メメントのレビュー・感想・評価
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なにを「忘れるな」?
○作品全体
タイトルの『メメント』はメメント・モリから来ているという。メメント・モリは「死を忘れるな」という意味で、生きている限り必ず死が訪れることを覚えておかなければならない、という言葉だが、本作の主人公・レナードにとって、この言葉は真実が開示されていくと意味合いが変わってくる。これが鳥肌の立つほど衝撃的で、痺れる映像演出のギミックだった。
序盤から早速、レナードがモノローグやダイアローグで障害を説明するシーンで、この作品のルールともいえるレナードの障害が語られる…と、言うような捉え方をしてしまうとレナード(の後ろにいるクリストファー・ノーラン?)の思う壺なわけだが、そう思わせてしまうのは作品の構成力が成せる技だろう。過去に遡る時間軸と過去から近づく時間軸によって、シークエンス単位で切り取られていくが、このシークエンスがそのままレナードの記憶の保持していた時間と合致する。そうすることでレナードの「短期的な記憶のもろさ」がシークエンスの時間と同期して、映像からレナードの記憶の脆弱さを感じとることができる、という仕掛けだ。
ただ、一方でこの演出は事件前後の真実がどういったものだったのか、というところから目線を向けさせない演出にもなっていて、私たちを「レナードは短期的な記憶は怪しいものだが、事件前後の記憶をレナードは覚えている」と誤解させる。事件前後の記憶はシークエンスを跨いでもほぼ同じ内容でレナードから語られるから、対比的にそう思わせるのだと思う。そしてそれは「信頼できない語り手」としての役割を静かに強化させる要素だった。終盤になると事件前後の記憶や、事件前のことだったサミーの話はレナードによって都合良く改ざんされたものだと判明する。この映像演出によって作られた強固な真実への壁が崩壊した瞬間は、衝撃とともに真実に辿り着いた、というなんともいえない気持ちよさがあった。
妻の死に報いを、という動機から妻の死を生きる糧として、という動機へ復讐劇は変わった。レナードを騙しはしていたものの真相を知ってサポートしていたギャメルもその犠牲となり、後に残るのはナタリーのような単純に自己の利益のためにレナードを使う人物だけになってしまった。ギャメルが死んでからは本当に同じ「復讐劇という名の殺戮」を繰り返すだけなのだろう。でもレナードはそれでいいのだ。生きる理由が体に刻まれている限り、レナードは生きる目的を忘れないでいられるのだから。
○カメラワークとか
・映像におけるカット、シーン、シークエンスは意図的に制作者が物語のはじめと終わりを編集したものだ。この作品でももちろんそうなのだが、レナードの記憶が途切れるとシーン、シークエンスが終了してしまうため、レナードの記憶の限界がもう一つの時間軸へカットバックするというのが、ほんとに素晴らしいアイデアだった。
○その他
・真実がつまびらかになったところも面白かったけど、一番鳥肌が立ったのはナタリーが暴言を吐いた後、車の中でレナードが忘れることを待っているカットだ。ここのナタリーが作中で一番明確に悪意を持ってレナードの障害を利用しようとしていたと思う。ナタリーのじっとレナードを見る目線。めちゃくちゃ怖かった。やっぱり一番怖いのは幽霊でも化け物でもなくて、人間の悪意だ。映画の中でもそれは変わらない。
昔観たときと印象が異なった。実は難解じゃないか。
10年ほど前に鑑賞し「なんというオチだ」と強烈なインパクトをくらったのですが、今回久々に観ると「オチを正確に把握するには時間を要す映画」でした。
レビューサイトを徘徊してようやく全容がわかってきた。
10年前は「お前が犯人かよ!」というどんでん返しの印象が強すぎて細かいことは気にならなかったのだろうなあ。
・レナードの記憶障害を利用しようとする面々。
テディ、ナタリーだけでなくモーテルの受付係も。
・そればかりかレナードは自分自身にも利用されていた。(ジョン・G探しを終わらせない。)
・妻の真実の死因と、サミーの話。
・サミーの妻が確かめたかったことは?
