それでもボクはやってないのレビュー・感想・評価
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いちばん悪いのは痴漢だよ。
この映画を見て、自分が、家族が冤罪に巻き込まれる恐怖を感じ、いかに防御しているかを語る方が多い。この映画レビューサイトでもそんなレビューがあるし、他のレビューサイトでは間違える被害者を非難したり(詐欺は論外)、満員電車を非難したり、鉄道会社に対応を迫るものもあったけれど。
「たかが痴漢、そんなもののために自分の人生が破滅させられるのはたまらん」男の人の考えなんてこの程度?(でも、自分が、自分の家族が痴漢されたらどうなのだろう)
だから痴漢がなくならない。→痴漢冤罪もなくならない。
駅や電車内には、被害にあったときに助けを求める方法・助ける方法を明示してあるポスターが目に付くようになった。ニュースでも検挙されたという報道が上がるようになった。けれど…。
警視庁の痴漢・盗撮事犯対策を読むと、取り組み自体には頭が下がるが、これでは訴えることが難しい…。それでも、昔よりはずいぶん思いやり配慮がなされるようにはなったが。
映画にも、さっさと認めて帰っていく人が出ていたけれど、その人はそのあとどうなるのだろう。
履歴書での賞罰記入の仕方を見れば、有罪判決を受けたものは書かないと”経歴詐称”や”告知義務違反”にあたり、場合によっては解雇理由になるとある。なので、賞罰についての記載がない履歴書の使用をすすめているが、職種によっては後でばれても、”告知義務違反”になる可能性もあり、場合によっては解雇理由になるという(例に挙げているは、運転業務で、交通関係の刑罰を隠していた場合)。特に最近、性犯罪に対しての目が厳しく、情報共有の話も真面目に上がる。教育関連の職業では特に。自分の子が通う学校に、性犯罪者がいたらと考えれば、その案もむげにはできない。疑われた、時間と労力がもったいないからと安易に認めてしまうことは、どちらにしても人生を棒に振るようなものだ。
けれど、示談にして、”不起訴”になれば、賞罰には入らない。それで、周りに知られず、繰り返しているとしたら…。教育現場では、A県で性加害を理由に解雇されても、B県でそのことを隠して採用され…といったことを繰り返しているケースもある。なので、情報共有の話が真面目に上がる。
痴漢とは違うけれど、賄賂とかで証拠不十分で釈放されたと聞けば、それはそれで警察・検事・裁判官は何やっているんだと憤懣やるかたなし。闇バイトで有名になったルフィが証拠不十分で釈放になったら…。懸命の努力で起訴までもっていった方々に感謝の意を表したい。とはいえ、闇バイトを使った手口は依然として減らない…。
基本は「疑わしきは罰せず」なのだが…。
そんな思いをベースにして、この映画を観る。
無実を証明することはこんなに難しい。
この映画は裁判の過程を忠実に再現していると言うけれど、この映画ほど、実証実験等丁寧に検証してくれる裁判なんてない。
警察官だって、検事だって、裁判官だって、なろうと思ってしかなれない仕事。それなりのプライドをかけて、かつある程度ルーチンワークとして、他のサラリーマンと同じように仕事をしている、のだろう。東京弁護士会で企画された裁判傍聴とか、司法の仕組みを理解できるような取り組みに参加した時、そのイベントを主催した弁護士さんたちと話をしたが、彼らなりにどうしたらよくなるか真剣に考えていた。
身近に事件が起こって、犯人が捕まらないまま、家の周りを不審者がうろついた時、こまめに付近をパトロールしてくれたのは警察。知人が身にふりかかる危険性を訴えた時、事件にならないと対処できないと突っぱねたのも警察。いろんな警察がいる。
裁判官・検事・警察が「決めつけている」って言うけれど、ワイドショーを作っているマスコミも、それを見ている私達だって「決めつけている」。
問題なのは、彼らプロフェッショナルと素人の考えのずれ。
裁判で論議されるのは、有罪か無罪か、量刑はいかほどのものか、だけだ。
