ロスト・イン・トランスレーションのレビュー・感想・評価
全80件中、41~60件目を表示
ひとときの出会い、そして永遠の想い出
どこかに1人でポツンといるのも孤独ですが、大都会にポツンというのも孤独ですよね。僕自身が夜に街に繰り出すというタイプではなく、暗くなったら家にいたいタイプなので(笑)、ナイトクラブなどに行く場面より、ホテル内のバーや部屋、廊下などでの2人の時間が好きです。 切ない気持ちになりますが、いい物語でした。 特別な絆というか、最後キスをしてもお互いの伴侶を裏切った感じがしないのがよかったです。 できればシャーロットが日本を発つまでいてほしかったですが、それだと作品の質が少し落ちちゃうのかな(笑) どちらかが先に帰っちゃうからいいのか(笑) 僕も誰かとゆっくりお話しをしてみたいです。 家族と暮らしていますし仲はいいですが、それとは別に全くの他人とゆっくりお話しをしてみたいです。 僕は独身なので誰かを裏切ることにもなりませんし(笑)
バーガンディ
日本人はどう評価するか。
ミドルエイジクライシスを笑わず、それに寄り添う映画
JUST LIKE HONEY
(これは2019年6月ごろ書きました。)
ここ数年で富にテラスハウスの海外人気が固まってきたようです。たしかに誰が見ても面白いと思えます。ただ、わからないのが翻訳です。
個人的にテラスハウスの主品目はむしろスタジオにあって、本編は副次品と見ていますが、あのスタジオの会話が翻訳し尽くせるのかが非常に興味深いのです。試しにNetFlixを英語字幕にすると英字が凄まじいスピードで流れていきます。これ、解るんだろうか、という速度です。それ以上に心配なのがスタジオで多用されるスラングです。正確にはスラングではなく、日本人にしか解らないフレーズや時事や業界事情ですが、山里さん徳井さんが発する笑いのツボは、ほぼその「スラング」を用いた例え話にあるので、それが外国人に伝わっているのかが非常に興味深いのです。
Redditにr/terracehouseという板があります。私は英語が得意ではありませんがテラスハウスに対する海外の注目度を知ることができます。およそ、そこでは「スラング」に対する質疑応答も盛んに立っています。
先日、So many things are lost in translation on Terrace Houseというスレッドが立ちました。スレ主は薦められてテラスハウスを見たのですが10分と見ていられなかったそうです。理由は「スラング」が解らないこと、またその逆に、本編での出演者の貧しい語彙力──住人たちのつねに平凡な日常会話に辟易した、とのことでした。その後テラスハウスを通じて日本に興味を持った人に出会い、再度、こんどは過去作のAloha Stateにチャレンジしてみたそうです。結果的にそれは面白かったようですが、ただし彼がもっとも興味を持ったのは、住人の恋愛ではなく、翻訳によって失われたことについてでした。
『Joke often didn't make sense if you don't know a specific TV programme in Japan / commercial etc. I wonder if non-Japanese-speakers have no problem understanding all the jokes. Do you have any particular examples that you didn't understand or find weird?
