばれることはないが、エンドロールにてエイリアンではなく「グール(屍食鬼)」と命名されている。
富裕層・貧困層に二極化された社会では、金を媒介として、貧困層の食べ物も生活も時間も労働も、富裕層が吸い上げ喰らっているに等しい、という監督の熱い怒りが表れたネーミングだ。
(今回、息子に誘われて久しぶりに観たが、なんでこんな作品知ってるの?と思ったら、30周年記念でデジタルリマスター版が出たのですね。
ネットで密やかなブームになったり、ネオナチが勝手に反ユダヤのインターネットミームとして拡散しちゃったり、一部で話題になっているらしいですね。
まぁ、息子が惹かれた情報&動機は「撮影中にガチファイトになってしまい、顔が腫れあがって数ヶ月撮影がストップしたと聞く、そんないわく付きの喧嘩シーンを見てみたい」というものだったけれど。
うむ。良いね。男の子!
殴り合いに約6分も使っちゃう、カーペンターをカーペンターたらしめる象徴的なシーンね。
頭デッカチのカルト情報に影響受けるよりもシンプルでずっとよいわ(笑)
王道の大作と違い、カーペンター監督の好きなものばかりが様々に形を変えつつ不条理に詰まっているのがカーペンター流。
野暮ったくもあるその独特さが、えもいわれぬ魅力となっているのだから、こういうのもアートセンスの一種なのだろうね。)
さて、お隣韓国は超格差社会、無限競争社会に陥って大変な事になっているが、日本の未来はどうか?
2015年の国連サミットではSDGs(持続可能な開発目標)が採択された。
資本主義は利益市場主義からの転換を果たせるだろうか?
日本もアメリカの顔色ばかり伺うのではなく、今こそ自らサングラスをかけてみる勇気が必要だ。本職プロレスラー、ロディ・パイパーのガチなスープレックスを貰う前に!
テーマに惹かれての鑑賞です
内容よりもテーマに惹かれて鑑賞。
人類を支配しているのがアンドロメダ由来の宇宙人だという設定が興味深い。
サングラスを掛けることで視覚化できるものとして
・人類に紛れた宇宙人を看破(視覚的に化けの皮をはぐ)
・広告や資本主義的産物(金、本)の本性(or目的)を文字化する
という表現が面白い。
視聴途中にリアルを思い起こして再認識するのは、
常識や普通の幸せっていうのはその社会システムの中から見ると普遍的な真理
であると思い込んでしまいがちだけれども、所詮人類を支配する資本主義システム
により押し付けられた固定観念にすぎないということだ。
脱線するが、羞恥心、原罪意識、責任感、自己責任、恋、ファッション、性風俗、人間関係における上下関係全ては確かに押し付けられたものであり、そうでありながら自動でそれに従っている(周りが決めたルールが内在化してしまっている)のはどうしようもないことだから、それを自覚して、自分の感情の動きを客観的に見ながら、感情の由来を見極めながら生きていくことが必要だと思う。だからと言って、全てを否定して修行僧のように生きる行き方が幸せかと言われるとそれは人によるとも思うし、押し付けられたルールをそれはそれとして楽しむべきだとも思うが。
そしてもう一つ、オカルト好き(陰謀論が好き)な自分としては、監督が現実の何を
見てこの作品を作ったかを知りたいなというかなわない思いが残る。支配者は
アンドロメダから来てるって思ったのは何でですか監督?
グラス掛けろよ!掛けねえよ!