十分な議論がされているのだろうかと心配になってしまう。
裁判傍聴をしていると、被疑者・被害者そっちのけで、法的視点から裁判官・検事・弁護士によって議論の焦点が絞られてしまっている裁判もある。合理化のためだ。
先の東京弁護士会での取り組みで、最高裁判所の話を聞いたとき、最高裁判でやっているのは、真実の追求ではなくて、それまでの裁判が法的に抜かりがないかを調べているだけだと聞いたときのショック。
情状酌量を勝ち取ろうと、やたらに”病名”を主張していた弁護士もいた。その”病名”を調べだした努力には頭を下げるけれど、どうして罪を繰り返すのかは理解していないから、その”病名”を採択されても、適切な治療には繋げないから、再犯するぞと確信した裁判もあった(その時は、精神鑑定を受けさせることもどころか、被告人を精神科にも受診させていないのに、弁護士はまことしやかにその”病名”を持ち出してきた。あり得ない!)。
医者でもよく病気を見て人を見ないといわれるが、法に関わる人も、起訴されている罪状をみて、”人”を、”生活”を見ていないように見える。
自分達の頭の回転の速さ・論理に酔っているのではないかと思うような裁判官・検事・弁護士もいる。
じっくり時間をかければ、世間から”遅い””税金の無駄使い”とそしりをうける。
決して、素人が考える、TVや映画・小説に出てくるような”真実”を探求する場ではない。
人生再生の場になることもあるが、そんなに簡単に人は変わらないケースの方が多い。
証拠・証言が全て。
しかも、証言≠発言者の言いたいことではない。司法という土壌で通用する証拠となりうる発言だけが求められ、切り取られる。
満員電車での痴漢。被害者だって犯人はわからない、ファジーな部分をもっている。
でも、裁判になると(マスコミの取材を受けた時も)、あいまいでは済まされない。白黒はっきりさせろと迫られる。人間、そんなに全てをはっきり把握できるわけない、ましてや満員電車では意識を他に飛ばしていたり、他者との関係を遮断して自分に集中してその時間をやりすごしている人が多い。なのに、ファジーは否定され、言いきり・断定を求められ、自分の存在証明のためにも思いこみを強めていく。
物的証拠も、客観的な証拠も集めにくい中で判断される、有罪か無罪か。
それでも、裁判はすべからくその人の人生に関わっている。
だからこそ、民間感覚・多岐な視点が求められて裁判員制度が導入されたと聞く。
だが、実際の裁判員制度では”痴漢”は裁判員裁判にはならないだろう。裁判員裁判は、殺人等の一定の重大な犯罪を対象としているから。
痴漢は許せないけど、冤罪も許せない。
いつどこで自分も巻き込まれるかわからない。巻き込まれる事件は痴漢とは限らない。
そんな、遠くにあると思っている現実を思い知らされる映画。
蟻地獄に呑みこまれていくよう。
あえてドキュメンタリーのように、ドラマチックにしなかったようだ。そうすると、平板でつまらなくなる危険性もあるが、密かに序破急のようなリズムがあり、最後の展開に唖然とする。
演出・役者の力が際立っているのだと思う。
今後の世の移り変わりに、この映画がどういう位置を占めるのかはわからないが、語り継がれる一本だと思う。
冤罪を生んでしまう法のシステムも怖いけど、
痴漢がなくなれば、こんな冤罪はなくなる。それだけのことなのに、それが一番難しい。
有罪判決のノルマを課す国家権力(但し国家権力に逆らわなければ執行猶予)
『踊る大捜査線 THE MOVIE』で分かった警察庁の国家公務員の階級社会。正義の味方はTVの中だけで現実の警察庁は階級社会だから信用出来ない。そして今回の映画では裁判すらもが階級社会だと分かった。正義を貫いて無罪判決を出すのは自由だが出世したければ有罪にしろ、検察と無用な争いは避けろ、それが(出世を目指す)裁判官の仕事らしい。 以下、裁判官の階級と警察庁との対応策を簡単に説明。
