「科学技術の進歩とコミュニケーション」セックスと嘘とビデオテープ レントさんの映画レビュー(感想・評価)
科学技術の進歩とコミュニケーション
冒頭でセラピーを受けるアンの様子から始まる本作。仕事として割り切って話を聞いてくれる専門家に対しては家族にも言えないようなことを話せるからセラピーのようなものが重宝されるのかもしれない。
あと腐れのない行きずりの人間とセックスするかのようにビデオカメラを前にして自分の性体験を告白するのも同様に。
アンは夫ジョンの言うがまま仕事をやめて専業主婦になった。ジョンとは長いことセックスレスの関係。
ジョンのかつての親友グラハムがその家を訪れる。彼はジョンと似た者同士だったが今では別人のように。そんな彼にアンは好感を持つ。
アンと妹シンシアとは性格が真逆でお互いを嫌い合いながらもその交流が途絶えることもなく遠慮なくものを言い合う関係だがシンシアは姉に秘密にしていることが。ジョンとシンシアは関係を持っていてジョンはアンに噓をつき続けていた。
そんなジョン同様、学生時代病的な噓つきだったグラハムはそれがもとで最愛の恋人エリザベスと破局してしまいそれからは根無し草のような生活を続けてきた。
彼はその時以来性的不能に陥り、行きずりの女性へのインタビューをビデオカメラに収めることで自分を慰めてきた。
本作を通して感じるのはコミュニケーションの問題。アンたち夫婦はお互いの気持ちを理解し合うどころかジョンは妻に噓をつき続けている。アンは無理やり家庭に閉じ込められフラストレーションから不安症に。そんな彼女の気持ちをジョンは理解しようとさえしない。セックスレスというのはこの夫婦がコミュニケーションを全く取れていないことを暗喩したもの。
グラハムもあれ以来不能となり人との関わりを避けているのはコミュニケーションを自分から断っていることを表している。
セックスは言葉を使わないコミュニケーションで相手の気持ちを肌で感じ取りお互いを深く理解し合う行為。それをアンやグラハムが避けているのは相手とのコミュニケーションを自分から避けているということ。
ジョンの浮気はただの性のはけ口に利用してるだけで、やはり浮気相手のシンシアの気持ちを理解していない。そんな彼が最後には破滅するのはかつてのグラハム同様。皮肉にもグラハムが撮影したアンの映像で初めて彼女の気持ちを理解する。ずっとそばにいるはずの自分には心を開いて貰えていなかったことにショックを受けたはず。
本作は問題を抱える登場人物たちの姿を通してコミュニケーション不足に陥りがちな現代人を描こうとしたように思える。
科学技術が進歩して便利な世の中になった。本作が公開されたのは家庭用ビデオが普及した時期。アダルトビデオなんかでたやすく性的欲求も満たせるようになった。その分生身の人間同士のセックスによるコミュニケーションは当然少なくなる。そんなコミュニケーション不足に陥ることに警鐘を鳴らした作品であったのかも。
今ならSNSがそのまま当てはまる。一見、世界中の人と瞬時に繋がれるSNSはコミュニケーションに役立つように思えて、その実、一方的に流される情報を鵜吞みにしてそこからの情報に縛られ目の前にいる人間の意見には耳も貸さなくなる。監督はこの頃から科学技術が人間社会に及ぼす影響に危機感を抱いていたのかも。
最後にはグラハムが他者を受け入れないための道具として利用していたビデオカメラが皮肉にも他者に影響を与えていて、それが今自分に向けられることになる。
彼が閉ざしていた心が開かれるためにビデオカメラが役に立つというのもまた皮肉。使い方次第では科学技術も役に立つということか。
彼にはもうビデオカメラは必要なかった。彼はすべてを廃棄してそれを投げ捨てアンとの新たな人生を歩みだす。アンとシンシアの関係もこれまでとは少し違う良い関係に変化する。
ちなみにシンシアの店で彼女らを口説こうとするとぼけたお客がいつも的外れの台詞しか言わない。アンの母親へのプレゼントの洋服をテーブルクロスみたいだなという台詞、最後には植木鉢を見て同じ台詞を言う。これもまたコミュニケーションが苦手な現代人を皮肉っているのかな。
公開当時話題作ということで劇場鑑賞した。当時は窓口でしかチケット購入出来ずタイトルを言うのを躊躇したことを憶えている。
鑑賞当時はあまりよくわからなかった。あれから多少人生経験を経てあの時よりは理解できるかなと思い見直してみた。正直、人の解説も何も読んでおらず自分なりに解釈してみたけど、またいつもの様な的外れなレビューになってしまったかも。
役者さんの演技はどれも素晴らしくて人間ドラマとして今見てもかなり楽しめた。