名作だと聞いていたのと今週のおそ松さん3期でパロディされていたことも相まって鑑賞。
予想以上に面白かったです。特に初めてサングラスを掛けて見る町の景色は最高に不気味で記憶に残るワンシーンでした。僕らも考えなしに言われるがままに生活していると他の権力者たちの思う壺なのかなと考えさせらましたしね。
そしてそのシーンと同じくらい記憶に残っており笑ったのは、そう!サングラス掛けろ掛けねえ乱闘ですね。もう本当は監督この乱闘を撮りたくてこの作品を作ったんじゃねえかってくらい長いしかっこいいです。ちなみにやられる芝居をして助け起こした相手を殴るのは最高に笑いました。ダウンさせねえと気が済まないのかよって。
終わり方も割と好きです。まさかあんなシーンで終わるとは...あの女性はトラウマだろうな。
短いので気楽に見れますし、考えさせられアクションもかっこいい最高の映画です。古き良きアメリカが好きって方も全人類是非ご覧ください。
「格差社会」「情報社会」SF。リドリー・スコットとかが撮ったらもっとストレートで怖いSFスリラーになるかも。でも、どこかもっさりした脚本と演出とで却って深読み出来るカルト映画になっているのかな…
①初めて頭から通しで観た。いつの間にか地球にやって来ていたエイリアンたち。金と権力とがある地球人たちはその金銭欲・権力欲を満たすことで僕(しもべ)にし、金と力のない地球人たちは目や耳を通したサブミナル効果で知らず知らずのうちに操るという、地球人の業をよく理解しているクレバーなエイリアンだわ。②深刻にしようと思えばいくらでも深刻に出来る題材ながら、サスペンスフルな展開はなく、どこかのどかな空気が漂う。情報量が足りないわりには変な台詞が多くシンプルなのか適当なのかわからない脚本、如何にも費用をかけていないロケーション、チープなセット、シャープとはお世辞にも言えないジョン・カーペンターの演出。この辺りに起因しているんでしょうね。③いくらイケメンのプロレスラー、ロディ・パイパーが主演だからって、たかがサングラスを掛ける掛けないで、あれだけ格闘シーンに尺を取るんだもの、ハラハラドキドキさせる映画に鼻からする気はないなと思います。④
安いセットや緩い演出の中で一生懸命アクションしてる主演の二人に健気ささえ感じます。⑤基本的にはB級の乗りで撮っている映画なので余りとやかく言うのは野暮だし、深読みすれば自由主義であろうと社会主義であろうと、金や権力に対する欲が人間社会から無くならない限り存在し続ける格差社会をSFの形を借りて風刺しているととれないことはないね。あと情報が有りすぎて良い情報と悪い情報とを判別できなくなっている現代を先取りしていた、と言えるかも知れない。
社会の自文化を疑うことの必要性と決して近未来ではないことを痛感するリアルなSF
大学の講義の一環で鑑賞。貧富の激しい現代には実は異星人が牛耳っていて…というSFサスペンス。この映画が作られたのが1988年だと言うが、それを感じさせない撮影技術と洗練された音楽、そして、今の社会とも相違点があまりないという先見性にも驚かされた。
不景気で失業者が続出しているなか、ネイダはなんとか、工事現場の仕事を手にする。フランクとともに、ホームレスが肩身を寄せあって過ごすキャンプへと流れ着く。そこでサングラスを見つけたことでストーリーが動き出す。街を出歩いて見えてくるものは、社会の消費されていく気運と、異星人とエリートによって作られた世界。エリートは異星人から選ばれる様に、従順に日々を暮らしている。つまり、サングラス=異文化の流入の可視化できるアイテムなのである。だからといって、それを教えさせるために、5分以上も殴りあうことはないと思うが…笑。同時に進む、排除主義もフィクションには見えない。キャンプの破壊や富の冷笑、従順と働くエリートとの対比は、当時から何ら変わっていない現代を揶揄している。何より、テレビがもたらす作品の効果は、大きな意味を持っている。メディアは万人に情報を与え、影響をもたらす。同時に、認知を都合よくすることも出来る。その危うさと宣伝的な利用を刷り込むことで、一層のリアルを感じさせている。
当たり前のように作り出されている自文化も、実は1枚フィルターを通すと、排除へのシグナルや格差拡大の一因をつくっているのかもしれない。我々も一度、あらゆる物事に距離を取って見る必要がある気がする。メディアから多くの情報を取り入れることが出来る今、サングラスは自身の手で掛けるしかないのかもしれない。
映画史に残る死闘! ルール無用の「サングラス・デスマッチ」!
