ゆれるのレビュー・感想・評価
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揺さぶられる
やっぱり好きな映画です。
もう10年以上前になるのか、
二度目見る事で真相が何か分かるかなと思ったけど、
やはり真相は藪の中。
一度目観た時は絶対やったよと思ってましたが、
弟の疑心暗鬼が兄を悪人に仕立てて行き
観客も誘導されたようにも見える。
全ては兄の手の内で転がされてるのは確かで、
父、弁護士のおじ、弟、全てから解き放たれたいがための演技だったのかなと思いました。
ただやはり犯罪自体が故意なのか事故なのかは分からない。
香川照之さんの演技が凄すぎてラストカットまで
とても不気味。
劇中のセリフにもあったけど何を考えてるのかわからなくてとても怖い。
ただ無邪気なようで、ただただ心配してるようで、
だけど胸中は穏やかではない、全部知ってるぞと言う
気にさせる演技は10年経っても覚えてるほどでした。
弟の揺れ動く胸中が反映されてる映像もとても印象的で
何度も観たくなる映画でした。
やらかし俳優多数出演。それとは違う意味で見応えありました。 兄は突...
やらかし俳優多数出演。それとは違う意味で見応えありました。
兄は突き落としたのか?さんざんゆらされた挙句、ようやく出た結末。かと思いきや、ラストでまたゆらされる。ウソついてたってこと?思い出したってこと?
またまた考察しろってことですね(笑)
本来、そんな作品はあまり好きじゃないのですが、本作は見応えの方が勝ってました。拍手👏
心が揺れた
兄弟の信頼がテーマ。
川端 智恵子(真木 よう子)の心境はわかりやすい。
視聴中、早川 稔(香川 照之)と早川 猛(オダギリ ジョー)の二人の言動に振り回されて、事実はどっちなのか心が揺れた。
カリフラワーズが映画のために作った音楽も映画の雰囲気に溶け込んでいて良かった。
2020年以降の作品と比較できる面白さがある
少し前の作品だけに、カメラワークやシーンのカットも一世代前なのかなと感じた。
だがこの作品もまた、人の心、特に心の奥底に潜むようにある澱のような影を描き出している。
主人公のタケルが実家で兄のミノルにもらった8ミリ映写機。そこに映っていた二人がまだ幼い時の家族の風景。
邪心のない姿。「あの頃の自分の姿」
私も実家で見つけた録音機に、小学1年生くらいの頃録音された自分の声を聴いて涙したことを思い出した。何気なく、作為なく、ただ思った言葉を録音しただけのテープ。
物語でも、タケルがそんな純粋だった自分自身を、兄と家族を見てしまうことで、ようやく本来の自分自身を取り戻した。
タイトルの「ゆれる」は、文字通り古い吊り橋の揺れ、そして兄の心の揺れ、タケルの心の揺れのことだろう。
そしてそれは「ゆれる」ので、良くも悪くもなる。その揺れる様をこの作品は描いているのだろう。
その心の揺れを、裁判というモチーフを使って描き出している。
吊り橋の上で起きた出来事を誘引したそもそもの原因は、タケルにある。ただし、タケルは何も知らないでチエコを抱いた。
実家で兄から変な質問をされても、まったくわかっていなかった。
タケルは最後に「最後まで僕が奪い、兄が奪われた」と言っていたが、この「知りえないこと」に対する罪悪感は、この作品上どのように捉えればいいのだろうか?
蓮見渓谷ではしゃぐ兄。チエコはタケルに「ミノルはもう気づいているよ」という。
地方人の東京への憧れ。夢や希望と対照的な地方での暮らし。垢ぬけて見違えて見えるタケルの風貌。
チエコにはタケルが都会人に見えて、実家を継ぐミノルに魅力は感じない。母の法要で立ち寄ったそのGSで、タケルはチエコに気づく、彼女もまたタケルに気づくが声を掛けずにいたのは、田舎特有の気恥ずかしさなのか、それともほかに意味があったのか?
些細な気持ちを隠してしまう習慣、または地方性、それともそれは彼ら特有のことなのか?
2度目は平気な顔で飯でも行こうとする。
ミノルはその際なぜタケルに飯代を握らせたのだろう? カメラワークは休憩室の中からだから、その視点はおそらくチエコだ。そうであれば、ミノルはチエコに見せるように格好つけたのだろう。
また、帰宅したタケルになぜカマを掛けたのだろう?
ミノルの行為が裏目に出ている。それがこの兄弟のいつものことなのか?
ミノルがタケルに対して思っていた本心は、「初めから人を疑って、最後まで一度も信じたりしないのが、俺の知っているタケルだ」というセリフそのままなのだろうか?
