ゼイリブのレビュー・感想・評価
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24時間戦えますか
眼鏡を通して見える真実「obey(従え)」「MARRY AND REPRODUCE(結婚して繁殖しろ」「CONSUME(消費しろ)」。我々労働者は資本家に監視され、大量生産、大量消費のコマにされているってことか。良く出来た作品だ。
ポップコーンムービーだけど物質主義への批判が効いている!
身の回りに異星人が混じっていたら…
敵への過剰な銃乱射シーンや異星人の衝撃的なビジュアルなど、ポップコーン片手に手軽に観れるB級映画として大満足。
その上、サングラスをかけることで、異星人の正体に加えて、世の中がいかに消費社会であるかを強烈に教えてくれる。
アクションシーンが多いが、個人的にはメイン2人のプロレスシーンが好き笑。異星人による洗脳の強さを表しているんだろうけど、人間同士でかなりガチだなぁ、結構長いのが面白かった。
後、性や暴力描写を批判するシーンもジョークが効いてて好き。
陰謀論者が大好きだろうなぁ。
陰謀論者が大好きそうなカルト映画。昔からマニアが度々言及するので私も観ましたが、マニアが喜ぶだけで十分かもしれない。楽屋落ちにはガッカリしました。ユダヤ陰謀論と結び付いて語られることも多いらしく監督がそれを制止したらしい。
【人間に姿を変えたエイリアン達の静かなる地球制服を目論む姿を描く。不穏な音楽に併せて映される無自覚に洗脳される人々の姿も印象的な、カルトSFの秀作。】
ー エイリアン達のサブリミナル効果による姿なき地球侵略。
仕事を求めてある町に流れ着いたネイダは、教会で奇妙なサングラスを発見。
それを通して見えた、人間になりすましたエイリアン達の姿。
現在見ても、全く違和感なく魅せられる格差社会をテーマ性にしたセンスにも感服である。
そして、エイリアンではないが、氾濫するCMを始めとしたある意味、様々なサブリミナル効果の見せ方も効果的で・・。
・新婚向け観光地の看板を、サングラスを通して見ると”妊娠して、結婚しろ”
・商品セールス看板を、サングラスで見ると、”買え!”・・・。
CMに取り囲まれた生活をしている現代の我々も同じではないか・・。
ジョン・カーペンターって、どれだけ先進的な思考と、映像感覚を持つ人物だったのだ。
映像も、古臭くなく、現代でも十二分に受け入れられる映画である。
今作が30年以上も前の映画という事にも、驚きである。-
■”ジョン・カーペンター レトロスペクティブ2022” にて鑑賞。
今を表しているような…
今の世の中を見ているような…エイリアンに囲まれてるのかなぁ?
3階から落ちてもかすり傷程度って…それはそれでかなりエイリアン。
拳で解決ですか?昭和の少年誌を見ているような…
以上ですかねぇ。
ここまで、〝今〟を予見していたとは‼️
多様な視点でありながら、どなたのレビューからも〝これは必見〟という匂いがプンプンしていたので、本日初見。
ビックリです‼️
当時のレーガン大統領下の政治状況に対するメッセージを意図したものかもしれませんが、むしろ、今現在の状況のほうがより予見されていると感じました。
①いわゆるエスタブリッシュメント(体制側に属する人…政治家、富裕層、官僚組織で相応の決定権限を有する人など)と被支配者層とのあらゆる面での格差
②グローバリズムに基づくサプライチェーンも含めたネットワークシステムの影響の大きさ
③SNSが既に生活の一部、或いは個人のアイデンティティの一部になっている
②と③はかなり重複するので明確に分けられないかもしれませんが、このネットワークシステムは活用する人間側とネットワーク側の支配・被支配の関係性が曖昧というかどっちがどっちかもう分からなくなっているし、そもそも支配云々の関係自体既に成り立たない。
水や電気は無いと不便だし時には生死に直結します。
ネットは生死に直結することはあまり考えられないのに(緊急時の連絡手段となっているものは除く)、使えない時の不安は大きく、人によっては心の拠り所を失うほどの影響があります。
ネットワークシステムというのは、支配している主体が特定できないので、誰かひとりを倒すとか何かひとつを破壊すれば変えられる、ということはできません。
デス・スターを爆発させるほうがよほど簡単です。
この映画のラストは、ネットワーク支配の実態を可視化することと、被支配者側の人間に覚醒を促すことが、今できる精一杯のことだと教えてくれているようです。
サングラスでエイリアンがわかるという設定が秀逸!
