劇場公開日 2007年1月20日

「いちばん悪いのは痴漢だよ。」それでもボクはやってない とみいじょんさんの映画レビュー(感想・評価)

5.0いちばん悪いのは痴漢だよ。

2023年8月12日
PCから投稿
鑑賞方法:DVD/BD

怖い

興奮

知的

この映画を見て、自分が、家族が冤罪に巻き込まれる恐怖を感じ、いかに防御しているかを語る方が多い。この映画レビューサイトでもそんなレビューがあるし、他のレビューサイトでは間違える被害者を非難したり(詐欺は論外)、満員電車を非難したり、鉄道会社に対応を迫るものもあったけれど。
 「たかが痴漢、そんなもののために自分の人生が破滅させられるのはたまらん」男の人の考えなんてこの程度?(でも、自分が、自分の家族が痴漢されたらどうなのだろう)
 だから痴漢がなくならない。→痴漢冤罪もなくならない。

駅や電車内には、被害にあったときに助けを求める方法・助ける方法を明示してあるポスターが目に付くようになった。ニュースでも検挙されたという報道が上がるようになった。けれど…。
 警視庁の痴漢・盗撮事犯対策を読むと、取り組み自体には頭が下がるが、これでは訴えることが難しい…。それでも、昔よりはずいぶん思いやり配慮がなされるようにはなったが。

 映画にも、さっさと認めて帰っていく人が出ていたけれど、その人はそのあとどうなるのだろう。
 履歴書での賞罰記入の仕方を見れば、有罪判決を受けたものは書かないと”経歴詐称”や”告知義務違反”にあたり、場合によっては解雇理由になるとある。なので、賞罰についての記載がない履歴書の使用をすすめているが、職種によっては後でばれても、”告知義務違反”になる可能性もあり、場合によっては解雇理由になるという(例に挙げているは、運転業務で、交通関係の刑罰を隠していた場合)。特に最近、性犯罪に対しての目が厳しく、情報共有の話も真面目に上がる。教育関連の職業では特に。自分の子が通う学校に、性犯罪者がいたらと考えれば、その案もむげにはできない。疑われた、時間と労力がもったいないからと安易に認めてしまうことは、どちらにしても人生を棒に振るようなものだ。
 けれど、示談にして、”不起訴”になれば、賞罰には入らない。それで、周りに知られず、繰り返しているとしたら…。教育現場では、A県で性加害を理由に解雇されても、B県でそのことを隠して採用され…といったことを繰り返しているケースもある。なので、情報共有の話が真面目に上がる。
 痴漢とは違うけれど、賄賂とかで証拠不十分で釈放されたと聞けば、それはそれで警察・検事・裁判官は何やっているんだと憤懣やるかたなし。闇バイトで有名になったルフィが証拠不十分で釈放になったら…。懸命の努力で起訴までもっていった方々に感謝の意を表したい。とはいえ、闇バイトを使った手口は依然として減らない…。
 基本は「疑わしきは罰せず」なのだが…。

  そんな思いをベースにして、この映画を観る。

無実を証明することはこんなに難しい。
 この映画は裁判の過程を忠実に再現していると言うけれど、この映画ほど、実証実験等丁寧に検証してくれる裁判なんてない。

警察官だって、検事だって、裁判官だって、なろうと思ってしかなれない仕事。それなりのプライドをかけて、かつある程度ルーチンワークとして、他のサラリーマンと同じように仕事をしている、のだろう。東京弁護士会で企画された裁判傍聴とか、司法の仕組みを理解できるような取り組みに参加した時、そのイベントを主催した弁護士さんたちと話をしたが、彼らなりにどうしたらよくなるか真剣に考えていた。
 身近に事件が起こって、犯人が捕まらないまま、家の周りを不審者がうろついた時、こまめに付近をパトロールしてくれたのは警察。知人が身にふりかかる危険性を訴えた時、事件にならないと対処できないと突っぱねたのも警察。いろんな警察がいる。
 裁判官・検事・警察が「決めつけている」って言うけれど、ワイドショーを作っているマスコミも、それを見ている私達だって「決めつけている」。

