武士の一分(いちぶん)のレビュー・感想・評価
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朴訥。
藤沢周平原作の山田洋次作品は「朴訥」という言葉がよく似合う。
登場人物たちの芝居や海坂藩特有の方言がそう感じさせるのかもしれない。
個人的に一番「朴訥」と感じるのは登場人物とカメラの距離感だ。作中のほとんどの時間を小さな新之丞宅を映しているが、湿度の高い日本特有の、風通しの良い間取りによって居間から土間までを画面に収めている。それによって居間にいる新之丞と加世、土間にいる徳平を同じ画面で映し、身分は違えど家族のような距離感であることが表情やセリフを映さずともわかる。俳優の芝居に頼っても良いのかもしれないが、家族同士の気負わない言葉の遣り取りを静かに見守るカメラワークが「穏当」であり、時に「寂寥」を作り出す。それがこの作品特有の「朴訥」に繋がっていた。
新之丞とその周りの世界の映し方もすごく良かった。自然が同居した庭と小鳥がさえずる縁側。失明してもなお、音で世界を感じる新之丞の世界の広さを感じる。大雨や強い風が吹く屋外を新之丞宅の中から映すのも印象的だった。どれも新之丞宅の傍でしか映していないにもかかわらず、新之丞のいる世界がいろいろな表情で描写される。その意図としては、やはり平穏に暮らしてた新之丞の「穏当」と、失明して周りから人がいなくなっていく「寂寥」、それぞれの新之丞から見た世界の変化を映し出すためではないだろうか。
そしてその「穏当」や「寂寥」が、果たし合いでの新之丞の激情を強調させる。
新之丞が大事にしていた穏やかな空間を破壊した相手に向ける冷徹さと、武士としての面目を堂々と全うする荘厳さが凝縮されていて素晴らしい。
ラストは藤沢作品特有のほろ苦さで終わるのか…と思ったけど、目の見えない新之丞へ送る「妻の一分」によって空気が絆されていくのが素晴らしかった。
物語を始め、セリフ、方言、芝居、カメラ、背景…強調される彩色はないけれど、それによって「朴訥」という色が産まれていた。その一徹に心打たれる作品だった。
◯カメラワークとか
・新之丞邸はいろんなところにカメラを置いて風通しの良さがあったけど、お城でのカメラワークはかなり平面的で閉塞的。城務めやお毒見役に辟易としている新之丞の心情に寄ったカメラワークの差異。
◯その他
・見始めたときは木村拓哉の独特な間とか芝居が鼻に付く感じが否めなかったけど、失明してからの芝居は素晴らしかった。低いトーンでボソッと方言を話す木村拓哉、月代が無くなってボサボサの木村拓哉、むしろ良い、となった。
・「~でがんす」っていう方言、良い。
藤沢周平の情景の見える文章に山田洋次の人間世界が加わった良作
生きた人間のいる原作の文章たち。
素朴に生きる人の深さを感じる映画。
藤沢 x 山田の作品は3本 。それぞれの主演は、、、
「たそがれ清兵衛」→真田広之+宮沢りえ
「隠し剣 鬼の爪」→永瀬正敏+松たか子
「武士の一分」→木村拓哉+壇れい
、、、である。
家族を守り、自分を守る最後の秘剣を持つ武士の姿
これらの武士達は才能豊かな人間ではなく、藩に支え、ごくごく平凡に生き死んでいく予定の人物達だ。前2作に比べ、この「武士の一分」は華やかさのある作品だと思う。それは内容ではなく、主演の木村拓哉にある。彼の存在、立ち振る舞いは、映像の中の空気を掻き乱し整理する天性の雰囲気を持っている。これはこれで素晴らしいが、作品の中では人物の芯が体と心の中心を通っていないという、若干のブレと弱さが見えてしまう。これは彼から武士を感じたかどうかで判断できる。ここは何十回の鑑賞、何十年経っても気になる部分である。しかし、この主人の元、時に静かに、時にかき乱し、観客の心をさらって行った徳平役の笹野高史氏の演技の形は心に残るものがあった。
