「「殺人の追憶」は未来を苛む」殺人の追憶 Chemyさんの映画レビュー(感想・評価)
「殺人の追憶」は未来を苛む
本作の邦題が、「追憶」であって「記憶」ではない点を考えてみる。そうすると本作の核はラストシーンにあると思い至る。あのラストシーンから本当の物語が始まるのだ。
実際に起きた事件を元にしている猟奇的な殺人事件の、犯人の異常性とか、警察の暴力とか、ずさんな田舎警察の現場検証とか、それらは全て長い前置きに過ぎない。ある事件が起きるとそれに関係する人々や、報道如何によってはそれを見聞きした何の関係も無い人々の「記憶」に残る。よほど大きな事件でないかぎり、無関係者の「記憶」はあっという間に消える。しかし関係者には「追憶」となって心に残ってしまう。
この事件で「追憶」を持つ者は大きく分けて3人。まずは唯一生存している被害者女性。当然のことながらその恐怖は生々しく肉体に残り、彼女の「追憶」は「消したくても消せない記憶」であり、その「追憶」に一生怯え続けなければならない。次は本作ではついに姿を見せない真犯人。彼の「追憶」は正に「懐かしく偲ぶ記憶」だ。女性を暴行し殺害する時の快感や、愚かな警察をあざ笑う優越感など、事件から17年たって事件現場に足を運ぶほど、彼には楽しい記憶となっているはずだ。最後は犯人を検挙できなかった担当刑事。ガンホ演じる地元のパク刑事と、サンギョン演じるソウル市警から派遣されたソ刑事。アプローチの全く違う2人は何かにつけ反発しあうが、犯人を憎む気持ちは同じだろう。もしかすると真面目なソ刑事の感情の方がパク刑事より少し熱いかもしれない、そして犯人を逮捕できなかったという「後悔という追憶」も。
しかし、前述の通り本作の核がラストシーンにあるのなら、事件後辞職し、17年後には2人の子供を持つセールスマンとなっているパク刑事の「追憶」が本作のテーマだ。事件後、平穏な毎日を送っている彼にとってこの事件の「追憶」は心の片隅に追いやられている。しかしふとしたはずみで思い出す「追憶」に日々苛まれている。だから事件現場を通りがかると、つい車を降りて死体のあった排水溝を覗き込んでしまう。それは犯人の「追憶」と表裏一対となるものだ。
だが、彼が背負う「追憶」は、単なる過去の事件に対する苦々しい記憶ではない。現場に戻ってきた犯人と思われる男を目撃した少女の存在が、「過去(追憶)」を「現在」に変えてしまったのだ。少女ははっきり男を見たと言っている。今は刑事ではないパクは今後どのような行動をとればいいだろうか(もしかしたら時効を過ぎているのかもしれない)?もう刑事ではないが市民の義務として、或いは自分の中にある「殺人の追憶」を消すために、犯人を追いつめるべきか?それとも自分にはもう関係のないことと、「殺人の追憶」を「追憶」のまま胸にしまったままにするか・・・。
いずれにせよ、元刑事の胸に刻まれた「殺人の追憶」が、彼の今後の人生を左右することに間違いはない。鬼才ジュノ監督が描きたかったのは事件そのものの異常性ではなく、1つの事件に関わった者の悲劇は事件が終わっても一生続く、ということなのだ。