問題なのは、彼らプロフェッショナルと素人の考えのずれ。
 裁判で論議されるのは、有罪か無罪か、量刑はいかほどのものか、だけだ。
 十分な議論がされているのだろうかと心配になってしまう。
  裁判傍聴をしていると、被疑者・被害者そっちのけで、法的視点から裁判官・検事・弁護士によって議論の焦点が絞られてしまっている裁判もある。合理化のためだ。
 先の東京弁護士会での取り組みで、最高裁判所の話を聞いたとき、最高裁判でやっているのは、真実の追求ではなくて、それまでの裁判が法的に抜かりがないかを調べているだけだと聞いたときのショック。
 情状酌量を勝ち取ろうと、やたらに”病名”を主張していた弁護士もいた。その”病名”を調べだした努力には頭を下げるけれど、どうして罪を繰り返すのかは理解していないから、その”病名”を採択されても、適切な治療には繋げないから、再犯するぞと確信した裁判もあった(その時は、精神鑑定を受けさせることもどころか、被告人を精神科にも受診させていないのに、弁護士はまことしやかにその”病名”を持ち出してきた。あり得ない!)。
 医者でもよく病気を見て人を見ないといわれるが、法に関わる人も、起訴されている罪状をみて、”人”を、”生活”を見ていないように見える。
 自分達の頭の回転の速さ・論理に酔っているのではないかと思うような裁判官・検事・弁護士もいる。
 じっくり時間をかければ、世間から”遅い””税金の無駄使い”とそしりをうける。
 決して、素人が考える、TVや映画・小説に出てくるような”真実”を探求する場ではない。
 人生再生の場になることもあるが、そんなに簡単に人は変わらないケースの方が多い。

証拠・証言が全て。
 しかも、証言≠発言者の言いたいことではない。司法という土壌で通用する証拠となりうる発言だけが求められ、切り取られる。
 満員電車での痴漢。被害者だって犯人はわからない、ファジーな部分をもっている。
 でも、裁判になると(マスコミの取材を受けた時も)、あいまいでは済まされない。白黒はっきりさせろと迫られる。人間、そんなに全てをはっきり把握できるわけない、ましてや満員電車では意識を他に飛ばしていたり、他者との関係を遮断して自分に集中してその時間をやりすごしている人が多い。なのに、ファジーは否定され、言いきり・断定を求められ、自分の存在証明のためにも思いこみを強めていく。
 物的証拠も、客観的な証拠も集めにくい中で判断される、有罪か無罪か。

それでも、裁判はすべからくその人の人生に関わっている。

だからこそ、民間感覚・多岐な視点が求められて裁判員制度が導入されたと聞く。
 だが、実際の裁判員制度では”痴漢”は裁判員裁判にはならないだろう。裁判員裁判は、殺人等の一定の重大な犯罪を対象としているから。

痴漢は許せないけど、冤罪も許せない。
 いつどこで自分も巻き込まれるかわからない。巻き込まれる事件は痴漢とは限らない。

そんな、遠くにあると思っている現実を思い知らされる映画。
蟻地獄に呑みこまれていくよう。
 あえてドキュメンタリーのように、ドラマチックにしなかったようだ。そうすると、平板でつまらなくなる危険性もあるが、密かに序破急のようなリズムがあり、最後の展開に唖然とする。
 演出・役者の力が際立っているのだと思う。

今後の世の移り変わりに、この映画がどういう位置を占めるのかはわからないが、語り継がれる一本だと思う。

冤罪を生んでしまう法のシステムも怖いけど、
痴漢がなくなれば、こんな冤罪はなくなる。それだけのことなのに、それが一番難しい。

とみいじょん
NOBUさんのコメント
2023年8月12日

今晩は。
 今作は学生時代に叩きこまれた、”疑わしきは、被告人の利益に・・”を覆す展開に、憤慨し前の席を蹴って(もちろん、お客さんは居ませんでしたが。器物破損でもないです。)退席した事を思い出します。
 戦前、戦後(及び最近でも)の検察による雑な捜査により有罪になった方々の無罪判決が近年、連続して出ていますが、共通点は被疑者の方々が軽度の知的障碍者であるという事ですね。
 私の友人にも弁護士、もしくは検察で働いている人が多いですが、戦前、戦後の杜撰な捜査は酷いモノだそうです。
 法治国家でありながら、検挙率を優先する検察の姿勢には疑問を抱きますね。では。返信は不要ですよ。

NOBU