ここにある笑いは、日本の特定のテレビ番組やコマーシャルなどを知らなかったら、意味を為さないんだけど、それじゃあ困るんだよね。誰か他に理解不能や違和感の例あったら挙げてみてよ。』
スレッドは呼応して伸びましたが、ふと誰かがこんなことを言い出しました。
『Off the topic but the title just reminded me that the movie ‘Lost in Translation’ was actually filmed in Japan lol
板違いだけどタイトルがロストイントランスレーション思い出させるね。確かにあれは日本が舞台だったし。』
→『One of the best movies ever - especially if you know Japanese. It's hilarious. I laughed through the whole whiskey commercial scene :'D
最高の映画だね。日本知ってると更に楽しい。ウイスキーのコマーシャル爆笑したっけ。』
→『I agree! For me the hotel scene with the ... hired lady was epic af lol
同感。デリバリー女シーン、サイコーだわ。』
スレ主が言うLost in Translationとは、翻訳し尽くされなかった部分のことです。それは日本のコアな業界事情=「スラング」なので、能動的に省かれたのでしょう。あるいは別の汎用な笑いに置き換えられたのかもしれません。いずれにせよ、翻訳が失われたために、失われた部分への興味がつのったというわけです。
しかしソフィアコッポラのロストイントランスレーションは言語だけのことではありません。
主人公、ボブハリスの妻はホテルにファックスを送りつけ書斎の棚やカーペットをどれにする?などと、ボブの現況とはまったく無縁のマイペースな日常を伝えてきます。
もう一人の主人公シャーロットはカメラマンである夫に随行してボブと同じホテルに滞在していますが、夫は仕事に夢中でいつも忙しなく、シャーロットの気分を理解しません。
互いにEnglish-speakerの夫婦といえども全く意思疎通できていないのです。
それに加えて、場所は東京です。そこにいる日本人たちは恐ろしいまでに疎通ができず理解もできません。超ハイテンションなマシュー南。でたらめばかり教えるいいかげんな通訳。ストッキングをリップしてと注文してくる性接待の女。気合いだけのCMディレクター。選挙カーのウグイス嬢。病院の待合にいるお婆ちゃん・・・。
ボブとシャーロットは年も性別も経験値も違いますが、お互いに人生に疲れている東京の異邦人です。くわえて、茫漠たる東京で会話が通じた唯一の人です。果然、ホテルのバーで出会うとすぐに意気投合するのです。
いわば相棒になった二人でいるとき東京はにわかに楽しい異世界に変容します。眠らない街へ繰り出し、チャーリーと眠らない酒徒に会い、カラオケでニックロウのWhat’s So Funny ‘Bout Peace, Love And Understanding?を歌います。
それを見ながら観衆は自分がボブとシャーロットの側であることを望んでいます。ほんとうは、特に日本人の私たちは、訳の判らない東京人側にいるはずですが、翻訳能力を失った二人に強く共感しています。
ときどき私たちだって、ボブやシャーロットのように、周りの言っていること/やってることが全然判らなくなってしまうから、だと思うのです。
すなわちロストイントランスレーションとは翻訳ではなく、なにかを切っ掛けに理解能力を失ってしまった人間の鬱状態のことを言っているのです。
だけどボブはシャーロットを見つけました。シャーロットはボブを見つけました。落ち込んでいるとき、言語よりも深いところで感応する相棒を見つけ出したわけです。
とはいえ二人には男と女の「愛」も「性的欲求」も「恋心」もありません。しかし、たとえようもない感覚で強固に通じ合っているのです。
あなたは愛/性/恋愛感情のない、でも深く惹かれ合う男女関係を、映画で発見した経験がありますか?
この映画の絶対的なさわやかさは、そこにあります。
舞台が東京なのも合理だったと思います。いち地方人である私も東京へ行くとまるで他の星に来たように「いったいここで繰り広げられている、かまびすしい過剰は何なのだろう」と思うからです。何度訪れても消えない感慨です。
とりわけロストイントランスレーションが映し出す東京はきらびやかで風変わりで生活臭のない街です。それは「&TOKYO」の東京であり、セレブのインスタに載る東京であり、業界人の不実体な東京であり、そしてテラスハウスの東京です。
筋書きが有るにせよ、無いにせよ、箱に閉じこめられ大勢の人々が見るなかで愛を交わすなんて不条理な話です。そんなショーを楽しむわたしたちはもっと不条理ですが、ただそんな虚構の世界の言葉を訳せるはずがありません。日本語を解するわたしたちでさえ不可解なのですから外国人の『So many things are lost in translation on Terrace House』は当然です。
それが映画ロストイントランスレーションと重なった──という話です。