実は深かった。。
正確に把握できてよかったけど
この手の映画の2回目はインパクト薄れるね。難しいところだ。
いやぁ…難しい
ずっと観たかった作品。
時間が取れてじっくり観ましたが、まぁ難しいというかなんというか。
時間逆行型と記憶が持たないという前情報だけで観ましたが…
観終わったあと解説をみて自分の解釈と全然違ってビックリした 笑
この人生は辛すぎるし人間不信になりそうだけど、自分の選択でこうなってるんだなというのが最後にわかった時には本当に驚きましたね。
タイトルなし
ノーランのデビュー作フォロウィングを観る事ができたので久々に観返してみた。
初見の時はストーリーはともかく、メチャクチャ頭の良い人が作ったんだろうなと感心した事を覚えている。話が結末から遡って進んでいくものだから、記憶障害を持った主人公と同じ様に、何故今のような状態に陥っているのか解らないという不思議な体験をしながら観賞できる稀有な作品。
時間の逆行そして順行。
クリストファー・ノーラン監督の長編2作目。
2001年公開作品。
この長編2作目で俄然注目の的となった記念的作品。
妻を殺されて自分も殴られて、記憶が10分間しか持続しなくなる主人公。
ポラロイド写真で会った人を写して、写真にメモ書きする。
それに飽き足らず身体中にタトゥーを彫り込み身体を記録簿にする
異常者。
そしてこの事件の真相を知る男テデイ。
実は始まりのシーンでレニー(主人公の保険調査員で妻を殺された男)を
演じるガイ・ピアースは、テデイを殴り殺している。
ここが結末なのだから、最後に知ると唖然とする。
だから10分間しか持たないレニーが、なぜテデイを殺したか?
その理由を追って行くミステリーだと言える。
記憶が続かないのを良いことに、レニーは利用されまくる。
ナタリー(キャリー・アン・モス)の情夫のジミーを殺させたり、
テデイは実は刑事だがジミーの相棒で麻薬取引で手を組んでいて、
罪をレニーに、なすりつけようとしているし、
レニーは記憶が続かないのを利用されて、周りは悪人ばかり。
キャリー・アン・モスの悪女ぶり、
テデイ役のジョー・パントリアーノの親切を装うテデイの悪知恵。
そして一番哀れに思ったのは、レニーが顧客のサニーという男を
妄想で作り上げるところ。
保険金の申請に来てレニーに偽の記憶障害と決めつけられて、
却下される。
サニーの妻はそれを信じきれない。
自分の糖尿病のインシュリン注射をサニーに頼む。
時計の針を3回も戻して注射を受け続けて、意識を失い妻は
死んでしまう。
精神科病棟で呆けたように座る男こそレニーの実像かも知れないのだ。
しかしラストでは記憶の障害も乗り越えて、ジミーを見事に
殺して復讐を果たすレニー。
スカッとするけれど、やはり妻る訳でもなく、
切ない。
多少難解
時系列の一番未来が冒頭にあり、シーンを遡りながら何があったのか展開するカラー映像と同時に白黒映像はある時点から順に時間を進み、最後に時間軸がつながり全てが明らかになる。主人公の記録が事実であるという意識誘導で、謎が明かされるまで色々と推理しながら物語にひきこまれて行くが、真実がかなり救いようのないものだったことでカタルシスを得られなかったが、凄い作品ではあったという印象は残るテクニカルなサスペンスだった。
ノーランの天才を知る恐るべき傑作。
クリストファー・ノーランの長編第2作の再映。
映画凍結期の作品なのでありがたい。
妻を殺され自身も頭部の損傷による記憶障害で10分間しか記憶を保てなくなった男が妻を殺した犯人を追う。
と思いきや、、、
時系列を小刻みに逆行させながら描く斬新な構造。
緻密に計算された凄い構造だった。
