ハウルの動く城のレビュー・感想・評価
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パターンが出尽くした? DISNE◯映画になっちまってる。 単なる...
パターンが出尽くした?
DISNE◯映画になっちまってる。
単なる反戦映画に過ぎない。例え、悪い敵兵を殺戮しても、彼等にも可愛い娘、息子がいる事を忘れてはならない。それを踏まえれば、反戦映画でも良い。しかし、戦争はどちらかの侵略で始まるものである。必ず、理不尽な理窟が絡む。そして、侵略された側もそれを煽る場合がある。嘆かわしいとこだが。主人公の鳥をB29として見たり、エノラ・ゲイとして見れば、いくらアイドルの声であれ、救われるものではない。
このアニメの一番嫌なセリフ。
『逃げて』と言う女性の主人公に対して『いや!守る者が出来たから、逃げない』このセリフは大日本帝国が散々使ったセリフである。
ソフィが居てこそまとまる作品
理解不足なのかもしれないけど、考えれば考えるほどよく分からなかった点が浮かんでくる。
何の為にハウルは流れ星を取った(契約をした)のか、なぜ荒地の魔女はソフィを呪ったのか、マルクルは何者なのか、、、
ソフィがハウルに再会したとき、この人がハウルだったのと驚かないのも不思議だし、魔法が解かれた後の荒地の魔女は見通したようなことを言ったり認知症みたいな言動をしたり、どういう人なのか定まっていないように見える。
こんなに不安定な物語なのに破滅しないのは、とにかくソフィが落ち着いているからかなと思う。
若い女の子がいきなりおばあさんになって誰にも相談できない中、鏡に向かって「大丈夫よ、あなた元気そうだし服も前より似合ってる」と言う場面で一気にソフィを好きになった。
起こったことを動揺もせず受け入れて前向きに行動し続ける、不気味なくらい落ち着いてぶれない主人公のおかげで物語が成り立っているように感じた。
こんなに分からないことだらけなのに、別に分からないままでもいっかと思わされる。
わざわざ細かく説明する必要はなく、作品の世界を素直に楽しめばいいんだろうな。
宮崎駿監督の『ハウルの動く城』、テレビ放映で鑑賞しました。 初公開...
宮崎駿監督の『ハウルの動く城』、テレビ放映で鑑賞しました。
初公開の2004年にも映画館で鑑賞し、その後は、テレビ放映されるのを何度か途中から観ました。
初鑑賞時の感想は「ハナシ的にはよくわからないけど、なんだかすごいなぁ」というのが正直なところでしたが、今回再鑑賞して、ハタと気づきました。
もしかしたら、全然わかっていなかったのではないかしらん、ということに。
戦争が続くある国のこと。
父親の帽子店で日々、帽子を作りつづけていた18歳のソフィーは、ある日、荒地の魔女に呪いをかけられ90歳の老婆になってしまった・・・・
というところから始まる物語をいまさら繰り返す必要はないでしょう。
ソフィーが主役の作品のように思われますが、やはり、主役はタイトルにもあるハウル。
ハウルの立ち位置がよくわからなかったのですが、『紅の豚』、本作、『風立ちぬ』と3本並べると、本作の立ち位置がよくわかります。
ハウルは、平和を愛するが、逆に戦闘も好きな少年の暗喩で、戦争と平和の間で揺れ動く宮崎駿少年の姿でしょう。
ハウルはカルシファーという「火の精霊」の命を救う代わりに、心臓を与えます。
心臓を与えた代わりに得たハウルの能力は、鋼鉄の羽に覆われて空を飛ぶ能力。
ハウルはその能力を使って、人々を救うことを目的に戦場で敵をやっつけますが、人々を救うとはいいつつも、超人(鳥人)としての能力を発揮することが楽しくてたまらない。
そんなアンビバレンツな立場です。
「火の精霊」とカルシファーのことを書きましたが、正しくは火器の流れ弾、爆発の欠片の火花です。
爆発の火花は美しい。
しかし、それは人を殺すためのものだ。
人々を救うためには敵をやっつけなければならないが、それは敵という人を殺すことだ。
人を殺すことに魅了されながらも、平和を願い、平和を愛する・・・
自己矛盾の塊のような存在のハウル。
映画は、最後の最後で、停戦に向かうことになりますが、当初の案では「それでも戦争はつづいた・・・」という字幕が出る案もあったようです。
ウクライナでの戦争が続く中での新年最初に放送する映画として、本作を選んだテレビ局の英断に拍手を贈りたいものです。
壊してみせろよそのbad habit
カカシが出てきたあたりから、オズの魔法使いのようだなと最後まで思いながら観た。
ソフィーはハウルと偶然関わっただけで、ハウルを好きな荒地の魔女に解けない魔法をかけられて老婆にされてしまう。元々、美しく冷たく奔放な母と、容姿が母に似た妹に囲まれて育ち、亡くなった父の帽子屋を守るため、ソフィーは帽子屋に閉じこもるように自己を閉ざしていた。
ただ、マリリンモンローとオードリーヘップバーンくらいタイプが異なるだけで、ソフィーも聡明な顔つきでとても素敵。只でさえ戦争の足が忍び寄っているのに、なぜこの子がこんな目に遭うのか?!と、理不尽極まりない冒頭。一度会ったハウルに密かに心ときめき、老婆姿のソフィーは魔法を解いてもらうため、家を出て1人で荒地に来る。荒地の魔女を探していたが、カカシを助けたらカカシが泊まる家として見つけてきたのはなんとハウルの動く城。
そこで、孤児マルクルと出会い、ハウルと再会し、家を動かす原動力である火のカルシファーと魔法を解く鍵を見つける協定を結ぶ。
でも本当は、カルシファーは星の子だったのね。
原作に基づく解説を読んで初めて、地面に着いたら消えてしまう儚い星の子をかわいそうだと思ったから、ハウルは心と引き換えに星の子に火のカルシファーとして働いてもらっていたとわかった。
映像だけではわからない!