裁判官のトップ(つまりキャリアの頂点)は、 最高裁判所裁判官(最高裁判所長官)で皆がそれを目指す。 法律を使ったドラマに出てくる「最高裁の判事」とは最高裁判所判事の事で、 長官のナンバー2である。 正名僕蔵が演じる最初の裁判官が、 無罪判決を出す出世に興味がない正しい裁判官。 小日向文世が演じる交代した裁判官が、 最高裁判所長官を目指すべく有罪判決に必要な手続きを進める(つまり有罪判決のノルマ達成に勤しむ)キャリア裁判官。
警察庁⇔検察庁⇔裁判所のトライアングル。 警察庁は点数稼ぎの為の違法捜査、検察庁は捏造書類に基づき違法起訴、 裁判所は検察庁の起訴する為に用意した捏造書類を元に有罪にすべく動き違法判決、 そして冤罪となる犠牲者が出鱈目に裁かれ有罪判決となる(但し国家権力に逆らわないと事前に司法取引が済んでいれば執行猶予で有罪判決は建前と可する)。
ちなみに劇中では求刑4ヶ月の実刑判決に対し、 判決は懲役3ヶ月に執行猶予3年だった(ハッピーエンドじゃないのが衝撃だった)。
検察庁と警察庁の面子の為の有罪判決で、 善意の第三者の被害者(要は冤罪)を罰するのは非人道的故に執行猶予を付ける事で、 警察庁や検察庁に逆らうなって見せしめプラス大人しくしとけば悪いようにはしないって、 そういう意味の判決だろうと推測出来る。
所轄の違法捜査もある意味では現実的。 どうせ裁判になれば裁判官が違法捜査を揉み消すべく動き、 無罪を証明する物証は全て裁判官の権限で却下されてしまう。 だから所轄と取引して穏便に済ますのが現実的だし安全(法廷では所轄のノンキャリアの偽証を裁判官が信憑性を持たせるように捏造)。
ちなみに所轄の違法捜査を裁判で訴えててもキャリア裁判官は無視する(信じると出世に響く)。 だから所轄の悪徳警察官に当たれば不運だと諦めて取引に応じた方が安全(つまり嘘でもいいから所轄の悪徳警察官のストーリーに従うと執行猶予付きで穏便に出られる)。
良作邦画
痴漢裁判という、ごく身近な犯罪について取り上げた映画です。
自分も電車通勤している身なので、もし自分が痴漢と間違われたら
どんな行動をするか、何ができるのか考えながら見ていました。
映画の中で、オカマっぽい人がところどころ解説や説明を
してくれているので、そんな知識がなくても裁判までの流れや
専門用語など理解しながら見れるので、見ながら学べる感じで、
教育ビデオみたいでした。
痴漢裁判の今ある現状や、実際の裁判になった時の緊張感、
裁判官の執拗の質問攻め等リアルな描写がとても印象に残っています。
もし自分があんな立場になったら、泣くことしかできないんだろうなぁと。
自分は痴漢をしていないのに周りは「痴漢をした」と攻めくる。被害者もいる。
した証拠を見つけるのは簡単だが、していないという証拠を立証するのは遥かに難しい。
男は不利だ。
99.9%の有罪率。
まず。この映画を観て行くうちに何故かわからないけど涙が出てくる。国の裁判の実態を知って憤りを感じた。
結局裁判所と警察署は一体となっていてまず無罪になることは無いんだと思った。
大体。99.9%有罪になること事態がおかしい。
裁判官もあれこれ有罪に持っていく様な言い方で揚げ足を取るようにしか聞こえない。
本当に裁判は能力も必要だけど体力と周りの協力も必要であること。そして最初に接見した弁護士さんの言う通りだった。テレビで裁判ものを見ることはありますが無罪を勝ち取るとHERO扱いになりますが実際自分の身に起きたら怖い と思った。 裁判は正義の味方では無いことだけは認識しました。
刑事裁判の使命は…。無実の人を罰してはいけない。
【日本刑事司法制度の瑕疵を、エンタメ性を犠牲にしてでも、周防監督が民衆に問いかけた意義深き作品。】
ー冒頭のテロップで流れる言葉
「十人の真犯人を逃すとも、一人の無辜を罰するなかれ」ー
■学生時代に叩きこまれた、”疑わしきは、被告人の利益に・・”
■近年で言えば、カルロス・ゴーンが日本の司法制度の問題を国際的に訴えたことが、記憶に新しい。 -尚、彼の男を擁護する気は全くない。-
・今作では、それとは真逆の検察の姿が描かれる。
”告訴したからには、絶対に有罪を取る。それが検察の仕事だ!”
