「戦争の現実の前にシンレッドラインで踏み止まれるかを問う」シン・レッド・ライン あき240さんの映画レビュー(感想・評価)
戦争の現実の前にシンレッドラインで踏み止まれるかを問う
舞台は南太平洋、ガダルカナル島
パプアニューギニアから東へ約1000キロ
時は1942年8月
敵はもちろん我々の曾祖父である日本軍
ここが太平洋戦争の天王山だった
しかし日本軍はまるで準備が出来ていなかったし、米軍も開戦初期のフィリピンの戦いを除けば初めて陸戦部隊同士が激突するということでかなりびびっていた
それまで日本軍は連戦連勝で無敵の勢いがあったのだ
そこでの戦いをモチーフにしているが、本作は実際の戦史にはあまり忠実とは言えない
第一それの戦いを描く戦争映画でもない
本作のテーマは戦争に於ける人間性の維持とは?といったところか
最後の超えてはいけない一線とは人間性の事だろう
部下を死なせるのを承知で戦果を求める
それは帰属する集団の生か死を決する闘争が戦争である以上答えは明白だろうが人間性は破壊されることだろう
だから本作はドロップアウトした兵士の人間性にあふれた原住民との島の暮らしから映画が始まり、その日常を長く我々の目に焼き付けるのだ
そして戦闘の現実
人間性の一線を超えた中の物語が展開される
この迫力はどんな戦争映画にも負けないくらいのリアリティーがある
敗北して捕虜になり廃人同様となった日本兵の姿をカメラはなめていく
呆然とするもの、気がふれたもの、お経を一心に唱えるもの、ふて腐れるもの
これは日本兵もまた米軍と同じ人間であることを見せるシーンであり、さらにラストシーン近くでは日本兵が包囲した米兵にお前を殺したくな いと語らせる
日本兵もシンレッドラインの線上で踏みとどまろうとする人間であることをみせる
つまり戦争は敵味方双方共に人間性のシンレッドラインの上で戦っているのだということを強調している
シンレッドラインを踏み超えた先は一体何が起きるのか
それはその後の戦争の現実が示す通りだ
それでも戦いは続く
しかし原住民の島の暮らしは変わらない
とは言え彼らの住居には頭蓋骨がいくつも飾ってある
彼らにも闘争はあり、それは首を狩る戦いなのだ
彼らもまた違った基準のシンレッドラインをもっているだけのことだったのだ
21世紀の戦争は無人機をテレビゲームのように操り、モニターのアイコンを攻撃して敵を殺す時代になった
兵士はエアコンの効いた部屋から出れば、そこは家族の待つ家まで車で直ぐだ
時間がくれば交替して家にかえりビールを飲み子供たちと遊ぶのだ
シンレッドラインはより薄くなって目にもう見えないくらい薄い
将軍役のジョン・トラボルタが貫禄があり一瞬彼とは気づかないくらいであったのには驚いた
ハンス・ジマーの音楽が素晴らしい
音楽というより環境音楽というべきか
旋律があるわけではなく、ただ重苦しい重低音がずっと流れているだけなのだが、それが催眠効果のような作用をして、観るものの意識を薄れさせて麻痺させる力を及ぼすのだ
正に本作のテーマを補強する最強の「音楽」だった