数年前友人と飲んでいるときに「ゼイリブ」の話になったことがある。プロレスラーと黒人の殴り合うシーンが好きだという友人に対して、そんなシーンあったっけ?と応じる私ともう一人の友人。「ヒドゥン」と間違えてるんじゃないかとかいろんなことを言い合ったのだが、ネットで検索して「ゼイリブ」の主演はプロレスラーだったことがわかり論争に決着がついた。ゴールデン洋画劇場で観た記憶はあったが、かなり曖昧だったってことだ。
だからというわけではないが、今回ちゃんと観てみようと思った。相当昔の映画だからツッコミどころが多いのは仕方ない。やはりすごいのはエイリアンの造形とサングラスをかけるとエイリアンの正体がわかるというしかけ。さらにこのサングラス、エイリアンの正体だけでなく、様々な媒体の裏に隠されたメッセージも見えるという高性能。理屈も何もわからないし説明もないけど、これだけでこの映画は大成功と言える。
ラストもそんなんで解決する?って感じなのだが、それもまたB級っぽくていい。富裕層に支配されている現代社会を批判した作品とも言えるが、余計なことは考えずにB級SF映画として楽しむのが正解。こうなったらサブスクで「ヒドゥン」も観ないと!
とても良い映画
『JOHN CARPENTER RETROSPECTIVE 2022』にて鑑賞。
今回公開される3作品の中で唯一観たことがある作品。昔に観た時は、あまり期待しないで観たせいか、結構面白かったという印象があったけど…今回は、まあこんなもんかなぁと(笑)
作品の公開から何十年も経ち、今では映像技術が数段に進歩したことを改めて実感しました。
それでも、この作品のストーリーというか、SF物としては、アイディアは今でも結構斬新。
特殊なサングラスを掛けると、宇宙人の正体がバレる(笑)…我々人類は知らず知らずのうちに洗脳され、"奴ら"の思い通りに生かされていた…素敵ですね、この設定!そしてストーリー!笑
*主演のロディ・パイパーは当時人気のプロレスラー。スコットランド出身というギミックを与えられ、タータンチェックの民族衣装を着てバグパイプ担いで入場していたと思います。また、来日した事もあったと思いますが、あまりよく覚えていません(笑)
途中、黒人の仕事仲間と派手に喧嘩をする場面があるんですが、プロレス技満載で、彼のファンへのサービス?…やたらと長かったですね、この場面(笑)
*3作共通パンフレットは1300円也。昔懐かしいVHSビデオ用パッケージを思わせる、立方体の紙箱に入っています。ポストカードが15枚ぐらい?入っていて、肝心の解説は"かなり"少なめです…なんでやねん!
どう考えてもプロレスが長すぎる。
だけど最高に面白くて見入ってしまう!!!
簡単なあらすじは理解した上での鑑賞。
仕事終わりに見たので一瞬うとうとしてしまい…
しまった!と思ったらネイダはまだまだ
全然サングラスを手に入れる感じもなくて
ホッとした後、そのテンポ感に笑ってしまった。
サングラスをかけるかけないでの
大きな男2人の5分近くの死闘。
一体わたしはを見せられているんだ?
監督プロレス好きすぎるでしょ!