記憶を繋ぎ止めるためにポラロイド写真を撮ってメモ書きする。タトゥーで身体に刻む。
自分への伝言ゲーム。
観る我々は彼が書き記す際のミステイクを知る。書き記した言葉のミスリードを知る。もはや真実からかけ離れた迷宮にいることを知る。
そう、過去が、そして自身の存在が刻一刻と上書きされていく彼の未来を思った。
真実は過去に
評判は耳にしており、気になっていた作品。
“仕掛け”は事前に把握してたし、一つ前と軽くクロスオーバーさせてくれるので、理解はしやすかった。
しかし成程、確かに知らずに観たら混乱は避けられない。
カラーパートが過去に、モノクロパートが未来に向かって進んでゆく。
ただ変わった構造になっているだけでなく、最後にその交点で真相が浮かび上がってくる構成になっていた。
“物語”と“仕掛け”がこうまで有機的に結びついているのは見事でしかない。
ただ、明らかに10分では収まらない行動をしている点は気になってしまう。
その度にメモを取って思い出してでは無理があるし、作中でも「毎回目が覚めたばかりみたいだ」という台詞がある。
そんな状態、運転中であれば事故るし、走っていれば(こちらは明確にそのシーンがあった)転ぶだろ。
スーツやシャツ、靴までジミーのもので違和感がないのもご都合主義的。
「スーツ着てるならペンくらい常に挿しとけよ」と思ったが、都合の悪いことをメモしないためなのかな。
テディの免許証に“存在しない日付”と“存在しない番地”があったという記事も見た。
要するに、レニーは精神病院から出ておらず、すべては妄想という説らしいが、これも面白い。
胸くそ悪くスッキリとはしないが、とてもスリリングで楽しめました。
数カ所コミカルなところもあって、エンターテインメントとしてのバランスも最高です。
時間を知らない俺が癒やされるのか
こないだ鑑賞してきました🎬
10分しか記憶を保持できない、ガイ・ピアース演じるレナードが、妻を殺害した犯人を追うというストーリー。
途中でキャリー=アン・モス演じるナタリーや、ジョー・パントリアーノ演じるテディの助けを借りながら、必死に犯人を探すレナードですが…。
私は一回観ただけではわからなかったので、解説サイトを読みました😅
映画のエンディングが、時系列の丁度真ん中に位置するんですね。
で、最終的にはテディもレナードに殺され…それをポラロイドで撮る彼。
その後はまた、ジョン・G探しに勤しむのでしょうか❓
ガイ・ピアースの記憶が持たないレナードを演じた表情や仕草は良かったです🙂
キャリー=アン・モスも、レナードを助けるように見えて利用してもいるナタリーを好演。
個人的には、悪女役は似合わないと感じました。
いずれにせよ、ノーラン監督の時系列シャッフルが炸裂していて難解な映画ですが、魅力的なプロットで面白かったです😀
状況の説明は十分してくれるのについていけない
めちゃくちゃ面白かったけど、結局理解が追いつかず頭がこんがらがったまま、突然終わってしまった、、、時系列が逆行して描かれるので、必然的に我々観客も、主人公と同じく「先のことがわかっていて過去のことが分からない」状態になるというおしゃれな演出方法。
主人公はじめ登場人物がよく喋るタイプの作品なのでその辺の置いてけぼり感はなかったけれど、時間が反対に進むせいでかなり複雑な構成になっていて凄い。結局、あれだけ主人公に感情移入させておいて、実はこいつが1番やばい奴だった?「記憶は思い込みだ、事実とは異なっている」が特大ブーメランだったってこと、、??理解しきれなかった部分も多いけれど、作り込まれすぎた内容に大満足です。
惹きつけるものがある。集中してみる映画。 時系列で進まない、ちょっ...