不思議なサングラスにより本当の世界を認識することができるようになった、日雇い労働者ネイダの闘いを描くSF・スリラー。
監督/音楽/脚本を手掛けたのは『ハロウィン』シリーズや『遊星からの物体X』の、ホラー映画界の巨匠ジョン・カーペンター。
30年以上前の作品でありながら、今なお一部の層から熱烈な支持を集めるThe・カルト映画。
強烈な物質中心主義とマスメディアへの批判的メッセージは、今でも全く古びていない。
むしろインターネットでの情報操作や多国籍企業による富の集中が問題視されている現在において、この映画のメッセージはより鋭さを増しているのかも知れない。
偏見を持って物事を見ることを「色眼鏡で見る」というが、本作ではその逆で、サングラスをかけることで真実が見えるというのは面白い。
アメリカでも偏見のことを色眼鏡というのかしらん?
サングラスをかけると映像がモノクロになるという演出はクール!
エイリアンのチープな見た目も相まって、昭和特撮を観ているような気分になってくる。
サングラスをかけて企業の看板や雑誌をみると…
いや、このインパクトは絶大。最高にクール!!
「従え」
「眠ったままでいろ」
「結婚して出産しろ」
「考えるな」
「消費しろ」…
ここまで正直に、世界の真実をぶちまける作品がかつてあったのだろうか?
紙幣に描かれていた文字「THIS IS YOUR GOD」のインパクトはやばい。
『ファイト・クラブ』より10年も前に、このような作品が作られていたとは…。
この作品の時代背景は以下の通り。
70年代のスタグフレーション(不況とインフレ)を改善するため、連邦準備制度理事会議長ポール・ボルカーが強烈な金融引き締め政策を行い、失業率がやばいことになった。
第40代アメリカ合衆国大統領レーガン(任期は1981〜1989年)の経済政策「レーガノミクス」により、次第に失業率は改善していったが、富裕層の減税などをおこなった結果、悲惨な格差社会が生み出されてしまった。
ジョン・カーペンターはインタビューでレーガン大統領について「俳優上がりで人気はあったが頭は空っぽ」と発言しており、彼の社会に対する批判的な思想が爆発した結果、このような作品が生まれたのだろう。
イデオロギーの変革という説教くさいテーマ性の作品だが、全体に流れるB級ホラー感がシリアスなテーマ性を中和してくれており、エンタメ作品として楽しめる一作となっている。
映画の出来は低予算なのが丸わかりのチープな感じ。お世辞にもよく出来た作品とは言い難い。
何というか、時間の配分がおかしくないか?
主人公のネイダがサングラスを手に入れるまで、時間がかかりすぎ!
そのくせ、レジスタンスの壊滅からクライマックスまではすごく駆け足…
エイリアンだとわかるや否や、虐殺を始める主人公。もうちょっと落ち着け!
一応ヒロインのホリーに匿ってもらうのだが、不意を突かれて頭をかち割られる。そりゃそうなるよ。
このシーンがあまりに迫真すぎてめちゃくちゃ笑いました🤣
そしてこの映画最大の見所!
今なおファンの間で語られる伝説の「サングラス・デスマッチ」🕶
大の男2人が、サングラスを掛けるか掛けないかで5分以上くんずほぐれつの大乱闘を繰り広げる。
このシーンのテンポ感が面白すぎる🤣
こんなグダグダファイト観たことない!
シリアスな笑いというのはこのことをいうのか、と一人納得していました。
主人公のネイダを演じているのがロディ・パイパーという当時人気だったレスラーなのでこういうシーンを入れたのだろうが、今見ると最高のギャグシーンとして異彩を放っている。
ネイダと死闘を繰り広げる友人、フランクは人生のルールとして余計なことには首を突っ込まず、レールに沿って生きていくことを信条としている男なので、ネイダの言う真実が見えるサングラスなんて絶対に掛けたくない。
この辺りは非常に丁寧に描写されていたので、無理矢理目を覚まさせようとするネイダと対立するのはわかるのだが、やはり時間の配分がおかしいのは間違いない。
手放しで褒められる作品ではないが、インパクトは絶大だしなんだかんだで結構面白い。
好きか嫌いかで言えば間違いなく好きな作品。
クライマックスでネイダが放った「Fuck you」ポーズは最高にカッコ良かった!