思わず笑いがもれてしまったのはわたしだけじゃなく
会場が一体感に包まれた瞬間である。
あ、わたしは結構
ラストカットが好きでした。
ゼイリブごっこするために
いい感じのサングラスでも買うか──!
いつまでも新しい
物語は前半と後半に分かれていると思う。前半は主人公が摩天楼の林立するニューヨークと思しき町にやってきて仕事を探し、ホームレスが集う場所を紹介されて寝場所にありつく話だ。盲目の牧師が演説するシーンが後半への伏線となる。
後半は襲撃された教会の隠し場所からサングラスを見つけるところから始まる。ただのサングラスかと思っていたのが、かけてみると見えなかった本質が見えてしまう。そこからは怒涛の展開で目が離せないが、取っ組み合いのシーンが長くてひと息つける。
説明はないが、主人公もフランクもベトナム帰りではないかと思う。武器の扱いといい、徒手の格闘といい、素人ではない。ベトナム戦争の終結が1975年で本作品が1988年、主人公が町に来る前に別の場所で10年働いたと言っていたから、辻褄も合う。
後半に登場するメグ・フォスターが演じたホリー・トンプソンの眼が恐ろしい。妙齢の女性にしては胆の据わり方が尋常ではない。BMWに乗って山の手に住む金持ちだ。ただのOLの筈がないのだが、サングラス越しの顔だけで分別する主人公はそこに気がつかない。
納得のいくラストシーンはとてもスッキリするのだが、ベトナム帰還兵の問題や格差の問題、差別的な政治、放置されるホームレスなど、カーペンター監督が本作品に盛り込んだテーマは未だに解決を見ていない。そしてこれからも解決することはないと断言できる。
それは人間が本質的に他人を差別し、迫害して、自分の利益を確保しようとするからであり、強者同士が徒党を組んで弱者から搾取する傾向にあるからだ。そういう時代が続く限り、本作品はいつまでも新しい。
殴り合いわかり合う
主人公がなかなかサングラスかけないのでヤキモキした。
殴り合い長すぎて笑った。
しかもサングラスかけるかけないの闘い。
背骨が折れてしまわないかハラハラ。
そもそもエイリアン?だからっていきなり撃ち殺していいものだろうか。。
もうすぐ2025年で征服完成ですね。
音楽の使いが良い!
何度観ても面白い。
ジョン・カーペンターレトロスペクティブ2022にて劇場鑑賞。
言わずと知れた熱狂的支持者も多いホラー映画のカリスマ監督ジョンカー・ペンターの意欲作。
有楽町の某映画館でJ・カーペンター3作の4Kレストア版を3週に渡り上映しているが、驚くべきことに当館は2K上映であったw。
リアルタイムでの劇場鑑賞以来、実に数十年ぶりの鑑賞だったこともあり、サングラスを手に入れた後の展開をすっかり忘れており、プロレス時間の長さと思っていたよりちゃんとした結末だったことに改めて驚かされた。
本作は代表作「ハロウィン」や「ニューヨーク1997」などとは少し違い、珍しく格差社会やメディアの在り方などへのアンチテーゼが各所に見てとれ、大きくは宿無しの日雇い労働者と裕福な上流階級に擬態したエイリアンとが戦う構図となっているので面白い。
特殊なサングラスをかけると人間とエイリアンの判別ができ、街の看板や雑誌を見ると隠された洗脳メッセージを読む事ができるという、それだけでも勝ち確定の最高のオモシロ設定である。
J・カーペンターは自ら映画音楽を制作することでも有名で、劇中の西部劇風挿入曲もずっと耳に残る程印象的であり、その多才さを感じる事ができる。
主演はロディ・パイパーという当時の人気プロレスラーのため格闘シーンに時間をふんだんにかけているが、あまりにも長い時間なので途中で飽きが来てしまうことくらいがマイナスポイントで、総じて非常に面白く誰でも楽しめるようなエンターテイメント作品となっている。