惹きつけるものがある。集中してみる映画。
時系列で進まない、ちょっとずつ戻る仕掛けが効いてる。
最初のポラロイド写真が、ちゃんと写ってたのがだんだん消えていっておかしいなと気づくと、時間が戻るのだとわかる。
巻き戻しで銃に弾が戻り、銃声がして、この場面にどうやって向かうのか集中して見た。
この映画を昔見たことがあって、所々覚えてるけどほぼ忘れてて、主人公の擬似体験をする作りだけど、実際に体験してる気がした。
また忘れて、ワクワクして見たい。
認知症もこんな感じかなと思った。
アンソニー・ホプキンスの「ファーザー」は認知症体験映画だった。
うーん…ノーランぽい感じではあった。
ノーラン作品って最初何も分かんなくて、主人公も何も分かってないから、主人公の混乱と視聴者の混乱がシンクロする面白さがあると思うんですよ。
本作品も、何も分からない混乱と、結末がどうなるか分からないワクワクは序盤確かにあった。
でもなんとなく「主人公が犯人パターン」「全部主人公の妄想パターン」はありきたりで萎えるし、流石にそこは外してくるだろって最初から思ってたから、結末の答え合わせでガッカリしちゃった。
物語の結末として面白くないのに、「人間ってこうだよね」「深い!」みたいに絶賛するのももはや食傷気味だ。
なんか、「記憶を失う男」の視点を視聴者にも共有させて、最後巻き戻す見せ方も、
TENETとか最近のノーラン作品を観てると「ああ、そういう感じね」と変に斜に構えて観てしまった。
そんなこんなで、過程も結果もそこまで楽しめなかったかな。
記憶と取捨選択と意思
クリストファー・ノーラン監督の映画は、『インセプション』『インターステラー』『TENET』は見たことあったが今のところはこの『メメント』がダントツで難しかったように感じた。
展開の構造的には『TENET』と似ていて(制作順で考えると『TENET』が『メメント』に似ているというのが正しい)、カラーの場面が時系列的には未来から描いており、モノクロの場面が過去から描いていた。そして物語終盤で二つの時間が交差してエンディングに差し掛かるという形だった。
序盤に物語の答えだけを知り、次第に事件が起こった原因が分かっていくという形で描かれていて、謎を解いても新たな謎が出てくるため鼬ごっこをしている気分になる。そのため最初のほうの場面は忘れていて、観客である私たちもメモを書きながら鑑賞したいという気分になる。
このように観客にレナードの体験を追体験させることが、この難解な展開の目的だったのだろう。
物語のテーマは記憶はどこに内在するのか、どう保持するのかという問題であり、記憶は記録ではないというセリフが印象的であった。そのためレナードは出来事をメモに書き起こし、記録として頼っていたが、書き起こされる出来事は取捨選択されるため、その記録も信用することが出来ない。
では人は何を信用すればいいのだろうか。
ただ一つ言えるのは、記憶なんかに惑わされない自分の信念のようなものを頼りに行動するべきなのではないかと感じた。実際、良い悪いかは置いといて、作中のレナードは「復讐」という信念のもとに行動を続け記憶を改ざんしていた。
ノーラン作品の原点...のちの作品の構成要素が凝縮
自宅に忍び込んだ強盗によって妻をレイプされた男
殴られたことによって脳に障害を追い、「前向性健忘」を患ってしまう
これは「事故前の記憶はあるが、事故後の記憶は10分間すると忘れてしまう」というもの
何か新しいことを見聞きしても、10分間しか覚えていられないのだ
彼は妻をレイプした犯人を探し出し、復讐を遂げる
ところが障害によって、復讐を遂げたことすらも忘れてしまった主人公
妻を襲われた記憶と、復讐心だけが残り、「妻を殺した犯人を探し出しては殺害する」復讐鬼と化してしまう
実は妻はレイプされた後、命に別状はなかった
しかし記憶を保持できない主人公が、彼女の持病である糖尿病の症状を抑えるインスリン注射を何度もしたことによって妻は亡くなってしまう
主人公の記憶が保持できないことを信じられず、彼を試すために、彼の記憶を呼び覚すために、妻は何度も注射を頼んだのだ...
・主人公はすでに復讐を遂げており、記憶を保持できないために何度も殺人を犯す
・実はレイプ後に妻は生きており、彼女を殺したのは主人公自身
という二重のネタバレ。
妻を殺した罪悪感に苛まれてか、主人公は「サミー」という別人の話にすり替えて、記憶を失った男と、彼によって殺された妻の物語を何度もするようになる
※主人公は記憶を保持できないのに、無意識裡あるいは潜在意識・深層心理のどこかで妻を殺した罪悪感を抱えているということだろうか...?それとも設定上の粗か?