ただ、作中何度も、荒地と美しい自然と戦火の街並みが一瞬で切り替わる描写がある。
同じ家にいるのに、荒野にも、美しい海と山にも、お花畑にも、戦時中にもなりうる。
人間が自然を破壊すれば、人間が戦争をすれば。
ハウルは魔法で巨大なツバメの怪物へと姿を変えて、爆弾を沢山積んだ戦時中の軍機と夜な夜な闘いに行く。
「美しくなければ意味がない」と容姿にこだわるハウルにとっては、カルシファーに差し出した心の穴を埋めるために女の子から心を奪わなければならず、また、多くが戦争がヒートアップしていく国家を遠巻きに見るだけの中、人一倍反戦意識高く自ら戦争を止めに行くのは、育った美しい自然を守りたい美意識ゆえもあるのかもしれない。
一方、「私なんて美しかった事なんてない」と髪色が変わったくらいで怒るハウルに、叫びをぶつけるソフィー。だけど、ソフィーには老婆になっても違和感がないくらいの、悟りを開いたかのような器の大きな優しさがある。それは幼い頃から積み重ねた我慢や寂しさや理不尽ゆえなのかもしれない。老婆になったことで、帽子屋を出て、街を出て、自分の気持ちをアウトプットできるようになったとは皮肉だ。老婆になったからこそ、ハウルとも出会い、見た事のない壮大で美しい自然も見られた。そして、荒地の魔女がかけた魔法は、不安定なのか、ソフィーが心のうちを晒す時、元の姿に戻る。
ハウルは密かにソフィーの寝床を覗き、ソフィーの元の姿を知っている。ハウルとソフィーは何歳差なのかはよくわからないが、賢く優しいソフィーから、ハウルは安心を貰っている。
ハウルは実は戦争を仕掛ける2国から呼ばれている。
でも、魔法で戦争をする気にはならず、魔法で敵の攻撃をかわしてもかわされた爆撃は違う街に落ちるだけ、と持論があり、協力する気はない。
ハウルのかわりに断りに行くソフィー。
サリバンと、老婆のソフィーはまるで、魔女の宅急便のキキがニシンのパイを取りにお邪魔するお宅の、貴婦人とお手伝いさんそのもの。
なので一見、落ち着いた淑女のサリバンを信用しがち。
だが、同じくサリバンに呼ばれた荒地の魔女は、協力を求められていると誤解して素直に来たら、階段を足で登らされ、とんだ醜態を晒し、疲れて弱っているところで魔力を奪われ、元の姿に戻され、実年齢のとんでもないお婆さんに戻る。怖い、サリバン王宮。
失うものがないから、
こんなところにハウルを行かせられません!と言ってあげられるソフィーの強さ。結局ハウルもソフィーが心配だからと化けてサリバンのところに来てしまい、2人してサリバンに逆らい、サリバンの追っ手にハウルは苦戦することになるのだが。なぜか荒地の魔女ことおばあちゃんと、サリバンの犬もついてきてしまう謎展開。
ハウルはどこの国の戦争にも加担せず、荒地の魔女に寵愛され悪さをすることもなく、ただ自由に生きたかっただけなのに、魔法の力ゆえなのか、モテるからなのか、周りに取り合いされてしまう人たらしだったのだ。
でも本人は、追っ手や悪い魔女に何をされるかと、不安で不安でたまらない1人の青年にすぎない。部屋の中、お守りだらけ。戦争を止めに行っては、巨大なツバメ怪物の姿から戻れなくなりそうなほどに疲れ果て、ネガティブな時には緑のネバネバを身体から出す、家の中では弱すぎる一面がある。その一面を掃除婦として動く城で奉公するうちよく理解するソフィー。
人に見せたくない、ハウルならツバメ緑スライム、ソフィーなら老婆、荒地の魔女なら恥もない要介護おばあちゃんな姿、マルクルなら大人の助けが必要な幼児としての姿を晒し合い、助け合う、動く城での平穏な生活。
そこにも戦争はやってくる。
マルクルは恐らく孤児なのだろう。
戦火で留守番している子供の描写に、どんなに怖くて心細いかと胸が苦しくなる。
街に忍び寄っていた戦争が、あっという間にソフィーの故郷を焼く。
おまけに、高熱だと言っても放置する母親が訪ねてきて、老婆になったソフィーを見ても、私お金持ちと再婚するのと言い放ち、サリバンから預かった監視の虫をわざと置き忘れていく。その虫を密かにカルシファーの火で燃やし、母親と仲直りできた気でいるソフィーには何も言わない荒地の魔女。
ハウルはソフィーを守りたいと戦火からなかなか戻ってこない。
優しさが悪意を遠ざけているようだが実は、変な虫を食べたことでカルシファーの火力は弱り、城を動かす原動力が弱って全員危険に晒される。
やっと家族としてまとまり全員の居場所ができた、その城を守る事よりも、ハウルの命を守るため、ソフィーは城を追っ手が来ない荒地の中に切り替えて、窯に縛り付けられたカルシファーも無理やり家の外に出す。
でも家はまっぷたつ。
おまけに荒地の魔女はハウルの心が欲しくてカルシファーを握り締め、焼け死ぬ寸前。
ソフィーはとっさに荒地の魔女と、カルシファーに水をかけ、火を消してしまった。
ところが、瓦礫で1人になると指輪がハウルの居場所を指し示し、そこはハウルの幼少期。
ハウルとカルシファーの契約をやっと理解して、沼に引き摺り込まれながら待っててねと叫ぶソフィー。
ツバメ姿でボロボロになって戻ったハウルと再開し、キス。カルシファーにもキス。カカシにもキス。
そんな大胆な性格ではなかったはずなのに。
