「ヴィバルディ 四季 冬」オールド・ボーイ(2003) ミカさんの映画レビュー(感想・評価)
ヴィバルディ 四季 冬
以前自宅で鑑賞した際に、あまりにもユニークな脚本とカメラワーク、役者の演技に心を奪われて、すぐにパク・チャヌク監督のファンになりました。ずっと劇場で鑑賞しなかった事を後悔していたので、4K版で劇場で再鑑賞が出来て感無量です。
監禁される前はただの飲んだくれおじさんだったオ・デスが、あんな無敵な怪物に変貌するのは、普通だったらあり得ません。でも、15年間あり得ない経験をしたオ・デスだからこその説得力のあった『狂気』だったように思いました。
逆にウジンの『狂気』は、本当はウジン自身に向けられていたのではないかと思いました。恐らく、ウジンは若い時に死んだ方が楽だった。でも、何かしらの死ねない理由があった。劇中でウジンの実家は裕福だということが言われてました。儒教とクリスチャンの国民性では、長男は成功した家を守る事が一番ですし、自死も罪になります。姉に罪を押し付けて自分はまだ生き続けている。そういったウジンが背負った社会的な圧力や贖罪が、彼を更に追い詰めてしまったのでしょう。だから、オ・デスに病的に依存し楽になりたかったのではないかと。
ウジンからは、生きづらさを抱えながら他責してでも生きていくしか術のない人間の業の様なものを感じてしまいました。逆にオ・デスからは、悪気はなくても、他人のタブーに触れてはいけない、口は災いの元の究極を教えられた気がします。
そして、今回、再鑑賞して改めて思ったこと。
娘ほどの若い女性にお金を渡してセックスをするおじさんは、例え合法であったとしても本気で考え直した方がいいですね。何かしらの天罰が下る可能性がありますよ。
あとは、ウジンの姉やオ・デスの娘のように、女性は男性の為に大きな犠牲を払っているということです。何故、ウジンの姉だけがバッシングされたのか?何故、オ・デスの娘は、オ・デスと意図的にセックスさせられたのか?
2016年に公開された「お嬢さん」では、女性が知的に男性は醜悪に描かれていたので、恐らくパク・チャヌク監督の女性に対する考えは保守的ではないと思いますし、私はそういうところも好きです。
本作は実に教訓めいた作品だったので、私も色々と過去の出来事に思いを巡らせ、反省をしてしまいました。韓国映画を鑑賞していると、いつも私の頭に『贖罪』がちらつくのですが、ラストも『贖罪』なのか『愛』なのか。どうとでも取れますよね。
他のレビュアーさんも書かれていましたが、ヴィバルディの音楽がとても作風に合っていて、印象的でした。また、パク・チャヌク監督のカメラ、美的センスに圧倒されます。