物語の最後、エンドロールのシーンは山田監督の「息子」と同じ形で、
あの向こうにいる、人の息づく姿を想像するのはなんともいえない。
いい映画です。
※
山田洋次×藤沢周平‼️
山田洋次監督、藤沢周平原作による時代劇三部作の三本目‼️藩主の毒味役を務める主人公は赤貝の毒に当たって失明。生活は困窮、助け舟を出した上役が妻を手篭めにしたことを知った主人公は決闘を挑む・・・‼️「たそがれ清兵衛」「隠し剣 鬼の爪」に勝るとも劣らない山田監督の素晴らしい演出、健気な妻役・檀れいさんによる美しき夫婦愛、笹野高史さんの存在感、殺気あふれる決闘シーンなど、ホントに見事な作品‼️ただ「たそがれ清兵衛」の真田広之さん、「隠し剣 鬼の爪」で実際に髪を剃って、髷まで結った永瀬正敏さんに続く主演俳優がちょっと。現代劇のテレビドラマのような演技で、とても武士の哀れさを表現出来てないし、妻役の檀れいさんと並ぶと、夫婦というよりは姉と弟にしか見えない‼️このキャスティングは大人の事情が絡んでるんでしょうね‼️そして「たそがれ清兵衛」「隠し剣 鬼の爪」では、主人公たちは藩命により尊敬する人物、または友人との望まぬ決闘を強要されたところに武士の悲哀や武家社会の矛盾を感じられたのですが、今作では主人公は妻のために自ら望んで決闘に赴くため、武士の悲哀、武家社会の矛盾という点では希薄な印象があります‼️それでも名作なんですけどね‼️
セットがちょっと安っぽく感じた。
山田洋次監督の映画はたぶん初見。
いちおうハッピーエンド的な終わりだったから良かった。
免許あるのに、盲目の人相手に姑息な手を使って勝とうとしたのに負けちゃうって弱すぎるだろ。
穏やかで謙虚で礼儀正しい盲目の武士の復讐劇
江戸時代の生活の真実を想像して描く山田洋次監督、藤沢周平の小説の映像化の連作第一作『たそがれ清兵衛』(親子の物語)、第二作『隠し剣 鬼の爪』(友情の物語)に続く今作は、盲目の武士・三村新之丞(木村拓哉)と妻・加世(檀れい)の夫婦の物語。
妻に裏切られ、姦通の相手の男に復讐するという、きつい小説を山田洋次監督が優しい映画にしてくれた。
夫婦の世話をする中間(召使い)の徳平(笹野高史)の存在もとても良かった。
新婚夫婦らしく新しめの木造住宅もとても良かった。
城での勤務について丁寧に描かれていたし、ロケ地も新鮮な場所があって良かった。
方言が聞き取りにくいので字幕付きで視聴。
人間は見えるとどうしても騙される。
心眼を持った主人公がカッコ良くて優しくて感動した。
❇️ワイも妻にお茶っつ!とか言うてみたいもんやわ。大義であった。😆
武士の一分
🇯🇵江戸末期(幕末)架空の藩(山形県鶴岡市あたりか?知らんけど)
藩主が食事をする時、毒味をする仕事があった。毒味役をする下級武士の男(キムタクさん)が主人公。
夫婦仲睦まじく暮らす生活が、ある事故で一変する。夫の為ならなんでもしようとする妻が悪党に騙されててしまう。
武士の命をかけた復讐が始まる。
❇️何故口映しで水を飲すのか?
★彡なんか滑稽なシーンであった。😅大義である‼️
◉70E点。
★彡この時代の妻の立ち振る舞い所作が美しい。何故男は自分でお茶を作らないのか?