ところで、この映画が忘れられない理由にはエピローグの首都高もあります。
とんでもない景色だと思います。厖大な人の営みの景色です。文明という言葉を説明できる景色です。46年前、タルコフスキーが使った景色です。
上京するとき、わざわざ車を使うのはジーザスアンドメリーチェインのJUST LIKE HONEYを聴きながら首都高を走るためです。この世にふたつとない気分になれます。
自分にとっての現実世界が、だれかにとっての夢世界になり得るのだと気づけた映画。
ソフィア・コッポラ監督作品。
東京を舞台に、最盛期を過ぎた初老のハリウッドスターと、夫の仕事に同行して東京にやって来た若い人妻が出会い、別れるまでの話。
題名にもなったロスト・イン・トランスレーション(翻訳における何らかの意味伝達の抜け落ち)は人間同士の相互理解の難しさを表した典型例であり、異国でのこの経験が、2人がお互いの気持ちを伝える上での困難さを強調する役割も果たしている。
アメリカの画家ジョン・カセールから着想を得たという冒頭のシーンはすごく印象的で、このケツがどんな伏線になってんだ?と訝しながらの初鑑賞。
結局伏線とかではなかったのだけど、この映画を象徴するシーンであることは間違いなかった。
まあ強いていえば、あの割れ目が埋めようのない2人の心の隙間を表しているんでしょうかねえ。笑
わずか16年前の日本はまじか、こんな感じか、という悲惨さで、たとえ写実的ではないにしても少なくともコッポラからの印象が此れなのだからまじか、これか、という感じ。
そんな日本で、夫からも相手にしてもらえず、なのに夫の前では強がって気丈に振る舞ってしまうスカヨハ演じる若妻の憂い、疎外感、虚しさ。漂う空気はミッドナイト・イン・パリに近いものを感じる。
あと当時20歳のスカヨハは確かに若いんだけどもうすでに完成されてて、なんでこの雰囲気が出せるのかな。日本人だったら吉高由里子かなと思ったけどスカヨハはアクションもやるからなあすごい役者だ。
8回くらい江頭2:50に見えたビル・マーレイとは初めまして。
スカヨハと2人で醸し出す妖しさ危うさに惹かれる。
2人でホテルを抜け出した夜、カラ館の通路ではっぴいえんどの”風をあつめて”が漏れてくるのを聴きながら優しく肩を貸す。最高。
全く年代の違う両者に特別な関係が成立していく過程自体が観る人たちにとって十分に魅力たり得ているわけだが、そのことで、社会生活を同い年との関係に限定させる学校制度を批判している人の話を思い出した。彼が望んでいたのはまさに、こういう混ざり合いがもたらす思わぬ発見や面白さなのだろうなあ。同い年だとこうはうまくいかないか。明らかな違いがあったほうが、共通点の発見や、お互いを理解するための意欲を考えれば好都合ということなのか。
パークハイアットと新宿、そして、しゃぶしゃぶ
好き好んで来たわけではない日本で感じた孤独な心理を読み取る
総合:60点 ( ストーリー:60点|キャスト:70点|演出:70点|ビジュアル:70点|音楽:70点 )
興味があったわけでもなく好きで来たわけでもない東京で、寂しさと虚しさを抱えたまま異文化に馴染めず戸惑いながら過ごしながらも、お互いに何かを感じた男女を描く。話題になったのが記憶に残っていたから数年前の作品かと思っていたらもう14年も前の作品だった。
誇張された日本が時々登場して日本人としてはしらける部分も多々あるが、外国人から見た彼らと異なる日本への印象という点ではそんなものなのだろう。そもそも日本について何も知らない彼らが所用があって滞在しているだけなのだから、異文化を理解しようとか楽しもうとする動機づけが最初から登場人物には弱いし、予想と異なり文化の違いを浮き彫りにすることが映画の目的でもないようだ。家族から離れて知らない町で何をすればよいかもわからないまま放り出された孤独さが異文化の中で強調され、そんな共通点を持つ2人が出会って共感を感じたことを描いている。
はっきりとした物語の流れがあるのではなく、映画は共通点を感じた2人のちょっとした交流と心情を日常の生活の中に散りばめて表現する。視聴者はその彼らの間接的な心の動きと感情を読み取る。そんな作品の意図はわかるし、ある意味での面白みはあった。
でも同時に退屈さとしらけた退廃的な雰囲気を感じて、それらはある程度は作品中の登場人物たちが感じたのと同じような感情にも感化されて、観ていて楽しいものではなかった。物語がはっきりせず動きが少ないのも、登場人物が努力をしているように見えず好感を持てないのも高く評価出来ない。
退廃的という点では雰囲気が『甘い生活』に似ているとずっと思いながら観ていたら、作品中のホテルの部屋でその甘い生活がテレビで放送されていて「マルチェロ」と呼んでいる科白があったので、製作者としてもやはり意識していたのだとわかった。スカーレットヨハンソンの美しさと、彷徨いながら我が道を探そうとする姿が映画では一番印象に残った。でも自分の進む道を失ったまま流され続けた甘い生活に出てきたマルチェロと彼女が重なる部分がある。東京に迷ったのではなく、彼らは自分たちが迷っていた、それを言葉の通じない異文化の東京に来たことで見つめなおし気づかされたのだ。
東京の憂鬱
こう見えるんだろうなあ、東京
ロマンティック?プラトニック?