カカシは好きな人からキスされると解ける魔法がかかっていたらしく、解けて隣国の王子に戻り戦争を止めに行く。
ソフィー「ハウルが命を取り戻し、カルシファーが千年も生きられますように」
そしてハウルの心は戻り、カルシファーは心臓を失っても生きられるようになった。
ハウル「身体がとても重い」
ソフィー「心って重いの」
この会話がとても印象的。
心がなかったにしては、ソフィーを喜ばせようとお花畑に帽子屋と同じ部屋を準備したり、ソフィーを守るため飛び出して行ったりと、ハウルは随分積極的。
せっかく帽子屋に縛られていた心を解放し始めたソフィーは複雑な顔をするものの、もうハウルに老婆としてではなく、思いっきり心あらわに好きだと示す準備ができる。
ソフィーが老婆になる呪いは、既にハウルが解いていたけれど、元の姿に自信がないソフィーは自ら老婆になっていた。そして、ソフィーは実は自覚のない魔法使い。
妹のベティーが
「自分の人生自分で決めないとダメよ」
と言ってくれたのに、
ハウルが、
「掃除婦って誰が決めたの?」ときくと、
「そりゃあ私が決めたよ」と答えていたソフィーだが、
本当は生きたい通りに生きられるし、魔法まであった。
「亡くなったお父さんのため」と帽子屋に人生を縛り付けていたが、実は容姿に自信がなく、一歩を踏み出せなかったから。ハウルへの恋の力で変わっていく。ハウルすごい。
セカオワの、自分で自分を分類するなよ壊してみせろよそのbad habitの歌詞を突きつけられ、見事壊したかのようなソフィーだった。
でも、その選んだ人生すら、あっという間に街ごと火で包み込み、「全てを奪い去る戦争」「気が付いたらすぐ側に迫っている戦争」の表現が、血みどろではなくしっかり描かれていて、良い作品だと思った。
呪いを解いたその先に
"金曜ロードショー" で3回目の鑑賞。
原作は未読。
正直な話、本作がそんなに好きではありませんでした。物語のテーマが理解出来なかったからです。ソフィーがおばあさんから唐突に元の姿に戻ったり、かと思えばまたおばあさんになったり。他にも様々な物事の意味が理解出来ず、「全然面白くなーい」と云う感想になってしまったのでした。
「風の谷のナウシカ」や「紅の豚」などの幼少期から親しんで来た作品は好んで何回も観ていて、ストーリーを記憶していますが、本作は今回の放送が中学生以来の鑑賞となり、殆ど何も覚えていない状態でした。返ってそれが良かったのかもしれません。当時は理解出来なかったことがすんなりと頭に入って来たからです。少しは成長出来てるってことかな?
ハウルの動く城には呪いのかかった者たちが集まっている。そんな彼ら彼女らが呪縛から解放され、新たな生き方を見出すまでの物語がファンタジックに描かれていて感動しました。
ソフィーが一時的に元の姿に戻ったのは、ハウルへの愛がその時の彼女を突き動かしていたからかなと思いました。これまでは実家の帽子屋を継がなければいけないと云う責任感が彼女自身の呪縛となっていましたが、ハウルと出会い彼を愛するようになったことで、自分ではない誰かのためになりたいと云う想いが芽生えた…。再びおばあさんになってしまったのは、まだ自分に自信が無く、迷いがあったからでしょう。
自らを臆病者と云う呪いで縛り上げ、ゴテゴテといかめしい動く城をつくって逃げ回っているハウルを救おうと、懸命に奔走したソフィーはかっこいいしかわいい。
ジブリのヒロイン、とりわけ宮崎駿監督作品に登場するヒロインは、愛の力でどんな困難も跳ね返していくのが魅力的ですが、ソフィーもまたしかり。自らにかけていた呪縛を打ち破って、ひとりの成熟した女性となりました。
冒頭では大人しい雰囲気の地味な少女でしたが、「ハウル大好き!」と人前で抱きつき、皆に慈愛のキスをするような人格へと変貌を遂げました。「家族」の呪いを解いて、めでたしめでたし。恋は生き方を変え、自分の周りの世界を変えてしまう力をもっているのかもしれないなぁ…
人は知らず知らずの内に、自らに呪いをかけてしまっているもの。自分はこんな人間だと決めつけ、その場から踏み出すことに臆病になり、現状維持を掲げて自己肯定しようとする。
果たしてそれでいいのだろうか。そこから解き放たれた時、新しい道が自ずと拓ける。そんな希望を感じさせるメッセージが籠められた本作を、めちゃくちゃ好きになりました。
[以降の鑑賞記録]
2023/01/06:金曜ロードショー
※修正(2024/03/13)
まさに色んな人にかけられた呪いを解く物語。
何回観たかわからんけど、先日改めて観たら印象に残ってようやく言語化できたことがある。
物語の主軸のひとつに、「美しくあらねばならない」という呪いからの解放がある、というところだ。
これは主人公のソフィーのみでなく、ハウルにも、荒地の魔女に当てはまる。
ソフィーは長女であること、華やかな妹や母とは自分が違う(と感じている)こと、色んな呪いを自分にかけている。荒地の魔女の呪いにかけられる前から既に色んな呪いにがんじがらめにされてたのがソフィーなのだ。
というか荒地の魔女の呪いは内面の年齢というか自己認識のイメージを具現化させる呪いだったのだと思う。