爪を切らせるや耳かきなど漢冥利に尽きますね。
ワイもお茶🍵!とか言ってみたいもんやなぁホンマ。
🟢感想。
1️⃣思ったよりキムタク感が少ないので観やすかった。褒めてるよ。🔺
★彡何を演じてもキムタクになってしまう、オーラは健在ですが、オーラはやや封印してる感じは良かった。
2️⃣あるシーンで『大義』と言われるシーンがツボ⭕️
★彡実際こんなあっけないのでしょうね😁
3️⃣いくらなんでも盲目が剣士に勝つなど考えられへん❌
★彡説得力に欠けるな。💢
ロッキーばりに練習シーンあったらあったで笑えるかも!
4️⃣敵をあえて殺さないで武士道を伝える⭕️
★彡悪党にも武士の魂を感じられ良かった。
🈲ネタバレ保管記憶用(大阪弁主人公目線で!)
ワイは下級武士で藩主のお食事の毒味役と言う仕事で愛するツレと長年支えている下手人と仲睦まじく暮らしていたんよ。
しかしある日ワイは食事に入っていた笠貝🐚の毒に当たり死にかけていたんねん。
3日寝たっきりやった様で、目も見えへん様になり失明しもうた。
これから仕事やツレをどう養えば良いのか自殺も考えた時もあったさかい。
ツレは藩番頭と顔見知りやった事から、今後の生活費を藩主に交渉するといい、見返りを求めツレを手籠にしやった💢二度目以降は、旦那に言うと脅した。
ツレから話を聞いた時は、ワイは怒りそして落胆し、妻を離縁してしもうた。
しかし後から、生活費は藩主からの温情とわかり、妻が騙された事を知りワイは怒りと復讐をする事にしたった。
この番頭ホンマいちびりやわ!身分なぞ関係あらへんよ。許さへん。
気の読み方や殺気など盲目独自の感性を学び、死ぬ覚悟で決闘を申してん。
糞番頭との屋根からの攻撃をワイの必殺剣で腕を切り決着をつけたった。
しばき殺すとも思ったが、武士の情け、ワイはトドメを刺さなかったんよ。
そしたら後日糞番頭は理由を述べず、切腹よった。まぁあやつも多少武士の魂は持っていた様だ。
数日後、下手人の出した料理を食べたのだが、ツレの味とわかり、ワイ達は幸せに暮らした。
目が見えなくても、剣を子供達に教えられる様にしたいねんな。しらんけど😆
武士の風上にも置けない
風下なら大丈夫
俺が唯一、木村拓哉を認めた作品。
(厳密に言えば男のアイドルはジェらってもうてあんま見たないねんせやさかい殆ど木村拓哉のドラマとか見てないんよな、ほんで唯一かどうかは分からんわ)
木村拓哉の演技には、期待を大きく外された。
山田洋次監督による2006年製作の日本映画配給:松竹
夫婦愛を描いたなかなか良い映画とは思った。
全く知らなかったが、檀れいさんが美しく色気ある理想的な妻を演じて魅力的だった。
檀れいさんを追うカメラが舐める様に後から腰回りや横から頸を捉えて、彼女の滴り落ちる色気を強調していた。山田洋次監督だけに意外性も有り、新鮮な驚きも感じた。
笹野高史が、主人夫婦のことを思い遣る奉公人を演じてとても良い味を出していた。日本アカデミー賞助演男優賞獲得も大納得。
新たな魅力を見せてくれた真田広之の例もあり、木村拓哉が山田洋次監督の手によりどう変身するか期待満点だったが、期待は大きく外された。難しい役ではあるが、盲人となってからの動きの一つ一つがワザとらしく見ていられなかった。事務所から強力なプッシュあったとしても、素材的に山田監督が魅力を感ずるのも良くわかる気がする。あまりに撮影に避ける時間がタイト等、木村拓哉側に何か問題があったのだろうか?
