戦場のメリークリスマスのレビュー・感想・評価
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誰もが戦争の犠牲者だ。
ロレンスが戦犯による処刑を翌日に控えたハラ軍曹に言った「あなたは犠牲者なのだ。」とこのセリフがこの映画のすべてのように感じる。
そう敵も味方も関係ない、この映画に登場する誰もが戦争の犠牲者なのだ。
映画作品として個性的なキャスティングもとても成功していると思いますし、坂本龍一さんの音楽がなんとも心に響きます。
よう分からんけどなあ
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たけしが鬼軍曹で、捕虜で通訳のロレンスと親しくする。
とは言え、すぐ激高してシバいたりするけどね。
まあ戦争の時代なんてそんなもんなんやろな。
やがてロレンスらは他数名の捕虜と共に独房に入れられる。
ラジオだかを持ち込んだ罪だが、完全に濡れ衣だった。
濡れ衣でも、誰かに責任をとらせて処刑すると上官は言う。
でもクリスマスの夜、たけしは独断で彼らを釈放した。
酔って上機嫌だったためだが、多分ワザとだろう。
やがて戦争は終わり、たけしは戦犯として処刑される前日。
そんな時にロレンスが面会に来てくれて懐かしく交流。
ロレンスの去り際にまたたけしが上記解放時と同様の発言。
メリークリスマス、ミスターロレンス!
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結局何が言いたいかよく分からんかったけど、
戦争の中での敵味方の間での友情ってことなのかな。
たけしがロレンスらを解放して命を救ったのは、
ロレンスが好きで死なせたくなかったからだと思う。
で最後は立場が逆転して、また同じセリフを言う。
まあただそれだけのこと。でも色々感じることはあったな。
やっぱり戦場という過酷な環境は人はおかしくする。
たけしも狂気じみてたが優しさもあり、必ずしも悪人ではない。
ロレンスを殺そうとした上官だって決して悪人ではない。
むしろ両人とも、男気を持った人物だったと思う。
なのに戦争はそんなものも歪めてしまう、最大の悪。
異文化の表面的理解。かみ合わなさ、すれ違い。
原作未読。二つの短編を一つにまとめたらしい。
DVDについていた解説には、大島監督が「極限状態の中でも友情が生まれることを描きたかった」とおっしゃったと書かれていたが、私にはそうはとらえられなかった。
原作ではそういう物語が展開しているのだろうか?
日本軍俘虜収容所を支配していた雰囲気。
道理の通らぬ狂気。
切腹と言い、セリアズ少佐への処刑の仕方と言い、日本人である私が見ても、反吐が出る。
個々の日本人もいろいろな思いを持っていたはずだが、見事にヨノイ大尉とハラ軍曹に集約されている。(事件を起こすカネモト以外には、ヨノイ大尉に心酔している兵士が自らの意思で行動を起こすくらいで、あとは命じられたままに動く人形として描く)
対して俘虜の方が個々の様子も描かれる。その中で、個性をもって描かれるのは、ロレンス陸軍中佐、セリアズ陸軍少佐、ヒックスリー俘虜長(大佐)。
ヨノイ大尉。
DVDの解説にもあったが、三島由紀夫氏を彷彿とさせる。
実際の三島氏については語るほど存じ上げていないが、この映画のヨノイ大尉は、精神年齢がかなり幼く描かれる。自分の信じている精神性を最高のものとして、俘虜のみならず、自分の部下にも強要する。ロレンス中佐が「我々に”行”を命じれば、自分もやっている」というシーンがあるが、自分のみならず、部下にも強要しているのであろう。
その容貌・身体的なしなやかさのみならず、わずか5人で危険な任務に挑み、1人生還して捉えられ、しかも死刑を前にしてもその闘志を失わないセリアズに惹かれていく。自分では秘めていると思っているその思いは駄々洩れ。心酔している部下がそれを案じ、行動を起こすも、その思いに腹を立て、信じられない処遇を命じる。
ヒックスリー俘虜長が、自分の思い通りに動かないと、キレて暴言を吐き、暴力に訴えて従わさせるしか能がない。まるで、反抗的な児童・生徒を前にした、力のない教員の如く、権力に縋って従わさせるしか能がない。
ロレンス中佐を獄へ入れるのは、無線機に対する落とし前をつけなければ示しがつかないという、不良グループによくあるような論理・スケープゴート。かつ、セリアズ中佐とともに戦ったことがあり、自分よりも親しいロレンス中佐への嫉妬から、排斥したがっているようにも見える。
それを、求道者の純粋性として見るか。私には小学5年生レベルにしか見えない。
裁判ではハムレットを持ち出して西洋文化にも通じているように見せるが、実際は自分の理解したいようにしか理解していない。ヒックスリー俘虜長たちが求める国際法すら理解しようとしていない。自分の精神性を押し付けるだけ。
対して、ヒックスリー俘虜長。
頑固。ではあるが、銃器に詳しいものの名簿を出せば、どんなことになるかを考えて応じない。”長”として、部下を守ろうとする気概がある。
相手の文化(日本文化)を理解しようとしない点では同じだが、上に立つ者としての責務は知っている。
