初恋のきた道のレビュー・感想・評価
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彼女の登場するシーンはほぼほぼ95%はクローズアップ(顔のアップ)、まさにアイドル映画並みの演出、監督も彼女の魅力に惚れ込んだのでしょうか。
『初恋のきた道』 (1999/アメリカ・中国/89分)
ご存じチャン・ツィイー(章子怡)のデビュー作。
公開当時も、とにかく彼女の素朴で瑞々しい美しさに衝撃を受けましたが、その印象は公開後26年経っても変わらず。
それもそのはず、彼女の登場するシーンはほぼほぼ95%はクローズアップ(顔のアップ)、まさにアイドル映画並みの演出、監督も彼女の魅力に惚れ込んだのでしょうか。
ストーリーは都会から赴任した若い教員に一目惚れ、お弁当作りや帰路を待ち伏せするなど一途に恋する少女を描いた心ときめくラブストーリー…なのですが、監督の初期作品『紅いコーリャン』(1987)、『菊豆(チュイトウ)』(1990)、『紅夢』(1991)など人間の本能と欲情、激情を徹底的に描いた作品群鑑賞後に本作品を改めて観ると、「純愛」というベールに隠された人間の激しい欲情がちらりと見え隠れしますね。
その隠された激情を上手くチャン・ツィイーの可憐な魅力で押し切った印象ですね。
本作がチャン・ツィイー以外でキャスティングされていたら、相当ヘビーで痛い片思い作品で、ここまで共感されなかったでしょうね。
本作品でも監督ならではの色彩感覚を発揮、田舎の風景(紅葉、雪道)に、彼女のピンクや赤のちゃんちゃんこ(半纏)、リボンの緑は鮮やかでしたね。
素直に泣ける映画です
父が死んだ。母は頑なに父を担いで山道をねり歩き弔いたいと言う。棺にかける布も自分で織ると言い夜なべして織りはじめる。父と母は村ではまずあり得ない自由恋愛の結婚だった。以来40年、父は村のただ1人の教師として子供たちに勉強を教え、母はただひたすらそれを支え暮らしてきた。と、母のもとに帰ってきたひとり息子は語り始める、。
映画は現在をモノクロで、過去をカラーとして描く。なので場面が母の若かりし頃に切り替わると一気に村は明るい景色に変わる。学校内には掲げられた毛沢東の絵があるので時代は中華人民共和国が建国され、文化大革命に至る頃だろう。そのようななか当時18歳であった母のディは町から赴任してきた20歳のチャンユーに一目惚れ。彼の為に食事を作ったり、わざわざ学校近くの井戸に水を汲みにいったりする。その姿がとてつもなく可愛い。チャンユーの思想的理由か何かで離れ離れになり、長く辛い時間もあったがそれも乗り越え結ばれた。場面がモノクロに戻り、父の弔いが始まる。父と母を繋いだ村を横切る一本道を棺を担いで練り歩く。その数は100人にも及んだ。訃報を聞き教え子たちが駆けつけてくれたのだった。そしてラストシーン。学校から聞こえてくる声に引き寄せられ母が向かう先には、(父は息子に教鞭をとってもらいたかったとの話を聞いていた)息子が学校で子供たちに父が作った訓話を大きな声で話し聞かせてる姿が映っていた、。
素直に泣ける。珠玉の名作でした。名匠チャン・イーモウさすがです、。
一目惚れの「初恋」と、死別の「葬列」。 ふたつの「道」を対にして語られる傑作。
僕の親友が
この映画の無料再放送をYoutubeでやっているのだと 僕に教えてくれた。
その友人の言うことには
「きみのご両親の出会いを彷彿とさせるのだ」と。
え?どれどれ?すっかり内容は忘れてしまっていた本作だけれど、
それで大昔に観て以来の、久方ぶりの鑑賞と相成ったわけだ。
うちの父は教員だった。
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中国の奥地。陸の孤島、河北の小さな村。そこは三合屯村。
新任教師の到着と、校舎の建築。
けっして豊かとは思われない暮らしの中での、村人達の暮らしが慎ましく、そして人間味に溢れている。
おぼこ娘ディの実家は、じつに粗末で何にもない部屋だ。その壁に小道具として映画「タイタニック」のポスターが貼ってあることに気付いただろうか?
それぞれ、出逢いの運命と、強い絆の物語だ。
ディ=チャン・ツィイーが18歳の設定というのも、どうなんだろう?