だからソフィーは荒地の魔女におばあさんにされて驚きはするも割とすぐに受け入れているし、物語の進行に伴って見た目年齢が変化してる。
(眠っている無意識ときは本当の姿に戻っているし、ハウルの前で若い姿に戻りかけても「年寄りである」ということ口にした瞬間おばあさんに戻るなど)
最後は若いソフィーに戻るけど、それは荒地の魔女の呪いが解けたというよりは、自分の意思で行動し続けた結果、自分にかけていた呪いをソフィー自身が解いた(意識が変わった)というところなんだろうな。
✴︎✴︎✴︎
続いてハウル。ハウルも美しさに囚われている一人だ。
ハウルは元々美しい青年なのだけど、魔法の力で髪を染め、自分が美しいと思う自分になろうとしている。
それはたぶんカルシファーとの契約で心臓を手放し、「心」が欠けている自分に自信がないことも関係している(愛してくれる女の子を求めるのも同じ理由かな)。
その欠けた部分を、自分の自身のなさを補うために美しさに執着している(そう思うと「美しくなければ生きていても意味がない」発言と癇癪にも納得)。
あと悪魔との契約で怪物のような自分が生まれたことも怖かったのかも。
でもハウルはソフィーを見つけたことで、守りたいものができる。自分の美醜よりも大切にしたいものができたハウルも、「美しくなければ生きていても意味がない」という呪いから解放されている。
✴︎✴︎✴︎
続いて荒地の魔女。
荒地の魔女も、魔法で美しさと若さを保ち続けていた。
かつては偉大な魔女だったらしい彼女も歳を取り、肉体の衰えでできなくなることが増え、おそらくありのままの年齢の自分が受け入れなくなったのかもしれない。
彼女も美しさの呪いに囚われていたといえる。
サリマンに強制的に魔法を解かれた後は、そんな自分を受け入れてくれるソフィーやハウル一家に出会って、彼女も呪いから解放されたんじゃないかと感じた。
そしてラスト、頑なにハウルの心臓を離さない彼女を抱きしめるソフィーに完全に呪いを解いてもらったのではないかと思う。
というかあのシーン、改めて観るととても良かった…。
他にも色んなテーマを含んだ作品だと思うけど、この旧来の固定観点のような「呪い」(たとえば古いジェンダー観など)を解く作品群は最近よく目にするので、そんな中でこの作品を観るととても面白かった。
そして細かいことは差し置いても、改めてハウルはとても魅力的なのだった…。さすがジブリ屈指のイケメン。
色ボケ爺の暴走とも言うべき無茶苦茶な映画。ストーリーテラーとしての役割を放棄することで、辿り着ける境地があることを教えてくれる奇跡の一作。
魔女の呪いにより老婆へと変身してしまった少女ソフィーと、荒野を歩く城に住む魔法使いハウルとの恋模様を描くファンタジー・ラヴストーリー。
監督/脚本は『となりのトトロ』『千と千尋の神隠し』のアニメ界のレジェンド、宮崎駿。
魔法使いハウルの声を演じたのはドラマ『HERO』や『プライド』の、元SMAPの木村拓哉。
ハウルの弟子である少年、マルクルの声を演じたのは『千と千尋の神隠し』にも出演していた神木隆之介。
隣国の王子の声を演じたのは『千と千尋の神隠し』『猫の恩返し』に続き3度目のジブリアニメの出演となる、TEAM NACSのメンバーである大泉洋。
第31回 ロサンゼルス映画批評家協会賞において、作曲賞を受賞!
元々は『デジモンアドベンチャー ぼくらのウォーゲーム!』を監督したことにより業界内では一目置かれる存在となっていた新進気鋭の演出家、細田守を監督に据えて制作されていた作品。
ジブリの採用試験を受けた経験もあり、また宮崎駿と同じく東映動画に在籍していたことも監督抜擢の要因となったのだろう。
注目の新人演出家ではあったがまだまだキャリアの浅い細田守にとって、宮崎駿の下で映画を作るのは相当な難事だったらしく、その制作は難航を極める。
結局、プロデューサー鈴木敏夫の判断により細田守は監督を降ろされ、企画立案者である宮崎駿が監督に就任することとなった。
この時の経験が『ONE PIECE THE MOVIE オマツリ男爵と秘密の島』という映画に表れているらしいが、この映画の内容から察するに細田守の精神的なダメージは相当なものだったんだろうなぁ。凄く暗いアニメなので、まだ鑑賞していない方は是非。驚きますよ😵
『ハウル』公開から2年後、細田守は『時をかける少女』によってその地位を絶対のものにするのだから、人生はわからない。
挫折せずにトライし続けることが大事なのだということを学ばせてくれるエピソードですねぇ。
『ハウル』の印象的なセリフ「未来で待ってて!」と、『時かけ』の名言「未来で待ってる。」が非常に似ているのは偶然ではないんです。
ダラダラと無駄話をしてしまった😅本題に戻ります。
『千と千尋の神隠し』から、明らかに宮崎駿はストーリーテリングへの興味を失っている。
『千と千尋の神隠し』では、それでもまだ物語を語ろうという意思を感じたが、本作ではもうそんなことどうでも良い!という開き直りを感じる。
はっきり言ってもうこの映画、無茶苦茶💦
ハウルがいったい何と闘っているのかもようわからんし、カルシファーとの契約についてもようわからんし、クライマックスの展開もようわからん!