以降のSF映画に多大な影響を与えた、最初から最後まで強烈な社会風刺に貫かれた社会派SFスリラー
『ジョン・カーペンター レトロスペクティブ 2022』での鑑賞。何度もビデオで観た作品ですがスクリーンでの鑑賞は初めて。強烈な社会風刺で幕を開ける本作ですがそもそも主人公のネイダがデンバーで10年務めたのに失業してLAまで流れてきたホームレスだという設定が痛烈。社会にコテンパンにしてやられているのにそれでもまだ社会に貢献するセカンドチャンスを求める極めてピュアで誠実な人。それが教会で手に入れたサングラスで世界が見えるようになった途端に世直しをしようと銃を取るわけですが、これって観客側からはヒーローに見えますが何も知らない劇中の人物にしてみればどうかしている男以外の何者でもない。ネイダ自身もサングラスをかけることで頭痛と引き換えに高揚感を得ているのでこのサングラスで何が世界を支配しているかが見えるようになるというのは教会で神の啓示を受けるのと同じ。サングラスをかけるかけないでネイダとフランクが延々路地裏でケンカする様を笑っちゃうくらい執拗に描写しているのも、真実を知る者とそこから目を背けたい者や自分が信じているものだけを信じたい者との断絶を表現しているもので、ブレインバスターやバックドロップ、金蹴り等でズタボロになりながら戦う二人の姿に滲む滑稽さに痛烈なメッセージが見えた気がします。ホリーがネイダを窓から突き落とすのを真上から撮るカットの鮮烈さもリストア版では冴え渡っていて、何度も観ているシーンなのにうわ!っと声を出してしまいました。最初から真実が見えているのが盲目の宣教師であるという皮肉も強烈、本作における“They”は本作公開から30年以上経った今もまだ世界を支配している現在が本当の意味での本作のオチなのかも知れません。
改めて本作が様々な作品に影響を与えていることを実感できたのも再鑑賞の醍醐味でした。まずは『マトリックス』、最近の作品だと『フリー・ガイ』。意外なところだと強烈なラストカットはイリヤ・ナイシュラー監督の『ハードコア』で引用されていることに気づきました。SFスリラーというよりも終始社会風刺に貫かれた底意地の悪いコメディに近い。そういう意味では『ドント・ルック・アップ』も影響下にあるように思いました。
【中心と周辺】
先般、アメリカで問題になっている陰謀論の中心・Qアノンの大元の発信者が日本の北海道札幌市に居住していて、アメリカ人男性の名前も特定している記事を読んだ。22年の中間選挙で、共和党の上院候補として立候補するのではないかと報じられていた。
この作品は、こうした陰謀論者が喜びそうな内容なのだけれども、ロディ・パイパー演じるネイダが、それらと戦う者だとすると、如何にも短絡的で感情的、行き当たりばったりの無計画で、先を見通すことのできないマヌケな感じだ。
僕は、影で世界を操ろうとするディープ・ステートがあるとか、陰謀論者ではないのだけれど、国際政治学の世界には、搾取と貧困と云う問題を明らかにしようとする学説があって、これを曲解すると、また陰謀論者が喜びそうな内容かもしれないと、ふと考えたりした。
国際政治学を勉強していると、中心周辺理論(Center とPeriphery の頭文字を取ってCP理論ともいう)に触れることがある。
世界には経済的に豊かな中心(つまり先進国)と、中心に搾取され貧困が放置されている周辺(発展途上国)があるというのだが、更に、中心(先進国)には、更にその中心に属する階層(政治家とか企業とか超富裕層)と、それに付き従う周辺と考えられる階層(一般市民)が、周辺(発展途上国)には支配層である中心(支配階級)と、それに付き従わざるを得ない階層の周辺(一般の人々)があって、中心(先進国)の中心と周辺(発展途上国)の中心は結託して、それぞれの一般市民や、一般の人々を搾取し、特に、発展途上国の一般の人々は貧困に追いやられる構造になっているというものだ。