あの三つ編みの おさげ髪と、ぎこちない走り方。照れ笑いの幼ない様相からして、小学高学年か、せいぜい12歳くらいにしか見えないのだが。
でも、そこが”うぶ“で大変良いのだろう。
遠くからお互いを見やるルオ先生とディ。だからカメラも遠く離れていて、望遠レンズで彼らの表情を撮っているのだ。まったくもってカメラ使いが上手い。
美しい村の風景に乗せて、二人が惹かれ合ってゆく姿に、太陽の光がキラキラと輝いていて、逆光がまぶしい。
観る側も ときめかずにはいられない導入だ。
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【出逢いと別れの「道」】
・僕の妻になってくれた人は
「ビビビッ」と来て、一目惚れしてくれたらしい。いつまで経ってもまったくそれに気付かない鈍感な僕の事を、本作のディのように行く先々で待ち伏せをして、満面の笑みでずっと追いかけてきてくれた人だった。
20年追いかけてきてくれたが、とうとう最後まで振り返らなかった馬鹿が
このレビューを書いている。
・明石家さんまは、
このチャン・ツィイーのポーズの真似=瞬間芸がとても上手くて、あの頃、世の中の大勢が「この純情な映画」を観、そしてハマっていたことを思い出した。
そういえば娘ディは、若い頃の大竹しのぶにちょっと似ているかもしれないね。
明石家さんまがその瞬間芸をやると、客席は大いに笑うのだが、なぜだろう。同時に泣きたくもなる。
人の別れの理由ワケは、
死別であったり、夫婦関係の解約であったりと、個々さまざまだ。
だから出逢いの物語は、同時に別れに続く長い人生の物語の始まりでもある。
恋愛映画を観ると、恋の終局も同時にそこに見えてくる。
だからチャン・イーモウ監督は、ルオ先生と村娘ディの初恋を
離別の重たさと対で表現したのだ。
だから、この映画は重厚で、浮ついていないのだと感じる。
僕は正月に帰郷したばかりだ。
僕の父母も、人生の最終盤だなぁ。
老人ホームで、長く仕舞ってあった結婚指輪をその指にはめて、微笑んで見つめ合う両親がそこにいた。
中国のフェリーニ。
赤い髪留め。
「初恋のきた道」
いい邦題だ。
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この道を
二人で行けば
花野かな
(友人からもらった句)
·
チャン・ツィイーの宝石の様な時代を切り取った良作
父と母の物語を語る
美しいけどちょっと切ない〜
皆さんが書いておられる通り、
チャン・ツィイーのかわいさですべて許してしまう様な作品。
笑顔も素敵ですが、あの走り方〜
あの地方の人はみんなあんな走り方をするのか?
それとも当時のチャン・ツィイーが編み出した走り方か?
腕を殆ど曲げず、振らず、腰から上を前後に振る様な走り方
まるでR2D2が二足歩行してるみたい。
まあ、其の走り方でありながら、後ろ姿に全面に
憧れの先生から声をかけられた嬉しさと恥ずかしさが溢れてて
超可愛い名シーンだと思う。
田園地帯の秋の風景も、雪に埋もれた冬の景色も
其の中で躍動するチャン・ツィイーの赤い服も
兎に角美しい〜〜!!
可愛く、美しけど、田舎の農村は貧しく
古き良き習慣や村人達の繋がりは
今はもう失われてしまったかも知れない。
急激に変わりゆく中国をなんとか画面に留めようとした
生真面目な監督の気持ちが切ない。
美しい!
美しすぎる物語の裏に流れるはしたたかな打算か
中国内陸部に秘匿された風光明媚な自然風景を確かな演出と撮影技術で余すことなく披露してくれるチャン・イーモウ。その手腕には素直に脱帽するものの、中国国外からのオリエンタリズム的な視線を内面化したうえで「ウケる中国像」を敢えて演じている感は否めなかった。第五世代以降のジャ・ジャンクーやフー・ボーやビー・ガンに慣れ親しんだ身からすると、劇中世界に描き出される「中国」があまりにもイノセントすぎて逆に不気味だった。
また現在の時間軸と過去の時間軸とを色彩の有無によって際立たせるという手法もやや単純なのではないかと思う。ラストシーンでの現在/過去のめくるめくモンタージュをより効果的に見せたいという意図はわかるのだが、あまりにもそれが前面化しすぎていて興が醒めてしまった。
とはいえ反右派闘争等の歴史文脈に物語を難なく重ねていくナラティブの強さはさすがといえる。国定教科書ではなく父が書いた文章を音読するという感動的なラストシーンもよくよく考えるとかなり政治的だ。こういった描写にかけては『黄色い大地』『覇王別姫』のチェン・カイコーのほうが数段上手かと思っていたが、チャン・イーモウもすごかった。まあ北京電影学院の同期なんだから当たり前といえば当たり前なのだが…
無垢な恋心の美しさは古今東西かわりません。
どうにも止まらない
たしかに名作。邦題も良い
中国の寒村、その美しい風景の中で繰り広げられるピュアなラブ・ストーリー。
あらゆる欲にまみれて汚れきった自分にはちょっと気恥ずかしく感じるところもありましたが、それでも「これは良い作品だな」と素直に思いました。
あまりにもいい話すぎるのだけれど、監督の資質によるものなのでしょう、こういう物語にありがちな、わざとらしさというか、「臭み」のようなものがほとんどなく、抵抗なく映画の世界に浸ることができました。
母親の心理状態を表現した、モノクロとカラーの映像を使い分けた構成もニクイ。
原題『我的父親母親』・英題『THE ROAD HOME』を『初恋のきた道』とした、配給会社(?)のひともエライ。いい邦題だなぁ。
自分の感想 秋のあの中国の村の景色とチャン・ツィイーの赤色の服、あ...