公開当初から観たかった作品。
当時は脚本賞の所為か、アメリカ人から見た日本の奇怪さがクローズアップされてそれが話を支配してるのかと思ったら、それはあくまでも話のスパイスで、メインは中年の危機を迎えた男と、結婚の理想に苦しむ女の不思議な邂逅でした。
Sコッポラ監督作品ということも知らずに観ましたが、観終わって「この人(コッポラ)っぽい」と呟いてしまうほど、最近観た「somewhere」にテイストが似てました。
こーゆー、結局は結ばれないけど何かでつながってる人、というカップルを観ると、「恋人たちの予感」を思いだしてしまう。寧ろあのカップルより、こちらのボブとシャーロットの方が一緒に寝ることも無く、会ってたのも1週間程と、がつがつした欧米人からしたら有り得ない様なプラトニックな関係に、こちらも結構悶絶してました。で、そーゆー関係を描いた作品は、概ね好きです。
ラストもじんわりこみ上げてきました。
Sヨハンソンが若いっすね。透明感あるもんw
最後のセリフは・・・
ラストに抱き合いキスをした後に耳元でボブは何を囁いてシャーロットは何を承諾したのだろう?
お互い晴れやかに満足気な顔で素敵な別れ方。
B・マーレイは渋みが増しコミカルな部分にも愛嬌がありS・ヨハンソンは何本か観た彼女の作品の中でも断トツに可愛いし素晴らしい存在感。
東京のエキセントリックな街並みにダサい一般人から対照的に東京のカルチャーを担ってる?た?著名人が何人か登場しオシャレ好きには嬉しい感じ!?
マッサージの女性の熟女具合に普通は若い娘だろうっとツッコミを入れたくなったり基本的に日本人側の演技が過剰にも!?
病院の婆さんとの遣り取りは凄く自然でアドリブ感が素晴らしく後ろのオバさん共々笑える。
同じ国で生まれ環境も年代も違う分、出会うことも無かった男女が見知らぬ地で出会い親子とも不倫関係とも違う素敵な出会い方をして余計に切なくなりでも最後は何か幸せで癒される恋愛映画だな、と。
CM撮影に訪れた中年俳優。カメラマンである夫に随行してきた若妻。お...
外国人から見た日本の不思議
ニューヨークグリルのシーンが好き
alone in confusion
普段から日本の変な所に目をつぶって溶け込んで来たので、西洋目線でまじまじと描かれると心苦しくなります。また、自分らを基準とする西洋人の上から目線もイラっとします。しかし東京文化を、茶化し過ぎず、美化もせず、ただ「違う」のだと、ありのままを映しているほうかなと思いました。Bill Murrayのリアクションで、笑いに変えてくれて救われます。
滞在ホテルの部屋の散らかり具合が、CharlotteとBobの心の有り様のようでした。大学卒業して結婚したは良いけど夫は仕事に夢中で孤独なCharlotte。家族との距離を感じ、仕事も下降気味、映画ではなく、ギャラの良さだけで日本のCMに出演しているハリウッド俳優のBob。これから先の人生どうしたらいいか分からない、と悩む2人が、これまたグチャグチャした都心で彷徨います。
大都会には、遊ぶ所、時間を潰す所が沢山あります。しかし何をしても孤独は埋まるのではなく、忘れるだけなのです。混沌の中でも、人の孤独を癒すのは人でしかない、ということでしょうか。
日本の商品を国内で宣伝するのに、わざわざハリウッドスターを使う日本企業。黒髪を脱色して街を闊歩するギャル達。似合いもしない?格好をするロックンローラー達。何故バーのミュージシャンやスポーツインストラクターが外国人なのか。西洋への強烈な憧れから、アイデンティティを失い、このグチャグチャに混雑した風景同様、日本人も血迷っているように見えるのでしょうか。しかし外国人が思うほど、迷ってはいないのですよ。取り入れて発展させるのが上手いのです。古都へ行けば、日本にしかない静寂と伝統は残っています。(今や京都も年中混雑してますが。)
都心の風景、と言っても建築物や看板ですが、結構変わったな、と思いました。
Scarlett Johansson、ピンクのウィッグが似合い過ぎ(o^^o)。
全80件中、41~60件目を表示