「ホモは知的なんだよ。」戦場のメリークリスマス 加藤プリンさんの映画レビュー(感想・評価)
ホモは知的なんだよ。
タイトルは大島渚監督のお言葉。(ボキャブラ天国より)
氏は遺作でも衆道を取り扱っておられましたが、肉体的、精神的な恋愛や性愛というよりは
性を超越した、人間愛的な域まで達しておられたような気がしますね。以上、タイトル回収。
さて、、
なんと気高く、混沌として、美しいシナリオと、美しい画と、美しい音楽と、美しい俳優が、
月光のブルーライトの下に集ったのであろう。
最高の映画作品ですね。
東洋と西洋、肉体と精神、罪と罰、生と死、愛と憎、正気と狂気、正常と異常、天使と悪魔、神と仏、仏と鬼、神と神、人と人、文化と文化、
様々な形で、対になる価値観の境界線がゆらぎ、感情が飛び越えようとするのを、理性が押しとどめようとする。
そして抑制しきれず、暴発し、溢れる。
伝い、零れる。
土と砂が、それを受け止める。
極限状態の閉じたコミュニティは、まるで小さな日本であるし、
誰を誰になぞらえるかで、意味も見え方も大きく変わってくる。
しかし変わらないのは、誰もが罪がないにも関わらず、裁かれる罪人であるということ。
それは人間に原罪があるからなのか。
彼らはなにを信じ、なにと戦い、なにに踊らされ、なにに裏切られ、なにに裁かれるのか。
かつてこの国を支配していた偽りの神と
この世界と人間をつくった創造神がいて、
(その神は時間と空間を渡る際に、仏と呼ばれたりもしたけれど、)
神の子である人間たちの
その戦争責任も含め、この物語は、様々な「?」を投げかけてくる。
われら、人間とはなにか。なんなのか。
これこそが、この映画のテーマに他ならない。
極限状態であぶりだされる、人間そのものの姿。
人間と人間は混じりあい、わかりあい、許しあうことができるのか。
誰もが正しく、誰もが間違っている。
敗戦した世界線で生きている、現代の我々の価値観からすれば、間違ったことも
戦勝した世界線では、正しいのかもしれないし
まして、世界の両端からやってきた、異なる種族の異なる価値観同士だもの、
互いを正しく理解することは不可能だし、
また、間違ったすれ違いでも、きっとなにかを伝達してくれる。
愛という言葉の概念すら(ましてや同性愛である)、文化によって違うこの世界において
彼が与えたキスと、彼が受けたキスですら、その意味は違っていた はずなのに、
国も人種も価値観も文化も飛び越えて、彼らはわかりあい、混ざり合うことができた。
正しさなんてなくて、誰もが同じだけ間違っている、同等の存在なのだから、
勘違いでも、夢でも、幻想でも構わない。思い込みで構わない。
それぞれの神がいて、それぞれの正義があって、それぞれの正しさを信仰して、生きてゆくしかない。
人を愛し、手をつなごう。酒を飲み、歌を歌い、花を手向け、罪を償い、魂を弔い、神の生誕を祝おう。
そして、人間らしく、死んでゆこう。
その死の瞬間までに、「救い」に辿り着けたなら、なんと幸せなことだろう。
この映画のあらゆる欠片に、少しでも美しさを感じたのなら、きっと、あなたも人間なのでしょう。