ロシアにて拘留された俘虜たちがどんな生活をしていたかと比較すれば、ここと似たようなものではあるものの、少なくとも、ヒックスリー俘虜長はこの収容所での待遇改善に尽力している。
セリアズ少佐。
過去の思い出から、希死念慮を抱き、それが英雄行為に結びついている。その元になった過去の思い出も映画で描かれているが、正直、あの思い出で希死念慮は理解しがたい。それでも、帰りたい場所への憧憬は美しく、胸に迫る。
そんな心情をベースに、納得のいかないことヘは確固たる信念をもって反逆する。希死念慮をもつとはいえ、”死”への恐れはあり、震えながらも、踏ん張り、視線をそらさないところが、格好よく見える。髭剃りのパフォーマンスも見事。死を覚悟して整える姿。
「映画史上最高に美しいキスシーン」ドス ベソス(dos besos)。スペイン文化圏(ラテンアメリカ含む)で行われる挨拶。初対面やビジネスシーンではあまりやらないけれど、紹介されたときとかちょっと知り合っただけでも行われる。性的な意味合いはない。ラテンアメリカに居たときにラテンアメリカーノから聞いた話では、元々敵意がないことを示すパフォーマンスだったという。まだスペインが各国に分かれていた戦国時代。ギャング抗争の激しい頃。会談等で、武器を隠し持っていないよと示すパーフォーマンス。
セリアズ少佐がどのように思っていたかは表現されていないが、殴りかかって阻止すれば暴動になり、あの場にいた全員が殺される。それをあの突飛な行動で、阻止した勇断に感銘を受ける。
だが、ここに友情はあるのか。ヒックスリー俘虜長は、自分の代わりに俘虜長に成り代わりそうだったセリアズ少佐に命を救ってもらった恩義は感じたであろうが。
ヨノイ大尉は、自分の思いを”性愛”とは考えず、死をも覚悟した任務を遂行する気高き同志として思っていただけ。かつ、日本人同士でも身体接触には慣れていなかったであろう。しかも、スペイン圏の風習など知っているわけもなく、このパフォーマンスをどう受け止めてよいのか、ただたじろぐ。
セリアズ少佐はもとより、ヨノイ大尉が自分に示す情には気づいていただろうが、彼の思想を理解するつもりも、その情に応じる気持ちもなく。”行”をくだらないものと破った如く。
それに対する処刑。どうして銃殺でなく、あんな過酷な仕打ちなのか。他の俘虜たちへの見せしめなのか。白い砂、四方に張られた紐が、結界を示すしめ縄のようにも見えて…。
ロレンス中佐。
日本にいたことがあり、日本語が理解できるので、双方の橋渡し的な役割を担う。その経験と、キリスト教の教え(汝を苦しめるものを許せ:デ・ヨンへの葬式の言葉)にのっとり、「日本人個人を恨みたくない」という信念を持っている。また、皆で生きて帰るために、うまく立ち回ろうとしている。
長いものに巻かれろ的な立ち回りで、俘虜たちのためになるときと、誤解を受けるとき、厄介なことに巻き込まれるときと…。
ハラ軍曹。
私にとって一番理解に苦しむ。彼は度々ローレンス中佐に俘虜になることは恥だという。「俺だったら自決する」と言い切っている。にもかかわらず、ラストのシーンでは、捉えられたときに自決せず、裁判を経て、”死刑”となる。それも「他の奴がやったことと同じ」とも言う。しかも、片言の英語もマスターしている。何があったのだろうか?もともと、「自分は天皇家の英兵」というアイデンティティに酔っていただけで、有言実行にはならなかったのか。
”友情”を語るのなら、唯一、ハラ軍曹のロレンス中佐への思いであろう。思いがけなく、無線機により、処刑の危機にさらされてしまったロレンス中佐。それを酔ったふりして、セリアズ少佐ともども救う。ヨノイ大尉の意に背けば、場合によっては、自分が切腹を命じられるのにも関わらず。それでも殺したくはなかったのであろう。幸い、ヨノイ大尉は振り上げた刃の落としどころに困っていたから、別のスケープゴートを差し出したハラ軍曹へは、皇室のしるしがある煙草を渡し礼を示したうえで、別の仕事(降格?)を命じるだけにする。
ラスト。ハラ軍曹はロレンス中佐に「メリークリスマス」を贈る。キリスト教や欧米文化を理解してというより、俘虜収容所での唯一の人間らしい行いの思い出。それを胸に死に向かうことを示しているように見えた。その言葉を受けるロレンス中佐の笑みは、俘虜収容所で浮かべていたものと同じもの。恨んではいないものの、ハラ軍曹の思いを受け止めているとは思えず、表面的な理解をしているハラ軍曹を憐れんでいるように見えた。
Wikiを読むと、「(監督は)『セリアズ、ヨノイ、ハラそれぞれが自分の思いを伝えられずにいる』という女子中学生からの感想の手紙が、東洋と西洋の対立といった海外の反応や評論家よりも、よっぽどこの映画の本質を捉えているように感じられたという。」とある。
それだったら、腑に落ちる。セリアズ少佐は弟に、ヨノイ大尉はセリアズ少佐に、ハラ軍曹はロレンス中佐に。そして、カネモトとデ・ヨンのエピソードも意味を持つ。
だから、この凄惨な映画の中で、セリアズ少佐の思いが家に招き入れられるところが、弟に思いが伝わったようで、少し気持ちが落ち着くのであろう。
キャスティングによって、永遠に語り継がれる映画。
