「映画としては面白いがラストが腑に落ちない」武士の一分(いちぶん) nullさんの映画レビュー(感想・評価)
映画としては面白いがラストが腑に落ちない
演出も演技も素晴らしい映画だった。
だがラストが腑に落ちない。
新之丞は命をかけて“武士の一分”を果たした。
見ていて気持ちがいい。
では加世は“武士の妻の一分”を果たしたのか?
とてもそうは思えない。
そもそも島田に襲われたとき加世は「怖くて声も出せなかった」と言ったが、武士の妻としてはあまりにも不甲斐ない。自分が手篭めにされるということは自分のみならず夫も家も見くびられるということだが加世はそれを理解していたのか。その場では抵抗ができなかったにせよすぐに夫に報告すべきだが、黙って島田に二度も三度も会いに行ったとなると、加世も被害者であるとはいえ武士の妻としては落ち度がありすぎる。
当時の武家の規範からすれば斬られても文句は言えない。「女敵討(めがたきうち)」といって妻が姦通した際に姦通相手と妻を殺害することを幕府も認めているくらいの時代だ。離縁は最大限に寛大な措置だ。加世はもう新之丞の前に一生顔を出せる身分ではない。
にもかかわらず加世は島田亡き後、新之丞の家に飯炊き女として帰ってくる。これは離縁された武士の元妻としてありえないことだと思う。もちろん新之丞の生活ぶりは酷かったからタブーを犯してでも家に戻りたくなる気持ちは人情としては分かる。だがそれにしても絶対に正体を悟られてはいけないはずだ。それなのにあろうことか加世は初日から新之丞の大好物を作ってしまう。「自分に気づいてくれ」と言わんばかりの行為。理解に苦しむ。
男たちは“武士の一分”を果たしたのに、加世は“武士の妻の一分”を果たしていない。そこにアンバランスさを感じてしまった。
何年もこっそりと飯炊き女として身辺のお世話を続け、正体を悟られた後も「私は加世ではありません、加世はもう死にました」くらい言い張ってくれた方が美しい終わり方だったと思うのだが。