この映画は、アメリカが舞台なので、先進国の話になるのだけれども、一般市民の中にも選ばれて、支配層然と振る舞い、一般市民の搾取はやむを得ないと考えるものがいたりして、この国際政治学のCP理論と似ているななんて考えた。
この作品には、ちょっとした思い出がある。
当時、付き合っていた彼女と別れたばっかりで、新しい彼女と付き合い始めたのだが、その女性は実は、その元カノの友人で、どちらかと云うと身体を重ねることが多い関係だった。
その彼女が、この「ゼイリブ」を観たいと言ったのだ。
当時は、ジョン・カーペンターなんてホラー映画監督じゃんとか、少し軽い感じで考えていたし、日本とタイトルについても、平坦にゼイリブって発音しないで、”ゼイ”・”リブ”ってちゃんと言えとか、色々いちゃもんをつけたい頃だった。
しかし、映画を観て、ちょっとゾッとした。
僕は、この彼女と付き合いながら、僕が元カノを忘れられないでいると見透かされているような気がしたからだ。
まあ、何十年も経って鑑賞すると、いろんなスキルが身に付いて、あれこれ様々な角度から映画を観れるようになるもんだと改めて思う。
カーペンターが撮るとこうなる洗脳管理社会
カーペンター監督らしいB級感溢れるSFアクションで、富裕層の搾取や消費社会をド直球で風刺していて、サングラスをかけたらエイリアンの正体や洗脳メッセージが分かる一発アイデアが秀逸です。サングラスの向こう側がモノクロ画面なのも不気味で、洗脳メッセージもインパクトあります。とは言え、全体的にゆるい作りで、主人公も行き当たりばったりな感じだし、予算が尽きたのか、敵の本拠地のTV局への殴り込みシーンもなんかチープでイマイチ気勢があがりませんでした。最後のオチは傑作だけど。主演のロディ・パイパーは、プロレス出身とのことで、エイリアン相手に肉弾戦で戦って欲しかったです。
ジョン・カーペンター
ジョン・カーペンター監督による、カルトSF。
主人公はひょんなことから、人間に化けたエイリアンを見抜けるメガネを手に入れる。
マインドコントロールのシステムを破壊しようとするが・・・。
明るいインベーダー作品。
さすがにジョン・カーペンター監督だ、面白すぎ
B級映画っぽいけど、さすがジョン・カーペンターだ、意外に面白かった。特にエイリアンを見分ける方法が特殊なサングラスをかけるという発想はなかなかいい。間接的に、貧富の差を生じさせている資本主義社会、政治家を痛烈に皮肉っているようでもある。
奴らは生きている。俺たちは眠っている。(資本主義社会に制動装置を)
80年代、レーガン大統領により福祉や医療予算は削減。税制は持てる者ばかりが有利に。更には経済政策を市場競争原理に任せた結果、富裕層と貧困層の二極化に拍車がかかる事となる。
本作は、特権階級や金満家達の目に見えぬ支配が、人々の自由を奪っている事実に対するカーペンター監督の怒りそのものだ。
通俗的な商業主義は、マスメディアを活用して至るところでサブリミナルメッセージを送っているに等しい。
人々は作られた流行に踊らされ、物質欲や承認欲求に駆られて、思考停止したままひたすら消費に走る。
その姿は、もはや資本主義の奴隷だ。
(ファッションやオシャレの流行は言わずもがなだが、行き過ぎた健康志向やグルメ情報、SNSやスマホゲームなども、危ない、危ない・・・)
カーペンター監督は決して資本主義を否定してはいない。
西部劇とプロレスを愛する彼は、むしろ生粋の愛国者であろう。
しかし、彼は自由を奪う「権威」への反抗者でもある。
一部の超富裕層が金で政治も経済も思いのままにして、大衆は思考力を奪われ、消費によって金を貢ぎ続ける奴隷になっているような「金が全てを支配する世界」には決して服従しない!