脚本山本一郎 、平松恵美子 、山田洋次、原作藤沢周平、撮影長沼六男、音楽冨田勲。
出演木村拓哉(三村新之丞)、檀れい(三村加世)、笹野高史(徳平)、桃井かおり(波多野以寧)、大地康雄(玄斎)、緒形拳(木部孫八郎)、坂東三津五郎(島田藤弥)。
テーマは復讐か、絆か。
終始、独特な緊張感が張り詰めた映画でした。
ですがラストシーンになるとその糸が切れるというか、何かがパッと弾けた様な展開となります。
三村が小鳥を逃すシーンまで来た時、この映画の終わらせ方は一体どうなるんだろうと半ば不安でしたがそれを吹き飛ばす様な、徳平の粋な計らいで安心させられ、僕は涙せずにはいられませんでした。
武士である三村のどうしても許せない心情と、島田のそれを許せるかという葛藤で闘った末に得たものを考えさせられる深い内容だったと思います。
シンプルかつシンプル
物語の構造があまりにもシンプルで、かつ見せ方もシンプルなので、ちょっと退屈でした。
1つのシーンが始まって「こうなる展開だろうな」と思ってたら本当にそうなることだらけ。
どの役者も演技は物凄かったので、もったいないです。
キムタクはもっと時代劇に出るべき。
木村拓哉の出演作品で一番好きです。
いつもの木村らしい演技が封印されており、演技が自然で素晴らしかった。
そして木村拓哉の殺陣が素晴らしい。
元剣道部だけあって容赦ない殺陣が良かった。
何故、もっと時代劇に出ないのかが不思議すぎる。
日本映画史に残る素晴らしい作品です。
【”必死、即ち生きる剣なり” この作品には、確かな下級武士たる漢の生き様と、強い絆で結ばれた夫婦の姿が描かれている。】
ー 一時期、この映画サイトで木村拓哉さんの演技を酷評するレビューが幾つか挙げられた時期がある。木村さんの所属していたグループの解散騒動の頃だったと記憶する。
私は、そのグループには全く興味が無かったが、この方が主演していた映画は観ていた。
今作のイメージが有ったのかもしれないが、映画の感想は世間の雑念とは切り離したいモノだと思った記憶がある。
但し、今作の木村さんの演技は、私が観た中でもベストであるとは思う。-
◆感想<Caution! 内容に触れています。>
- 内容は巷間に流布しているので、簡潔に記す。-
・お毒見役を命じられた剣の達人、三村新之丞(木村拓哉)が、”ツマラナイ仕事だ・・。”と不満を妻加世(檀れい:不老の方である・・。)に不満を漏らすシーン。
- 加世が、夫の事を総て見通している事が分かるシーンでもある。-
・そんな、三村が赤ツブ貝の、毒に当たり視力を失っていくシーン。
- 毒見係の主たる侍(小林稔侍)は切腹する。それまで、太平の世で、お毒見役など無意味な存在と思っていたので、少し驚いた。”目黒のサンマ”の落語が好きだったので・・。ー
・石高、僅か30石の三村家の存続が危ぶまれた時に、下された処置。それは30石を減ずることなく養生しろという、沙汰であった。
- 驚き、且つ喜ぶ三村と関係する人々。だが、加世のみが憂いを隠せない。眼が視えずとも、妻に異変に気付いた三村が、中元徳平(笹野高史)に調べさせた事。それは、加世が家のために、藩頭であった島田(坂東三津五郎:良く、あの役を受けたなあ・・。)に身を任せていたという事実であった。
即刻、加世を離縁する三村。涙ながらに従う加世。-
・更に、三村は島田が、自分の家の存続を考えた上での妻への行為ではなく、単に幼き頃から加世の美しさに惹かれていた島田の自分の欲望だったと知った時に、彼の怒りは静に沸騰する。
・三村は且つての師匠木部(緒方拳)に、稽古を付けてもらい、”必死、即ち生きる剣なり”という言葉を賜る。
- 盲目になった三村を演じる木村さんの「セント・オブ・ウーマン」で盲目の中尉を演じたアル・パチーノのように、全く瞳を動かさない演技に瞠目する。-
・三村と、島田の真剣での決闘シーン。島田は三村を攪乱させようと、あばら家の屋根に上り、鞘を放り投げ切りつけるが、察した三村の剣に腕を深く傷つけられる。