・そして、無罪を出した裁判官が、上告後有罪判決がされた事で、今作の裁判官が変わるシーン。
”裁判官にとって、無罪を出すのは相当な勇気がいる事なのだ・・”
それにより、今作の裁判の流れが変わる・・。
・”何もやっていないのに”告訴された人間が、いくら無罪を訴えても長期間勾留される日本の司法制度。保釈金は通常、数百万。
そして、刑事が取り調べの際に”やってなくても、罪を認めて、罰金を払えば釈放だ・・。交通違反と同じだよ・・”、と慣れた口調で言う・・。
・99.9%の有罪率。有罪推定の立場に立つ裁判官。
ー推定無罪が大原則ではなかったか!-
<多くの裁判官、検察の方々が常軌を逸した働き方をしている事は、仕事柄、そして友人に弁護士が何名かいるので、知っている積りである。
皆さん、寝食を犠牲にして、真面目に仕事に取り組んでおられるのだろう。
だが、一部では未だ今作のような検察の暴走が行われていることも事実である。
今作を映画館で観た際には、あの結末に”どういうことだ!”と憤慨して、前の席を蹴り上げた記憶がある。
(お客さんは勿論いませんでした・・と言うか、ガラガラだった。でも、すいません。器物破損です・・)
が、今作で描かれていることが、現代日本の司法制度の実態なのである・・。>
<2007年1月頃 劇場にて鑑賞
怒りの余り、鑑賞メモ紛失と言うか、書いていない・・>
電車通勤する全ての男性必見
痴漢冤罪裁判の現実を知り、いつか自分にくるかもしれない未来に備えろ!
不運な流れにのまれてあっというまに逮捕され、理不尽な取り調べ、自分の言い分を反映してくれない調書、目撃者の話を聞いてくれない駅員など、どんどん悪い方向に転がる。
ほんとに痴漢した会社員が朝逮捕され昼には釈放される様子を横目で見ながら、否認し続ける自分は延々と拘留される。
映画自体は長いんだけど、内容に引き込まれて長さを感じない。
10年以上前に見た以来の2回目だったんだけど、それでも満点レベルの完成度だと思った。
山本耕史の最後の叫びは強烈に記憶に残ってたが、二回目でもやはり印象深い。
みんな平気で嘘付くし、全然信じてもらえない。だが、これが裁判。
リーガルハイの堺雅人さえいてくれればすぐ解決してくれそうなものなのに。
視聴者だけは真実を知る。しかしほかの人間は分からないわけだ。
おまえ、あのときそんなこと言ってないだろ!的なことが連発して、すごくイライラさせられる。
これ、いつか自分が冤罪を着せられたらどうしたらいいのか、ほんとに考えてしまう。
女性には分からないこの恐怖感。男性は絶対見たほうがいいと思う。
さて、無罪を主張し長い裁判を戦い続けた先に何が待つのか。
それは是非、自分で見て体験して欲しい。
恐ろしいことです 21世紀にも関わらず戦前の尻尾が生き残っている世界があったのです
法廷劇の映画といえばすぐに思いだすのは、1957年のシドニー・ルメット監督の映画史に残る名作の「12人の怒れる男」とか、1958年のビリー・ワイルダー監督の「情婦」、1962年のロバート・マリガン監督のアラバマ物語とかですが、本作に一番近いのは1956年の今井正監督の「真昼の暗黒」ではないかと思います
冤罪が起きるメカニズムはその作品に余すことなく描かれています
本作はそこに人質司法という日本の司法制度の欠陥をえぐり出しています
2019年の年末に世界を震撼させた、映画さながらの日本からの脱出劇を決行したカルロス・ゴーンの事件は、本作を観れば彼が主張していた人質司法の非道さの意味を、自分のこととして感じることができます
日本は法秩序が確立された先進国と思っていましたが、一皮むくとどこぞの国のような非文明国であったのかと唖然としてしまいます
明日、自分に本作と同じことが降りかかってもおかしくないのです
恐ろしいことです
21世紀にも関わらず戦前の尻尾が生き残っている世界があったのです
国家権力の恐ろしさが心底分かった
起訴されたら99.9%が有罪になる。これは、警察、検察、裁判所等の国家権力の面目を保つ為に他ならない。