物語の目的がさっぱりわからんし、どこを目指しているのかもわからん。もうわからんことばっかり!
これは宮崎駿が「今回は本格的なラヴストーリーで行く!」というテーマを掲げておきながら、「ラヴストーリーってどうやって作るんだっけ?」と鈴木敏夫に相談したというエピソードから察するに、本人でもよく分からないままに作っていたんじゃないかな。
また、「オタキング」こと岡田斗司夫さんが本作のわかりづらさについて「ほとんどソフィーの主観で物語を描いているから」と解説していたが、これは正に言い得て妙!
ハウルの視点から物語を描いたり、回想シーンを入れたりすればもっとお話しがわかりやすくなったはずだが、あえてそうしていないのは、やはりこれが「本格的なラヴストーリー」を目指して作られたものだからだろう。
世界観の説明を極限まで省き、「キミとボク」にのみ着目するというセカイ系的な構造こそラヴストーリーであるというのが宮崎駿流の見解なんだろう。
無茶苦茶な映画なことは間違いない。じゃあ本作がダメな映画なのかと言うと、決してそんなことはない!むしろ、かなり好き!
久しぶりに鑑賞したが、子供の頃に観た時よりも一層面白く感じました😍
老人まみれのラヴストーリーという、監督の心境が反映されまくった歪な物語は、意味よりもパッションが重視された迫力のある映画となっており、その勢いには心が揺り動かされる。
画面越しにも情熱が伝わってくるような熱さがあり、何故か終始涙目で鑑賞していた🥲
冒頭のハウルとソフィーが出逢うシーン、ハウルの「やぁ、探したよ。」というセリフは、その意味が分かると爆発的なエネルギーを持つ素晴らしい伏線となっており、こういうワザをサラッとやってしまうあたり、本当にこの爺さんは天才だなぁ、と思わざるを得ない。
クライマックスの持つエモーションも素晴らしい!
「心って重いの。」というセリフが好きすぎてヤバい。
カブが人間に戻るところとか、もうめちゃくちゃなんだけど、だがそれがいいっ!
天才の開き直りほど心地良いものはないです😌
色々言われるキムタクの声優起用、自分は決して嫌いではない。
ただ、倍賞美津子さんは、うーん…😥
おばあちゃんソフィーは120点なんだけど、流石に18歳の少女役はキツい💦
「18歳から老婆まで同じ役者にやって欲しいー!」というのが宮崎駿の要求であり、それをクリアしたのが倍賞美津子だったらしいが、やっぱりキビしいっす…。
声のせいでソフィーの魅力が〜😣
海外版では、どの言語でもソフィーの声は老人と少女でそれぞれ別の人が担当しているらしいが、絶対にそれが正解だと思う。
これ以上型を崩すと、バランスが崩壊してしまうというギリギリのラインを保っている奇跡のような作品。
人によっては、これはもうバランス崩壊してる!と思うかも知れないが、自分としては結構好きな作品。
色ボケもここまで極めると立派っ!👏
宮崎監督の右脳全開ムービー?
ちょっと前に映画館でジブリを観まくったので、その勢いで連休中に観ていなかったジブリ作品を観てみよう個人的キャンペーン。というわけで「ハウルの動く城」を観ました。
宮崎監督ならではの不思議な生き物達が出てくるのは良いですね!次から次へと良く思い付くもんだなぁ。悪魔と取引はしたくないけど、カルシファーは欲しいです❗ヨーロッパ的な街並みも良かったですね。「もののけ姫」や「千と千尋の神隠し」で見せた日本も好きでも、なんだかんだでヨーロッパって宮崎監督の憧れなんでしょうね。
物語の序盤でソフィーがハウルに一目惚れしてしまう訳なのですが、恋愛耐性ない状態でイケメンに空中散歩してもらったらそりゃ惚れるわな😁でも、ハウルと出会ってからのソフィーの成長っぷりよ!Wikipediaさんによると原作ではソフィーも魔女だったらしく、最後に一人でも空中散歩できてたのはそういうバックグラウンドがあったからなんですね。
ただやっぱり18歳のソフィーの声を63歳の倍賞千恵子がやるのは無理があったのではないでしょうか?声優使うのは嫌いでも、その辺は違う人を使うなりちゃんとして欲しいです。ハウルはセリフもさほど多くなく声の演技が必要なキャラクターじゃなかったのでキムタクでも大して気になりませんでした。
最近「宮崎駿の雑想ノート」っていう本を読んで、そこで宮崎監督が昔の戦艦や飛行船をめちゃめちゃ語ってて、宮崎監督ってそういう乗り物が大好きなんだなぁってのがわかる本でした。本作で出てきたあの大砲がいっぱい付いている軍艦や飛行船等は宮崎監督の純粋な趣味で描きたかったんだろうなって思います。戦争は嫌いでも戦艦はカッコいいという男の子ならではの視点ですね。
ストーリーは色々突然過ぎて、宮崎監督が右脳で作った「考えるな、感じろ」ムービーかと思ったのですが、色々検索すると実は行動1つ1つに理由があって、めちゃめちゃ綿密に作られてる模様です。でも、一般人でも単純に楽しめるのが宮崎監督のスゴい所だよなって思いました。
頼む、私の話を聞いてくれ
ハウルの動く城は本気で100回見た。
この作品、原作未読の方が一度観ただけでは絶対に理解できない。でも、「意味わからん映画」で片付けてしまうのはあまりにもったいない。