- 島田の奢りと、三村の決死の思いの違いが出たシーンである。
<ラスト、家に帰った三村は徳平が連れて来た女中の作った食事を食する。直ぐに誰が作った食事か気付く三村。女中を呼び優しき声で語り掛ける三村。”この煮物の味は、お前にしか出せぬ。”
夫婦の固き絆が、再び取り戻されるシーンである。佳き、時代劇であると思う。>
ラストがとにかく泣ける。
山田洋次監督と藤沢周平先生の原作は相性抜群ですね。この作品もとても良かったです。
ラストシーンは、とにかく泣けました。
檀れいさんが美しかったし、木村拓哉さんもいつもと違う難しい役柄でしたが頑張ってましたね。
とてもよかった
キムタクの顔がきれいすぎて、気持ちが入っていかなかったのだけど、失明して荒んでくるとどんどんかっこよくなって色気が凄まじい。現在でも奥さんの浮気は許さない人が多いのだけど、事情も事情だしいいではないかと思う。檀れいがきれいだったけど、きれいなだけでそれほど魅力を感じない。桃井かおりがおしゃべりなおばさんの役。
殺陣がすごい緊張感で圧倒される。
メリハリがもっと欲しい
ストーリーはシンプルだが、時間配分が物足りない
目が見えなくなる前に武士らしさがあまり無いので、目が見えなくなってから武士の一分だと言われても、取ってつけた感がある
演技は意外と良いと思う
第30回日本アカデミー賞
さすが若き天才木村拓哉(ジャニーズ事務所の経営方針により日本アカデミー賞主演男優賞とブルーリボン賞主演男優賞のノミネートを辞退)。年寄り向けの時代劇を若者でも楽しめるエンタテイメントに仕上げた。出来れば特技の剣道(子供の頃に八光印ブランドで有名な武道具専門店八光堂の道場で剣道の修行に明け暮れた/学校の部活は未経験)を活かした剣術を披露してほしかった(忠臣蔵1/47で堀部安兵衛を演じた時は水を得た魚のよう)。
映画としては面白いがラストが腑に落ちない
演出も演技も素晴らしい映画だった。
だがラストが腑に落ちない。
新之丞は命をかけて“武士の一分”を果たした。
見ていて気持ちがいい。
では加世は“武士の妻の一分”を果たしたのか?
とてもそうは思えない。
そもそも島田に襲われたとき加世は「怖くて声も出せなかった」と言ったが、武士の妻としてはあまりにも不甲斐ない。自分が手篭めにされるということは自分のみならず夫も家も見くびられるということだが加世はそれを理解していたのか。その場では抵抗ができなかったにせよすぐに夫に報告すべきだが、黙って島田に二度も三度も会いに行ったとなると、加世も被害者であるとはいえ武士の妻としては落ち度がありすぎる。
当時の武家の規範からすれば斬られても文句は言えない。「女敵討(めがたきうち)」といって妻が姦通した際に姦通相手と妻を殺害することを幕府も認めているくらいの時代だ。離縁は最大限に寛大な措置だ。加世はもう新之丞の前に一生顔を出せる身分ではない。
にもかかわらず加世は島田亡き後、新之丞の家に飯炊き女として帰ってくる。これは離縁された武士の元妻としてありえないことだと思う。もちろん新之丞の生活ぶりは酷かったからタブーを犯してでも家に戻りたくなる気持ちは人情としては分かる。だがそれにしても絶対に正体を悟られてはいけないはずだ。それなのにあろうことか加世は初日から新之丞の大好物を作ってしまう。「自分に気づいてくれ」と言わんばかりの行為。理解に苦しむ。
男たちは“武士の一分”を果たしたのに、加世は“武士の妻の一分”を果たしていない。そこにアンバランスさを感じてしまった。
何年もこっそりと飯炊き女として身辺のお世話を続け、正体を悟られた後も「私は加世ではありません、加世はもう死にました」くらい言い張ってくれた方が美しい終わり方だったと思うのだが。
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