Wikiによると、どの役柄も変転している。候補に挙がった方々で作ったら、別の印象になりそうだ。だが、この反吐が出そうなシークエンスが続く映画で、このキャスティングだからこそ、また見返す気にもなる。偶然は必然なのだと思った。
奇跡の一作
大島渚(1932-2013)
戦後を代表する
演出家・映画監督
反権力・貧困など
社会派で知られ特に
「政治」や「性」を
特徴的に描く
「松竹ヌーヴェルヴァーグ」
と呼ばれる作品群で
知名度を上げていった
バラエティ出演も多く
一般にも知られる機会が
多かったが
晩節は脳出血と後遺症に
見舞われ1999年「御法度」
を最後にメガホンを
ついぞ取ることはなかった
影響を与えた監督は
マーティン・スコセッシから
クリストファー・ノーラン
そして北野武まで
枚挙にいとまがない
坂本龍一氏追悼特別上映
作品自体は観たことはあるんですが
大スクリーンで一度という事で観賞
1942年
ジャワ島
レバクセンバタの日本軍俘虜収容所
国に忠誠を誓い
いつでも死ぬ覚悟を決めている
と豪語するも
俘虜達と不思議な友情を
持っていく
ハラ軍曹(と日本兵たち)
日本文化を知りながらも
精神性までは理解できず
板挟みになる
ローレンス
肉親にもひどいことをした
自分自身の苦い過去から
死んでもいいから自分を
見つめ直したいと戦地に
身を置いていた英国軍少佐
ジャック・セリアズ
とそのセリアズの
真っすぐな瞳に
惹かれつつ自分の今までの
生き方と相いれられず
葛藤し続ける
ヨノイ大尉
立場を超えた友情なのか
もしくはこれはもう
愛なのかという描写を
続けながらそれぞれの
登場人物の心象が
むき出しでほんとに
魅せられる作品です
坂本龍一の全然
言えてない日本語セリフとか
ダンカンコノヤロー的
たけしのセリフ回しとか
全然気にならない
むしろ素のまま
やってくれる事で
どうしても素直な思いを
伝えられない日本兵
の葛藤をいやがおうに
描写しているのだから
ロレンスをひっぱたく時に
腰のサーベルがうっかり
ビョーンと鞘から
飛び出しちゃっても
リテイクしてないとことか
たけしのコメディアン
だというキャラクター性を
あえて省いてないんだなって
とこも面白いと感じました
たけし自身も高田文夫などに
「わけわかんない映画」
「坂本君とそう言い合っていた」
とかネタにしていたけど
絶対照れ隠しであろう
そんなたけしと坂本の
不器用な演技が映画の中で
確実なメッセージ性を
もっている点には
たけしらも衝撃を受けた
と言われています
実際たけしはこの出演以後
映画製作に興味を持ったと
聞いたことがあります
デビッド・ボウイも
当時の彼の神秘性を最も表している
映画だとノーランが評したのも
分かる存在感でした
(ノーラン最新作
「オッペンハイマー」
ではトム・コンティが
アインシュタインを
演じるそうですね)
印象的な音楽と共に
大スクリーンで見る機会が
あって最もよかった映画でした
ホモソーシャル
以前ビデオで鑑賞しましたが、リバイバル上映にて劇場で再鑑賞しました。ビデオよりも劇場で鑑賞した方が100倍位良かった。
現実なのか幻なのかも良く分からない、不確定要素だらけの戦場がまるで茶番劇の様で、こんなことをまともに信じてこんなことをまともに実行していた当時の日本軍がいかに狂っていたか。
でも、彼らの狂気も正気になる瞬間があって、ヨノイはセリアズと、ハラはローレンスと会った時だと思いました。ヨノイの思い描く美学にセリアスはピタリとハマったのだろうし、ハラの人懐っこい性格がゆるりとしたローレンスの性格に合っている様に見えました。お互いを人間と思わない環境で人間と認識する瞬間。
正気というのは、究極のところ、人間を人間だと認識ができる状態なんだと思います。
ハラキリから、生き埋めまで、ホモソーシャルの世界では、ホモセクシャルへの差別は実に異常です。このホモセクシャルへの差別の異常さは、逆に男性の本能の中に少しでもホモセクシャルの種があるからではないでしょうか。
ホモソーシャルの中では禁忌なはずなホモセクシャルな感情が、微妙なタッチで描かれていましたが、確か、戦国時代は戦場でのホモセクシャルは一般的にありましたよね。
ホモセクシャルが禁忌になったとしても、男性が男性に対して感じる慕情やエクスタシーは、隠しきれないし抑えきれない。そんな秘めた感情を日本的にシャイに描ききった作品だと思います。大島渚のボーイズラブ。私も男性だったら、もっとエクスタシーを感じたかもしれない。
責任とは
4K化(上映は2K)でたぶん十数年ぶりに観賞。ストーリーも台詞もかなり覚えていて自分でも驚いたが、鮮明な映像に加え、画面構成もセットや衣装も全く古びておらず、懐かしいというよりとても新鮮に感じた。(音声(台詞)の方は一部が若干浮いているように聞こえるのが気になった。軍事法廷の英語のアフレコっぽいところとか)
過去の自分の印象はセリアズと弟の物語にフォーカスしていたが、今回はたけし扮するハラ軍曹への悲哀を強く感じた。表層的には中間管理職のそれに近いが、その結果が重い。
彼が戦犯となったのは、劇中の出来事だけで考えれば、デヨンの自死や強制整列させた傷病兵の死、セリアズの懲罰死などの捕虜虐待に対して、上官のヨノイ大尉と共に現場管理者として責任をとらされたのかと想像する。