何気ない言動に大きな意味を持たせている、実に精巧な映画であることをどうしても知ってほしい。
●ハウルとカルシファーの契約
カルシファーはもともと魔力を持つ星の子。星の子は空から地に落ちると消滅してしまう儚いもの。
それを可哀想だと思った幼少のハウルは、ひとつの星の子に自分の心臓を与えます。ハウルの心臓を手に入れた星の子は、カルシファーという名の火としてハウルに仕えるようになります。
契約を解くには第三者(ソフィー)がこの経緯を暴く必要があります。
ここの理解がとても大事で、物語の理解に直結します。しかし映画内では終盤のたった数十秒、一切のセリフ説明がないシーンで理解せねばならず、かなり難解。
●ハウルが心臓を取るという噂
冒頭、帽子屋にて「隣町の子、ハウルに心臓取られちゃったんだって」というセリフや、お菓子屋で妹のレティーがソフィーに「それがハウルだったらお姉ちゃん心臓食べられちゃってるよ」と忠告するセリフがあります。しかしハウルは物理的に心臓を取って食べたりはしません。
前述した通り、ハウルは契約によって心臓がありません。この空虚感を、美しい女性の心を奪う=自分に恋をさせることで満たしています。(ソフィーとレティーの会話で「ハウルは美人しか狙わない」というセリフがあります。)
荒地の魔女もハウルに心を奪われた1人であり、そのために終始ハウルの心臓を狙い続けます。
(英語版では「かつての荒地の魔女がとても美しかったため、初めは自分から追いかけたのだ」とハウル自ら明かしています。昔は美人だったのか。笑)
●老婆になったソフィーが急に若返る
荒地の魔女にかけられた呪いで、ソフィーは老婆の姿になります。しかし就寝時や素直に感情を表すとき、自信を持って行動するときに元の若い姿に戻ります。ソフィーの呪いが解ける明確なシーンはないのに、物語の終盤では完全に若い姿のままです。
以上のことから荒地の魔女がかけた呪いは老婆になる呪いではなく、ソフィーの内面が外見に現れる呪いだったと思われます。
容姿に自信がなく、長女だからと自分を押し殺して帽子屋を継いでいた少女のままであれば、呪いが解けることはなかったと思われます。
●ハウルの戦争に対する姿勢
ハウルは戦争で自分の魔力を使うことに反対の姿勢を貫きます。王宮にて、国王に変装したハウルは「魔法で戦に勝とうとは思わない」「一部の被爆を阻止できても別の場所に落ちてしまう、魔法とはそういうものだ」といった趣旨のセリフで自分の意思を表明しています。
一瞬にして人の命を奪う軍兵器には強い嫌悪感を示し、自国の兵器であっても故障させてしまうシーンがあります。ハウルはよく1人で戦場に向かいますが、戦争に加担しているのではなく、戦争そのものと対立しているのです。
一方、ハウルの(魔法学校時代の)師匠であるサリマンは、王室つき魔法使いです。自国のため、戦のために魔法を使うことを正義と信じて疑いません。国のために力を貸さないハウルを〝悪魔と契約して心をなくした〟と決めつけて非難します。
●ハウルとソフィーはずっと昔に出会っていた
荒地の魔女がカルシファーから透けるハウルの心臓に気付き、無理やり手に入れようとします。カルシファーの火が燃え盛り、あわや焼身してしまうところ、ソフィーは水をかけて荒地の魔女を救います。〝カルシファーの消滅=ハウルの死〟を心配して嘆くソフィー。
ハウルに会いたいと願うソフィーを、指輪が導いた先は〝幼少のハウルが星の子と契約を交わすまさにその瞬間〟でした。
「ハウル!カルシファー!私はソフィー、未来で待ってて!」と叫んだソフィーを、幼少のハウルは確かにその目で見ます。このことから、ハウルはずっと昔からソフィーの存在を認識していることになります。
少し前のシーンに戻ります。ハウル一行が引越しをした際、城の扉とハウルが幼少期を過ごした土地が繋がりました。ソフィーは初めてその土地を訪れるはずですが、〝不思議ね、前にもここに来た気がする〟と感じます。
ハウルとカルシファーが契約を結んだとき、自分もそこに居合わせていた記憶が薄っすらと蘇ったのです。
ここは時空を超えた展開で時間軸が一方向ではなく、特にややこしい部分だと思います。
●冒頭の出会いは偶然ではない(かも)
ソフィーとハウルの出会いのシーン。ハウルはガタイのいい兵士たちのナンパからソフィーを救います。このとき、ハウルの指輪は光っているようにみえます。
この物語で指輪は会いたい人のありかを示す道標となり、その力を発揮するとき光ります。
前述したようにハウルは幼少期からソフィーを認識している点も踏まえると、ハウルが登場の第一声「やぁやぁ、探したよ。」と言ったのは、単にナンパを撒くための口実ではなく、本当に探していて〝やっと見つけた〟という意味だったのかもしれません。(指輪の光り方も薄っすらなので、真意はわかりませんが…)
●終わりに
この映画はとにかく言葉足らず。私自身、一度目の鑑賞は後半の内容が全く入ってこなかった。
それでも、なぜか楽しい。細かいことがわからなくてもキャラクターやお城の描き方に心を鷲掴みにされる。
繰り返し観れば、その度に散りばめられた粋な仕掛けに心ときめく。
やっぱ宮崎駿だなって、何度でも思わされる作品。大ファンです!