【”人、生を受けたら志あるべし・・。”男として、ここまで女性に想われたら本望だろうな、と思った恋物語。若きチャン・イーモウ監督の気概が伺える作品でもある。】
ー 1958年、中国の農村地帯。文盲のヒロイン、デイを演じたチャン・ツィイーの町から来た当時、先進的な思想を持っていたルオ先生への思慕する気持ちが現れた、初々しい笑顔が忘れ難き作品。ー
・物語は老いたデイの息子が、父の訃報を聞いて、久しぶりに村に戻るシーンから始まる。
・デイは、愛する夫の亡骸を、村の慣習により、人力でお墓まで運ぶ事を譲らない。そして、亡骸を包む織物を古い機織り機で織り始める・・。
■ここから、物語は若きデイ(チャン・ツィイー:今や国際的な女優であり、美しさは健在である。)が、村にやって来たルオ先生の容姿と、村の子供たちに教える素敵な声に恋をし、一生懸命に彼のために食事を用意する姿が描かれる。
そして、劇中では敢えてハッキリとは描かれないが、ルオ先生が反共産思想を持つ事により、屡、町に戻される事が描かれる。
だが、そんな事情を知らないデイは、雪降る中で、先生が帰って来る日を待っている。例え、高熱を出そうとも・・。
・そして、雪舞う中、各地から訪れたルオ先生の多くの教え子たちが、棺を担ぐシーンは沁みる。
- ルオ先生が、如何に生徒達に慕われていたかが、一発で分かるシーンである。
・更に、大勢の寄付金により、学校が新しく建て替えられることが決まり・・。デイの息子が一日だけではあるが、父の意思を継いで教壇に立ち、父と同じ良く通る声で、生徒に教鞭を振るうシーンも心に残る。
- 老いた、デイが亡き夫に掛ける言葉も心に沁み入る。-
<近年のチャン・イーモウ監督や、ジャッキ―・チェンの中国を統べる男に阿る姿勢を批判する人が多数いるのは承知しているが、私は彼らが映画文化(ジャッキ―・チェンの場合、一国二制度を蹂躙するプーさんに対し、香港映画文化を守るためだと信じたい。)を守るために、一時的に阿る姿勢を取っていると信じたい。
何故なら、若きチャン・イーモウ監督は今作を始めとして、当時反共産思想を滲ませた映画を制作していたのだから・・。>
一途な愛を貫く純情可憐な女性の物語に残る出来すぎた創作
女性の一途な恋愛感情に焦点を当てた一方的な純愛物語で、結局男性が望むべきストーリーになっている。アメリカ映画の「タイタニック」が女性のためのラブ・ロマンスとすると、これは男性にとって理想の女性像であり、妻の鑑のような女性を主人公にしている。チャン・ツィイー演じる純情可憐な主人公チャオディが、文盲ゆえのコンプレックスと憧憬から青年教師チャンユーへの愛を貫く原動力になるのは、この時代の中国の田舎ならではの創作ストーリーであるのか。日本の教育体制からは考えられない時代背景である。なだらかな丘が続く自然豊かな丘陵地帯を駆け足で追い掛けチャンユーを見詰めるチャオディの健気さ。四季折々の美しい風景に佇む、このチャオディの姿が全ての映画。それ故にチャンユー側の心情の描写は少なく、ラストのお葬式シーンにおいて多くの教え子が参列する訳も説明不足に終わる。「タイタニック」では、デカプリオ演じたジャックのような男性は世の中に滅多にいないと思ったが、この映画のチャオディのような女性も中々いない。独身の時ならもっと感動したかも知れないが、中年過ぎのオジサンの経験から言わせてもらえば、話を奇麗に作り過ぎではないか、と正直な感想である。
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