彼には彼なりの世界観、秩序意識、任務に対する責任感があっただろう。それは国際的な規範からは逸脱していたかもしれないが、当時の彼に他の選択肢が、より正しくはそれを知る機会があったのか。ラストで行く末を悟りながらも、ローレンスにこぼす「どうして自分だけが」との感慨には無力感が込もっている。
今は戦争という状況ではないが、選択の余地なく役割を果たすことを求められ、その結果責任を甘受しなければならないということについて、かつて本作を観たときには感じなかった切迫感を覚える。それは、社会での自分の立場が変わったからか、世の中の動いている方向ゆえだろうか。
実際には(戦時の兵士と違って)そこから離れるという選択肢もあるのだろうが、いざというときに自分は腹を決められるだろうか。
追伸:「ペルシャン・レッスン」の感想を書いたとき、教え子のSS士官に全く感情移入しなかったのだが、ハラと同じ立場だと思い至って、自分のバイアスに気づかされた。
ホモは知的なんだよ。
タイトルは大島渚監督のお言葉。(ボキャブラ天国より)
氏は遺作でも衆道を取り扱っておられましたが、肉体的、精神的な恋愛や性愛というよりは
性を超越した、人間愛的な域まで達しておられたような気がしますね。以上、タイトル回収。
さて、、
なんと気高く、混沌として、美しいシナリオと、美しい画と、美しい音楽と、美しい俳優が、
月光のブルーライトの下に集ったのであろう。
最高の映画作品ですね。
東洋と西洋、肉体と精神、罪と罰、生と死、愛と憎、正気と狂気、正常と異常、天使と悪魔、神と仏、仏と鬼、神と神、人と人、文化と文化、
様々な形で、対になる価値観の境界線がゆらぎ、感情が飛び越えようとするのを、理性が押しとどめようとする。
そして抑制しきれず、暴発し、溢れる。
伝い、零れる。
土と砂が、それを受け止める。
極限状態の閉じたコミュニティは、まるで小さな日本であるし、
誰を誰になぞらえるかで、意味も見え方も大きく変わってくる。
しかし変わらないのは、誰もが罪がないにも関わらず、裁かれる罪人であるということ。
それは人間に原罪があるからなのか。
彼らはなにを信じ、なにと戦い、なにに踊らされ、なにに裏切られ、なにに裁かれるのか。
かつてこの国を支配していた偽りの神と
この世界と人間をつくった創造神がいて、
(その神は時間と空間を渡る際に、仏と呼ばれたりもしたけれど、)
神の子である人間たちの
その戦争責任も含め、この物語は、様々な「?」を投げかけてくる。
われら、人間とはなにか。なんなのか。
これこそが、この映画のテーマに他ならない。
極限状態であぶりだされる、人間そのものの姿。
人間と人間は混じりあい、わかりあい、許しあうことができるのか。
誰もが正しく、誰もが間違っている。
敗戦した世界線で生きている、現代の我々の価値観からすれば、間違ったことも
戦勝した世界線では、正しいのかもしれないし
まして、世界の両端からやってきた、異なる種族の異なる価値観同士だもの、
互いを正しく理解することは不可能だし、
また、間違ったすれ違いでも、きっとなにかを伝達してくれる。
愛という言葉の概念すら(ましてや同性愛である)、文化によって違うこの世界において
彼が与えたキスと、彼が受けたキスですら、その意味は違っていた はずなのに、
国も人種も価値観も文化も飛び越えて、彼らはわかりあい、混ざり合うことができた。
正しさなんてなくて、誰もが同じだけ間違っている、同等の存在なのだから、
勘違いでも、夢でも、幻想でも構わない。思い込みで構わない。
それぞれの神がいて、それぞれの正義があって、それぞれの正しさを信仰して、生きてゆくしかない。
人を愛し、手をつなごう。酒を飲み、歌を歌い、花を手向け、罪を償い、魂を弔い、神の生誕を祝おう。
そして、人間らしく、死んでゆこう。
その死の瞬間までに、「救い」に辿り着けたなら、なんと幸せなことだろう。
この映画のあらゆる欠片に、少しでも美しさを感じたのなら、きっと、あなたも人間なのでしょう。
TAKESHI凄え
最初から最後までハラ軍曹が持っていっていました、あの笑顔が凄く良いんですよね
坂本龍一さん演じるヨノイ大尉のあどけなく未熟ながらも上に立たなくてはいけない若者の葛藤もあったり
この人が音楽も手がけているなんて信じられないなと思いながら映画を見ていました。
デビッドボウイのカリスマ性もありで奇跡のような作品でした。
戦争映画はとても好きだけど、私の好きなシンドラーのリストに少し似たものを感じました。具体的にどこが似ているのか、他と違うのかを良い表せないのが少し残念です。もっと映画を見続けて自分の感じていることを少しずつ理解できるようになっていきたいです。
メリークリスマス、ミスターロレンス。
多分、映画以上に主題歌が非常に有名な作品。劇中のメインキャラクターであるヨノイを演じた坂本龍一が、本作のために書き下ろした楽曲です。『メリークリスマス ミスターローレンス』というタイトルは知らなくても、誰もが一度は耳にしたことがあるのではないでしょうか。
完全に余談ですが、この主題歌は個人的に非常に思い入れのある曲です。私は大学時代に未経験者ながらピアノサークルに入会しており、この主題歌は冬の演奏会では必ず演奏されていた曲でした。そのためこの曲を毎年聴いていて、私も頑張って弾けるようにと初心者ながら頑張って練習した曲の一つです。