ハウルの秘密の蠢く城
宮﨑駿の男気。
帽子屋ソフィー。まだ若い。荒地の魔女の意地悪な魔法で一瞬で老女に変えられてからは、住み込みの家政婦(掃除婦)としてハウルの動く秘密の城で働く。
この城が主役と言っていいだろう。この城は、ハウルと秘密の契約をしている火の妖精(悪魔)カルシファーが魔法で動かしている。
小さな暖炉がなんとも言えずいい。
蒸気を吹き出しながら
巨大なビルがのっしのっしと
鳥の脚のような細い脚でゆっくりだが、ぎこちなく歩く様子がなんとも言えない。
ストーリー的には、特になにもないかもしれない。
戦争が起きており、夜な夜なハウルは、闘いに出かける。
なぜ始まったかは分からず、ただ消耗するだけの日々。
戦争があっても、人々の経済活動は、行われるし、生活の営みはある。
人は、魔法によらなくても、年をとる。
荒地の魔法使いのように魔法で、多少年齢をごまかすこともできるが、本当の年齢はごまかせない。
王宮への昇り階段を、ソフィとヒンと荒地の魔女が頑張って登るシーンがなぜか好きだ。ソフィは、荒地の魔女に対して敵意しか持ってないはずなのに、みなに対して優しい。
ソフィは、若い頃は、地味でたいして可愛くもなかったが、老婆になってからは、どうにかして元の姿を取り戻そうと、ハウルの城に住む。
マルクルという魔法使いの弟子がおり、カブ頭というかかしがおり、火の妖精がおり、心は若い女性の老婆ソフィがいて、美形の魔法使いハウルがいる。
そこに魔法の力を失った荒地の魔女と
犬のヒンが加わる。
湖。
街。
荒地。
結局は容姿が良くないと成立しないストーリー
なぜハウルがロン毛で声優に木村拓哉なのか。
それは恐らくパヤオの25年前の木村拓哉は確かにイケメンで人気だったからモテないパヤオからしたらイケメン=キムタク だったのだろう。
ただ。
この作品はどこをとっても容姿のことばかり。
モテまくる妹や若作りで下品で派手な母親。
ソフィーを街でナンパしたのは確信犯なのかどうか。
ソフィーもイケメンハウルの何も知らないのに見た目だけで恋に落ち。
ハウルもばあさんが実は若い女だとわかっていたから話が進み、恋愛になるし。
これが本当にばあさんなら?
ハウルがフツメンなら?
結局はイケメン、美人であるから成立するだけではないか。
美人ではないとソフィーは普通に最初から美人だし。
終始老いをテーマにしているフリをして
イケメンは得だし
美人も隠してもバレる。
それだけの話
戦争がどうとかこじつけ。
左翼パヤオが機械書きたいだけのオナニー。
最後はソフィーがキスしまくって解決みたいな話。
ずいぶんと気持ちが悪い内容だった。
パヤオもヤキがまわったなと思う。
チキチキマシン猛レース
宮崎アニメの世界観が健在だったのがうれしい。街並や戦争の雰囲気からすると第2次世界大戦中のイタリア、フランスが想像できるが、しっかりと魔法使いが存在し、国は全て王国であるという無国籍ワールド。
宮崎作品で重要なポイントの一つに空を飛ぶシーンが欠かせないことが挙げられる。今回は90歳になったソフィーが不思議な飛行機(ナウシカやラピュタの雰囲気)を操縦するのだが、この雰囲気がラピュタのドーラそっくりなのだ。ただし、今までの作品よりはおとなしい飛行シーンだったし、後半の盛り上がる部分にも取り入れてもらいたかった。
お得意の隠されたテーマを考えてみるのも面白い。反戦メッセージや星にぶつかった少年というファンタジーだけでは、宮崎ワールドの一部しか楽しめないのであろうから、サブテーマを考えてみる。まず、ソフィーが自分には帽子屋という職業の道しかないと思っていたのに、普通の職に就くことを捨ててしまうという人生設計のテーマ。第2に、ソフィー、荒地の魔女、サリマンに共通する老人介護のテーマ。第3に、悪魔や魔法使いという人種差別・偏見のテーマ。4色のボタンが象徴するパラレルワールドのテーマ等、探せば色々みつかりそうだ(かなり穿った見方・・・でたらめもありますw)。
キムタクがハウルの声を担当することに対してかなりの賛否両論がありますが、その他のキャラに目を向けて、犬のヒン(原田大二郎)が『チキチキマシン猛レース』のケンケンをオマージュしていたり、キャラ作画が先か声優が先かわからないほど良く似ているサリマンの加藤治子等のナイスキャスティングを褒めるべきでしょうね。キムタクは普通・・・
ラストになってテンポが失速し、変な解決法を取るので、マイナスポイントになるでしょうか。それでも★★★★
13年前
映画館で観て、当時のキムタクブームからか天邪鬼な自分は声優がショボいと評価し、何も面白くないと思っていた。
13年たって、歳とって改めて観ると声優陣が良すぎる。キムタクも倍賞千恵子も、美輪明宏も、素晴らし過ぎてそれだけで涙が出た。
映画って一回観ただけじゃわからん事が多すぎですね。
ラブストーリーとしても、時々問題映画としてもいい内容かと。
難しいけど素敵!
観るたびに難しい話だな…と思います。
この映画を初めて観たのは私が幼少期の頃で、その時はただただ不思議な世界観に目をキラキラさせていたと思います。大人に近づいた今、久々に観ると、よくわからないと疑問に思う場面がいくつかありました。(純粋だったあの頃よ…泣)
でも、綺麗な映像や世界観に合っている音楽、最後はハッピーエンドなところなどが全体を調和させていて、ところどころにわからない部分があったとしても「なんだか素敵だった」と思える映画なんじゃないかなと思います。
なんと言ってもハウルですね!