『法<権力の面目』というのがまかり通る国に住んでいるのに、今作を鑑賞するまでこんな事は全く知りませんでしたし、仮に私が一度でも逮捕されたら徹平の様になるのかもしれないと背筋が凍りました。容疑が殺人であれば、最悪死刑です。
ちょうど今作を鑑賞した今日、59年前の「名張毒ぶどう酒事件」で15年ぶりに検察側から新たな証拠が開示されたという報道がありました。弁護団は「再審請求の重要な材料になる」としていますが、無罪を訴えていた奥西元死刑囚はもう亡くなられています。こんなに時間が経ってから新証拠を出すこと自体、事件が風化し関係者が居なくなるのを待っていたとしか思えないので、やはり、司法制度が警察、検察、裁判所の面子を守る様にできており、このシステムが、冤罪に繋がっているのだと感じました。また、冤罪の抑止力となるものはあるのかが疑問です。劇中、荒川弁護士が『権力を相手に闘うことは並大抵じゃない』みたいな事を言ってましたが、つくづくそう思います。
恥ずかしながら、『#検察庁法改正案に抗議します』というハッシュタグが話題になった時に初めて、検察庁法を知ったのですが、この一件で安倍首相が黒川さんにこだわる理由が良く分かりました。政治家であれ誰であれ、起訴は検察が行使できるから、自分を起訴しない人にしたかったのですね。
私は裁判をテーマにした映画を鑑賞したことがほぼありませんでしたが、今作は非常に分かりやすく自分ごととして鑑賞することができました。国家権力の恐ろしさは、他国や過去のことと考えていたのですが、今作で今の日本にも権力の恐ろしさが存分にあるということを知りました。ほとんどの人は、警察に逮捕されたり検察に起訴されたりした事がないと思うので、大学で専攻したり仕事に関わらない限り、司法制度のことを知る機会は少ないと思います。今後も今作の様な映画をどんどん公開してくれるととても嬉しいのですが、映画界はどうなんでしょうか。
実は、周防監督の作品は『Shall we ダンス?』と今作しか鑑賞していませんが、作品から非常に知性と品を感じました。他の作品も鑑賞してみようと思います。
授業で観て…
社会の授業で、裁判についてこの映画で観ました
改めて、冤罪という何もしてないことから自分に返ってくるなんて驚きだったんだと思いました
難しいこと言えないんですけど冤罪は恐ろしいなと思いました
この映画、実話だったんですね
誰にも起こり得る痴漢冤罪をテーマに暴かれるあまりにひどい裁判の真実...
誰にも起こり得る痴漢冤罪をテーマに暴かれるあまりにひどい裁判の真実。万人に絶対見てほしい作品です。
無罪かもしれぬ被告に示談をすすめる弁護士。不利な証拠は隠しまくる警察と検察。無罪判決を出せば出世に響くという裁判官の真実。
周防正行映画お馴染みの面々が織りなす社会派ドラマ。今回はコメディではないので竹中ちゃんは控えめ(笑)秀逸は親切を装いながらも余談と偏見に満ちた恐怖の裁判官を演じる小日向文世。
これが日本の裁判の現実。裁判官制度が取り入れられた今も、民意を平気で覆すなどひどさは変わりませんね。
下手な恐怖映画よりも余程恐ろしい、これが現実の話なのです。明日は私が、貴方がこうなるかもしれません。
氷見事件を思い出して
主文、評価は満点と評す。日本の裁判制度の矛盾点と冤罪事件で被疑者とされた者と弁護士による国家権力に抗う姿、それによって正しき主張をも蔑ろにしてしまう社会の醜さをも描いた本作は大いに評価できるものである。
折りしも1月19日富山県では2002年にレイプ罪で懲役3年の判決を受けた男性が無実だと分かったと報道されました。本人が自供しないのに状況証拠のみで公判を維持してきた愚行により一人の男性の大切な時間が奪われたのです。自供しなくても有罪になるなんて、恐ろしい現在の司法制度。この映画の趣旨のひとつと同じように、裁判所はとりあえず有罪・無罪を決めるだけの機関であることが浮き彫りにされた事件でした。