・・・・・・
妻を殺された主人公は、犯人探しのために警察の伝手を頼るのだが、記憶を保持できないが故にだんだんと利用されるようになる。
本物のレイプ犯を殺したあと、麻薬捜査官に騙されて売人を殺すのだが、その売人の彼女もまた主人公を利用し、麻薬捜査官を殺すように彼を仕向ける。
愛した女が実は自分を利用しており、胡散臭いがそれなりに無実な男を相手に罪を犯す。
ノワール調で開始する物語だけれども、「情報の錯綜」によってシェイクスピアばりの悲喜劇が繰り広げられていたことがわかる
・・・・
こういったネタバレは、物語の内容を整理したうえで執筆されたものであり、実際の映画は「時間を逆行させる」ことによって構成されている。
1本の映画を撮影したあとで、フィルムを分割し、順番を並び替えて未来から過去へと遡るように上映することを想像するといい。
より正確には、逆行から成るカラーパートと、順行によってなるモノクロパートの「2軸」によって映画は構成されている。
この「カラーパート」と「モノクロパート」は接続点を持っているので、映画全体はあたかも「U字構造」を持っており、『メメント』こそが『TENET/テネット』の原点となっていることがわかる。
・・・・
さて、「逆行」パート(カラーパート)においては、事件が発生した順序を入れ替えることによって因果関係が逆転する。つまり、物事の「結果」が先に提示されたあとで、「原因」が後から明かされるという構造をとるのだ。
このような細かいネタバレの連続は、『プレステージ』へと継承され、(時間の逆行は伴わないもののネタバレの連続という意味で)『ダークナイト』で結実する。
『ダークナイト』がハラハラする展開の連続となっているのは、『メメント』で養われた手法に基づいているのだとわかる。
・・・・・・・
物語の冒頭、主人公が男を殺害したのは、彼を殺すように主人公自身が仕向けたものだと終盤で明かされる。
主人公は記憶をなくし、メモだけを事実・真実だと信じる。
けれども彼は、自分に都合のいいことだけを記録に残し、都合の悪い内容は破棄する。都合のいい書き方でメモを残すし、都合のいいようにメモを解釈もする。
主人公のこの間抜けさの理由には、もちろん物語の書き手の意思もあるのだけれども、女を信じて胡散臭い警官を信じない描写などには、人間の心理に関する洞察に基づいているし、観客の期待に沿いながら後々で裏切る=どんでん返しをするために利用していることでもある。
・・・・・
このように、主人公が自分自身に対してついた嘘によって映画は始まり、嘘に嘘を重ねることによって物語は結末を迎える。
この物語は嘘をつくことによって始まったものであり、本来、嘘がなければ存在しなかったものであるとも言える。
そして主人公自身が物語を作り上げているとも言える。
その背景には、「映画自体が広義で『嘘』なのだ」というノーランの視点が反映されているように思う。
映画とは、現実ではない仮定を置くことによって始まるストーリーだ。
最初の仮定にどんどん新たな仮定を重ねていくことによって物語が展開していく。
「もしもXがAだったとしたら?」「YはBだろう」というように
仮定のはしごを空に掛けるようにして高みへ登っていくのが映画だ。
このように、映画を作る人物たちを投影するようにして、主人公は自らに嘘をつく、自分自身を騙すことによって物語を作っていく。
それは自分自身にとって都合がいいからで、のちのノーラン映画で「嘘が暴かれる」という要素が何度も登場するのも、『メメント』という原点があるからだとわかる。
・・・・・
映画制作という行為は一般に作品の外部に置かれがちであるが、『メメント』では主人公自身が嘘によって物語を作るという形で、作品の内部に埋め込まれている。
例えば『インターステラー』では、主人公たちを宇宙へと誘うワームホールを設置したのが未来の人類であり、主人公がしばしば目にするいくつかの異常現象も、その正体が主人公自身であったと明かされる。
ここには「物語を発生させるのが自分自身だ」という映画の作り手自身の意識が反映されているように思える。
映画を作るためになくてはならない作為性。その作為性を発生させるのが映画の作り手自身であり、映画は作り手による自作自演なのだ...という意識の投影として。
『インセプション』のラスボスが主人公の心の中に潜んでいるのも、『TENET』の黒幕が主人公自身だと判明するのも、映画を駆動する「神」たる映画製作者の存在が、「物語を作る主人公」という形に投影されているのではないだろうか。
10分前、俺はなにをした?
