「映画としての存在感に溢れた映像」パープル・バタフライ 酩酊石打刑さんの映画レビュー(感想・評価)
映画としての存在感に溢れた映像
降り続く雨、窓越しのちょっと歪んだような人物、極端に被写界深度の狭いピントの定まらいクローズアップ、定まらない揺れ動く構図、不自然なくらいに削ぎ落とされたセリフ、映画としての存在感に溢れかえっている。1928年満州、1931年上海の抗日運動に揺れ動く街が活き活きと捉えられている。チャン・ツィイー、仲村トオルが出いて、ロウ・イエは商業映画を初期には撮っていたのかと誤解していたら、とてつもなく監督独自の映像世界が展開されていた。
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