主題歌は数えきれないほど聴いていたのに、そういえば実際の映画は鑑賞したことがない。それどころかどんなストーリーなのかも全く知らない。これは本末転倒です。由々しき事態です。
秋田県大館市にある映画館「御成座」で4K修復版が上映されると知り、クリスマス翌日12月26日に鑑賞です。
結論ですが、非常に楽しめました。日本軍の俘虜収容所での、日本軍とアメリカ人俘虜という立場の違う者たちの間で生まれたる奇妙な絆。当時の日本軍による俘虜収容所での凄惨な虐待をありありと描きつつも、彼らの間に生まれる仄かな友情を垣間見ることができる。本当に素晴らしい作品でした。内容を知らずに観たので途中で同性愛的な描写が出てきたのは面食らいましたが、それもまた本作の素晴らしい部分だと感じました。
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第二次世界大戦中、ジャワ島にある日本の俘虜収容所に、日本軍の輸送隊を襲撃したアメリカの陸軍少佐ジャック・セリアズ(デヴィッド・ボウイ)が収容された。セリアズは同じく俘虜であったジョン・ロレンス(トム・コンティ)と旧知の中であり、収容所で再会を果たした。収容所は粗暴な軍曹のハラ(ビートたけし)とその上司である陸軍大尉のヨノイ(坂本龍一)が仕切っていたが、セリアズの行動によって、俘虜と看守たちの間に奇妙な絆が生まれ始める。
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映画自体が間違いなく面白いんですが、映画の裏話を調べると更に面白いです。
劇中でメインキャラクターとして登場するキャストたちですが、ほとんどが当初予定されていたのキャスティングとは違うそうです。
ビートたけし演じるハラも、坂本龍一演じるヨノイも、デヴィッド・ボウイ演じるセリアズも、トム・コンティ演じるロレンスも。当初は他の役者がキャスティングされる予定でした。
しかしながら、スケジュールの都合や映画の内容(同性愛描写)が問題になってキャスティングが変更になり、本作のキャスティングになったそうです。
特にハラはビートたけしさん以外の人が演じるのが想像できないくらい、「ビートたけし=ハラ」っていうイメージが頭にこびりついてしまいましたね。当初は緒形拳や勝新太郎にハラ役のオファーがされてたらしいですけど、もしもこの役を彼らが演じていたら間違いなく、本作のイメージは全く別のものになっていたと思います。
ビートたけしさんは後のインタビューで本作への出演をきっかけに「映画監督をやりたい」と思うようになったと語っており、今や「世界の北野」と呼ばれるまでに映画に愛された北野武監督の根源ともいえる作品です。本作が無ければ、北野武監督の名作も生まれてなかったかもしれないんです。
また、ヨノイ役も別の俳優さんが候補に挙がっていましたが、候補の俳優さんが全員スケジュールの都合でNGだったため坂本龍一さんに白羽の矢が立ったとのこと。更に「役者として出演するから映画主題歌も作らせてほしい」と坂本さんからの申し出があったことで、本作の主題歌『Merry Christmas , Mr.Lawrence』が作曲されました。つまり、坂本龍一が俳優としてキャスティングされていなければ、この名作映画も名曲主題歌も生まれていたなかったんです。
これを奇跡と言わず何と言うんでしょうか。間違いなく、本作は歴史を変えた作品です。
結果論かもしれませんが、このキャスティングで正解だったのかもしれませんね。今となっては他のキャストが演じているのは想像すらできません。それくらい、全員ハマり役だったと感じました。
唯一気になった点と言えば、昔の映画でよくあるんですが、台詞の一部が聞き取りづらかったところでしょうか。音質の悪さもありますし、演じているのが本職俳優でないからか台詞が早口で発音がはっきりしてなくて聞き取りづらい。後半になるにつれて耳が慣れてきて聞き取れるようになりましたが、最近の映画に耳が慣れ過ぎてしまっている私は気になってしまいました。
まぁ、些細な不満点なんて気にならないくらい素晴らしい映画でした。ラストシーンで「メリークリスマス!メリークリスマス、ミスターローレンス。」と言うビートたけしさんの顔のアップが頭から離れないです。オススメです!!
4K修復版観ての気づき
作品について個人的評価は満点。
今回最低3回観賞予定で2回終了。どちらも今までになく前方で観賞した。
真っ白い土が印象的で違和感アリアリだったが、あの日2.26と東京は雪シーンで、なぎさはなるほどそうゆう演出かスゲー!と勝手になっとく。
宗教についても、セリアズはキリストの見立てと考えればいい気持ちになる。抱擁するために歩くシーンで近くの日本兵に全く気づかれないのはリアリティーないなと今まで思っていたが、キリストなんだからこれぐらいの奇跡なんでもないか。背中の傷・誤解されて裁判・種・処刑・クリスマスと結びつけるもの満載。
じやーヨノイハラロレンスは何の見立て?と考えるのもおもしろい。ハラはたしか実家お寺さんの設定でロレンスは二つの文化や精神を解するしヨノイは死に遅れた神か。