人間ならば、一度は見ておくべき映画。
エリアン陰謀説
現代社会の諸問題をエイリアンの陰謀説とする突飛なプロット、彼ら(エイリアン)は地球人に成り済まして、我々の周りにうじゃうじゃ居る、特殊なメガネをかけると髑髏顔が浮かび出るというアナログな仕掛け。B級ホラーの職人ロジャー・コーマン監督へのオマージュなのだろうか、「美女とエイリアン」(1957)ではエイリアンのほうがサングラスをかけていた、なんとエイリアンは白眼だったのだ、また1963年には「X線の眼を持つ男」を創っていました。
身近にいる人間に化けた宇宙人というプロットでは1967年~のTVシリーズ「インベーダー」の方が知られているだろう。
エイリアンがテレビの特殊信号で偽装しているという仕掛けは斬新、真意は大宅壮一のテレビ低俗論、一億総白痴化と同じ警告、風刺なのだろう。
友人同士で延々6分間も殴り合い、どういうことかと思ったら、人間同士の争いごとをエイリアンは楽しんでいるし思う壺と反省しきり、戦争の擬人化とは斬新、はたまた低予算故の工夫だったのか。地球規模の侵略を受けながら戦っているのが町内会のようなレジスタンスしかいないのも情けない。一部の地球人が加担しているのは恐怖心ではなく買収されているとの説明だが流石に曲解に過ぎるだろうがそれもこれも確信犯だろう。
主人公が何かおかしいと気づくまでの30分はバックパッカーの貧困ドラマなので何の映画か戸惑うばかり、エイリアンものとしてはスケールも小さく、チープ過ぎてSFらしさはあまり感じない、人間同様銃器で戦い、撃たれれば普通に死ぬ・・、監督があえて昔馴染みの安手のホラー映画風にしたのは何故でしょう、マスコミの扇動による大量消費時代への警鐘という強いメッセージ性のパッケージにふさわしいと思ったのでしょうか・・。流石カーペンター監督、洒落がきついですね。
時代を感じさせない面白さ
ただのB級映画の戯言だったのに 21世紀の現代に於いては、私たちにどのような態度でこの事態に臨むのかを突きつけてくるのです
名作です
完全にB級映画ですが、内容は21世紀になっても現代性を一層増しています
監督が意図した単なる消費社会への批判のレベルを超えて政治的な意味合いまで持っているように、21世紀の私たちの目には映るのです
人間になりすましているゾンビのような宇宙人は、観る人の考え方ひとつでいろいろな記号に置き換えられるのです
例えば、
よく陰謀史観で語られる世界征服を目論む某民族のことであるととか、
マスゴミや政財界を金で買収し、不公正な競争をして世界の覇権を握ろうとしている東洋の大国のことだとか
はたまた、日本なら我が国を乗っ取ろうとする隣国の某民族だとか・・・
ネットウヨクそのものの見方といえるでしょう
逆にマスゴミを操って国民を洗脳し国を右傾化させて他国を侵略する国家にしようと目論む軍国主義者だととらえる左翼の見方をする人もあるかも知れません
つまりあの眼鏡は、ものの見方を変えることで、社会や政治はいかようにも違うようにみえるという比喩なのです
そして主人公達がやっていることは、左右どちらの見方であっても同じです
そのような過激思想に凝り固まり無差別殺人を起こす狂暴なテロリスト集団です
では、どうあるべきなのか
彼らに是々非々で損得だけでつきあうのか?
タキシードの男のように
あきらめて日々を生き、主人公をテロリストとして撃つのか?
屋上で銃を構える女性のように
何も知りたくないと決め込むのか?
主人公を殴る相棒のように
それとも主人公のように無差別殺人を目指すテロリストになるのか?