ミノルはいつも兄を演じて弟を守り、裏切られても知らん顔をしてきた裏返しの言葉か?
証言台に立つタケルの「ウソの証言」に対し、薄ら笑いを浮かべながら聞くミノルの内心はきっと、「そら、俺の言った通りだろ」というところだろう。
弟を最後まで信じていなかったのは、むしろミノルの方ではないのか?
その前の法廷で、検察が示した証拠に、チエコと第三者との性的関係が示されたとき、その相手が誰なのか、ミノルはその関係をどのように思っていたのか、ミノルがなぜあの吊り橋を渡ろうとしたのか、タケルにはすべてがつながった。
ミノルは二人の関係を知り、でもチエコが好きだったことで、どうしてもチエコをタケルに渡したくない思いが、あの事故を引き起こしたことを、タケルはすべてわかってしまったのだ。
しかし、その直後の面会でミノルから「初めから人を疑って、最後まで一度も信じたりしないのが、俺の知っているタケルだ」と言われたことは、タケルが一番他人に知られたくないものだった。そう言いきれればその通りになるが、実際はどうだろう。
人は、たとえそれが事実であったとしても、自分自身認識していないことにどれだけ腹を立てることができるだろう?
タケルはそれを認識していたということになる。ただその他のエピソードがないのでわからない。そしてそのセリフと、ミノルが認識しているタケルとチエコの関係が明らかになり、お互いにそれを共有したことで出たセリフとは思えない。だからそこがわからなかった。
タケルは証言台で真逆のことを話した。そして実刑7年の判決。
口先でも「一番信じていた兄」に対する背徳行為。
タケルの心の闇。
作品はそのような闇は誰にでもあると言いたいのだろうか? それは、何か特別な出来事によって発生したのではなく、長年積み重ねてきた「もの」だと言いたいのだろうか?
想い出の8ミリの中の、汚れなき頃の自分を見て泣いたのは、知らず知らずのうちに汚れてしまった自分自身に対する赦しではないのか?
確かに毎回タケルが奪い、ミノルが奪われたのかもしれない。そのことで不信になったのはミノルの方で、タケルが、そんなミノルを断罪したのだ。
8ミリを見てタケルはミノルと断罪した自分自身を許した。
ミノルは獄中何を考えていたのだろう?
実家とは逆方向に向かうバス停。
大通りの騒音は、あの日の吊り橋との距離感と似ている。
「兄ちゃん、うちに帰ろうよ」と叫ぶタケルの声にようやく気付いたミノル。
彼は甲府行きのバスに乗り込んだのだろうか?
物語は無神経なタケルから始まり、兄の本心に触れ、兄を断罪し、汚れのない自分自身を8ミリの中で見つけ、出所した兄を迎えに行くまでを描いている。
ミノルの心中はわからないままだが、彼もまた自分自身を取り戻す作業に入るのだろう。
自分を断罪した弟が迎えに来たことに微妙な心の変化が彼の表情に出ていた。
すべて諦めた中から出てきた希望の種を、ミノルは見たに違いない。
ミノルのあのセルフ、チエコの微妙な表情の意味、「知りえない」ことを問う是非、若干掴みにくい箇所があったが、そういった部分が見直されながら発展している邦画は、本当に素晴らしいと思った。
ゆれるのは
吊り橋だけにあらず
積年の兄弟の確執、その親兄弟のそれ
田舎のガソリンスタンドと都会の写真家
田舎のガソリンスタンドと弁護士…
田舎町で、人生が色褪せていく、都会に行く機会を決断できなかった女…真木よう子、ハマり役
結局、、吊り橋で、兄は女を突き飛ばしたのか否か…
そこは、観る側に委ねられているようだが…
面会での兄の一言にハッとした
お前は、犯罪者の、家族になりたくないだけだ
ゆれる
香川照之、オダギリジョーの兄弟が正反対でそのあいだで
まさに「ゆれる」感情や状況。
映像での情報量がすごいと感じた。
これが小説ならどう表現されるのだろう。
また観たら違う視点に気づかされそうな映画でした。
香川照之の表情に心がゆれる
香川照之ってこういう掴めない感じの演技が上手いよね。
めちゃくちゃ惹き込まれる。
真面目な兄と遊び人の弟。
兄は橋の上で智恵子を落としたのか、助けようとしたのか。
弟は本当に見ていたのか、兄を庇っているだけなのか。
観ているこっちも思考がずっとゆれる。
衝撃のラストではあるんだけど、解釈が難しい。
最後の兄の笑顔はなんなん。
めっちゃ怖い。
西川美和監督とか、是枝裕和監督とか、中島哲也監督とか、一つの画面に...