ハラがロレンスにメリークリスマス言うシーン2回あるが、同じように少し微笑んで振り向くロレンスの横顔が特に印象に残った。
1983年ベストムービー!⭐️⭐️⭐️💖
セリアズがヨノイ大尉の頬にキスする場面に初めて泣かされました…
…素敵な作品です。
*久しぶりに観て気づいたのは、トム・コンティの日本語…何を言ってるのか聞き取れん。そして、同じくたけしと教授の日本語もよく聞き取れん笑
ジョニー大倉がどういう役どころだったのかは、あらかじめあらすじに目を通しておいたから良かったものの、そうでなかったら、なぜあんな仕打ちを受けているのか、多分理解出来なかったと思った。
私と同じくセリフの聞き取りに自信のない方は、ウィキペディア等で簡単にあらすじをおさらいしておくのが良いかも知れません…。
【感想文】魂の交流なんだと思う
戦場のメリークリスマス、有名すぎる名曲そのメロディは知っていても映画をまったく知らないでいた。冒頭から流れ、心捕まれる。
文化の違いは思想・価値観の違いを生み、解りあうことは困難となる。この時代の日本の思想、集団意識は恐ろしく感じた。いや、現代もまだ変わっていないかもしれない。
戦争という異常の中で、人間としての心を失くさずにいることも困難かもしれない。
ヨノイ大尉はセリアズに対し自分と同じ何かとは別に自分にはない孤高な気高さを感じ、惹かれたんじゃないか。その内側から滲みでる美しさに惹かれたんじゃないか。
セリアズもまたヨノイ大尉に自分自身をみた、だからこそ救いたかったんじゃないか。
彼らのシーンで2度流れた曲『種を撒く』が素晴らしかった。
絶望的なあの状況で、彼のキスにより、どれだけ多くの魂が救われただろう。彼は彼の命をもって種を撒いた。
集団として個人を失くし、軍人としての役割のなかで生きているハラ軍曹に対し、ひとりの人間としての関わり続けていたロレンス。彼のおかげで失くさないでいられた人間としての心。お酒とクリスマスを理由にして、サンタクロースとして、ひとりの人間としてロレンスとセリアズを釈放する。
最後のメリークリスマス!ミスターロレンス!には、17の時から軍人として生きてきた彼が、個人として選択した行為(自由)を誇りに思っているようにも感じたし、ロレンスに対する感謝と敬意と愛を感じた。
異常環境の中で生まれる性愛というテーマだけでは片付けられないものがあったし、友愛や性愛は混同していったとしても、根底にあるのは愛だと思う。
セリアズはたとえ弟に対する贖罪であったとしても、大我の愛をもって人間を救おうとしていた孤高な戦士。
デヴィッドボウイは本当に美しかったし、たけしの瞳も美しかった。
各人物の放つ美しさの表現として個人的な解釈として、セリアズの美しさはデヴィッドボウイ自身が放つ美しさで十分表現されていて、坂本龍一はメイクする事でヨノイの足りない部分もしくは背伸びしている部分を表現としているような気もした。
目の美しさだけを表現したたけしも見事だなと。
大島監督って凄い人なんですね。
原作『影の獄にて』を読んでから再び観たい。
戦争映画かと思いきやもっと私的で耽美的な物語。
この度リマスター上映で初観賞。
坂本龍一さんの主題歌のみ知ってたけど、他はほとんど前知識なしで観た。
劇伴も含めて独特の雰囲気。
戦争映画かと思いきや、舞台背景は戦時下ではあるものの、主題はそこになく、主にハラ軍曹やヨノイ大尉と捕虜たちの閉じたコミュニティでの関係を描いた、一種の耽美的な作品だったという印象。
ヨノイ大尉がセリアズ少佐にキスされて恍惚とした表情を浮かべるシーンは、なんというか見てはいけないものを見てしまったショッキングさがあった。
観終えてみると、出会った瞬間にヨノイ大尉はセリアズ少佐に囚われてしまったのだなと思える。
あの極限の状況下で、片想い?した相手に焦がれながら自分を戒め続けた一人の青年がヨノイ大尉だったのだ。
とはいえ個人的にはハラ軍曹とロレンスの関係の方がグッときたな。ある部分では敵対しあいながらも、でもその底ではお互いのことを認め合っている信頼感のようなものを感じられて。
そして、若いデヴィッドボウイや坂本龍一の美しさはすさまじかった(坂本龍一はあんまり演技が上手ではなかったが…)。
あとはやはり北野武さんの独特な存在感がとても印象的。狂っているようで無垢さも感じられる、あの人にしか出せない雰囲気。
まさにセリアズ少佐の劇中の言葉「変な顔つきだが目は美しい」を体現していた。
収容所で酔っていた時と、ラストシーンのハラ軍曹の「メリークリスマス、ミスターロレンス」のあの優しさと狂気の混じったような何ともいえない表情はちょっと忘れられないと思う。
あと戦争を知らない世代としては、日本軍のやり方(切腹制度も含めて)はやはり色んな点で気持ちの良いものではないなと思う。戦場に身を置き戦い合った人間同士なら感じ方はまた違うのだろうけど。
感じ方といえば、この作品を観終えてみると坂本龍一さんのメインテーマ「戦場のメリークリスマス」が鎮魂歌のように聴こえるのも面白かった。
死んでいった者たち、秘めて報われなかった想い、それらへの鎮魂歌。明るさと仄暗さ、美しさが混じり合う不思議な曲だ。
1942年、太平洋戦争中のジャワ、山岳地帯の谷間にある日本軍・浮虜...
