サマリア : 映画評論・批評
2005年3月15日更新
2005年3月26日より恵比寿ガーデンシネマにてロードショー
だからギドク監督の作品はこうも切ないのだ
あぁ、切ない……。韓国の鬼才キム・ギドクが紡ぎ出す物語は、こうも人の心をかき乱すのか。映画「サマリア」は、女子高生による援助交際がきっかけで始まる愛と憎悪の物語。監督が一貫して描いてきた、韓国社会の暗部に生きる人たちが主人公だ。だが監督は彼らに制裁を加えるようなことはしない。批判の対象はむしろ、地位や名誉のある人たち。その征伐の仕方が、ギドク監督らしい味付けで賛否両論を醸し出してしまうのだが。
本作品でも後半が、監督の本領発揮どころ。娘のヨジン(クァク・チミン)が援交をしていることを知った親父が、次々と男たちに復讐を仕掛けていく。ある時は心理的に、またある時は直接、暴力で。道徳的に許されることではないのだが、親父の過激な行動の源には、娘を思う深い愛情と、憎みきれない怒りのやり場を、どこへ向けたらいいのかという複雑な心情があることを、私たちは感じている。人を思いやる気持ちが溢れ過ぎて、いつも空回り。だからギドク監督の作品は、こうも切ないのだ。
とはいえ、すでに新作「3-Iron」の方を見てしまった筆者にとって、「サマリア」は脚本や編集に多少、不満が残る。監督の成長過程を楽しむような気持ちで本作品を見て頂きたい。
(中山治美)