映画では大森裁判官(正名僕蔵)が無罪病だと言われ、無罪判決を出すこと裁判官が官僚側から見て厄介者として扱われていることも注目すべき点。「疑わしきは罰せず」の精神という根本的な考えを持ってる裁判官は昇進もできないし、下手すると左遷させられる。一体誰のための裁判なのかという問題点も提示しています。警察も検察も起訴したからには被疑者を有罪にすることに躍起になる。彼らにとって不利益な証拠は不見当として提出しなくてもいいという問題点もあった。民間企業で「その資料は不見当です」なんて言ったら即刻解雇されてもおかしくないのに・・・
この不条理な司法制度を家族ドラマを敢えて一切排除して、監督の言葉にあるように「裁判が主人公」として描いたことは潔かった。そのおかげで家族に感情移入することなく公正な目で裁判そのものを見ることができました。時間は多少長くも感じられるものの、公判の冷たい空気がそのまま映画館の観客席にまで伝わってきているように思えるほどでしたし、舞台もとてもシンプルだったので、裁判の臨場感がまるで傍聴席にいるかのような気分にさせられ、「起立っ」の号令では思わず立ってしまいそうになったくらいです。
月刊シナリオを映画を観る前に読んでいたので、とてもわかりやすかった。鑑賞中はむしろ俳優の演技に釘付けになり、いつもは穏やかな小日向文世の憎たらしさにむかつき、光石研の演技力にほれぼれさせられました。そして、加瀬亮や瀬戸朝香の演技ももちろんよかったのですが、山本耕史演ずる現代の若者の姿がとても眩しいほどでした。さらに、「痴漢の真犯人はお前だろ」と言いたくなるような田口浩正や、傍聴オタクという今まで映画やドラマでは登場したことのないようなキャラの山本浩二も印象に残ります。
それにしても取調官の作文能力は見事でしたね~ブログ記事を代わりに書いてもらいたくなったほどです。自白供述書はこんな風に作られるのかと空恐ろしくなりました。そんなこんなで寒々とさせられることばかりでしたが、観終わって帰ろうとしているときに観客の一人にヤクザっぽい男が腕を組んで考え込んでいる姿を発見して、ますます寒くなりました・・・
☆たまたまアンビリーバボーを見ていたら、氷見事件のことを放送していたので、拙ブログより転載。当時は違う仕事だったのですが、今はタクシー運転手のkossy。他人事じゃない!と感じてしまいました。〈2007年1月映画館にて〉
司法制度の穴
当たり前のように「悪魔の証明」を求めてくるような取り調べと裁判。
被害者、警察・検察、裁判官と、それぞれにはっきり悪意があるわけではないのに
ある種の怠慢さというか慣習というか思い込みというか、そういうのが積み重なって
結果「国家権力」によって小さな個人の人生がめちゃくちゃにされていく。
誰にでも起きうることだと思うし、そのことが下手なホラーよりもよっぽど怖い。
取り調べや裁判の過程など、かなり詳細な説明もしてくれるので
みんなが一度は見ておくべき作品だと感じた。
決めつけてしまうことの罪の重さ
観て良かった。いい作品でした。
少し長い作品ですが、最初から最後まで身体が熱くなるほどのめり込んでしまいました。
視聴者としては、主人公の金子が痴漢行為を行っていない、という事実を最初から知っている状態で鑑賞しているので、警察や検察、裁判官のバイアスがかかった言動にはとてもイライラしましたし、頭の中で自分なりの弁論が止まりませんでした。
話が変わるかもしれませんが、牢獄に入れられている囚人が何を一番望むか、という問いに、ある囚人が、人として扱われること、と答えたという話を聞いたことがあります。
容疑がかけられた時点で犯人、人以下という扱いをしてしまうのが警察。(そうでない人もいると思いますが…というかそう信じたい)
またマスメディアも、容疑の時点で報道し大きく話題にする。顔写真を載せ、実名をさらし、例えばフリーの作家などの場合「無職」と記載しイメージを下げる。
でも本当にやっていないとしたら…?人は他者の言動によって大きく左右されます。自分の発言によって誰かの心を深く傷つけてしまうかもしれない。そんなことを改めて自覚させられる映画でした。
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