西川美和監督とか、是枝裕和監督とか、中島哲也監督とか、一つの画面にいろいろなメッセージを詰め込む監督の映画って、見返せば見返すほど、新たな側面が見えてきて、一度目と二度目の鑑賞では、見方がガラリと変わることがあるんですが、そもそも人間はそこまで注意深く生きてないもので、一度見ただけでもなにがしかの受け止めはあります。
この映画ならば、兄・弟・女の力関係の移り変わりをどれだけ細かく受け止めるかで、多分、見方は全然違う。
弟が東京へ行くまで、女は多分、絶対的な力のある存在だったのでしょう。だから弟が東京へ一緒に行かないかと誘ったとき、断った。だけど弟が東京へ出て、自分が唯一絶対的な存在でなくなったと気付いたとき、女は戸惑っただろうし、それでも兄の存在は、「滑り止め」的なものだとしても、ありがたかった。ここまでの変化は緩やかで、希望のあるものだったでしょう。
ところが弟の帰郷によって起こされた変化は急激で、三人の力関係を混乱させてしまう。その混乱をどこまで細かく掬い取るかで、見方は全然変わりそうです。
私としては、ただ嫉妬で女を追いかけたとばかり思っていた兄の心に、最後のシーンで、純粋無垢な心配があったのだと気付かされたのがとてもショックでした。
香川照之の最後の笑顔については、私はしごく単純に、
エドガーはユーシスを殺したモノだと思い込んだメリーベルが、復讐すべくエドガーがやってくるのを待ち続けていたけれど、エドガーの顔をみた途端、「待ってたんだから!」と泣きながら抱き付いてしまう
……のと同じに受け取りました。
見てるうちに、兄は香川照之そのものに見えてきて、今目の前で見せられているこの兄の人生が、香川照之の人生なのではないかと勘違いしそうになり、非常に混乱しました。
それなのに誰も、香川照之を「カメレオン俳優」なんて呼ばないんですよね。
やっぱりこの人の代わりなんかいないよなぁ……と思ってしまった。
この映画で改めて天才だと認識した役者がもう一人おります。
田口トモロヲさんです。
あの声だよ。どこから発声してんだ。
シナリオは良いのだが・・・
この作品を女性が見て入り込めるのだろうか?少なくとも男の自分にはいまいち演出過剰に見えるのだが、自分だけの感覚だろうか?配役と設定が合ってないのか、設定と配役合ってないのか・・・カメラアングルにはとても才能を感じるのだが・・・
静と動
オダジョーが好きなので観た作品。笑
あまり目立って大きな盛り上がりのない作品が好きで、これも良かったな。リアルだなと感じた。
観終わって思ったのは、出てくる景色が限定的で、その分役者さんの繊細な感情の「ゆれ」が静かながらもかいまみえて、余計なものを排除したシンプルさがとても好きだった。
ゆれた
ずっと見たいと思っていた作品。
想像を超えるほど、こころ揺さぶられました。
兄が抱いていた感情は、言葉で表現すると野暮でカッコ悪くて誰も聞きたくないようなものだけれど、この映画では、ゆっくりじわじわとこころに浸透してきて、それが自分の中の隠れていた感情と共鳴した感じ。
そして、弟の無邪気だけど自分勝手な甘えた自我にもまた気づいて行く。オダギリジョーはカッコ良すぎるけど。
家族は、一番近くて一番長く時間を共にする人間だけれども、それぞれの感情は違っていて、なんと言って良いのか分からないけど、悲しくていとおしい。
真実は一つなのに、それを法廷で明らかにすることは本当に難しい。
ゆれるのは吊り橋と心。 真木よう子が吊り橋から転落死したのは事故か...
ゆれるのは吊り橋と心。
真木よう子が吊り橋から転落死したのは事故か香川による殺人か。
オダギリは当初は香川を擁護していたが、香川に罵倒されて証人尋問では「香川による殺人」と虚偽の証言をしてしまう。
その香川も一見真面目で誠実な人柄に感じられるのだが、実は自己を卑下し、キレやすいところがある。
素直に応援できない兄弟だ。
ラストは何となくハッピーエンドっぽい雰囲気にはなっていたが、もう一つすっきりしなかった。
面白かった。
何も思わず観たけれども、面白かった。
兄弟のこういう映画ってジャンルとしてあるよね。意識しだしたのはリバーランズスルーイット位からかな。もうちょっと、親のことがスパイスとしてあると尚よかった。
ほぼほぼ
全員勘違い。
オダギリくんじゃなきゃ観てなかった。
映画をよく観るよく知ってる人ならこれは評価高い映画と思わなきゃいけないテイストの映画ね。そうやってノリや真似で映画監督も上手くなっていくのかもしれません。誰のせいでもない。
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