カーペンター監督は「眠らされている人々」の目を少しでも覚ましたいという願いを込め「資本主義が暴走しない為の制動装置(ブレーキ)としてこの映画を作ったのであろう。作中のサングラスこそが「ゼイリブ」本作そのものなのである。
作中の彼ら(They)は特定呼称で呼ばれることはないが、エンドロールにてエイリアンではなく「グール(屍食鬼)」と命名されている。
富裕層・貧困層に二極化された社会では、金を媒介として、貧困層の食べ物も生活も時間も労働も、富裕層が吸い上げ喰らっているに等しい、という監督の熱い怒りが表れたネーミングだ。
(今回、息子に誘われて久しぶりに観たが、なんでこんな作品知ってるの?と思ったら、30周年記念でデジタルリマスター版が出たのですね。
ネットで密やかなブームになったり、ネオナチが勝手に反ユダヤのインターネットミームとして拡散しちゃったり、一部で話題になっているらしいですね。
まぁ、息子が惹かれた情報&動機は「撮影中にガチファイトになってしまい、顔が腫れあがって数ヶ月撮影がストップしたと聞く、そんないわく付きの喧嘩シーンを見てみたい」というものだったけれど。
うむ。良いね。男の子!
殴り合いに約6分も使っちゃう、カーペンターをカーペンターたらしめる象徴的なシーンね。
頭デッカチのカルト情報に影響受けるよりもシンプルでずっとよいわ(笑)
王道の大作と違い、カーペンター監督の好きなものばかりが様々に形を変えつつ不条理に詰まっているのがカーペンター流。
野暮ったくもあるその独特さが、えもいわれぬ魅力となっているのだから、こういうのもアートセンスの一種なのだろうね。)
さて、お隣韓国は超格差社会、無限競争社会に陥って大変な事になっているが、日本の未来はどうか?
2015年の国連サミットではSDGs(持続可能な開発目標)が採択された。
資本主義は利益市場主義からの転換を果たせるだろうか?
日本もアメリカの顔色ばかり伺うのではなく、今こそ自らサングラスをかけてみる勇気が必要だ。本職プロレスラー、ロディ・パイパーのガチなスープレックスを貰う前に!
テーマに惹かれての鑑賞です
内容よりもテーマに惹かれて鑑賞。
人類を支配しているのがアンドロメダ由来の宇宙人だという設定が興味深い。
サングラスを掛けることで視覚化できるものとして
・人類に紛れた宇宙人を看破(視覚的に化けの皮をはぐ)
・広告や資本主義的産物(金、本)の本性(or目的)を文字化する
という表現が面白い。
視聴途中にリアルを思い起こして再認識するのは、
常識や普通の幸せっていうのはその社会システムの中から見ると普遍的な真理
であると思い込んでしまいがちだけれども、所詮人類を支配する資本主義システム
により押し付けられた固定観念にすぎないということだ。
脱線するが、羞恥心、原罪意識、責任感、自己責任、恋、ファッション、性風俗、人間関係における上下関係全ては確かに押し付けられたものであり、そうでありながら自動でそれに従っている(周りが決めたルールが内在化してしまっている)のはどうしようもないことだから、それを自覚して、自分の感情の動きを客観的に見ながら、感情の由来を見極めながら生きていくことが必要だと思う。だからと言って、全てを否定して修行僧のように生きる行き方が幸せかと言われるとそれは人によるとも思うし、押し付けられたルールをそれはそれとして楽しむべきだとも思うが。
そしてもう一つ、オカルト好き(陰謀論が好き)な自分としては、監督が現実の何を
見てこの作品を作ったかを知りたいなというかなわない思いが残る。支配者は
アンドロメダから来てるって思ったのは何でですか監督?
全68件中、21~40件目を表示