「藤沢周平の人物劇として極めて誠実に作られた作品」武士の一分(いちぶん) シモーニャさんの映画レビュー(感想・評価)
藤沢周平の人物劇として極めて誠実に作られた作品
この作品を鑑賞して感じたのは、山田洋次の時代劇は私の映画観と非常に相性が良いということだ。
木村拓哉の盲目の武士は、技巧や熱演ではなく、佇まい・呼吸・沈黙といった“見えない身体”で成立している。
これは木村拓哉の個性というより、山田洋次監督が彼に自由を与え、彼らしさを役の中に織り込ませた結果だと感じた。
• 役に寄せるのではなく
• 役の中に“木村拓哉”をそっと置く
そのことで、盲目という設定の中に新鮮な光が差し込み、時代劇に新しい風が吹き込んでいる。
黒澤映画の三船敏郎とは対極の個性だが、“存在そのものが光る”という意味では同じスター性を持つ。
笹野高史が演じる徳平は、主人公の外側にある世界をつなぐ存在であり、作品の温度を決定づける重要なキャラクターだ。
• 主人公の孤独を和らげ
• 生活のリアリティを支え
• “市井の温度”を象徴する
笹野の自然体の演技が、木村拓哉の静かな演技を引き立て、物語を“復讐劇”ではなく、“人が人を支える物語”へと昇華させている。
また、 作品で表現されている「市井の武士のリアリティ」は、丁寧に積み上げらており、黒澤明の壮大さや“武士の美学”とは異なり、下級武士の生活のリアリティを山田洋次監督は、描いている。
• 質素な食事
• 加世がタスキをかけて家事をする姿
• 生活のリズムや空気感
こうした“生活考証”の積み重ねが、物語に深い説得力を与えている。
藤沢周平の世界観は、派手な殺陣よりも、質素で素朴な演技の中にある誠実さを求めており、山田洋次の演出はその本質に驚くほど合致している。
まさに、「時代劇として観ると物足りないが、藤沢周平の人物劇として観ると傑作になる」という時代劇ファンの評価にも強く同意した。
『武士の一分』は、静けさ、身体性、生活のリアリティ、誠実さといった自分の映画観の核心と見事に重なる作品だった。