1942年、太平洋戦争中のジャワ、山岳地帯の谷間にある日本軍・浮虜収容所。
ある日の未明、朝鮮人軍属カネモトによるオランダ兵捕虜に対する性的暴行事件が起きた。
ハラ軍曹(ビートたけし)は、通訳役の英国軍・ローレンス中佐(トム・コンティ)を連れ、独断で処罰にあたろうとしていた。
そこへ駆けつけたのは収容所長のヨノイ大尉(坂本龍一)。
ハラ軍曹へ後刻報告の命を出し、大尉は日が昇ると軍律会議出席のためバビヤダへ向かった。
ヨノイ大尉は、その軍律会議・法廷の場に被告として立っていた英国軍・ジャック・セリアズ少佐(デイヴィッド・ボウイ)を一目見て衝撃を受ける・・・
といったところから始まる物語で、初公開時に観たときにはさっぱりわからなかった映画で、公開当時は「ホモセクシャルを扱った・・・」云々の宣伝がされていたように記憶しています。
たしかに男性しか登場せず、冒頭から男色が扱われているので、あながちまちがいではないのですが、根底にあるのは、西洋と日本の文化・精神・価値観の激突、でしょう。
映画が始まってしばらくしてから登場するセリアズは、デイヴィッド・ボウイの容貌もあり、悪魔的な魅力をたたえており、バダビヤの処刑シーンでは磔刑に処せられたキリストを彷彿とさせます。
タイトルのクリスマスはとりもなおさず、キリストの生誕を祝う日であることから、セリアズはキリストをモチーフにしていると思えます。
そのセリアズを一目見て衝撃を受けるヨノイ大尉は、その美を通して、西洋の神髄のようなもの魅入られたわけで、このシーンはルキノ・ヴィスコンティ監督『ベニスに死す』の老境の作曲家アシェンバッハが浜辺で美しい青年タジオを見出したシーンを思い出しました。
その後、セリアズはすんでのところで命拾いし、ヨノイが管理する浮虜収容所に引き取られることになるわけですが、西洋精神と日本精神の小競り合いともいえる小さな出来事が続いた後、冒頭のカネモト事件が佳境に入ります。
カネモト事件の中心となるのは男色ではなく、「死」に対する西洋と日本での捉え方で、「死」=「潔し」とする日本的思想を、映画は観客に対して疑問符を投げかけていきます。
死が潔いものならば、勝つこと(=生き延びること)が重要な戦争の結果は明らか。
そして、もうひとつの敗因は不寛容。
「あるべき」姿を推し進め、それ以外は許さないという態度。
他者を、自分と、自分たちと異なる他者は受け容れないという態度。
結果、当然の帰結として、日本は戦争に負けてしまった・・・
クライマックスは、捕虜全員を整列させ、捕虜長のヒックス(ジャック・トンプソン)に対して、兵器の専門家を問い、回答を拒否したヒックスに対して、ヨノイが抜刀するシーン。
静かに歩み寄ったセリアズに抱擁されたヨノイは卒倒してしまう・・・というシーン。
少しずつ西洋的なものが浸潤していったヨノイにとって、振り上げた刀でヒックスを斬り棄てる覚悟はあったのか・・・
セリアズの抱擁は、ヨノイの弱さをヨノイ自身が認めても構わないという赦しだったのではないだろうか・・・
そして、赦しを授けるセリアズ自身にも許されない過去があった。
それは人間の原罪ともいうべき、他人に与し、みなと異なる弟を見殺しにしたこと。
ヨノイは更迭され、セリアズは首だけを残して地中に埋められていまう。
磔刑から逃れたキリストは、日本軍の刀により斬首されたかのように・・・
セリアズの回想シーン以降は、うまく理解・呑み込めませんが、やはり、なんだかただならぬものを観たような気がします。
そして、ラストシーン。
戦後、処刑を待つハラのもとをローレンスが訪れるわけですが、そのときのハラの姿は清々しくも、どことなく奇妙です。
剃髪し、まるで出家僧にでもなったかのような風貌で、ほとんど英語でしゃべるハラ。
「メリークリスマス、ミスタァ・ローレンス」と声をかける笑顔。
ローレンスと和解し、西洋の文化を理解し、「キリストの生誕日、おめでとう」と言いながら、旧来の価値観である「潔い死」を迎えようとするハラの姿。
その姿は清々しいがゆえに、やはり、かなり奇妙です。
もしかしたら、戦後の日本人はそんな姿で生きてきたのかもしれません。
ローレンス! の言い回しがなつかしい
スタンプ会員の日にいつもの映画館で
先週とは違いそこそこの入り
この映画館は4K修復などのリバイバルをよくやっていて
前に太陽がいっぱいとかストリートオブファイアーを観た
公開は中学生の頃で
オリジナル上映は観ておらず
大学生の頃にレンタルビデオで観たような記憶があるが
今回ほぼ初見の印象
当時のオラには難解だったか退屈すぎて
途中で観るのをやめたのかも
覚えていたのはジョニー大倉の切腹とたけしの介錯
たけしのラストのセリフと笑顔
たけしの念仏シーンは印象深い 意味はよくわからんが
あとローレンス! の言い回しがなつかしい
刑事ヨロシクの延長の芝居
Hana-biの世界とは一線を画す
坂本龍一の昇天シーンはコントと紙一重
デビッドボウイの学生服も単に監督の趣味かな…と
どの程度原作に忠実なのかは知らぬが
エピソードが本筋から遊離しているような…
あと生き埋めと蛾の画 意味が分からぬ
まぁ最後まで完走できたのは
それなりに鑑賞力がついているのかも
何せ昭和の作品だからな~
今観るといろいろ粗くて観づらい
セリフも聞き取りにくいところが多々あった
今の映画のクオリティの高さとか見易さに気付く
英語の発音とか役者の歯並びとか
逆にリアリティーはあるかも
若い内藤剛志も出ているし
本編では気付かなかったが
エンドロールで三上博史の名前も見つけた
そういえば本間ゆうじってイキのいい役者だったなぁ
たけしの映画監督進出とか
坂本龍一のラストエンペラーとかレヴェナントにもつながる
歴史的な作品かと
予告編でやはり大島監督4K修復の愛のコリーダ…
藤竜也若い 後に北野作品龍三…に出演
これも何かの繋がり 奇縁だなと
鑑賞後恒例のひとりベンチビール 今日は東口にしようかと
スペースを探すのに困るほど 結局先週と同じ西口でグビ
