プルートで朝食を : 映画評論・批評
2006年6月13日更新
2006年6月10日よりシネスイッチ銀座ほかにてロードショー
「嫌われ松子の一生」ならぬ「母恋いオカマの半生」
一時はハリウッドにも渡り、さまざまなジャンルに手を染めてきたニール・ジョーダンだが、彼の作品の中心命題はデビュー作「殺人天使」(82)以来変わっていない。つまり故郷アイルランドのひと・文化・歴史・幻想である。なかでもそれが最もデストロイなかたちで表れた、おそらくジョーダン映画中最大の傑作が、98年の「ブッチャー・ボーイ」(何故か日本ではビデオスルー)。この「プルートで朝食を」はその原作・脚本家であるパトリック・マッケイブとのコンビ第2作なのだ。
実は両者、かなり共通項は多いのだけれど、ともに主人公からして「母なる存在」に取り憑かれたようなアウトサイダー。「ブッチャー~」の場合は聖母マリアを幻視する凶悪極まるガキであったが、今回は自分を捨てた瞼の母を探し求める女装男(キリアン・マーフィ、一世一代の快演)。1960年代末期から70年代へと至るアイルランド~ロンドンを、さまざまな人との出会いを経験しつつ、ポップ・ソングとともにひとり往く姿は、まさに「嫌われ松子の一生」ならぬ「母恋いオカマの半生」だ。グラム・ロックの時代ともシンクロするとはいえ明らかに異形の者でありながら、周囲を何故か惹きつけて変容させていく不思議な存在感。まさしくトリックスターの面目躍如として痛快である。
(ミルクマン斉藤)