ただのB級映画の戯言だったのに
21世紀の現代に於いては、私たちにどのような態度でこの事態に臨むのかを突きつけてくるのです
これぞ名作と言わずして、何を名作と呼ぶのか
このゼイリブの世界が現実化している
それが21世紀の現代なのです
買え、従え、寝ろまでは良かったが...。
ハシゴを外す勇気
プロレス技が炸裂!
どうして30年前に見ておかなかったのか、とても悔やまれる。それほどまで素晴らしい作品、ジョン・カーペンター監督の最高峰であろうと感じるほど凄いものに出会えたのだ。
エイリアンによる単純な地球侵略というSF作品ととらえることももちろんアリだが、その内容に含まれたサブリミナル効果による貧困、中産階級の誘惑という点が、現代に登場したトランプという政治家を予見していたような作品だったのだ。
ホームレスの主人公ネイダがたどり着いた工事現場での仕事、そしてドヤ街と表記されていたホームレス村。仕事が終わると、労働者たちは屋外に置かれたテレビを鑑賞している。時折映し出される海賊放送。教会では炊き出しするための台所道具が並べられるが、そこは一晩中聖歌が歌われていたため、興味を持ったネイダがそこを探索する。そこはレジスタントとなった労働者たちのアジトになっていて、ネイダは隠された段ボールからサングラスを拾った。
いきなり警官隊がホームレス村に重機を用いて解体作業が始まる。まったく説明もないこの制圧騒ぎでですでに胸ぐらを掴まれたように憤りを感じるのです。住処を壊され、抗う手段を持たないため、逃げ惑う住民たちの悲鳴がぐさりと胸に突き刺される。80年代、日本ではバブルが始まろうとしていたとき、アメリカではこうも富裕層、貧困層の格差社会があったのだと訴えてくるのです。
ふとサングラスをかけてみたネイダ。モノクロームの世界の中に人間じゃない者がいる!髑髏顔をした人間、さらに広告版や雑誌の文字がOBEY、 WATCH.TV、 SUBMIT、 CONSUME、 SLEEP、と変化しているのだ。文字の中にもサブリミナルが!と、それが徐々にエイリアンによる地球人の洗脳だったことが明らかにされていく・・・
もちろん作品の中ではエイリアンなのだが、これは時の政権プロパガンダを揶揄してのこと。当時はレーガンだったが、トランプが使うアメリカ・ファーストと同じものが含まれていた。いや、アメリカだけではない。今の日本のアベ様だって、同じ催眠効果を使っている。“消費して経済を豊かに、結婚して子供を産みなさい、新しい法律ができたから従ってください、とにかく政府に服従してください”、なのだ。エイリアンたちは甘い言葉で中産階級の人間を誘い、昇進、昇給させ、甘い汁を吸わせて自分たちの言いなりになる人間を増やしていく。気持ち悪くてとんでもないエイリアンに武闘家として孤軍奮闘する主人公ネイダ。黒人の友達フランクにも、とにかくサングラスをかけさせ、世の中のことを教えてやろうとするが、頑なに拒み続けるフランク。ここで7分にも及ぶケンカが始まるのだが、元レスラーでもあるネイダ役ロディ・パイパーの殴り合い+プロレス技が炸裂するのだ。バックドロップ、スープレックス、ラリアット・・・。賛否両論あるこの無駄とも思えるシーンですが、このシーンがあってこそ記憶に残る映画になったのだと感じます。
ホリーが勤めるケーブル54という胡散臭いテレビ局。ここがエイリアンのアジトだったのだが、多分、地球上のあらゆる地域に拠点があったに違いない。普通のアクション映画のような終盤だったけど、序盤からの高揚感は失われることがなかった。もっとシュールなエンディングだったら、5点じゃ足りないくらいだったかもしれません。
興味深い
この映画が、当時人気があったということが興味深い。
この頃、全米が二極化し、下の側の人間には「どうして?」という思いが渦巻いていたのだろうか。「自分達には仕事がないのにTVや広告は消費を煽るばかり。いったいどうなっているんだ!」と思っているところへこの映画だったのだろうか?