コンビニではビールを大量に買い込む集団がいた
本末が転倒している緊急事態だ 健全でいいことだ
飲め飲め
今更ながら初見
観た印象は悪くはなかったがそれほど名作でもない印象だった
思ってた程反戦的な内容に乏しくそこがあまりって感じ
演技は役者じゃない人間を起用してる割には悪くない印象
特にたけしはとても重要で印象的な役割をしっかり演じてる感じ
デヴィッドボウイも若かりし頃の印象的な姿をよく記録してる感じ
坂本龍一も演技と音楽に花を添えてる感じがする
日本人には当たり前の姿勢感、宗教観、倫理観、また当時の軍属の差別的な選民意識
などを感じさせる内容で
あまり知られてなかった日本人の価値観を伝える映画だったのかもしれないと思った
この映画の為に私財を投げ打った大島渚監督は素晴らしい
そしてたけしの呼びかけるメリークリスマスのシーン
ボウイと坂本龍一の頬にキスするシーンなど
奇跡と言われた印象的なシーンが映画を盛り上げる
私にはあとひとつ刺さらなかったけれどイイ作品だと思った
【”憎しみに対して愛で応える・・。”名曲「Merry Christmas Mr.Lawrence」の美しきメインテーマ曲が、大島監督が拘っていた男色の世界を、芸術作品に昇華させた記念碑的作品。】
ー 内容は、巷間に流布しているので、割愛。
だが、若きデヴィッド・ボウイと坂本龍一の蠱惑的な美しさは、忘れ難い作品である。ー
■感想
・狂気性を帯びた、帝國陸軍軍曹のハラ(ビートたけし)の制圧する側から、処刑される側に変わった際の、諦観したような笑顔。
そして、且つて捕虜だったロレンスに対して満面の笑顔で言った言葉、”Merry Christmas Mr.Lawrence!”。
・戦時であったからこそ、赦されない男色行為が、実は戦場で屡行われていた事は、周知の事実である。
だがこの作品では、それを国境、人種を越えた
”人が人の過ちを接吻によって赦す。”
と言う、観方によっては耽美的な行為で示している点が、鑑賞側に強い印象を残した。
・英国陸軍少佐セリアズ(デヴィッド・ボウイ)は、その行為により酷暑の中、首だけ出した生き埋め状態により、命を落とし、セリアズの行為により、ぐらつく気持ちを帝國陸軍ヨノイ大佐(坂本龍一)はギリギリ保つ。
だが、彼も終戦後処刑される・・。
<男色の耽美的世界を、第二次世界大戦時の日本軍俘虜収容所を舞台に蠱惑的に描いた、忘れ難き作品。
若きデヴィッド・ボウイと坂本龍一の姿も、鮮烈であった作品。
鮮やかな色彩が印象的であった作品でもある。>
■蛇足
・吉田秋生さんの作品でも描かれているが、おバカな中学生であった私は、この作品に影響を受け、学内で喧嘩をする際に、いきなり手を出すのではなく、まずは眼光鋭く相手に近づき、(気持ち悪かったが・・。)イキナリ相手の頬に接吻するという攻撃方法を編み出した。
同年の輩で、この映画を観ていたモノは殆どなく、この攻撃方法は実に効果的で、相手の戦意を一気に喪失させることが出来た。
そして、何故か、それまで以上に女子にモテるようになった・・。
性別関係なく、突然の”baiser"は効果的であることを申し上げる次第である・・。
ホント、幼少期からおバカでスイマセン・・。
◆追悼<2023年4月3日 追記>
・坂本さんが、僅か71歳で亡くなってしまった・・。
小学生時代にYMOと出会い、今まで知らなかったテクノポップに魅了され、その後も彼の方が発表された全CDを聴いて来た。
非情に残念である。
謹んで哀悼の意を表します。
なんで評価高いのかわからん
昔も今も
初盤、たしか男色に走った兵に対する仕置きがえげつなさすぎて、その後のストーリーがあまりピンとこなかった。
それにこの話はまったくデタラメと考える、作り話としても。たかが男色くらいで切腹とかあり得ない。
これは、戦時中の同性愛について調べてる方がいて、実例として残ってるのではっきりデタラメと言える。
だいたい大島渚という人は変な映画ばかり作ってた。たしか左翼系で…というよりこの世代の文化人はだいたいそうだが
この映画も日本陸軍はとにかく鬼の非人道的集団だというかたよった考えがみえる。
最後のデビッド・ボウイの役への仕置きもやりすぎだし、ここまでやったのだからラスト
死刑をまつたけし演じる軍人にもまるで同情できない。
他の方も書いてるが、坂本龍一の音楽がいいという以外たいして価値もない映画だと思う。実際この映画で評価がさらに高まった坂本龍一は「ラスト・エンペラー」の音楽を全編担当する。
まあ、当時の軍がどうだったか、実際にはわからないけど自分たちからさらに後の世代には。
小林よしのりとか、新しい歴史教科書をつくる会とかが、「自虐史観」とか言い出して雰囲気変わったけどそれまでは
日本軍がとにかく悪かったのです、世界中の皆さん申し訳ありませんでした。というのが普通だったからなあ。
どっちもかたよった考え方だと思うけど。
昭和の軍、特に関東軍がかなりめちゃくちゃに暴走したのは事実。
ただ、進出を拡大し続ける日本に、アメリカその他連合軍もやりすぎたのも事実。
お前らだっていろんな国植民地にしてただろ、とくにイギリスは、という話ですよ
まあ、この映画をもしみる機会があったら、そういう時代背景を考えたほうがいいとは思います。
過酷さと明るさ
戦争っていやだなあっていう、シーンがあったり、いろいろ複雑な映画でした・・・。ビートたけしさんのハラ軍曹が光ってましたネ・・・。何やかんやで、戦争と平和について考えさせられました。
誰も正しくない
俘虜と日本軍。きっと知らないところで、敵同士の愛や、友情があったのだろう。しかし戦争という舞台の上で、みんなが幸せになれる道はどうしてもなかった。誰も正しくないが、誰も悪くない。それを初めから分かっていたローレンスが、終戦後も生きていてくれたのは救いだった。
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