私も一応年頃の女の子、ということでハウルにキュンキュンさせられました。笑
キムタクの声はベストマッチですね〜!
マルクル…!神木くんが!幼い!!←
神木くんは何歳になってもいい声ですね(*´`*)
映画の細かい設定が原作(小説)の描写にあるそうなので、それを読んでからまたもう一度映画を観ようと思います。
見れば見るほど深い
心を無くしたハウルと
心を取り戻したハウルの声色の違いに
木村拓哉の声優としての素質を感じる。
「やぁごめんごめん、探したよ」
冒頭の何気無い一言と
終盤のソフィーの
「未来で待ってて!」
ソフィーをお城にすんなりと招き入れたカルスファーにも
寝ている間に元の姿に戻っていたソフィーに
まったく驚かなかったハウルにも
すべてに納得が行く
本当にずっとソフィーを探してたんだよね、ハウル。
恋するソフィーばあちゃんの強さ、見習いたい。
解り辛くて既視感もある作品
総合:60点
ストーリー: 40
キャスト: 65
演出: 70
ビジュアル: 80
音楽: 80
物語も設定も理解し辛い。そこがどういう世界で誰がどういう状況で何がどうなっているのか、まず最初の設定が説明不足だろう。ハウルが誰で何故移動できる城を持っていて何をしているのかもわからない。そして物語も同様で、ソフィーが老婆になる理由もハウルと生活出来る理由も彼らを取り巻く環境や展開も、何か必然性を感じない。
それがはっきりしないままにハウルとソフィーの物語が動き戦争が始まったところで、見ているほうとしては訳もわからず取り残された気分になる。ソフィーの年齢は劇中でころころ変わるし、戦争は原因もわからぬままに始まっておおいに戦って殺し合いをした後で、実は王宮に住んでいる魔法使いサリマンの一言だけであっけなく終わることが出来るくらい単純なものみたいだし、いったいどうなっているのだろうか。
ハウル役の木村拓哉の声は時々抑揚がなくてうまいとは思わないがそんなにひどくもない。ソフィー役の倍賞千恵子が悪いとは言わないが、少女から老婆まで年齢が変わって姿が全く違うものになっても声が変わらないというのは大きな違和感があって、これは年齢別に声優を用意しなかった製作者側の失態。
映像と音楽は頑張っていたけれど、場面場面で昔のジブリ作品、とくに「ナウシカ」「ラピュタ」「もののけ姫」を思わせる部分があって新鮮味がない。虫のように襲ってくる敵、光を出して方向を示す首飾りに羽ばたいて空を飛ぶ乗り物、どろどろの半液体の生物、どこかで見たような場面が劇中で繰り返されて、宮崎駿の才能の行き詰まりを作品から感じてしまう。
見た目も能力も製作者の想像した思う通りに自由自在に変更できるはずのアニメなのに、この既視感は何なのだろう。過去の作品群が素晴らしかったために、どうしても彼には非常に高い期待を持って見てしまうから余計にそうなんだろうが、見ている途中で既に多少の失望感を持ってしまうことを止められない。映像と音楽が良くても、総合として良い作品だと納得できるものではなかった。
魔法使い
すっきりハッピーエンドで好きです。
ハウルにでてくるキャラがみんな好き。
魔法の世界観も好き。
時たま若返るソフィが印象的です。
家族みたいにワイワイしてる風景がいい。
みんなを守るために戦争に赴くハウル。
それを支える強くて優しいソフィ。
子供の頃のハウルと流れ星のシーンが大好きです。
二人がラブラブで素敵!
ラストシーンでは、お幸せに♪と思わず思っちゃいます。
神木くんのマルクルの「待たれよ~」に持ってかれたw
「ハウルの動く城」を観終わっての感想ですが、
意外や意外、僕の宮崎アニメランキング歴代2位を獲得しちゃいました。
ちなみに1位はトトロですが・・・。
まあ、このあたりで一般の人と宮崎アニメの観方自体違ってると思ってるんですが、
だって、僕の宮崎作品ランキング第1位は「《原作》風の谷のナウシカ」ですから。
で、ハウルなんですが、キムの声は意外に合ってました。
ハウルとキムタクはダブりますね。
ソフィの声もよかった。
でも、一番はマルクルの神木隆之介くん。
あの「待たれよ~」は何度聞き返してもいいぐらいかわいいのだ。
今回のキャラナンバー1はマルクルですね。
でも、荒地の魔女の美輪さんはもののけのモロ以来2回目なのに、
なんか何度も聞いてるような感じです。
すでに美輪さんの声は宮崎キャラに必要不可欠になってますね。
ところで、本編ですが、物語がわかりにくい、という前評判でしたが、
寓話としてそこそこできてると思いました。
いくつかの伏線もきちんとつながってたし、
ただ伏線で無理があったのは、ソフィが終盤になって誰にでも挨拶代わりにキスしてたところ、
まあ重要なシーンといえばシーンなんでしかたないけど、
一応これハウルとソフィの純愛ドラマだからねえ。
一番好きなシーンは、ハウルが軍の飛行艇にむかって言った一言。
ハウルはただただ戦争したくない、殺し合いなんて意味がない、
なんでお気楽極楽に生きちゃだめなんだよおって、言いたかったんだよ。
国家のためだなんだっていって戦争してるけど、
それよりも愛する人といつも一緒にほのぼのと日々をすごしていく方が、
だれも傷つかないし、幸せじゃないかって。
そんなメッセージを僕は感じました。
だからトトロに次ぐ宮崎アニメ歴代2位なのです。
でも、原作ナウシカはさらに違う意味ですごいですけど・・・
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