数分で短期記憶を失ってしまう男
妻を亡くす以前の記憶はあるが、それ以外はメモを頼りに犯人を探す生活をしている
描写が独特でカラーの時は時間が逆行、モノクロのシーンは順行する
テディが撃たれるところから映画が始まる
話が進むにつれて友人を名乗るテディや親しそうなナタリーなど怪しさが増してくる
周りの何人かはレニーの症状を理解して利用している
一番長い付き合いのテディは本物の犯人を探す協力をしたのちは、割り切って自分の利益のためにレニーを利用する
レニーは復習という目標を作ることで妻を殺してしまった事実から逃れ続ける
自分の症状を利用してあたかも妻が生きているかのように錯覚させるような行動からも現実逃避の気が見て取れる
自分の体にのこしたメモは10分後の自分への新たなヒント
目を瞑っていても世界は続いている
記憶を失い続ける男か、記憶を改竄し続ける男か
このセリフを発するのには皮肉が効いている
記憶のない間も世界は続いているし、それを理解しつつも最も目を逸らしているのはレニー自身
難解
難解な映画だと聞いて鑑賞してみました。時系列の逆転していく内容なので少し解りにくいかなと思いました。解らなければ丁寧に纏めてくれている方のサイトもあるので見れば解ると思います。
難解。
非常に難解な映画。
当方は頭が悪く一度では理解できなかった。
見た後の考察、脳内整理までがノーラン作品の醍醐味か。
ない頭で理解できたことは、事件前に自分と同じような
症状を持つサミーという人物を空想上で作り出し、
自分よりも重い症状にすることで妻を殺したのが自分では
ないと自己暗示していたこと。最後はサミー=レナードだと
テディに明かされる。
レナードの仇であるジョンGは一年前の時点で
既に殺されていたこと。
テディはレナードの妻殺害事件の担当刑事でレナードが
行う復讐を黙認していた。
しかし、レナードはジョンGを殺したことで完了したはずの
復讐劇をメモせず敢えて忘れることで殺しを楽しんでいたか
あるいは復讐を生き甲斐にここまできたのでそれを失うことを恐れたのか、新たなジョンGを見つけては殺し続ける。
終い(劇中では序盤だが)にはテディをジョンGとして殺害。
今後レナードはどうするのだろうか。
また存在しないサミーを安定剤に殺しに励むのだろうか。
この映画は登場人物全員が腹黒い汚い奴である。
エミリーは自分のためだけにレナードを騙して利用し、
テディはジミーが持つ20万ドルを狙っていた。
大家はレナードの記憶障害を利用し2部屋分の金をとる。
全員が救いのない実に人間臭さのある奴である。
この難解映画は
白黒→→→→→→→→→→→→→→→
←←←←←←←←←←←←←←←カラー
という時系列が交互に映され、鑑賞者に頭を使わせる作品。
終盤に時系列の折り返し地点を衝撃的に見せることで、
さまざまな憶測が生まれ、もう一度見たいと感じさせる。
個人的にはここまで複雑だと疲労感がすごい。
結局みんな自分勝手
さて土曜日。そう。今日は平日だったら疲れてて寝てしまいそうな長くて難解な映画を見る日ですね。
結局みんなレナードを利用してるんでしょうね。レナード自身も。最後は複雑な心境になりました。
正直思ったより難しくはありませんでした。ちゃんと前の記憶を覚えていれば「インセプション」みたいに話についていけなることはなかったですし。
話の構成は好きです。ずうっとなぜコイツはこの場所に来てこんなことしているのかが気になり、ぐいぐいと映画の世界に引き込まれました。
メチャ面白い映画です。ノーラン映画では今まで見た中で一番好きかも。
疑心暗鬼
前脳基底部損傷による健忘症は、前向性健忘と逆向性健忘に加えて、しばしば作話、注意障害、人格の変化が出現するという。大学の授業でこの症例に興味を持った監督の弟さんが書いた小説「Memento Mori(死を忘れるな)」のプロットがきっかけらしい。Mementoの語源はラテン語で「思い出せ」という意味という、まさに記憶障害の主人公は全身に刺青までいれて悲壮感が凄いこと。
健忘症も確かですが不都合なことは特に忘れがち、というより勝手に記憶を書き換えてしまうのですから、ほぼ主人公の視点で描かれる映画なのに何を信じていいのか当惑、しかもすぐにばれないように話の流れを切り張りするから観ている方は混乱が増すばかり、頭のおかしな主人公なら何をやっても許されるだろうという創りは多少やりすぎな気もします。
精神異常ですから刑務所には入らずに病院行きでしょうがこういう殺人鬼は始末に困ります、操った張本人が殺されるというのも因果応報ですがテディは唯一真相を語れるキーパーソンなのですから事件当時や人物についてもう少し描いて欲しかった。
まあ、ありきたりのリベンジ・アクションに飽きた映画通には受けたのでしょう。個人的には作家性の強い、難解な映画は苦手です。
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