劇場公開日 2003年12月6日

ラスト サムライ : 映画評論・批評

2003年12月1日更新

2003年12月6日より丸の内ピカデリー1ほか全国松竹・東急系にてロードショー

ここにも9・11は深く影を落としている

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今何故「サムライ」なのかという疑問には、その精神が作者の琴線に触れたのだとか、西欧特有のエキゾチシズムによるものだとか、もっともらしい答えが思い浮かぶ。あるいはまたニュータイプの西部劇として、この映画は見ることも出来る。事実主人公は、「インディアン」たちとの激戦を潜り抜けてきた男なのだ。

ではどうして「西部劇」を作るのかといえば、やはりそこには9・11WTCテロが、深く影を落としているように思える。侵略者と原住民の戦いに倣って仕立て上げられた日本における近代化と伝統の戦いの構図がサムライ精神によって反転し、かつては侵略者の1人として戦った男が今度は伝統の側に立つことになるという物語は、アメリカのその後の可能性を暗示する。またそれは、ハイテク機器による非人間的な戦争のあり方にも、別の視線を付け加えるだろう。

つまり、私たちは人間である、ということだ。1人の人間が一生を全うする。その自由と責任を自らの手に握ることの意味を、アメリカは今、見つけようとしているように見える。いたずらに説教くさい台詞には、さすがに少しうんざりもするが、迫力満点の戦闘シーンの疲労感の中で、私たちは「自由と責任」の重さを知ることになるだろう。

樋口泰人

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