「男性中心社会構造の中での2人の女性の交錯が…」推定無罪 KENZO一級建築士事務所さんの映画レビュー(感想・評価)
男性中心社会構造の中での2人の女性の交錯が…
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結末を知っての再鑑賞。
初めて観た時は、その衝撃の真相に、
そして、今回は、真実を知っている妻の言動
に注目しながらの鑑賞となった。
そして、主人公が逮捕された時の家宅捜索で
何故凶器は見逃されたのか、
時間は充分にあったはずなのに
妻は何故凶器をそのままにしていたのか
等々、幾つかの疑問を感じたが、
それはさておき、
別の点に気を引かれての鑑賞となった。
それは、結末からすると、冒頭の
“真実の発見なくしては、
正義への希望はない”
との主人公のモノローグは、
果たしてこの物語に相応しいものなのか、
思ったことが出発点だった。
この作品は、ある意味、
女性の社会人としてのジレンマの観点で
2つの対比を見せていたようにも感じる。
一人は出世のためなら、男性関係でも
どんな手段でも講じる生き様。
もう一つの対応は、
家庭に主婦として入ったための心残りから、
夫を奪った自らが諦めた立場にいる女性への
異常な復讐に走るという生き様。
しかし、何れも、
苦しい女性のメンタル面を男性視点で極論化
したもので、
エンターテイメントとしてのあえての設定
ではあるのだろうが、
男性中心社会構造の中での2人の女性の交錯
による極端化した悲劇のようにも感じた。
“一生、あなたは妻が真犯人と知って暮らす”
との、妻の夫へと恐ろしい言い様は、
そんな視点を元にしたもののようにも。
だから、この物語でのそんな真実の発見が、
どう正義への希望に繋がるのか、
冒頭のモノローグとの関連では
良く解らなかった。
「大統領の陰謀」や「ペリカン文書」の
アラン・J・パクラ監督は、
「ソフィーの選択」では
女性の選択の重みと哀しみを
見事に描いてくれたが、
この作品では、そんな点では
今一つ物足りないようには感じた。
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