「問題意識の盲腸線」殺人の追憶 因果さんの映画レビュー(感想・評価)
問題意識の盲腸線
『ほえる犬は噛まない』でも思ったが、ポン・ジュノの映画は決して単線的な形を取らない。しかし複線というわけでもない。もちろん主題のようなものはあるのだが、その節々から無数の盲腸線が伸びている。
本作の主題は連続殺人事件をめぐる警察の狂気的奔走とその空転にあるが、細かく見ていくと、さまざまな問題意識が織り込まれていることがわかる。
たとえばパク刑事とソ刑事の対比。パク刑事は誤認逮捕も辞さない腕っ節ひとつで刑事の座に這い上がった叩き上げの身である一方、ソ刑事は大都会ソウルからやってきた4大卒のエリートだ。
韓国は日本以上に学歴競争が激しい。「受験戦争敗退者はチキン屋になるしかない」などという洒落にならないブラックジョークが囁かれるほど。パク刑事とソ刑事の折り合いの悪さは、韓国の厳然たる学歴格差に由来するルサンチマンや軽蔑に根源をもつものであるだろう。
二人の緊張関係は数多の捜査を経て次第に寛解していくのだが、ようやく歯車が噛み合ったかと思ったまさに次の瞬間、アメリカから犯人の精液の鑑定書類が届く。
ソ刑事はその結果を見て深く落胆するが、パク刑事にはその理由を瞬時に理解することができなかった。なぜなら書類は英語で書かれていたから。
本筋とは関係のない、ほんの些細なシーンではあるのだが、私は思わず嘆息してしまった。そして本筋の物語が具体的な解を得られぬまま幕を閉じたように、この学歴的な問題意識もまたどこかにうまく接合されるということがない。
もちろん、学歴の問題はほんの一例であり、見方を少し変えるだけで他にもさまざまな問題意識を発見できる。地方/都会の格差、韓国/アメリカの格差、女性の地位、障害者差別、その他諸々。そしてそれらの盲腸線のどれもが、帰結を持たないまま宙吊りにされる。
ラストシーンのパク刑事の表情はとても示唆的だ。数十年前の地獄が今なお続いているという恐怖と絶望。ショットは彼の表情を真正面から捉えている。パク刑事はじっとカメラを凝視している。我々を凝視している。
その瞬間、映画の中の世界は我々の現実と直結する。終ぞ解決をみることのなかった悲惨な物語が、その無数の盲腸線ごと我々に突きつけられる。あとはお前たちでどうにか考えてみろ、と言わんばかりに。
文芸の役割は受け手に何らかの主体的な思考を促すことに一つの本質がある。ポン・ジュノの作品が愛されてやまないのは、上記のような細やかな問題意識と大胆不敵な挑発性があるからに他ならないだろう。