前半の、何かはわからないのだが、何か起きている感じと、主人公を取り囲む時代の感じの描き方は上手だなあと思う。特に音楽は、背景音のように「こういう感じだよ」とリードし続ける。現代でこれを観ると、リードし過ぎという感じが強いが、当時は受けたんだろうな。
そしてストーリーとしては破天荒な、ひとりだけで侵入者(らしき者)を撃ちまくる展開。
アンダーグラウンドに仲間はいたものの、出会ったその日に体制側(?)の襲撃を受けて崩壊というスピード感というか、短絡的というか、無力感というか。「それでも俺はやる」という男気で結末まで突っ走るという、たとえは悪いが、安っぽいマンガのようなストーリーがたまらなかったのでしょうか。
自分が見終わった時の最初の思いは「金をしっかりかけて撮った、小学校の学芸会みたいだ」
でした。
それでも、金損した感じがないところが、カルトたるところなのかな。
学んできました
ゼイリブのエイリアン(及び彼らと結託して貧乏人から搾取する富裕層)は、80年代当時第三世界から搾取をし、資源が枯渇すると次の開発途上国 へ移動していった先進国の象徴である、とする説がありました。なるほど。
レーガン大統領夫妻は高価な品の消費も好み、「彼らの高級品への嗜好はこの 10年の派手な散財を正当化し、80年代文化の貧者への冷淡な態度を正当化」した。国の借金は増え、貧富の差が広がり、多くの家族がレーガン着任時よりも 貧しくなっていった。
財務相長官を務めた ドナルド・リーガンは、レーガンのことを「幻想と妄想の達人」と評していたそ うだ。このレーガン評は、『ゼイリブ』においてエイリアンによる催眠術にかか り消費社会にどっぷりつかった人間を思い起こさせる。との説も。
そしてサングラスをかけると見えてくる広告に書かれていたことは、TVのサブリミナル効果を暗示するものという説もありました。
(サブリミナル効果自体は、報告者自身が実験結果がねつ造だったことを報告した(1962)にもかかわらず、先進国各国では、大衆の恐怖感に対応すべく、サブリミナル広告が禁じられているというもの)
見た皆様へ
同作のメッセージを、ユダヤによるメディア操作や秘密の権力に関するものだと解釈しているネオナチの考え方に、同感しないように。監督は、そんなことは言っていません。
高画質・高音質で蘇ったゼイリブ
現代社会にも通じる名作SF
個人的に生涯のベスト10に入れる程の大好きな名作。この度30周年記念上映を鑑賞したのでレビューを投稿した。
まず、エイリアン侵略&洗脳ものとしての設定が最高で、それをジョンカーペンター監督がいぶし銀の演出で見事に生かしきっている所が本作を名作たらしめている。
主人公ネイダは「ニューヨーク1997」のスネークプリスケンにも通じるとても魅力的な一匹狼なキャラクター。今は亡きロディパイパーの起用も最高のキャスティングだ。
毎度お馴染みジョンカーペンターによるサントラもブルージーで哀愁漂う。
エイリアンは金持ちや政治家、警察等に扮し人間達を洗脳していく。それに対し貧乏人や労働者らが彼らに立ち向かう様は今の現代社会に置き換えて観ても充分伝わるテーマだ。こーした設定を時おりユーモアを交えながらリアルな恐怖感で描いているあたりがとても魅力的だ。
知り合いに勧めてもなかなかわかってもらえないカーペンター作品だが、本作はカーペンター作品の魅力をかなりわかりやすい形で表現されているので初心者には是非ともオススメしたい。
今までDVDやBDで観てきた本作を今回劇場ではじめて観たが、ファンとしてはもう至福のひと時だったとしか言いようがなく、無駄なシーンが一つもない。
長年映画ファンをやってきてジョンカーペンター監督の作品を楽しめる映画ファンでよかったと改めて思った。
祝!30周年!
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